58話:2年前
*今回はテテフのお話です。
~ 2年前:ベックスハイラント ~
悪名高い『Lawless World (無法世界)』にて、獣人族の少女:テテフは幸せの絶頂にあった。
前世で徳でも積んでいたのか幸運にも裕福な家の子供となり、珍しく治安の良い街で彼女は幸せに暮らしていた。
父の名は「トマス」。
母の名は「エクドレア」。
テテフは二人が大好きで、大好きな二人と暮らす日々がテテフには何よりも幸せだった。
ただし、大好きな二人と暮らしていても、必ずしも毎日がご機嫌という訳ではないらしい。
「テテフ、昨日はまた嘘を吐いて街の人を困らせたって?」
父トマスの責める声に、テテフは「ぷく~」と頬を膨らませる。
「別に困らせてないもん。パン屋の“ピカじい”が占いを始めたって、街の皆に宣伝してあげただけ」
「それを嘘って言うんだよ。占い目当ての客が来て困るって、パン屋のおじさんから秘書のピエトロに苦情が来たんだ。責任も無い彼をまた謝らせてしまった」
「嘘じゃないもん。ピカじいが占いを始めれば、アタシが言ったことも本当になるし」
「全くもう、この子ときたら……」
「はぁ~」と隠さぬため息を見せ、トマスは呆れた表情のままクローゼットからスーツを取り出した。
途端、テテフの顔が一瞬にして曇る。
「パパ、出かけるの?」
「あぁ、ちょっと仕事でね」
「やだやだやだ!! 今日はパパと遊ぶって決めたもんッ、約束もしてた!!」
「本当にゴメンな。用事が出来たんだ」
「やだやだやだ!! 約束したもん!! パパの嘘吐き!!」
大好きな父に裏切られた。
そんな悲しい気持ちで一杯のテテフは、彼のスーツに縋りついて着替えを邪魔しようとする。
それを諫めるのは母:エクドレアの仕事だ。
「我がままを言っては駄目ですよ」
駄々を捏ねる娘を、エクドレアはギュッと抱き締める。
それだけでテテフの動きが止まるのだから、母の力とは何と偉大なことか。
「あのねテテフ、パパは市長さんだから忙しいの。急用が入ったのだから仕方ないわ」
「そうなんだ。ピエトロから連絡があってね。南の街で貧困層による暴動が起きて、私にも対処の要請が来たらしい。あの街はここに比べて治安も悪いし、早めに対処しないと大変な事になる。頭がいいテテフならわかるだろう?」
「むぅ~~……」
大好きな二人に諫められ。
一応は大人しくなるものの、しかし大人の事情で子供の気持ちが納得出来る訳もない。
「……もういい。一人で遊ぶんもん」
父と母に“嘘を吐き”。
大人しく引き下がったと思わせた後、彼女は家を出たトマスを“尾行”した。
駅に着き、2両編成の臨時列車に乗り込む父に倣い、テテフもコッソリと乗車する。
(パパはああ言ってたけど、本当に仕事なのかな? もしパパが嘘吐いてたら、嘘吐き代として色々買ってもらうもんね)
内心でそんな思惑を抱きつつ。
デッキの扉にある窓にへばりついて、そーっと客車を覗き込むテテフ。
小さな彼女が窺う限り、座席の上から頭が見えるのは、父トマスと彼の秘書:ピエトロの二人だけだ。
(こんなに人も車両も少ない列車は初めて……危ない場所に行くからかな?)
この時はまだ、幼い少女はそう考えていた。
“本当の理由”を知る由もなく――。
■
~ 尾行の為、テテフが列車へ乗り込んでいたその頃 ~
テテフの父であり、街の市長でもあるトマスは列車の窓に目を向けていた。
まさか自分の娘が同じ列車に乗り込んでいるとは露ほども知らず、眼下に見えるゴミだらけの景色を憂いの目で見つめている。
(相変わらず酷い景色だ。どうやったらゴミ山の人達がまともな生活を送れるようになるのだろうか? やはり街の人々を説得して――いや、今はそれを考える時間ではないな)
フルフルと頭を振り、トマスは隣に座る秘書へ神妙な顔を向ける。
「それで、南の街で起きた暴動の規模はどれくらいだ? 既に出ている被害は?」
「ゼロです。被害なんてありませんよ」
「……は?」
理解が追い付かなかい。
隣の男が――秘書ピエトロが何を言ったのか、トマスがそれを理解するのに数秒の時間を要した。
「南の街で暴動が起きていると、そういう話ではなかったのか? 南の街の市長から、私宛に支援要請の“鳩手紙”が届いたと、お前からそう聞いたから、私は急いで家を出て来たんだぞ? 本当に暴動は起きていないのか?」
「ええ、暴動なんて起きてませんよ。全て私の嘘ですからね」
「は? 一体お前は何を言って――うッ!?」
再び、トマスは理解が追い付かない。
ピエトロが腰からナイフを取り出し、こちらに突き刺してきた。
左胸を、心臓を――。
「お前、何を……」
「邪魔なんですよ貴方。こんな糞みたいな『Lawless World (無法世界)』で、何を“良い人”気取りしてるんですか?」
突き刺したナイフを引き抜き、それを今一度深く突き刺すピエトロ。
短い声ならぬ声と共に、トマスの瞳から呆気なく虹彩が失われる。
そんな彼を見下ろすピエトロの目は、まるで道端に捨てられたゴミでも見ているかの様だった。
「――全く、本当に馬鹿な男だ。市長という立場にいながら、馬鹿正直に他人の為に働いて……反吐が出る。私ならもっと“上手くやれる”。さっさとその席を退けろ」
ピエトロが足蹴にすると、トマスは何の抵抗も無く列車の通路に崩れ落ちる。
仰向けに倒れたその背中に、ピエトロは更にナイフを突き刺す。
何度も。
何度も
何度も。
積年の恨みを晴らすように、何度でも――。
それからナイフに付着したトマスの血を、ピエトロは自分の身体に塗り始めた。
その後は徐に列車の窓を開け、そこからトマスの死体を投げ捨てる。
物言わぬ大人の死体は、実に呆気なく遥か下のゴミ山へと消えた。
「これでよし、と。次は……エクドレアだな」
――ゴトッ。
「ッ!?」
予期せぬ小さな物音が響き、ピエトロの視線がデッキの扉に向かう。
「ディグリードか?」
「………………」
問いかけに応えは無い。
ピエトロの中に嫌な予感が浮かび上がる。
(この臨時列車に乗っていたのは、死んだトマスと私だけだった筈だが……まさか、誰か他に乗っていたのか?)
先の光景を、第三者に見られていたらマズイことくらい誰でもわかる。
ピエトロは念の為に客車内を見て回ったものの、それでも人の気配は何処にも無い。
念には念を入れてデッキも確認し、隣の先頭車両も調べてみるものの、やはり人の姿はどこにも見当たらなかった。
左耳に手を当て今一度耳を澄ませてみるが、それで聞こえてくるのは「ガタンッ、ゴトンッ」という振動音だけ。
「……気のせいか? ただの振動音とは違うと思ったが、まぁこの列車も年季が入っているからな。ガタが来ているのだろう」
そう結論付けたピエトロは、当然の様に車掌室の窓をノックする。
「ディグリード、街に戻ってくれ」
■
“街の人々”は不思議に思っていた。
先ほど出て行った2両編成の臨時列車が、何故か早々に街の駅へと戻って来たのだ。
「何だ何だ? 南の街がどうこう言って、トマス市長とピエトロさんが向かった筈じゃなかったのか?」
「俺もそう聞いてたけどなぁ。何か忘れ物でもしたんじゃ……あっ、ピエトロさんだ」
当然の様に駅から出て来たピエトロ。
その“異変”に皆が一斉に気付き、駅前がざわざわと騒がしくなる。
「おいおいおいッ、どうしたんだピエトロさん!? 全身血だらけじゃないか!! トマス市長と出掛けた筈では!?」
「……殺されたッ」
「え?」
「トマス市長が殺された!!」
「「「……え?」」」
ピエトロが放った一言に街の人達は動揺を隠せなかった。
駅前にはあっという間に人だかりが出来、血塗れの姿で戻って来たピエトロに熱心な視線を注いでいる。
「嘘だろ? トマス市長が殺されるなんて」
「信じられねぇよ。いくらピエトロの話でも、それは……」
「おい、一体何があったんだ!?」
「襲われたのです。螺旋街道の途中で待ち伏せしていた輩共に」
息をするようにピエトロは嘘を吐く。
現場を見た者は誰もおらず、嘘だろうが誠だろうが自分の言葉以外に「事実」など無いと知っている。
真実がどうであれ、事実はそれを伝える者次第だと。
「奴らはトマス市長を恨む者達で、徒党を組んで彼を襲撃しました。抵抗も虚しくトマス市長は殺され、私もナイフで刺され……」
「まさか、そいつらがこの街に!?」
「いえ、奴等はトマス市長を殺したあと螺旋街道を降りて行きました。恐らくゴミ山の住人です。武装している不穏な輩がいると報告を受けていましたから、そいつらに間違いないでしょう」
「そ、そうか」
輩共がゴミ山へ帰っていったという話にホッと安堵する人々だが、しかしピエトロの言葉が全て腑に落ちた訳でもない。
住民の一人が眉間にしわを寄せ、難しい表情となる。
「しかしなぁ、トマス市長に恨みを持つような輩がいたなんて信じられねぇ。いや、ピエトロさんの言葉を疑ってる訳じゃねぇんだが、あの人は本当に人柄が良かったからな。徒党を組んでまであの人を殺そうだなんて……」
「それは、皆さんが彼の本性を知らないからですよ」
疑う男の声を遮り言葉を発したのはピエトロ、ではない。
彼の後ろ、列車から歩いて来た“車掌”だった。
*過去編は次話で終わります。




