55話:メンタルケア代
――夢を見た。
始まりは「戦争」だった。
人と人との戦争、ではない。
人とクジラの戦争だ。
クジラは真っ黒い身体をしていて、海ではなく空を泳ぎ、小魚ではなく大地を喰らっていた。
『星食いクジラ』。
人々はそれを「人類の敵」と認識し、我が物顔で星を喰らうクジラを迎撃する日々を繰り返していた。
その迎撃手段の1つが“魂乃炎”。
星食いクジラの出現から間もなく、不思議な力を有する人知を超えた人間が世界各地に現れ始め、星を守ろうと星食いクジラと戦い始めた。
彼もまた、そんな“魂乃炎”所持者の一人。
人々から『最後の英雄』と期待された彼は、粉骨砕身の働きで星食いクジラと戦い続け、遂には敵の本拠地へ殴り込みに向かうも――。
■
~ 1カ月ぶりの隠れ家に帰還した、その翌朝 ~
ぬいぐるみで溢れた部屋の中を出て、ボクは廊下で「う~ん」と背伸びをする。
それから身体をグイっと捻り、軽く屈伸して左肩をグルリと回す。
「うん、身体が嘘みたいに軽いや。パルフェの“マッサージ”に感謝しないとだね」
昨夜、密かに行われた彼女のマッサージがボクの身体を完全回復させていた。
1カ月に及ぶ無人島生活で疲弊していた身体も、パルフェの施術ですこぶる元気になっている。
逆に「今度はドラの助の番ね」と攻守交替した時が問題。
パルフェに指示されるがまま、見様見真似で彼女の身体を押したり摩ったりするも、マッサージど素人のボクにどれくらい効いているのかわかる訳も無く……。
ただただ恥ずかしい地獄の時間を耐え忍ぶこと約2時間。
憑き物が取れたように健やかな顔で眠りについた彼女に安堵し、ボクも1カ月ぶりのベッドでぐっすり熟睡した次第となる。
(ん、そう言えば何か夢を見ていた様な気がするけど……忘れちゃったな。まぁいいや)
人生の目標としての「夢」はともかく、睡眠時に見る「夢」のことを深く気にしてもしょうがない。
それよりも今は「朝ご飯」だ。
久しぶりに文化的な朝ご飯を食べたいと、ボクの胃袋がそう訴えている。
「パルフェは基本的に起きるのが遅いみたいだし、一人でのんびり甘いものでも――」
ガチャリ。
螺旋階段を降りようとしたら、二つ隣の扉が音を立てて開いた。
そこから顔を出したのは、煙草を咥えたセクハラ医者のコノハだ。
久しぶり過ぎて懐かしさすらある白衣姿から、ほんのりとアロマの香りが漂っている。
「おいドラ坊、200万Gだ」
「………………。……えっ、ボクに言ってる?」
「あたりめーだろ。他に誰がいるんだよ」
「いやまぁ、それはそうなんだけど。それにしてもドラ坊って……」
パルフェのつけた「ドラの助」もだけど、「ドラ坊」も大概なあだ名だ。
思い返すと、テテフからはまともに名前を呼ばれた記憶も無いし、この幽霊屋敷の女性陣は人の名前をまともに呼ぶ気が無いらしい。
「それで、200万Gって何の話? 突然過ぎて話が読めないんだけど」
「とぼけてんじゃねぇぞ。テメェの借金200万G、がん首揃えて返せって話だよ」
「えっ? ボクの借金って100万Gじゃなかったっけ。テテフの治療費だよね?」
「それは1カ月前の話だろ。今はウシ乳の美顔&小顔マッサージ代が追加で乗ってる。利子をつけてないだけありがたく思え」
「………………」
おかしい。
ボクが無人島で生活費0Gの日々を送っている間に、何故か借金が膨らんでいた。
パルフェ、ボクがいない間に案外隠れ家生活を満喫してない?
「おっと忘れてた。テメェがいない間の“ウシ乳のメンタルケア代”も請求しねぇとな」
「ん? メンタルケア?」
「そうだよ。あのウシ乳、毎日毎日『ドラの助~、ドラの助~』って五月蠅過ぎて、こっちの方が参りそうだったぜ。流石のアタイもちょっと引いたよ。あのジジイも珍しくマジでうんざりしてたからな」
「そ、そんなに酷かったの?」
「あぁ。だから発狂しない程度にアタイがこっそり乳を揉んで……じゃなくてカウンセリングして、精神を落ち着かせてやってたんだ。労いの言葉の一つでも欲しいところだな」
「………………」
「おい、何だその目は? 言っとくがあのウシ乳、アタイがいなきゃマジでどうなってたかわかんねぇんだからな? っつーわけで、更に追加で100万。計300万Gきっちり返せよ?」
バタンッと、開けられたばかりの扉は勢いよく閉じられる。
まさか金の話をする為だけに顔を出したのか、1カ月ぶりに会ったコノハはそのまま呆気なく姿を消した。
「……よし、何も聞かなかったことにしよう」
借金300万Gなんて夢に決まっている。
ボクは夢から目覚める為に大きく「ふぅ~」と深呼吸し、それから改めてキッチンへと足を向けた。
――――――――
1カ月前、地獄の熱を暴走させて爆破してしまった隠れ家のキッチン。
当時は真っ黒焦げになっておじいちゃん叱られたけれど、ボクが不在の間に片付けも終わったらしく、綺麗になっているそのキッチンには――先客がいた。
モフモフの尻尾と獣耳を持つ幼い少女だ。
冷蔵庫の扉を全開にしたまま、尻尾を揺らしながらゴソゴソと中を探っている。
「おはようテテフ。何を探してるの?」
「肉だ。朝ご飯の肉を探してるが……無い」
冷蔵庫の扉を閉め、彼女は「やれやれ」と首を振る。
「肉が無い冷蔵庫なんて冷蔵庫じゃない。こいつは冷蔵庫失格だ」
「えぇ、それは流石に冷蔵庫が可哀想だよ。お肉が無いなら甘い物でも食べる?」
冷蔵庫には牛乳とジャムが、戸棚にはパンとフレークも見つけた。
今あるモノで甘い物には困らないし、テテフの年齢的に甘い物は好きだろう。
と、そう思って提案したことだったけれど、しかし返って来た答えはあまり芳しくない。
「アタシは肉がいい。朝も昼も夜も、寝ている間もずっと肉を食べていたい」
「そんなにお肉が好きなの? 甘い物よりも?」
「甘いのは子供の食べ物だ。アタシはそんなに子供じゃない」
「そ、そうですか……」
甘党を敵に回す過激な発言も、ここまで断言されると言い返す気も起らない。
確かに獣人族は肉好きなイメージがあるけれど、まさかここまでのレベルだとは知らなかった。
「ねぇテテフ、ゴミ山にいた時はどうしてたの? あんな場所じゃお肉なんて滅多に食べられないよね」
「滅多に食べられないじゃない、一度も食べられなかった。だからパル姉が肉料理を作ってくれた時、死ぬほど美味かった。あの味は一生忘れない」
ジュルリと、彼女の口元に涎が垂れる。
どうやらパルフェのせいで(おかげで?)、テテフの肉好きが覚醒してしまったらしい。
「わかったよ。そこまで言うなら後でお肉を買いに行こう。おじいちゃんからはしばらく自由時間を貰ってるし、お肉を買ってきてパルフェに作ってもらおうかな。ボクもパルフェの手料理食べてみたいし」
「……お前、パル姉の何だ?」
「えっ? いきなり何?」
訳が分からない。
オウム返し的に質問の意味を問うと、彼女はムスッとした表情になる。
「ちょっと前まで、アタシがパル姉と仲良くしてた。パル姉は優しいし、料理も美味いし、触ると気持ちいし、一緒にいてアタシは幸せだった。だけど、昨日、一緒にいる相手がお前に変わった。パル姉、アタシの時より嬉しそうにしてた」
「いや、そんなことないんじゃない? たまたまそう見えただけで――」
「そんなことある!!」
テテフが叫び、ハッと目を見開き。
それからその表情に暗い影を落とす。
「……昨日の夜、アタシはこっそり部屋に忍び込んだ。そしたらパル姉、本当に嬉しそうな顔で眠ってた……。1カ月一緒に居たのに、あんな顔見たのは初めてだ」
ギュッと唇を噛み、テテフはそのまま言葉を続ける。
「もう、アタシ要らないのかなぁ……」
ポツリと呟いた彼女の額に、ボクは左手でデコピンを入れる。
「あうっ」
パチンッと小さな音が鳴り。
額を摩りながら「何をする?」と不機嫌な顔を向けてくるけれど、「何をする?」はこちら台詞だ。
まぁ正確を期せば「何を言う?」だけどね。
「あのさ、1カ月も一緒にいて何もわからなかったの? ボクなんかパルフェと過ごしたの数日だけだし、一緒に居た時間はテテフよりよっぽど短いけど、それでもわかってるよ。パルフェはそんな薄情な人じゃないって。テテフはそれがわからなかったの?」
「……そんなことない。パル姉は優しい。優しいけど……でも、昨日は追い出された」
悔しそうに、悲しそうに、テテフは再び唇をギュッと噛みしめる。
どうやら昨日の一件が、彼女的には相当ショックだったようだ。
恐らくパルフェとしては「ちょっとだけ二人にして」くらいの意味だったのだろうけれど、テテフはそれを重く受け止めていた。
小さなテテフが落ち込むと尚更小さく見えてしまい、こちらとしても何だか放っておけなくなる。
朝ご飯よりも先に、まずはその誤解を何とかした方がいいだろう。
そして、誤解を解く一番の方法は――。
「そんなに気になるなら、本人に訊いてみれば? すぐそこに居るし」
「えっ?」
思わず顔を上げたテテフ。
その視線の先には、キッチンの入り口から顔を覗かせるパルフェの姿があった。




