49話:蜘蛛の妖怪
茂みから現れたのは、体長2メートル程の“牛の顔をした巨大な蜘蛛”だった。
(ッ――妖怪か!!)
お肉が食べれると思った期待は、すぐさま緊張に変わる。
ヒト一人くらい簡単に串刺しに出来そうな大きな角と、それを携える不気味な牛の顔。
その牛の頭を乗せるのは蜘蛛の身体で、細長い脚が6本生えている。
まぁ脚の本数的に蜘蛛に分類していいのかわからないけれど、とにかく蜘蛛の妖怪だ。
そして蜘蛛の妖怪が、頭を下げてこちらに突進してくる!!
「これまた速い!!」
間一髪で突進を避け、通り過ぎ様にナイフで一撃を入れる!!
が、やっぱり弾かれた。
(こいつも硬いなッ、妖怪ってどんな身体してるんだ!?)
舌打ちしつつ振り返ると、既にこちらを振り返っていた牛の顔と目が合う。
そして――。
この無人島に来て初めての事が起きた。
「コロ、シテヤル……!!」
「喋った!?」
これまた驚愕。
よもや妖怪が喋るとは思いもしなかった。
これではまるで人間の様な――
(って、そもそも妖怪は人間だった。島流しにされた極悪人の成れの果てなんだっけ? それなら理解出来なくもないけど……)
だとしても。
このインパクトある見た目で、人の言葉を話されるとかなり不気味だ。
しかも、その不気味な口から言葉だけでなく、“緑色の唾”を吐き出して来る!!
(飛び道具もあるのか!!)
明らかに怪しい代物。
当たっていい道理はない。
これまた間一髪で避けると、ボクの後ろにあった岩に直撃。
その唾の当たった岩の表面が、ジュワ~ッと気泡を出しながら溶け始める。
「溶解液!? 凄い威力だ……ッ!!」
アレをまともに喰らっていたら――それ思うと背筋がゾッとする。
すぐさまボクは、ここ最近で何度目かもわからない逃走を図った。
(妖怪は身体が硬すぎて攻撃が通らない。このまま戦っても無意味だ)
そう結論付けて逃げ出したボクを、蜘蛛の妖怪が追ってくる!!
「ニガサ……ナイ」
(ちょッ、脚も速いの!?)
逃げ足には多少自信があったのに、その自信を打ち砕くスピードで蜘蛛の妖怪が追いかけて来る。
逃げても逃げても、何処まで逃げても追いかけ来る蜘蛛の妖怪。
しばらく走り、変わらぬどころか徐々に縮まる距離を見てボクは確信した。
これは逃げ切れない。
「マズい、マズいッ、マズい!! 島に来て一番マズい状況だ……ッ!! 黒ヘビ起きてッ、妖怪だよ!!」
残念ながらボク一人の力ではこの妖怪を倒せない。
その上で逃走も不可能となれば、後は黒ヘビの力を借りるしかないだろう。
しかし、声を掛けただけで黒ヘビが出て来るなら苦労は無い。
黒ヘビに出て来て貰うには、あの果実が必要だ。
今やボロボロとなったパーカーのポケットに手を入れ、そこから紫色の果実を取り出す。
「黒ヘビ、ご飯だよ!!」
途端、ボクの右肩から黒ヘビがにゅッと姿を現した。
赤い目を閉じたまま、ぐったりとしている状態で。
「あれ? もしかして……寝てる?」
返事はない。
嫌な予感というか、確信を持たざるを得ない。
黒ヘビの鼻(?)あたりから鼻提灯が膨らみ、パンッと弾けた。
(駄目だッ、寝てる~~ッ!!)
完全に熟睡している。
それなのに、甘い匂いに釣られて無意識に姿を見せたらしい。
何て食いしん坊な奴だ。
「黒ヘビ起きてよ!! ねぇ起きてってば!! マズい状況なんだって!!」
いくら叫んでも黒ヘビは起きない。
肝心な時になんて使えない奴だ。
(くっ、一体どうすれば……ッ)
走りながら歯噛みをし、歯噛みをしている時に先にも増して嫌な予感を覚える。
下手に振り返ると速攻で追いつかれてしまいそうだけれど、振り返らないと多分“当たってしまう”。
あの唾に、溶解液に。
「いッ!?」
振り返った時には、目の前まで緑色の唾が迫っていた。
脚を出していたタイミングが悪く、すぐに避けられる姿勢ではない。
このままでは直撃する。
ボクに――ボクの右肩から出たまま眠る、黒ヘビに!!
ベチョッ。
嫌な音と共に、一瞬遅れて強烈な痛みが襲う。
黒ヘビを庇って差し出した、“ボクの左腕”を。
「ッ、ああああぁぁァァアアああああああああ!!!!」
叫ぶことを我慢できない、焼ける様な酷い痛みだ。
ボクの身体、腕、その皮膚が、熱したフライパンに入れたバターみたいにジュワ~ッと溶けてゆく。
(痛すぎる!! けど、止まったら終わる……ッ!!)
死ぬほど痛いものの、溶解液で即死はしない。
だけど、あの角を喰らえば一発だ。
あれだけは絶対に喰らってはならないと、ボクは堪え切れない痛みをそれでも堪えて、無我夢中で走った。
背中に溶解液を喰らっても走り、もう一発喰らっても走る。
何とか蜘蛛の妖怪から逃げ切りたいと、死にたくないと、気合だけで死に物狂いに走る。
――だけど、そこが限界。
足に溶解液を喰らった時点で、気合だけではもうどうにもならない。
「うぐっ!?」
皮膚の溶けた脚で走ることは敵わず、ボクの身体は砂浜へ無様にも転がる。
すぐさま立ち上がろうとするも、足が痛くて立ち上がることが出来ず、腕が痛くて身体を起こすことも叶わない。
首だけ動かして後ろを見るも、当然の様にボクへと迫る蜘蛛の妖怪が確認出来ただけ。
牛の顔から生えた角をこちらに向けて、ただ一直線に迫ってくる。
(くそっ、こうなったら一か八か!!)
いくら叫んでも黒ヘビが起きないのなら、実力行使に出るまでだ。
こんな状況下でも寝ているお前が悪いんだと、是非ともそう言ってやりたいね。
「いい加減に起きろッ!!」
叫ぶ。
そしてボクは、黒ヘビの鼻っ面を“噛んだ”。
「シャァァァァアアアアーーーーッ!!!!」
口の中から黒ヘビの声がする。
すぐさま口を開くと、目の前に物凄く怒った黒ヘビが顔を覗かせた。
「何すんだこの馬鹿野郎!!」とでも言いたげな顔だけれど、しかしその顔はすぐに戸惑いの色へ。
ボロ雑巾と成り果てた今のボクを見て、そして迫り来る蜘蛛の妖怪に気付き、そこで黒ヘビはようやく事態を把握したらしい。
「後は、お願い……」「コロシ、テヤル!!」
ボクが口を開くのと、蜘蛛の妖怪が口を開くのは同時。
ボクの願いが伝わったのかどうかはともかく――そこからの黒ヘビは圧巻だった。
蜘蛛の妖怪が新たに吐き出した溶解液を“口で受け止め”、それを「プッ」と吐き返す。
吐き返された溶解液を顔面に喰らい、蜘蛛の妖怪が悲鳴を上げた。
「アァァァァアアアア!!!!」
その悲鳴を上げた牛の顔に、顎が外れんばかりに大口開けた黒ヘビが、噛み付く!!
そして、噛み砕く!!
「グギャァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」
特大の悲鳴が上がる。
蜘蛛の妖怪が顔の半分を失ったのだ。
その残った半分の顔を、更に黒ヘビが再び噛み砕く!!
(うっ、口の中に変な味が……)
味覚を共有している為か、得体の知らぬ味がボクの口にも広がる。
この何とも言えぬ味を是非とも言葉にしたいところだけれど、しかし、それよりも身体の痛みが上回ったのだろう。
蜘蛛の妖怪、その動きが完全に止まった。
勝利の余韻か黒ヘビが自慢げに「シャララ」と喉を鳴らし、そこでボクの意識は暗闇の中に葬られたのだった――。




