33話:1/108の思わぬ再会
パルフェを追ってやってきた『魂別道』。
その『第一魂別関所』の大きな門の下に、ボクの復讐相手であるジーザスの姿があった。
(どうして奴がここに!?)
――いや、それは愚問か。
今になって思い返せば、『第一魂別関所』はボクが死んだ後に流れて来た所でもある。
奴は元々この場所にいて、そこにボクが再びやって来ただけ。
1/108の確率に当たっただけの話だ。
とうの昔に『全世界管理局:本部』へ移動していると考えていたが、ジーザスはまだこの場所にいた。
それが幸か不幸かは、これからのボクが決めること。
「よぉチビ、せっかく地獄に送ってやったのに逃げ出したらしいじゃねぇか。――あぁ? どっかに右腕を落として来たみてぇだが……ハハッ、そんな身体でどうやって脱獄した? 獄卒にテメェの腕でもご馳走したか? まぁそんな肉もねぇ細腕じゃ美味くもねぇだろうけどな」
「そんなことより、さっきの台詞はどういうこと? 『まさか本当に来るとは』って、ボクがここに来ることがわかってたの?」
「おいおい、俺の質問は無視か? テメェも随分と偉くなったもんだなぁ」
ギロリ!!
ジーザスが睨みつけながら、こちらに向かってゆっくりと歩いてくる。
それだけで、ボクの身体がビクッと震えた。
死ぬ前と比べて随分強くなったつもりだったけれど、やっぱりこの男を相手にすると今でも身体が震えてしまう。
生前のありとあらゆる嫌な記憶が、この男に近づくなとボクに警告を送っているのだろう。
だけど。
(怖い……でも、昔ほどじゃない。獄卒の方がよっぽど怖かったし、強かった。もっと大きくてもっと強い閻魔王や魔人にも会った)
正面にいるジーザスは確かに大きい。
それは間違いない。
だけど“それだけ”だ。
身体が大きいだけ。
力が強いだけ。
それだけだ。
本当に、それだけだったのだ。
生前、ボクがどれだけ狭い世界の中で生きていたのか、それを改めて思い知らされる。
一つ。
深呼吸を入れると、身体の震えは呆気なく消えた。
「……おい、何を無視してんだよ。俺を誰だと思ってんだ?」
「誰って、キミはジーザス・A・バルバドスでしょ? 筋肉ばっかり鍛えすぎて自分の名前も忘れたの?」
「あぁッ!?」
ジーザスのこめかみに血管が浮かぶ。
奴は乱暴に『魂別関所』の門を叩き、それから一段と低い声で怒鳴る。
「誰に向かって舐めた口を聞いてんだチビ!! テメェも“さっきの女”みてぇに、また地獄へ送ってやろうかッ!?」
「……え?」
さっきの女?
それってもしかして――。
「パルフェに逢ったの?」
「バーカ、名前なんざいちいち覚えてねーよ」
ボクの問いにジーザスは鼻で笑い、それからニヤリと口角を歪めた。
「だがな、死ぬ前にテメェと仲良くしてた女だったら、ついさっき地獄に送ってやったところだ。今頃は閻魔の裁きを受けて、八大地獄に送られてる頃じゃねーか?」
「ッ――!!」
遅かった。
既にパルフェの魂は、ジーザスによって悪意的な『魂別』を受けた後だったのだ。
ならば改めて地獄に行こうと、後ろの『世界扉』へ近づいたところで、腕を掴まれる。
グイッと引っ張られ、ボクとジーザスの立ち位置が入れ替わった。
「おいおい、勝手に帰ろうとしてんじゃねーよチビ。誰の許可を得て『世界扉』を使おうとしてんだ?」
「……このパスポートさえあれば、誰がどう使おうと勝手でしょ?」
「ケッ、それもどっから盗んで来たのか確かめねぇとな。オラァッ!!」
いきなり殴りかかって来る!!
拳を避けて距離を取ると、ジーザスが苛立ち気に舌打ちした。
「チッ、避けんじゃねーよ。サンドバッグは黙って突っ立てろ」
「ここで暴力に訴えていいの? 他の管理者がどっかで見てるんじゃない?」
「ハハッ、んなことは気にすんな。ちょうど今は休憩中、どうせあと30分は帰ってこねぇよ」
「ふ~ん……」
だったら話は早い。
ここでボクが何をしようと、目撃者は誰もいないってことだ。
まぁ仮に目撃者がいたとしても、それは『魂別』待ちの魂達だけ。
その魂達からは雲と門が死角になっていて、この場所での出来事はよくわからない筈。
(この時を、4000年も待ってたんだ……復讐するなら今だ)
野犬に噛まれた左足の痛みもだいぶ引いている。
少々無茶する分には全く問題無いだろう。
右腕を無くし、より軽くなった身体でボクは動いた。
「消えた!?」
驚くジーザスの喉元に、ボクは左手でナイフを添える。
「ぐッ、いつの間に!?」
答える義理は無い。
「“鎌鼬”」
ナイフを引き、その軌道に沿って風の刃が――発生しない。
失敗だ。
「う~ん、やっぱり左手じゃ駄目か……」
「何を偉そうに呟いてんだ!!」
怒ったジーザスが拳を振り回す!!
右、左、右、時には足を加えて、怒涛の攻めを見せる!!
その全ての攻撃をボクは避けた。
ジーザスの顔が驚愕に歪む。
「どうして当たらねぇ!? このチビンボーがッ、テメェ一体何をしたぁぁぁぁああああーーーーッ!?」
(……うるさいなぁ。今までさんざん喰らって来たんだし、今更当たるボクじゃないよ)
パワーこそあるものの、ジーザスの動きにそこまでのスピードは無い。
12年も暴力を受け続けた奴の動きなら、今のボクであれば全て読める。
正直言って、チンピラの親玉:ダンガルド以下。
戦いの技術を持っていた奴とジーザスでは、同じような体格でも雲泥の差がある。
その後も何度か攻撃を躱すと、ジーザスが野獣みたいに吠えた。
「うがぁぁぁぁああああッ!! ふざけんなチビがッ、俺は名家バルバドス家の男だぞ!!」
奴は近くの門を掴み、それを無理やり“引っこ抜く”!!
(っと、これは……)
明らかに人並みを外れている。
彼の胸に灯った“魂乃炎”が発動したのだ。
『怒剛腕』――怒れば怒るほど、桁外れに筋力が増強する“魂乃炎”。
恵まれた身体から生まれる素の筋力に加え、怒りっぽいジーザスには鬼に金棒の力。
シンプル故に、生前のボクでは抵抗のしようもなかった力だ。
実際、今引き抜いた門も100キロ、200キロの話ではない。
重さ10トンは下らないだろうそれを、奴はボク目掛けて投げる!!
「死ねぇぇぇぇええええッ!!!!」
「――キミがね」
投げられた門を避け、無防備なジーザスの懐に潜った。
しゃがんだ反動を利用して、勢いよく跳躍。
そのまま奴の顎を目掛け、左手で掌底をお見舞いする!!
「あがッ!?」
ジーザスの視界、その焦点が揺らぐ!!
いくら身体の大きなジーザスだろうと、脳を揺さぶられれば正気を保てる訳もない。
奴はフラフラとよろめき、最後は白目を剥いてバタンと雲の上に倒れた。
「……呆気ないなぁ」
本当に。
実に呆気ない結末だ。
たった一撃で、華奢な左腕のたった一撃で、奴は倒れた。
ボクを自殺にまで追い込んだ男は、世界最強にさえ思えた男は、たかだかこんなものだった。
ボクの攻撃、その全てだと思っていた右腕が使えなくても、例え不慣れな左腕一本でも問題無い。
銃はおろか、ナイフさえ要らない。
人間の弱点を突けば、ちゃんと倒せる。
それも、こんなにも呆気なく。
呆気なさ過ぎる程に――。
この程度の男の為に、かつてのボクは「死」を選んだのだ。
「………………」
つーっと、ボクの頬を夜露が流れる。
「何故だろう? キミを地獄に落とす為なら、何だってやるつもりでいたのに……自ら命を絶ってまで、キミを陥れようとする程に、心の底から恨んでいた筈なのに……でも、何故だろう? もうこれ以上、キミを殴ることに何の価値も感じないや。この手で地獄に送ってやるもりだったのにさ……アハハッ、変な話だよね。ねぇジーザス、キミもそう思わない?」
「………………」
ジーザスは答えない。
完全に気を失っており、奴はピクリとも動かない。
それがまた、ボクの虚しさを増長する。
「記憶の中にいるキミの方が、現実の何倍も強かったよ。さよなら――」
ボクが、この世界で一番嫌いで、死ぬほど憎んだ大嫌いな人。
でも、だけど、だからこそ、かつてこの世界で一番憧れた人。
――さよなら。




