32話:全て終わったと思うなよ
~ 『世界管理学園:ウィンストン校』にて ~
世界を淡く照らす、月明かりの優しい光。
夜露が混じり、霧雨に身を投じたような独特の澄んだ空気。
何千何百と見て来た歴史ある石造りの荘厳な校舎は、ボクがこれまで見てきた物とは違う雰囲気を纏っていた。
決して、感傷に浸る為にここへやって来た訳ではない。
それでも、久しぶりに足を運んだ学園は、見慣れた後者は、見上げる屋上は、真下の石畳は、嫌でも目に入ってしまう。
ボクが足を止めたのは、現場は他の誰でも無い「ボクの死に場所」。
“ここに落ちたら間違いなく死ねる”と、ボクが事前に下見していた石畳の地面に立てば、嫌でも過去の記憶が蘇って来る――。
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かつて、ボクには「親」と呼べる人達がいた。
今ではもう、彼等の顔は思い出せない。
ギャンブルに狂って育児放棄した彼等は、6歳の誕生日を迎えたボク一人を残して“蒸発”。
栄養失調で動けぬところを管理者に保護され、『メリーフィールド孤児院』に引き渡された後、しばらくしてから『世界管理学園:ウィンストン校』の小等部へと通うことになる。
生前の短いボクの人生で、本当に辛い日々が始まったのはここからだ。
「やーい、チビンボー!!」
「ツギハギ野郎ー!!」
「親無しモヤシー!!」
「うわっ、ボロボロ人間だー!!」
子供は素直で残酷な生き物。
同年代の子と比べて明らかに背が低く、左目には生まれつきの“痣”を持ったボクに、好奇の目が向けられるのはある種の必然。
容姿と育ちを馬鹿にされ、仲間外れにされ、物を隠され、捨てられ、やがて暴力が始まるのに大した時間はかからなかった。
「何だチビンボー、文句あんのか? “魂乃炎”も持ってねぇゴミが、俺に逆らうんじゃねぇよ」
道端の小石を蹴るかの如く、ガキ大将だったジーザスが挨拶代わりにボクを殴って来る。
その胸に轟々と燃ゆる“炎”を宿しながら。
(いいなぁ。ボクにもあんな力があれば……)
ずっと疑問だった。
どうしてボクは“この学園”に入れたのだろう?
数ある管理者学校の中でも「“魂乃炎”の所持が必須」であるエリート校、『世界管理学園:ウィンストン校』にどうしてボクが入れたのか。
「チビで無能なこいつは“負け犬”だ。殴られても当然の存在なんだよ。むしろ殴られる為にコイツはいるのさ」
それがジーザスの考え方だった。
到底納得は出来ないけれど、小柄で無能なボクでは抵抗も出来ない。
声を震わせても、身体を震わせても、魂を震わせても、現実は何も変わらず、この小さな身体に青痣が増えるだけの日々。
正に地獄、生き地獄。
精神的苦痛、肉体的苦痛を受け続ける地獄が延々と続き、歯止めの効かなくなっていったジーザスは更なる蛮行に出る。
中等部に上がってすぐの事だ。
「「「きゃぁぁああーーッ!?」」」
クラスメイトの前で、ボクは“衣服を全て剥ぎ取られた”。
思春期を迎えた彼等の前で、この蛮行が生んだ悲鳴の意味は語るまでもないだろう。
あの時に聞いた悲鳴は、好奇の目は、今でも鮮明に覚えている。
目を瞑っても耳をふさいでも、あの時の光景が瞼の裏に蘇ってくる。
“屈辱の極み”だった。
(殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる……ッ!!)
小さく、無能なこの身体に。
積もりに積もった積年の恨みが、ここで遂に狼煙を上げる。
ただし、正攻法はまず通用しない。
奴は『世界管理学園』にも力を持つ名家:バルバドス家の次男であり、ジーザスの暴力を学園側に訴えたところで“もみ消し”されるのは目に見えている。
かと言って、馬鹿正直な喧嘩を吹っかけても勝てる見込みは無いし、奇跡的に勝てたとしても、その一勝でボクの恨みが晴れるとも思えない。
(考えなきゃ……この世で最も奴を苦しめる、最高の復讐を考えなきゃ……)
極細に擦り減った神経をギリギリで紡ぎながら。
今にも消えそうな命の灯を、それでも燃やしながら。
ボクはそれだけを考えながら、残りの人生を生き抜いた。
そしてやって来た『世界管理学園』の卒業式当日。
ザーザー降りの雨の中、ボクは己の人生を賭けた復讐劇を実行に移す。
校舎の屋上から、その身を投げ出して。
「ボクは、“キミを人殺しにする”」
ジーザスを社会的に抹殺する為に――
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そして、ボクは命を落とした。
結果的に何の復讐も果たせぬまま、ここで無意味に命を落としたのだ。
だけど、こうやって地獄から蘇って来た。
「全て終わったと思うなよ。パルフェを助けたら、必ずお前に復讐してやる……ッ!!」
■
己の死に場所を後にして。
ボクは目的の『世界扉』を目指し、校舎内へと足を進める。
(やっぱり、この学園を選んで正解だったね。簡単に侵入出来る)
というのも、この学園は歴史ある故に校舎が古く、その上で理事長が「機械嫌い」ときている。
最新の警備システムは導入されておらず、警備員による見回りのタイミングさえわかれば侵入は簡単。
右腕を失った直後なので身体のバランスに違和感があるものの、それを差し置いてもボクのスピードがあれば難しい話ではない。
実際、『世界扉』のある地下まで来るのに大したの苦労は要さなかった。
不思議と人の目を引く青い光の柱 = 『世界扉』は、ボクが学園にいた時から何一つ変わらずその場に存在している。
「さてと、ちゃんと使えればいいけど……」
首にパスポートをぶら下げたまま。
『世界扉』へと手を触れると、当然の如く26文字のアルファベットが浮かび上がった。
ここで特筆すべきことは、浮かび上がって来た26文字の内“2つが青色に輝いている”ことか。
『Heaven or Hell World (天国か地獄世界)』の頭文字である『H』と、
『Soul World (魂世界)』の頭文字である『S』の2文字。
普段はグレー表示で選択できない様になっているこの2文字が、他と同じく渡航先として選べるようになっている。
首から下げたパスポートによる賜物ものだというのは今更言うまでもないだろう。
今回は『魂別道』を目指すので、ボクが選ぶべきは『Soul World (魂世界)』の『S』だ。
『私は“こっちの世界”が良いかな』
――そうやって、ボクの隣に彼女が現れたあの日から、まだ数日しか経っていない。
だというのに、今この時「ボクの隣に彼女が現れてくれたら良かったのに」と、そう思ってしまう自分がいた。
(たった数日で、ボクも随分と弱くなったなぁ。……これも全部パルフェのせいだよ。さっさと助けて文句を一杯言わなくちゃ)
僅かに汗ばんだ指で『S』の文字に触れると、先程浮かび上がった26文字のアルファベットがフッと消える。
そして新しく「一」~「百八」までの漢数字がズラッと目の前に並ぶ。
ボクは「うっ」と顔をしかめた。
(そう言えば忘れてた。『魂別道』ってこんなに沢山あるんだった……)
沢山。具体的な数字で言うと「108」だ。
『Soul World (魂世界)』には108もの『魂別道』がある。
先程浮かび上がった数字は、何番の『魂別道』へ行くのか、それを選ばせる為の数字。
つまり、ここで数字と共に浮かび上がった問題は、“パルフェの魂がどの『魂別道』に行ったのかがわからない”こと。
予めわかっていた問題だとはいえ、108という数には今更ながらに絶望を覚えてしまう。
大量の数字を前にボクは悩み、しかし決断した。
「手当たり次第に当たってたら時間がいくらあっても足りない。一か八か適当に選んで、その場所にいなかったら地獄へ行こう」
彼女が天国に行っているなら急ぐ必要もないけれど、何かと巻き込まれがちなパルフェのことだ。
何かしらの理由で地獄に行く可能性は否定できず、ならば『魂別道』にかける時間は最小限にしなければならない。
成功確率は1/108。
ボクを捨てたギャンブル好きな親ではないけれど、ここはもう賭ける以外の道は無い。
随分と分の悪い賭けだけれど、考えたところで他に方法も無いし、どの番号を選んでも結果論にしかならないだろう。
これ以上の時間は無駄に出来ないと、ボクは躊躇いなく「一」を選んだ。
すると、ボクの身体が『世界扉』の光に吸い込まれ――あっという間に『Soul World (魂世界)』へと到着。
雲の道が続く『魂別道』に、大量の魂が行列を成している姿が確認出来る。
後方には渡航先の出口となった『世界扉』が見え、そして前方には『魂別関所』を示す大きな門が見える。
そこには『第一魂別関所』の文字が確認出来た。
(あれ? 何だかこの文字に見覚えが……)
見覚えがあったのは、何も門に書かれた文字だけではない。
門にもたれ掛かっている“身体の大きな管理者”を見て、ボクの身体が震え上がる。
向こうもボクに気付いたらしく、驚いた顔から悪魔の顔へと変貌した。
「ハハッ、まさか本当に来るとはな。――待ちくたびれたぜ、チビンボー」
「ジーザス……ッ!!」




