30話:『Soul World (魂世界)』の覇者(?)
『Soul World (魂世界)』:最果ての地。
秘境中の秘境と評されたその空間に、かつての覇者:ヨルムンガンドはいた。
誰がどう見ても「巨大な黒ヘビ」としか表しようがない姿。
当然、ボクが思い出すのは地獄からの脱獄直後――湖で溺れた時の光景か。
(記憶が確かなら……あの時溺れたボク等を、黒ヘビが助けてくれたんだよね。流石に夢か見間違いだと思ってたけど……このヨルムンガンドと何か関係あるのか?)
おじいちゃん曰く。
『ヨルムンガンドは“極度の人間嫌い”でな、かつては正式な『Soul World (魂世界)』の覇者だった時代もあったが、色々と問題を起こした末に称号を剥奪されたんじゃ。今では『全世界管理局』から“居ない者扱い”されておる』との話だ。
そんな前情報の段階から不安しか覚えない相手。
それでも、ボクの頼みの綱はこのヨルムンガンドだけだ。
この超巨大な黒ヘビは、全人類が喉から手が出る程に欲しい、非常に稀有な“魂乃炎”を持っているのだから。
――ズズズズ。
蜷局を巻いていたヨルムンガンドが動き、その顔にある二つの真っ赤な瞳をボクに向ける。
『帰れ。殺すぞ』
「………………」
ヘビが普通に喋ったかと思えば、一言目でコレだ。
人間嫌いという話は本当だったみたいだけれど、このくらいで怯んでいては逢いに来た意味が無い。
「お願いがあるんだ。貴方の“魂乃炎:魂死反逆”で、ボクの身体と魂を完全復活させて欲しい。髪の毛一本からでも復活させられるんでしょ?」
これが今回のボクに課せられたミッション。
魂死反逆なんて言い方ではピンと来ないかもしれないけれど、別の表現として『死者再生』と言えば、自ずとその力は理解できるだろう。
ヨルムンガンドは、死んだ人間を復活させる唯一無二の力を持っている。
かつては覇者だったという、その古い肩書に相応しい“魂乃炎”だけれど、その力をボクの為に使ってくれるかどうかは全く別の話か。
大きな二股の舌をチロチロと出し入れして、ヨルムンガンドは先と変わらぬ声を上げた。
『帰れ。殺すぞ』
「それで帰るくらいなら最初から来てないよ。何とかならない?」
『………………』
ヨルムンガンドは無言のまま首(?)を曲げ、ヘビ独特の顔、その鼻頭をボクに近づける。
鼻の穴だけでボクの身体の何倍もあるその大きな顔、その半分以上を占める口を今一度開く。
『帰れ。殺すぞ』
「だから帰らないって」
『なら、殺す』
一切の躊躇なし。
大口を開け、ヨルムンガンドがボクを食べる――寸前。
「“代償”は払うよ」
ピタリ。
ボクの言葉でヨルムンガンドの動きが止まった。
静かに口を閉じ、二股の舌を再びチロチロと出し入れして、ヨルムンガンドは真っ赤な眼をボクに向ける。
『その話、誰から聞いた?』
「長い白髭のおじいちゃんから。名前は知らないけど」
『……あやつめ、まだ生きておったか』
「おじいちゃんと知り合い?」
『貴様に語る義理は無い。だが、あやつが送り込んで来たなら話は別だ。いいだろう。特別に貴様の身体を復活させてやる』
やったー!!
と、コレで喜ぶのは早い。
話の本題はここからだ。
タダで『魂死反逆』を使い、ボクの身体を復活させてくれるほどヨルムンガンドは甘くない。
『代償を払うと、貴様は確かに言った。支払う“身体の部位”は何処だ?』
――本題はここ。
ヨルムンガンドが『魂死反逆』で誰かを復活させる際、必ず身体の一部を奪うらしい。
例外は無く、ボクは必ず身体の何処かを失わなければならない。
重過ぎる代償なのは百も承知。
ここまで来てしまった以上、今更後には引けない、引きたくない。
指一本で納得する相手でもないだろうし、それなりの代償は覚悟の上だ。
そして今回、ボクが差し出すと決めた部位は――。
「“左眼”でどう?」
『駄目だ、人間の眼は喰い飽きている。“右腕”を丸ごと一本差し出せ』
「なッ!?」
『右腕一本差し出すなら、貴様の身体を復活させてやる』
「待ってッ、右腕だけは……せめて他の部位なら――」
『駄目だ、今回は右腕と決めた。右腕を差し出せ。他の部位は認めない』
「………………」
正直、躊躇った。
覚悟は決めていたつもりだけど、それでも躊躇った。
右腕はボクの利き腕だ。
風の刃を振るう“鎌鼬”。
地獄の熱をナイフに込める“火葬地獄”や“爆炎地獄”。
それらは全て右腕があってこその技。
この右腕をなくして今のボクは無い。
この右腕を失うことは、ボクが4000年の時を経て手に入れた「強さ」を丸ごと失うことに直結する。
『なぜ黙る? 代償を支払う覚悟があったのではないのか?』
「………………(そりゃあ覚悟はあったつもりだけど)」
心の中だけでそう答える。
何せ4000年だ。
地獄で4000年を耐え抜いた、努力と忍耐の結晶がボクの右腕。
左腕でも多少はナイフを扱えるし、左腕一本でも戦えなくはないだろうけど……でも、左腕一本では底が見えている。
今後ダンガルド級の相手に勝つには、強力な技が使える右腕がないと無理だ。
いくらパルフェを助ける為とはいえ、その代償で右腕を差し出すのは……正直、嫌だ。
でも――。
それでも――。
“『AtoA』で一番強くなって?”
ふと、パルフェの言葉が頭を過る。
どうしてこのタイミングで彼女の言葉が頭を過ったのか。
出逢って数日の少女に、何故ボクがここまでしなければならないのか――。
おじいちゃんにも問われたその疑問。
その答えを考えてしまった時点で、きっとボクの負けだったのだろう。
「はぁぁぁぁああああ~~~~」
遠慮せずにため息を吐く。
出来れば気づきたくなかった答えだけれど、考えてしまった時点で、二つを天秤にかけてしまった時点で、ボクの中では答えが出ていた。
それに気づかない振りをしていただけなのだ。
(参ったなぁ。人の優しさに慣れてないから、ちょっと優しくされただけでコレだもん。……情けないなぁ)
嫌なのは間違いない。
右腕を失うのは嫌だ。
心の底から、本当に泣きたいくらい嫌だ。
でも。
それでも。
右腕を失う以上に、ボクは――。
「……わかった。右腕を支払うよ」
『交渉成立だ』
途端、ヨルムンガンドが“ボクを身体ごと喰らう”。
不意の行動に成す術も無かったけれど、しかしヨルムンガンドの身体は霧の様にボクをすり抜け、何事も無く元の位置に戻る。
――いや、何事も無くというのは語弊があるか。
今の一瞬の出来事の内に、ボクの右腕は呆気なく消滅。
そしてそれに気づいた時、ボクの身体は逆らえぬ力によって、その場から強制離脱した。
■
アレからどれくらいの時間が経ったのだろう?
それとも、ほとんど時間は進んでいないのかもしれない。
確固たる事実は一つ。
ボクを目覚めさせたのは、“死ぬに死ねない激痛”だった。
「ぐあぁぁああッ―――んッ!!??」
叫んですぐ、口の中に何かが入る。
気道が塞がりそうになり、慌てて口を閉じた。
完全な閉鎖空間となった舌の上、そこに広がったのは“泥臭い土の味”。
(ッ――息が!!)
状況を確認しようと目を開けても、目の前は真っ暗。
口はおろか鼻での呼吸もままならず、右肩は異様なまでの激痛を放っている。
その右肩を押さえようにも、身体が上手く動かない。
全方位からの冷たい圧迫感がボクの身体を覆っていた。
感覚でわかる。
ボクは今、“土の中に埋まっている”……ッ!!




