194話:八寒地獄
閻魔王の私室へ入って来た“赤鬼の極卒”。
ボクが脱獄するまで幾度も殺された相手であり、逆に、脱獄の際にはボクが首を斬った相手でもある。
相変わらず手には大きな金棒を持ち、沢山の鍵がぶら下がった無骨な首輪をしている。
(地獄のルールで生き返ったのか? 咎人だけじゃなくて管理者も生き返るのか……それとも別人かな)
ねぇねぇ、ボクのこと覚えてる?
なんて感じで気軽に尋ねられる相手ではないし、カツラを被って変装している今の状態では、正体を明かすにも明かせない。
その赤鬼に視線を寄越し、閻魔王がボク等をクイッと顎で指す。
「こいつ等に修行を付けてやれ。やり方は任せる」
「わかったど」
上長の命令を受け、コクリと素直に頷く赤鬼。
だが、兄弟管理者の弟:ブラミルは納得いかない表情だ。
「おいおいおい、話がちげーぞ。閻魔のおっさんが修行つけてくれるんじゃねーのかよ?」
「馬鹿を言え、俺はそこまで暇じゃない。お前等の稽古は赤鬼一人で十分だ。こいつに一太刀でも入れられるようになったら、その時に初めて考えてやる」
「よーし、うか。なら話は早ぇ」
言うな否や。
弟:ブラミルが跳躍し、大鎌!!
上から下に振り下ろされたその一撃を、赤鬼が金棒で弾き返す!!
「んなッ!?」
弾かれた大鎌が手から離れ、天井にザクリと突き刺さった。
その間に。
赤鬼は弟:ブラミルの足を蹴って体勢を崩し、大きな拳を顔面に叩きこむ、その直前でピタリと止める。
「まだやるど?」
「……けッ」
つまらなそうに鼻を鳴らす弟:ブラミルと、何事も無かったかの様な顔で拳を引いた赤鬼の極卒。
彼ら二人の実力差は歴然だけど、ボクの目から見ても弟:ブラミルは決して弱くはない。
単に赤鬼が強過ぎるのだ。
(っていうか、ボクが首を斬った時よりも明らかに強くない? やっぱり別人なのかな……)
「おい、あまり俺の部屋で暴れるな。赤鬼、さっさとこいつ等を連れていけ」
「わかったど」
再びコクリと頷き。
金棒を肩に乗せた赤鬼は、のっしのっしと歩いて扉の無い入口から出て行った。
――――――――
地獄の管理者達の拠点、『全世界管理局:地獄支部』。
かつて脱獄した、つまりは逃げ出したボクがこの場所に戻って来るのは、正直言って自殺に等しい所業だろう。
それでも、今は角付きのカツラを被った小鬼の姿なので、堂々としていれば何も問題はない。
前から女性の鬼族管理者が二人歩いて来て、何故かこちらに近づいて来ても、何も問題は無い……筈だ。
「あれ、初めて見る小鬼くんじゃない? 最近入ったのかな」
「やばッ、超可愛くない? ねぇねぇキミ、名前何て言うの?」
「え、いや、別に名乗る程じゃ……」
「やだー、照れちゃって可愛い~」
「今度の休み、お姉さんと遊びに――」
「おいッ、うるせーぞ女共!! こいつは見世物じゃねぇ!!」
「「ひぃッ!?」」
弟:ブラミルの一喝で小さく跳び上がる二人。
その後、触らぬ神に祟りなしとばかりに、女性管理者二人は急ぎ早にこの場を撤退する。
やり方は少々乱暴というか、ちょっと行き過ぎている部分もあるけれど、ボク的には助かったので一応はお礼を言うべきか。
「ありがとう。助かったよ」
「ふんッ、勘違いすんじゃねーぞチビ。俺はあーいう軟派な奴等が嫌いなだけだ。決して俺以外の奴がモテるのが気に食わねぇとか、そういう訳じゃねぇ」
「そ、そうなんだ……(本当はモテたいのかな?)」
何処まで本気かわからないけれど、助かったのは事実だし深くは尋ねないでおこう。
その後も何度か声を掛けられたものの、弟:ブラミルのガード(?)によって事なきを得たボクは、先を行く赤鬼に続いて無事に建物の外に出た。
確かここから右に曲がった先が、4000年振りとなる「八大地獄」――って、あれ?
「ちょっと赤鬼さん、何処行くの? 八大地獄はあっちでしょ?」
「八大地獄はそうだど。ばってん、オイ達がこれから行くのは“裏地獄”ど」
「……裏地獄?」
初めて聞く単語に「はて?」と首を捻ると、ボクの隣を歩く弟:ブラミルが得意げに口を開く。
「おいおい何だよチビ、小鬼のくせに裏地獄も知らねぇのか? この俺が特別に教えてやってもいいぜ?」
「あ、うん。お願い」
「しょーがねぇな、無知なお前に教えてやるからよく聞いとけよ? 裏地獄ってのは……あー、要するに表の裏の地獄なんだよ。理解できたか?」
「あ、え~っと……(駄目だこの人、説明が下手過ぎる)」
話が抽象的過ぎて何も頭に入って来ない。
食べたことの無い食べ物の味を、全く知らない料理で例えられた気分だ。
そしてそんなボク等の会話を見かねてか、仕方なしにと赤鬼が口を開く。
「裏地獄は『八寒地獄』のことだど。等活・黒縄・衆合・叫喚・大叫喚・焦熱・大焦熱・阿鼻――これら八大地獄を“表地獄”と呼び、それら表地獄では生温い凶悪な咎人達を放り込むのが『八寒地獄』。その『八寒地獄』を裏地獄とも呼ぶど」
「そーそー、俺が言いたかったのはそれだ。つまりは地獄の中でも更にキツイ地獄ってことだな」
赤鬼の説明を自分の手柄にし、弟:ブラミルは得意げな顔。
「つまり、表地獄で一番キツイ『阿鼻地獄』でも、それは“下の上”でしかないってこと?」
「そりゃそうだろ。阿鼻地獄なんか裏地獄に比べたら可愛いもんだぜ。入ってる咎人共も普通の犯罪者だろ? 懸賞金が“億を超えるような強者共”は、最初から裏地獄に投獄されるからな」
「……なるほど」
一つ、腑に落ちた。
どおりで『AtoA』に“強い人が多過ぎる”訳だ。
というのも、ボクはこれでも地獄の咎人の中では最強だったのに、いざ脱獄してみると強い人間が出てくる出てくる。
地獄のレベルと世間のレベルが一致していないことに違和感を感じていたものの、それはあくまでも下の上である「表地獄」の話だった訳で、地獄には更にその下の(ある意味では上の)「裏地獄」が存在していたのだ。
(古い言葉に「井の中の蛙、大海を知らず」ってのがあるけど、正にこれだね。ボクは世間知らずの蛙のまま大海に出ちゃったんだ。……まぁ出れないよりはマシだけど)
ともあれ。
八寒地獄の講義を終えたボクは、赤鬼に続いて3つの関所を通り、巨大な門の前へとやって来た。
流石に100メートル級だった『原始の扉』程の大きさではないけど、それでも20メートル近いの巨大な門はかなりの存在感を放っている。
扉の前には警備の鬼族管理者も2人居て、赤鬼を見るなりビシッと背筋を正して敬礼した。
「話は上から聞いています。この鍵で中へどうぞ」
管理者が赤鬼に鍵を渡し、それから赤鬼は巨大な門の横にある小さな扉に鍵を差す。
まぁ小さな扉といっても5メートル程はあるので十分大きい部類だけれど、横の門と比べると流石に劣って見えるのは避けられないか。
その扉を開け、まず赤鬼が中に入る。
続けて。
「しゃーッ、いっちょやるか!!」
一人で気合を入れた弟:ブラミルが赤鬼に続き、その後にボクも扉をくぐる。
扉の先には通路があり、奥には再び扉が見えた。
そして赤鬼は今入って来た扉を閉め、それから改めて奥の扉を開ける。
途端、冷たい風がビュウッと吹き込んできた。
「寒ッ、裏地獄ってこんな寒いの?」
「当たり前だろ、八寒地獄って言うくらいだぞ? ってかこのくらいで寒がるなよ。管理者の制服は、熱さにも寒さにも強い特別仕様の筈だろ」
「そ、そうだけど……(この制服、そんな仕様だったのか。でも、どのみち寒いッ)」
以前のボクなら身体に溜めた地獄の熱を使って、自分で自分を温めていた場面。
しかし、残念ながら今現在は地獄の熱がエネルギー切れで、ボクには我慢する以外の方法がない。
ブルブルと震える身体で、ただただ寒さに耐えるのみだ。
「………………。……ったく、しゃーねぇな。“これ”でも羽織ってろ」
凍えるボクを見かねたのか、羽織っていたコートを脱いでボクに投げて寄越す弟:ブラミル。
これでは逆に彼が凍えてしまうかと思いきや、その胸に“魂乃炎”を燃やし、彼は自分の身体を炎で包んだ。
「俺にコートは要らねぇ。そんなもん邪魔くせぇだけだからな」
「あ、ありがとう」
「けッ、勘違いすんじゃねーよ。近くで凍死でもされたらうざったいだけだ。死ぬなら俺の見えないところで死ね」
それが本音か、もしくは照れ隠しか。
弟:ブラミルは一足先に奥の扉をくぐり、コートを羽織ったボクも遅れて前へと進む。
意外な彼の優しさを感じつつ、扉をくぐった先には「谷」があった。
これまた禍々しい雰囲気の吊り橋が掛けられているものの、向こう側は吹雪で確認出来ず、谷底も下から吹雪いているのか真っ白で何も見えない。
「凄く高いね……落ちたらどうなるんだろう?」
「そん時は一つ下の地獄に行くだけだ。落ちたきゃ俺が落としてやろうか?」
「いや~、それは遠慮しとくよ」
と、ボク等がそんなやり取りを交わしている間に、無言のまま吊り橋を渡り始めた赤鬼。
姿を見失ってはならないと慌ててボク等も彼に続き、来た道も吹雪で見えなくなってから随分と経って、ようやく“向こう岸”へと辿り着く。
吊り橋の上ほどは吹雪いておらず、それなりの視界は保たれている風景は――「雪原」。
見渡す限りの白銀世界をバックに、案内人の赤鬼が久方ぶりに口を開く。
「ここが『八寒地獄』の1つ目、“頞部陀≪あぶだ≫地獄”ど」




