182話:青天の霹靂
霧の中から白黒の制服を着た二人の管理者が現れた。
一人はボクにも見覚えのある「天使の管理者兄弟」、その“兄の方”。
相変わらず端正な顔立ちで、彼と会うのは『Closed World (閉じられた世界)』でバグと戦った時以来となる。
襟元には星型のバッジが付いているけれど……アレは前回もそうだっただろうか?
そしてもう一人は、初めて見る眼鏡をかけた厳つい顔立ちの男性。
こちらは星形のバッジが2つ付いており、見た目からして強そうな雰囲気を醸し出している。
恐らくはベテランの部類に入るだろうその管理者が、一度|黒帝≪こくてい≫:アーノルドを見て、それから眼鏡を外し、レンズを拭いてから掛け直し、改めてもう一度視線を向けた。
「ッ――黒帝≪こくてい≫だと? 何故ここにビッグファイブが居る?」
「全く、どいつもこいつも俺を見て驚きやがって。俺が何処にいようと俺の勝手だろう? お前等こそどうしてここに……いや、理由を問うまでもないな。“2つ星”の隊員がいるということは、レベル4以上のバグが出たと見える。そうだろう?」
「ふんッ、貴様に事情を話す道理はない。それより、隣にいるのは地獄からの脱獄者:黒ヘビだな? まさか犯罪者共が手を組むとは」
「おいおい、勝手に推察して答えを決めつけるなよ。こいつとはたまたま一緒になっただけだ」
ヒョイと肩を竦めたアーノルドの話に、一切の嘘偽りはない。
それを何処まで信じているのかわからないけど、話を聞いたベテラン管理者は強気に一歩踏み出す。
「貴様に関係無いなら、ここで黒ヘビの首を狩らせて貰おうか。 ――せいッ!!」
問正拳突き!!
何も無い宙を突いただけの一撃は、しかし空気を弾いて「拳の形」で衝撃波が飛ぶ!!
「ちょッ!?」
武器を持っていなかったベテラン管理者を前に、少々油断していたボクの頬を「チッ」と衝撃波が掠める。
それは確かな痛みを伴い、油断していい相手ではないとボクに警鐘を鳴らしてくれた。
「やるね、おじさん。出来たらボクを無視して、バグを追ってくれると嬉しいんだけど」
「せいやッ!!」
(ッ――“鎌鼬”!!)
相変わらず問答無用の一撃に、こちらも斬撃でお見舞い。
互いに衝撃を弾いてイーブンになるかと思いきや、しかし予想に反して、彼の拳がボクの斬撃を「ガキンッ」と弾いた!!
(うそッ!? 手加減してないのに!!)
斬撃すら弾く拳の衝撃波に、ボクが恐れを抱いたところで既に遅い。
回避行動が遅れ、直撃は免れないと覚悟を決めた――そのボクの目の前に“小さな竜巻が発生”。
迫り来ていた拳の衝撃波を、直撃寸前で明後日の方向に弾き飛ばした!!
途端、ベテラン管理者はボクの背後を睨む。
「邪魔するな黒帝!!」
「邪魔をしているのはどっちだ? ここで黒ヘビがやられたら、俺が千年卿から狙われるだろうが」
「それがどうした? 犯罪者同士でやりあってくれるなら、こちらとしては御の字だ」
「……なるほど、お前の考えはわかったが、しかし、その偉そうな態度は癪に障るな。――どれ、格の違いってやつを見せてやろう」
ズイッと一歩踏み出したアーノルド。
彼の肩には“先ほど羽ばたきで竜巻を生み出した黒鷹”がいて、特別大きくもないその姿に、不釣り合いな威圧感を生み出していた。
そんなアーノルドの一歩が歩幅以上の脅威に思えたのか、ベテラン管理者はすぐさま3歩後退する。
「貴様ッ!! 2つ星の俺に手を出すことがッ、何を意味するのかわかっているのか!?」
「さぁ、知らないな。だが、むしろ知らない方が面白いとは思わないか? 先の知れた未来ほどつまらないモノもあるまい」
「ぐッ、戯言を……撤退だリョードル!! ビッグファイブを相手にしている暇は無い!!」
どうやら彼も天使族だったのか、ベテラン管理者がバサリと天使の翼を広げた。
そして兄の管理者に指示を出すや否や、一人でさっさと霧の中へ消えてしまう。
戦わずして勝敗は決まった。
アーノルドの言葉がどれだけの力を持っているのか、ビッグファイブの肩書がどれだけの効力を持つのか、それを嫌でも理解してしまう出来事だ。
一方、上官から撤退を命じされた兄の管理者:リョードルは、「やれやれ」と肩を竦めてからチラリとこちらに目線を寄越す。
「あの人もさ、戦えば結構強いんだけどね。流石にビッグファイブは相手が悪い。僕も勝てる気がしないし、ここは素直に引かせて貰うよ」
「あ、うん」
見惚れる程に美しい微笑を浮かべ。
そのままの表情で、兄の管理者はアーノルドを見据える。
「黒帝≪こくてい≫も、それで構いませんか?」
「ほう? 下っ端のくせに随分と余裕な態度だな。首狩り部隊の首を狩るのも一興だが、下っ端とは言え殺すと後が面倒だ。――行くならさっさと行け。俺の気が変わらない内に」
「感謝します」
軽く頭を下げ。
それから兄の管理者は白い翼を広げて飛び立ち、ベテラン管理者の見えない姿を追っていく、かと思いきや。
飛翔の途中で彼は止まり、表情も見え辛い濃い霧の中で、羽ばたきながらボクへの言葉を向ける。
「――その様子だと、ドラノア君は何も知らないみたいだね」
「え、何? 何の話?」
「何の話かは、一度帰ってみればわかると思うよ。まぁ“彼女”がどうなろうと僕の知ったことではないけど、『Closed World (閉じられた世界)』の件でキミには借りがあるからね。一応忠告だけさせて貰ったよ。それじゃあ、また何処かで」
この言葉を最後に、兄の管理者:リョードルは霧の中に姿を隠した。
ボクを動揺させる為の戯言、と割り切れるような話でもない。
ビッグファイブから逃げる足を、レベル4以上のバグを追う脚を止め、わざわざ言い残してくれた言葉だ。
彼の指すが“彼女”が誰であれ。
それがボクの知り合いであるなら、今すぐ確認する必要がある。
「アーノルド、ボクちょっと帰るよ。何だか嫌な予感がする」
「勝手にしろ。しかし霧幻城はいいのか? アンカーリの連中から『覇者:幽玄』の安否確認を頼まれていただろう?」
「うん。それはそれで大事な仕事だから、代わりにアーノルドが行ってきてくれない?」
「ふんッ、ビッグファイブに使いを頼むとはいい度胸だな。さっきの管理者に爪の垢でも煎じて飲ませてやれ」
「機会があればね。それじゃあアーノルド、今度会った時はバグの扱い方教えてね」
「教えないと言っているだろう。それに安否確認も――」
「とにかくよろしくね」
何故だか胸騒ぎが止まらず、ボクは急いでポケットから『ポータブル世界扉』を取り出した。
瞬間、ビッグファイブの前で軽薄な行動を取ったかも? と直後に悔やんだものの、その警戒に反して彼に奪われることも無く、ボクの渡航は問題なく終わる。
本当の問題があったのは、ボクが隠れ家に帰った後だとも知らずに。
■
渡航の青い光から解放された直後。
隠れ家の扉前に降り立つと、ロビーのソファーを中心に3人が難しい顔をしていた。
その内訳は「獣人族の少女:テテフ」、「セクハラ医者:コノハ」、それに“本来の小さな姿”――子供姿に戻っている「吸血鬼族:クオン」の3人。
そこに「天使の家出少女」は見当たらない。
「あれ、皆集まってどうしたの? パルフェは何処?」
当然とも言えるボクの疑問。
その答えは、血相を変えて飛びかかって来たテテフか。
「お前ッ、何処行ってたんだ!? パル姉が大変な時に!!」
「え、何? パルフェがどうしたの?」
断りなく押し倒され、グイっと胸ぐらを捕まれる。
挨拶にしては随分乱暴な対応だけど、その目に浮かんだ「涙」を目の当たりにすれば怒る怒れない。
むしろこちらが泣きたくなる程の、漠然とした不安が襲って来る。
『“彼女”がどうなろうと僕の知ったことではないけど』
先ほど聞いた兄の管理者:リョードルの言葉。
その「彼女」が誰のことを指しているのか、場の雰囲気で嫌でも理解する。
――ドクンッ。
心臓が鳴った。高鳴った。
嫌な予感が的中しそうで、というか的中する未来しか見えない。
ここにパルフェの姿はなく、彼女を慕うテテフが泣いている。
コノハも、クオンも、何処か諦めたような表情をしている。
「パルフェは……どうしたの?」
3人の表情の意味を、ボクは恐る恐る尋ねる。
そして涙目のテテフから返って来た答えは――。
「天国に、帰った」
「……は?」
――正に、青天の霹靂だった。




