164話:生きてても死んでても大差は無い
扉をこじ開け入った先は、如何にも怪しげな部屋だった。
全体的に薄暗く、壁一面にはモニターや計器類が設置され、中央には濁った大きな水槽がある。
壁から、天上から、何本ものパイプが繋がっており、水槽の前には複数のアトコンも設置されている。
ボク等が探していた男はそんな水槽の前にいるけど――それよりも、後ろの水槽に目がいってしまうのは致し方ないことか。
(アレは……もしかしてヒトの脳?)
ゾッとした。
緑色で濁った水槽の中に、ヒトの脳らしきモノが浮かんでいる。
到底“正常”とは言い難い場所なのだろうことは容易に想像がつくけど、ともあれ問題は目の前の男:ドゥークか。
ボクを見て、エンジュを見て、それから奴は改めてボクに、ボクの右腕に視線を戻す。
「ほう? “バグ持ち”とは珍しい。分解して身体を調べたいところだが、断りもなく“研究室”の扉をぶっ壊すのは感心しねぇな。一体何の用だ?」
「それはこっちの台詞だよ。この場所は何? 何の研究をしてるの?」
「テメェに教えてやる義理があるとでも?」
「義理はなくとも責任がある」
ボクが返すより先にエンジュが口を開いた。
この異様な空間の中で、彼女も思うところがあるらしい。
「私は本部の管理者だ。貴様が覇者に相応しいか動向を探っていたが……まさかこんな代物に遭遇するとは思わなかった。ジャンク街に腐食剤の打ち上げ、聞きたいことはいくらでもあるが、まず最初に説明して貰おうか。この水槽に浮いた脳は何だ?」
「俺の娘が何か?」
「「ッ!?」」
「“樹石硬化症”と呼ばれる難病を患ってな。手足を切断してもノンストップで脳まで石化しちまう奇病だ。これまでなら成す術無く死ぬしかないが、この水槽の中にいれば脳の石化を防げる。仕組みを作ったのは5年以上前の話だが、当時は随分と苦労したものだ」
思い出話を語る様に、いや、思い出話としてドゥークは淡々と語った。
つまりこの脳は、ドゥークの話を信じるなら、「奴の娘」は5年以上もこの状態で水槽に浮かんでいることになる。
意識があるのか無いのかわからないけれど、これは……。
「可哀想だろう? ずっとこの状態だ。俺としては機械の身体を用意してやりたかったが、それだと“樹石硬化症”の問題が解決しなくてなな。――だが、それも解決の目途がついた。ヴォン・ヴァーノ、せっかくだからネズミ共に見せてやれ」
「えッ、よろしいざまスか?」
「構わねぇ。俺がやれと言ったらやれ」
「りょ、了解ざまス」
力関係は絶対的なのか、ヴォン・ヴァーノが慌てて壁のスイッチを押した。
すると天井の照明が灯り、水槽の更に奥を順々に照らしてゆく。
かくして露わになったのは――
「死体ッ!?」「何という事を……ッ!!」
ボクもエンジュも驚き、それからしばし言葉を失う。
脳が浮かぶ水槽の奥、そこには更に多くの水槽があり、“沢山の人間”が水槽の中に浮かんでいた。
それも見る限り全員女性で、身長もボクと大差ない「少女」と言っていい年頃の女の子ばかり。
吐き気が出るし反吐も出るけど、それは彼女達への想いではなく、ドゥークに対する怒りだ。
「ギリリ……ッ」とエンジュの歯軋りがボクまで聞こえてくるも、それを知ってか知らずかドゥークは自慢げに口を開く。
「まだ学会には発表していないが、俺は遂に見つけたのさ。他人の身体であれば、脳を移植しても“樹石硬化症”が進行しないことを」
「まさか、その為に彼女達を?」
「娘と年齢が近い身体じゃないと意義が薄い。どの身体も適合率は70~85%程度だが、最悪他の身体が見つからなかった時の為にストックしている。安心しろ、その分丁寧に扱っているからな」
「貴様ッ……それでも人間か!!」
一歩踏み出し。
エンジュが鬼の形相で睨むも、対するドゥークは涼しい顔。
「そう熱くなるなよ。そもそも俺は身体を買い取っただけで、こいつ等を攫ったわけでも、ましてや殺した訳でもねぇ。それに、どうせこんな場所に売られてくるような連中だ。生きてても死んでても大差は無いだろ」
「ッ~~!!」
我慢の限界だった、互いに。
エンジュが刀を振り下ろし、ボクもナイフを振り下ろす。
2つの斬撃がドゥーク目掛けて迫り――
斬ッ!!
真っ二つに切断されたのは、“ボク等の放った斬撃”の方だった。
「「なッ!?」」
「熱くなるなと言っただろう? もう少しゆっくりやろうぜ」
二つに別れた斬撃は威力のほとんどを失い、壁を僅かに傷つける程度で終わった。
その斬撃の行方に視線を向けることも無く、余裕の表情でその場に佇むドゥーク。
彼の胸に灯った“魂乃炎”の仕業なのは間違いなく、エンジュが「チッ」と舌打ちをする。
「“魂乃炎:『切断』”……機械技師のくせに随分と戦闘向きな能力を持っている。こんな薄暗い場所に篭もってないで、外に出て死の灰を何とかしたらどうだ? 貴様が仕組んだのだろう?」
「さぁな。全て俺の与り知らぬところでの話だ。どのみち街の奴等がどうなろうと知ったことではないし、仮に市民共の機械部品が壊れてくれれば、その分だけウチの工場に注文が殺到して利益が出る。“渡航が出来なくなったこの街”では、俺に頼るしか生きる道は無い。むしろ被害が増えた方が俺にとっては好都合だ」
「……やはり、渡航出来ない今の状況にも貴様が絡んでいたか。一体何をどうやった?」
「ハハッ、流石にこれ以上は教えられねぇな。――ヴォン・ヴァーノ、“時間”は?」
「えぇ、もう“時間稼ぎ”は十分ざまス」
特に怪しい動きは無かったが、モニターを見ていたヴォン・ヴァーノが何かにOKを出した。
渡航不能な街で2B爆弾が爆発し、死の灰まで降っている状況で、更に何かを企んでいるらしい。
当然、易々とそれを見逃すエンジュではない。
「何をする気か知らないが、貴様の行いは『全世界管理局』として到底無視出来るものではない。地下のジャンク街然り、腐食剤と鉄皮ノ獣による植物族の虐殺未遂然りだ。公の場でキッチリ裁かれて貰う」
「残念だが、どちらも俺の知らねぇ話だ。関係ない話で何故俺が裁かれる?」
「白を切るのも大概にしろ。電気プラットフォームでハイドルファンが口を割った。同じくゴーマンもだ。腐食剤の打ち上げ、それにジャンク街の運営に携わっていた二人の名を、貴様に知らないとは言わせない」
「いいや、知らねぇな。俺を検挙する為にお前が話をでっち上げただけだろう?」
「とぼけるなッ、雇い主は貴様だ!! 知らないで済むわけがあるか!!」
「知らねぇもんは知らねぇよ。こっちはアチコチでビジネス展開してんだ。逐一他人の名前なんか覚えてねーよ」
とぼけた顔で「やれやれ」と肩を竦めるドゥーク。
それを受け、エンジュの額に浮かんだ血管がピクピクと動いているのがわかった。
「……話にならない。そんな屁理屈が通用すると思うのか?」
「それを通用させる為に、状況を整えるのが大人なんだよ。そもそも『AtoA』ネットの遮断で、『全世界管理局:本部』に情報は渡せていないだろう? なら、ここで貴様を殺せば何も問題ない。身の程を知らない哀れな管理者は、里長の自爆に巻き込まれて死んだと、本部には俺からそう報告しといてやる」
「フンッ、それが貴様に出来ればな。ところでドゥーク――“コレ”は何だと思う?」
「……あ?」
ドゥークの顔色が変わった。
エンジュが懐から取り出した代物を見て、ヴォン・ヴァーノも「まさか?」と動揺している。
ボクもボクで、彼女が“そんな代物”を懐に忍ばせていたとは思いもよらなかった。
「エンジュ、それって“マイク”?」
「ご名答。こっそり忍ばせていたこのマイクで、これまでの会話を全て街中に流させて貰った。ジャンク街と腐食剤については認めなかったが、明らかに違法な研究や、管理者である私を殺して口封じをする発言は頂いた。皆がドゥークを疑うには十分過ぎる言葉だろう」
ギリリッと、今度はドゥークが歯軋りをする番だった。
しかし、この話には前提を覆す必要があり、そこに気づかない程ドゥークも馬鹿ではない。
「ハッ、どうせハッタリだろう? 2B爆弾で地上付近の通信機材はアウトの筈だ。ここまで地下深くに潜らない限り通信機材は使えない」
「勿論そうだ。しかし、地下深いジャンク街の機械なら?」
「ッ――」
「まぁ、ジャンク街のスピーカーが壊れている可能性はあったから、それは優秀な機械技師に急ぎの修理を頼んである。2つ、3つ修理出来れば、それなりの人数にこの会話が届くだろう」
(なるほど、出かける前にゼノスと話してたのはコレのことだったのか)
こんな先の展開まで考えてゼノスに頼んでいたらしい。
エンジュもやる時はやるというか、何だかんだでちゃんと管理者をしているらしい。
「さて、これで貴様の権威は失墜した訳だが……どうする? 大人しく捕まるなら最低限の痛みで済ませてやるが」
「ふんッ、小娘如きが粋がるな。元々聖人を気取っていた訳でもねぇし、逆らう奴は力で支配するまでの話だ」
ガシャン!!
ドゥークが近くのレバーを下げると、全ての水槽が鉄の装甲で覆われた。
死体だらけの不気味な空間が一気に物々しい雰囲気に代わり――ドゥークが“手刀”を振り下ろす。
直後。
彼の腕から“斬撃が放たれた”!!




