140話:水槽の脳
「そろそろ潮時だ。“ファミリー”を抜けさせてもらおう」
『ブーリアン・カンパニー』のCEO:ドゥーク。
彼が発したこの言葉に、機械人間のモデル:ヴォン・ヴァーノはホロフェイスに「驚き」の表情を映す。
「……本気ざまス? それを許すあの人ではないざまスよ? 他の幹部を貴方に向けてくるかもしれないざまス」
「最早関係ねぇ。そもそも“誰も俺の元に辿り着けやしない”」
「それはつまり、とうとう“アレ”をやるざまスね」
「その為に準備してきたんだろう? “昼間のテスト”も成功した。もうあの人の下にいる理由も無い。俺は――」
ツー、ツー。
高く短い音が部屋に響いた。
音の発生元はローテーブルに備え付けられた通信機だ。
ドゥークが躊躇うことなくスイッチを押すと、テーブルに備え付けられたスピーカーから人の声が響く。
『ドゥーク様、ご報告が』
「どうした?」
『「全世界管理局:本部」の管理者が、街に紛れ込んでいるとの情報が入りまして』
「……まぁ、だろうな。覇者:ヤーイングが死ぬ前から、俺の元へ時期:覇者の誘いが来ていた。人選に問題が無いかコソコソ嗅ぎまわっているんだろう」
『如何なさいますか?』
「放っておけ。今更誰を送り込もうと事態は変わらねぇ。下手な対応はネズミにチーズを送るだけだ」
ここでドゥークは通信を切り、服を脱ぎ棄てながらキングサイズのベッドに座った。
遅れてヴォン・ヴァーノがベッドに近づき、そんな彼女をドゥークは乱暴に抱き寄せる。
――――――――
――――
――
―
~ 2時間後 ~
ドゥークは一人で部屋を出た。
ヴォン・ヴァーノをベッドに残したまま、彼は特別なエレベーターで下へ下へと降りてゆく。
地上のオフィス・住居・商業フロアをすっ飛ばし、1階も過ぎて更に地下深くへ。
既に「階数表示」は消え去り、ここが地下何階の深さなのかいよいよ判断出来なくなったところで、エレベーターはようやく止まった。
“秘密のフロア”。
存在そのものが数人しか知らないそのフロアで、ドゥークは通路を道なりに進む。
床も壁も天井も、全てが鉄で造られた無骨な通路。
しばらくその通路を進み、一つしかない部屋の扉を開くと――“水槽”。
ドゥークが足を踏み入れた部屋は、中央に大きな水槽が設置された部屋だった。
主役と言わんばかりに鎮座する、何本ものパイプが繋がれた中央の水槽。
その周囲にはいくつもの機械とモニターが設置され、心電図にも似たグラフがアチコチのモニターで何かしらの数値を現している。
もしも水槽が怪しい壺なら、魔女がここで呪いの研究をしているのだと思い込んでも致し方の無い空間。
その主役である中央の水槽で、何よりも見過ごせないのは――中に浮かんでいる“脳”か。
サイズ的には子供の脳が、部屋の中央にある水槽の中に、いくつものコードが繋がった状態でユラユラと浮かんでいた。
「あぁ、ヘカテリーナ。今日も可愛いよ」
水槽にべったりと張り付き、うっとりとした瞳で脳を見つめるドゥーク。
見る者が見れば驚愕に値するその光景を1分ほど黙認し、部屋の隅にいた人物が声を掛ける。
「ドゥーク、約束の期限が近づいています。“あの件”は達成出来ると見込んでよろしいのでしょうね?」
「当然だ。その前提で動いている」
水槽からスッと顔を離し、何事も無かったかのように彼は振り向いた。
そこにいたはスーツ姿の美しい女性。
四角い眼鏡をかけたスレンダーな人物で、傍目から見れば「気持ち悪い」とも取れたドゥークの行いを、これまた何事も無かったかのように話を続ける。
「ピエトロの失敗で、我々は『ベックスハイラント』という資金源の一つを失いました。続けて貴方にまで失敗されたら、あの方がどんな顔で笑うか……わかっていますね?」
「……勿論だ」
僅かに間を開けたドゥークの返事。
その間の意味を知っているのは、ドゥークただ一人か、それとも――。
■
~ ドラノア視点:ドゥークが地下室にいたその頃 ~
機械技師:ゼノスの家を後にしたボクは、ジャンク街の壁を登っていた。
ほとんど闇に近い暗がりの中、クロの右腕を伸ばして着々と天井に近づいてゆく。
やがて最初に入って来た天上付近の足場に辿り着き、そこから来た道を戻る形で地上を目指す。
どうやら他に“正式なルート”もあるみたいだけど、そちらは見張りがいるとの話で面倒事を避けた結果だ。
天上の通路から梯子で上を目指し、登った先の通路から再び梯子を登れば、マンホールの穴を介して無事に地上へ帰還となる。
「ふぅ~。予定外に時間を食っちゃった。ただのお使いのつもりだったのに、まさか“街の闇”を目撃する事になるなんて……」
「街の闇って?」
「ッ!?」
完全に油断していた。
人気のない場所で呟いたボクの声に、まさかの反応。
慌てて振り返り、振り返った先には――“少女”がいた。
(何で? どうしてここに『鬼の管理者』が……?)
『Ocean World (海洋世界)』の海岸で、天使の兄弟管理者に続いて現れたのは記憶に新しい。
あの時のバカンス気分満載の水着姿だったけど、今回はきちんと管理者の制服を身に纏っており、変わらず片眼は眼帯で腰には刀を差している。
彼女の名前は確か「エンジュ」だったか。
まさかの再会にボクはジリリッと足を引き、腰のナイフにスッと手を伸ばす。
すると、鬼の管理者:エンジュは素手のままヒョイと肩を竦めた。
「そんなに警戒しなくていいよ。当分、キミと争うつもりはないからね。捕まえるよりも泳がせておいた方が面白そうだし」
「クロが苦手なだけでしょ?」
「まさか。私が蛇を苦手にしているという事実は一切無いし、それは昔のことがトラウマになっているとか、そんな裏事情も皆無だ。勝手に誤解されては困るね」
(……どこまで本気なんだ?)
前回は本気でクロを嫌がっていた様に思えたけど、今のふざけた態度はどちらとも取れる。
ただ、問題は彼女がヘビ嫌いかどうかではなく、そもそも彼女がここにいる事だ。
「エンジュはどうしてここに?」
「おや、私の名前を憶えていてくれたんだ? 嬉しいね。でも何もあげないよ」
「要らないよ。それより質問に答えて。捕まえに来たんじゃないなら、どうしてここにいるの?」
「どうしても何も、ここにキミを導いたのは私だよ。差出人不明の地図通りに来るんだから、肝が据わってるのか馬鹿なのか判断に困るところだけどね」
「………………」
どうやら紙飛行機として飛んで来たあの地図は、エンジュの差し金だったらしい。
はてさて、一体何の為にこんなことをしたのか。
「おびき出した目的は何? ボクにジャンク街を見せてどうしたかったの?」
「別にキミをどうこうという話でもない。純粋に、私が地下の様子を探る為だよ。キミがアレコレ暴れてくれたおかげで、色々と仕事がやり易かったってだけさ」
「つまりはボクを陽動に使ったってこと? 何でまたそんなことを」
「その理由を脱獄者のキミに話すと思うかい?」
「……だよね」
今は刃を交えないだけで、元から敵対関係にあることに変わりはない。
彼女が己の目的をボクに教える理由も無いだろう。
「要が無いならボクはこれで――」
「覇者を見定めに来たんだ」
「ん?」
どうやら話してくれるらしい。
親指を立て「付いて来い」と歩き出した彼女の背中を眺め、ボクは迷った挙句その背中を追うことにした。




