13話:さよならグラジオラス
正直に言って、完全に油断していたと言わざるを得ない。
所詮は身体の小さな妖精族だと、そこから生み出される力などたかが知れていると、心の何処かでそんな決めつけをしていた結果か。
今まで小さいことを馬鹿にされてきたボクが、更に身体の小さな相手に反撃を喰らってしまった。
「ゲホッ!?」
一度は服で仰ぎ返すも、妖精族の管理者から更に仰ぎ返された紫色の鱗粉。
それを僅かに吸い込んだ瞬間、激しく咽た。
堪らず地面に膝を着き、片手で喉をグッと抑える。
(何だコレ!? 喉が苦しい……ッ)
ほんの少し、僅かに吸い込んだ鱗粉でコレだ。
喉の奥をジリジリと焼かれるような痛みが走り、風邪でも引いたみたいに頭がクラクラする。
「ウフフッ、アンタ吸ったわね? 幻獣すら仕留める“毒の鱗粉”を」
「何、だって……?」
「毒の名は“雪解け毒”。生き物の喉に張り付いて、呼吸を阻害する神経毒の一種よ」
「ッ!?」
「ウフフッ、絶望したかしら?」
いや、そんなことをしている場合ではない。
絶望している時間があるなら、この毒を早急に対処した方が有意義。
一時的に呼吸を止め、喉元に意識を集中させて――
“焼仏”
――地獄の熱で、喉に張り付いた毒を焼く!!
「ぐッ……あッ……ハァ、ハァ、ハァ、ふぅ~~。何とか呼吸がマシになった」
「嘘でしょ!? “雪解け毒”を自力で溶かしたの!?」
驚く妖精族にボクは冷や汗を流しつつも無言の笑みを返す。
実際は「溶かした」というか「燃やした」だけど、まぁ燃えて溶けたのであれば意味的に同じか。
先程までの苦しみが嘘みたいに引いて、これで万事解決――という話でもなく、驚いた妖精族がすぐに不敵な笑みを浮かべる。
「ウフフ、なかなかやるじゃない。だけど安心するのは早いわよ? この“雪解け毒”の本当に怖いところはね、毒が溶けた後に“本格的な発症”が始まるところよ」
「え?」
「あら、益々絶望したかしら? 溶けた毒がアンタの全身を犯すのに、一体どれくらいの時間がかかるかしらね? 数分後か、数時間後か、数日後か、数週間後か……それは私にもわからない。これからアンタは、いつ“雪解け毒”が発症するかわからない、見えない恐怖を抱えて生きてゆくことになるの。この私が、解毒薬となる“雪解けの風”を吹かせない限りね」
「………………」
「さぁ、これで自分の立場は理解出来たでしょう? これ以上逃げるのは諦めて、今すぐ、私に……命乞いを――Zzz……」
「寝た!?」
何という間の悪さ。
せめてボクが吸った毒を何とかしてから眠りについて欲しかったところだけど、それを願ったところで今更の話。
(どうする? 彼女を起こすか? だけどそんなことをしている時間は――)
「管理者の人、こっちよ!! さっき逃げて行った子供がいるわ!!」
(くっ、このまま逃げるしかないか……ッ!!)
これ以上もたついて人が集まると面倒だ。
毒に関しては後々対処するとして、まずは街からの脱出が最優先。
眠った妖精族の管理者が鼻提灯を膨らませ始めたところで、ボクは後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、生垣を跳び越えた。
■
~ 半日後 ~
――斬ッ!!
「ギャンッ!?」
襲い掛かって来た「狼の幻獣:フェンリル」が悲鳴を上げ、「クゥ~ン」と情けない声を出しつつ撤退。
その後ろで様子を見守っていて子供のフェンリルが、恐らく母親だろう先程の個体に、たどたどしい足取りで駆けよってゆく。
傷を負った母親が腰を下ろし、ボクのナイフで生まれた傷口を子供がペロペロと舐め出したのは、母の傷を心配しているのか、それとも血の味を求めた結果か。
(全く、この半日で襲われたのは何回目だ? 殺さない様に手加減するのも面倒だけど……まぁでも、妖精族の管理者は“生体センサー”がどうとか言ってたからね。下手に幻獣を殺すと居場所を知らせる可能性もある)
例えそれがボクの思い過ごしであっても、子供の前で母親を殺すのは幻獣相手でも忍びない。
殺すなら、せめて子供と一緒に殺してあげるのが優しさというモノ。
いや、そもそも“殺し”に優しさを持ち込み出すのがおかしいのかも知れないけれど、それでも生きる以上は何等かの命を奪って生きている訳で、そこにはあらゆる感情が入り込んで然るべきなのかも知れない。
という謎の思考に入りかけていたところで、ようやく見えてきた。
(ふぅ~、“次の街”までだいぶ近づいて来たね。次の丘を登って、長い下り坂の先がゴールだ。今のところは“雪解け毒”が発症する感じも無いし、あの街に身を潜めて今後の動きを考えよう)
観光街:グラジオラスの街を出た後。
ボクは花畑の丘を進んで一旦街から距離を取り、空に向かって突き伸びる大岩の上から、辺り一帯の地形を確認。
遠方にいくつか見えた街灯りの中で、グラジオラスから一番遠い街灯りを目指し、ここまで半日かけてやって来た次第となる。
一度街の外に出たら管理者も簡単には追って来れないのか、幻獣に襲われた事以外は、今のところ特に危険らしい危険も無い。
ただし、問題が全く無いかと言えば嘘になる訳で……。
「あの“スライム”、まだボクに付いて来るなぁ」
問題はこれ。
『Fantasy World (幻想世界)』最弱の幻獣:スライムが、ボクの後ろをコソコソと付いて来ているのだ。
気づいたのは2時間ほど前で、道中妙な視線を感じるなと思って何度か振り返り、5回目くらいでようやく一瞬だけ視界に捉えたスライム。
大きさは40センチ程で、月明かりの中では色も視認し辛いけれど、恐らくは桃色。
街中を逃げてる時にボクが蹴飛ばしたスライムとは別個体だ。
花畑の丘で道なき道を進むボクの後ろを、その桃色のスライムがずっと付いて来ている状況が続いている。
(警戒する相手でも無いし、飽きたら何処かに行くだろうと放置してたけど……一体何が目的だ? ボクが幻獣を狩って、そのおこぼれにありつこうとでもしてるのか? だけどスライムって草食だったと思うし……)
ボクの知識が正しければ、スライムの身体の色は食べている草や苔・木の実の色が反映される筈。
この辺りに桃色の植物は確認出来ていないけれど、何処か遠くの場所からやって来たスライムなのだろうか?
(もしくは、管理局で飼育してるスライムがボクを尾行している、とか? ……あり得なくはないね)
幻獣と一口に言っても、所詮は『Fantasy World (幻想世界)』に生きる動物の総称。
珍しい種がいればそうでもない種だっているし、荷車を引いていたユニコーンの様に、人間の暮らしに深く関わっている種類も多い。
実際、先程は街の管理者がスライムを繰り出してきたし、訓練させた個体にボクを尾行させている可能性もゼロではない。
その場合、“生体センサー”を気にして放置するのは逆に悪手となるか。
「スライムは保護するような幻獣でもないし、万が一尾行されてた方が問題だ」
ならば、とりあえず斬ろう。
振り返り、ザザッと揺れた草むら目掛け。
“鎌鼬”
斬ッ!!
草が斬れ、舞った葉っぱの中にスライムを確認。
直撃はしなかったけれど、次の一手で仕留めれば問題は無い。
“鎌鼬”
姿を捕えた上で、再び放った斬撃。
これは間違いなく直撃だ、と思ったら――「つるんッ」。
斬撃が“滑る”。
「……はい?」
スライムにぶつかった瞬間、石鹸を踏んで転んだ人間の様に“斬撃が滑り”、明後日の方向へ飛んで行った。
何とも理解に苦しむ不可思議な現象だけど、だからと言って理解する為の時間は貰えない。
その現象から間を置かず。
「わーッ、待って待って!! 斬らないで~!!」
「へ?」
スライムが……“喋った”?




