96話:クオンの世界
幽霊少女が“魂乃炎”を発動し、気づいた時には世界の景色が一変。
先程まで部屋で寝ていた筈なのに、今や周囲の風景は草木が生い茂る平原に変わっている。
そして、その世界にいた『クオン』と名乗る大人の女性は告げた。
隠れ家にあるボク等の部屋が、そもそもは「私の部屋」なのだと。
「ボク等の部屋が、クオンの部屋……?」
「そうよ。元々私の部屋なのに、どうせ私は絵の世界にいるからって、グラハムが勝手にアナタ達を住まわせたのよ」
ん? これまた無視出来ない名前が出てきた。
「クオンっておじいちゃんの知り合い? ってことは、出不精で引き籠りの仲間ってやっぱりキミのこと?」
「誰が引き籠りよ。私は自分の世界を愛しているだけに過ぎないわ」
大岩に寝そべったまま両手を広げ、彼女はゆっくり目を瞑る。
「ここは静かでしょ? 聞こえるのは撫でる程度の風の音と、草葉の揺らぐ微かな調べだけ。私の眠りを邪魔する者は誰一人いない、唯一無二の素晴らしい世界よ。やっぱり引き籠るなら、現実よりも絵の世界に限るわね」
「自分で引き籠りって言ってるけど……まぁいいや。それよりこの場所、やっぱり絵の世界なんだ?」
――――――――
『絵画転写』。
それがクオンの“魂乃炎”だった。
自分で描いた絵の世界に入ることが可能で、彼女はその力を使って絵の世界に引き籠っている――もとい、静かな暮らしを送っているとの話だ。
風景が自然のそれではなく「筆のタッチ」なのもそういう理由で、ボクが「大きな箒」だと勘違いしたのも実際は「大きな筆」らしい。
「クオンはどのくらい絵の世界に引き籠って――じゃなくて、暮らしてるの?」
軽くボクを睨んだ後、彼女は遠慮なく欠伸してから答えた。
「そうねぇ、かれこれ3カ月は隠れ家の外に出てないかしら? 唯一の外出は血を貰いに部屋へ行くことよ」
「あっ、一番聞きたかったのそれだよ。尻尾で人の血を吸うなんて、まるで“吸血鬼族”じゃないか。だけど吸血鬼族は何十年も前に絶滅してるって話だし……」
「それは『全世界管理局』が流した誤報よ。確かに吸血鬼族は子孫を残すのが下手だし、絶滅寸前なのは間違いないけど“生き残り”がいるわ。一人だけね」
「一人だけ? それってまさか……」
「お察しの通り、私が『AtoA』最後の吸血鬼族よ」
大岩の上で寝そべったまま。
こんな重要なことをサラッと言い放つのだから恐れ入る。
ドラキュラのモデルとしても有名な吸血鬼族、その最後の生き残りは随分とふてぶてしい女性だった。
「ところでアナタ、私の我がままを聞いて貰える?」
「急に何?」
「“血”よ。久しぶりに人と沢山喋って喉が渇いちゃったわ。ほら、ここなら誰にも邪魔されず思う存分吸血できるでしょ?」
「それでボクをこの世界に? さっき十分過ぎるくらい吸血したでしょ。おかげでちょっと貧血気味で……ちょッ!?」
クオンが大岩から飛び降りた。
危ないので受け止めようとするも、足元が滑って地面に押し倒される。
「いててて……あっ、ちょっと!!」
ボクへ馬乗りになったクオン。
その細長い尻尾をユラユラと揺らし、先端を首にプスッと刺す、ことはせず。
何故か“犬歯”をむき出しにして、ボクの首に噛み付く――寸前。
大声が轟いた。
『あぁぁぁぁああああ~~~~ッ!! ドラの助が知らない女と密会してるッ!!!!』
(パルフェ!?)
反射的に声のした方を向くと、“宙に浮いた枠”の中にパルフェがいた。
彼女の背後にはボク等の部屋が映っていて、恐らくあの枠の中が“絵の向こう側の世界”――つまりは現実の世界なのだろう。
その現実世界にいるパルフェがバンバンと枠を叩くものの、彼女がこちらに入ってくることは無い。
『ちょっとドラの助ッ、これは一体どういう事!? 何よその女は!?』
「わかんないよ、ボクもいきなり連れ去られたんだ。それで今さっき押し倒されて――」
『はぁッ!? 連れ去られて押し倒された!? ちょっとそこのアンタッ、私のドラの助に何の用なの!?』
いつものほんわかとした顔は何処へやら。
パルフェが鬼の形相でクオンを睨みつけ、睨まれたクオンはこれまた面倒くさそうに「はぁ~」とため息を吐く。
「私、五月蠅いのは嫌いなの。だから私の世界にこの子だけ連れて来たというのに……あーやだやだ、面倒な女ね」
『はぁ!? ぶっ倒すわよアンタ!! とにかくッ、さっさと私のドラの助から退いて!!』
「はいはい、わかったわよ。ちょっと血を飲ませて貰えればすぐに退くわ」
『血を飲む、ですって? そんな吸血鬼みたいな……えッ、もしかしてアンタって吸血鬼族!? 絶滅したんじゃなかったの!?』
「……アナタ、いちいちリアクションが大きくて面倒ねぇ。はい、これが証拠。キュートな尻尾でしょ?」
お尻の付け根辺りから伸びる黒くて細長い尻尾を、クイクイっと揺らすクオン。
その先端がハート型になっているので、可愛らしいと言えばそう見えないこともない。
右、左、右、左、右――。
左右に揺れるその尻尾を目線で追い、パルフェが「むむっ」と眉をひそめる。
『その独特な尻尾の形は、確かに吸血鬼族である女性の証……まさか生き残りがいたなんて驚きだよ――いや、じゃなくて!!』
自分で自分に突っ込みを入れ、パルフェは今一度グイっと絵の枠に顔を近づける。
『と・に・か・くッ、さっさとドラの助から離れて!! 早くしないと呪い殺すんだからッ!!』
「あらやだ、随分と野蛮な女ねぇ」
やだやだと、臭いにおいを遠ざける様に手を動かすクオン。
ボクを押し倒す行為は野蛮ではないのだろうか? と疑問に思うものの、それを口に出すと話がややこしくなりそうなので止めておこう。
それからしばらく。
視線を外さず睨み合っていた二人だけれど、やがてパルフェの気迫が勝ったらしい。
クオンが渋々ボクの上から退いて、それでようやくパルフェが「ホッ」と胸をなでおろす。
少しは頭の血も下がったらしく、続けて発せられた彼女の言葉は多少テンションが落ち着いた声色だった。
『それで、吸血鬼族が何でドラの助の血を狙うのよ? 血が欲しいなら他の人を狙えばいいでしょ』
「勿論狙ったわ。何ならアナタの血も頂いたし、小さな獣人族の血も頂いたわよ。この尻尾の先端からチューチューとね」
『え、そうなの? 私達の血も飲んだの?』
「当然、美味しい血を飲む為なら妥協はしないわ。そして念入りなテイスティングの結果、この子の血が一番“死に近い味”だった」
『い、意味がわかんない。血を飲むだけでも意味わかんないのに……』
眉を潜め、引きつった顔でクオンを見返したパルフェ。
彼女の意見にはボクも同意で、血を飲むという吸血鬼族の趣向はともかく、「死に近い味」とか言われても理解できるわけがない。
そりゃあ確かに一度死んでいるけれど、だからと言って血の味が変わるなんてことがあるのだろうか?
そんなボク等二人から疑惑の眼差しを向けられたクオンは、手にした大筆でパルフェを指す。
「ちなみにだけど、アナタの血からも少しだけ死の味を感じたわ。だけどそれ以上に“お馬鹿な味”がしたから飲むのは控えたの。馬鹿が移ったら嫌だし」
『むきぃ~!! 馬鹿って言う方が馬鹿だもん!!』
「フフッ。アナタからかい甲斐があるわね。もうちょっと遊んであげてもいいのだけれど――でも、もう我慢できない」
(……ん?)
気付けば、クオンが恍惚の表情でこちらを見つめていた。
そして――。
「頂くわ、アナタの血」
「いや、遠慮して貰えるとありがたいけど……」
「嫌よ」
問答無用。
そのまま「カプッ」と、彼女がボクの首筋に噛み付く。
『あぁぁぁぁああああ~~~~ッ!!!!』
パルフェの絶叫がBGM。
悲鳴の音楽にリズムを乗せ、ボクの首元からチューチューと血が吸われているのがわかる。
『ちょっとッ、何で口でいくのよ!? せめて尻尾でチューチューして!! いや尻尾でも嫌だけど!! 私のドラの助なのに!!』
「ぷはぁッ。美味しい……アナタはちょっと黙っててくれる? もうちょっと楽しみたいの」
と答えたクオンに一言。
「あの、ボクの意見は? 飲んでいいなんて一言も言って無いけど……」
「おだまり、下手に動くと怪我するわよ。それより私に血を捧げられることを感謝なさい」
(えぇ……)
何と我儘な言い分か。
吸血鬼族は自分勝手だという噂を聞いたことがあるけど、どうやら噂は本当だったらしい。
普通、たった一人の言動で種族全てを判断するのは間違っているけれど、彼女の場合は唯一の吸血鬼族なので問題無い。
問題があるとすれば、血を吸われている今の状況だ。
ボクの背後から、大いなる怒りのオーラが伝わってくる。
『もうアッタマきた!! こうなったら、こっちだって力づくだよ!!』
叫び、枠の向こう側でパルフェが“魂乃炎”を発動。
テカテカと光沢を帯びた彼女が、ぬるぬるを纏った腕を伸ばす。
「あらやだ、私の世界に入ってくる気? でも無駄よ。私が許可しない限り、この世界に入ることは絶対に――へ?」
バチバチバチッ!!
雷撃にも似た音と共に、パルフェが無理矢理“絵の世界に入ってくる”!!




