710 森の中で出会ったもの
「............」
土砂降りの中の逃走劇から三日経ち、ダラケルスは下草をかきわけながら、森の中を重い足取りで歩いていた。
この森は、『カルムエットの森』と呼ばれており、大都会ゼナーリニに接してはいるが、果ては遠く『巨獣の台地』まで続くと噂される広大な大魔境である。
とは言え特に外縁部はそれ程強い魔物が生息しているわけでもなく、若手冒険者や薬師の稼ぎ場となっており......ダラケルスも何度も足を踏み入れたことがある森なのだ。
しかし、慣れた森とは言えど、三日だ。
あのクソハゲ共から逃れたい一心で、ダラケルスは後先を考えずただひたすらに歩いていた。
その結果として......彼は今、完全に......道に迷っていた。
ぐううううう......。
「............」
ここで腹の虫が泣き喚き、ダラケルスは思わず足を止めた。
「腹が減った......」
逃げ始めてから、彼はまともなものを食べていない。
偶然見つけた見知らぬ果実と、あと、なんかの草。
口に入れたものと言えば、他にはフーキと呼ばれる植物の大きな葉の上に溜まった、雨水くらいだ。
昨晩大樹の洞を見つけそこで睡眠をとったとは言え、疲労もたまっている。
最悪のコンディションだった。
「なんか、ねぇか......?」
キョロキョロと辺りを見回したダラケルスは、偶然見覚えのある植物を見つけた。
それは、木漏れ日に水色の葉っぱをキラキラと光らせていた。
本来はもっと森の深いところに生えていて、なんか、売ると高い草だ。
名前は、確か......。
「サ、サイー......ま、名前なんざどうでも良い......」
ダラケルスはその水色の葉っぱをむしって、口に運んだ。
「うぐ......」
そして思わず眉をしかめた。
あまりにも、苦いからだ。
しかし。
「だが......多分これ、薬の原料だろ?なら......毒じゃねぇ......」
そう言って彼は、その薬草と推定される草を、一株丸ごと食べきった。
口と腹の中がすごくスースーするが、ひとまず空腹はまぎれた。
「............」
すると今度は、全身の筋肉が疲労を訴え始める。
彼は今年、39歳......もう、それ程若くない。
その上不摂生な毎日が、彼の肉体を余計に弱らせている。
「こんだけ、森の中に逃げたんだ......もう、あいつら追っては来ねぇだろ......」
そう、自分に言い訳をして......ダラケルスは地面に腰を下ろし、上を見上げた。
木々の葉の隙間からは初夏の青空が見えている。
雨はとっくに止んでおり、木漏れ日が暖かい......。
「............これから、どうするかね......」
しかしダラケルスの心中は穏やかではなく、不安でいっぱいだ。
まず、現状彼は迷子だ。
どうにか人の暮らせる場所に出なければ、いずれ死ぬ。
さらに言えば、もはや彼は長年住み続けた大都会ゼナーリニには戻れない。
あのクソハゲは最後まではっきりと所属を言わなかったが......間違いない、あの凶暴さ、きっと奴は『ドンゴズゴズ会』の構成員だ。
ドンゴズゴズ会はゼナーリニのみならず、この周辺地域の裏社会を我が物顔で取り仕切る、闇組織だ。
仁義も何もない、暴力に憑りつかれた、いかれた連中だ。
ダラケルスはそんな連中に、目をつけられてしまった。
運よく森を抜け出せたとしても......もはや、町には戻れない。
ゼナーリニどころか、近隣の集落にも、安全はない。
......どうすれば良い?
どこまで、逃げれば良い?
ダラケルスの胸は、不安できゅうと締めつけられた。
しかし。
「............ま、なんとかなんだろ」
ダラケルスは息を吐いてからお決まりのセリフを吐くと、ゆっくりと重い腰をあげ、とりあえず前へと歩き始めた。
『なんとかなんだろ』は、魔法の言葉だ。
未来への不安を覆い隠し、問題を先送りし......しかし、足を前へと進めてくれる。
ダラケルスの人生はこれまでも、常にこの言葉と共にあったのだ......。
ダラケルスは再び、下草をかきわけながら木漏れ日の中を進み始めた。
◇ ◇ ◇
「なんとか、なったじゃねぇか!」
ダラケルスがそう快哉を叫んだのは、それから1時間程歩いた後のことだった。
彼は......一軒の家を見つけたのだ。
それは森の中に突然現れた小さな草原の中心にポツンと建っていた。
そのフォルムはキノコに似ていて......白い土が塗られた円柱状の壁の上に、赤い瓦のようなものが葺かれた円錐上の屋根が乗っている。
なんともかわいらしい、絵本の世界から飛び出してきたかのような、二階建ての家だった。
ただ、周囲には背丈の低い、クローバーのような植物が茂って道はなく、屋根の上は半分ほど苔に覆われている。
軒下には蜘蛛の巣がはり、壁は少し汚れ、ぴょこんと飛び出た煙突から、煙はあがっていない。
つまり、それなりの期間、人の手が加わっていない。
おそらく、空き家だ。
それは、おそらく通常の遭難者であれば、落胆するであろう事実だ。
助けてくれる住人がいない。
町に案内してくれる住人がいない。
その事実が遭難者に失意をもたらすことは、想像に難くない。
「へ、へへへ......運が、向いてきたな、おい!」
しかし町から離れ、身を隠す必要があるダラケルスにとっては、そうではなかった!
無人の空き家......すなわち、彼が好きに使って良い隠れ家!
今の彼にとってそれは、最も必要とする物件だった!
ここでほとぼりが冷めるまで過ごし、その後のことは......ま、気が向いたら考えよう!
何故こんな森の奥に、一軒家が建っているのか?
そんな事情は彼にとって重要ではなかったし、頭の片隅にも思い浮かばなかった。
彼はとにかく、雨風をしのげる人工的な空間の中で、ゆっくりと休みたかった。
だから、何ら警戒することなく一軒家に歩みより、その玄関のドアノブを引いた。
「お邪魔、するぜぇ......」
ギイときしみながら、その木製のドアは開いた。
鍵はかかっていない......というか、壊れていた。
何故、壊れているのか?
もちろん、そんなことをダラケルスは気にしない。
多分、古くなって壊れたんだろ。
その程度にしか、思わなかった。
「おお......」
家の中に入り込み、もう一つ扉を開けて居間にたどり着いたダラケルスは、思わず息をのんだ。
窓から暖かな日差しが差し込むその部屋には、見るからに高級そうなこしらえの机や椅子、棚等が置かれ......ほこりがつもってはいるが、実に感じが良く過ごしやすそうだったからだ。
奥の方には使いやすそうなキッチンや、暖炉まで完備されている。
確かいわゆる『魔導式』とかいうやつで......魔力を注げば水や火が出る、質の良いやつだ。
本棚には高そうな本がたくさん並んでいて、めまいがする。
ここは明らかに、今まで彼が常用していた安宿よりも、グレードの高い空間だ!
「凄ぇ!こいつは、凄ぇぞ!金持ちの隠れ家かなんかか!?」
ダラケルスは思わず小走りで部屋の中央まで移動し、あたりをキョロキョロと見回した!
そして......近くに暖かな茶色の色合いの布をはったソファを見つけ、そこに勢いよく飛び跳ねて座った。
ボフン、という音と共にほこりが舞うが、その柔らかな座り心地は最高だ!
「あぁーーーーーー......」
ダラケルスは脱力し、目を細めた。
立ち上がろうという気力が吸い取られ、代わりに幸福感が注ぎ込まれていく。
気持ちが良い......。
「最高だ、これ......」
こんな仕立ての良いソファに、ダラケルスはこれまで座ったことがなかった。
この、ソファも。
あの、立派な暖炉も。
何もかもが!
「オレのものだ......」
逃げるとか、隠れるとかじゃない。
「この、家は......」
オレは、ここに、住む。
「オレの、ものだッ!!」
一生、ここに住む!
ダラケルスは、あってないような彼の行動指針をそう変更し。
押し寄せる疲労感に抵抗せず。
柔らかなソファに包まれ、睡魔に身を委ねようと瞳を閉じ......。
「ハッ......ハハハハハハーーーッ!!!」
突如として玄関から響いた笑い声、そして乱暴に扉を開く音に驚き、すぐさま戦闘態勢をとった!
「ついに、ついに見つけたぞッ!!まさしく外観は、あの日記帳に書かれていた通りだッ!!」
クソハゲ共が、追ってきたか!?
初めはそう身構えたダラケルスだが、それはどうやら違うようだ。
声の主は若い男で、その独り言を聞く限り、ダラケルスを目的としてこの場所にたどり着いたわけではないらしい。
「結界が消えているのは......まあ、三十年近くメンテナンスしていなければ、さもありなんと言ったところか......?まあ良いッ!!」
声の主は何やら早口でまくしたてながら、ズカズカと玄関に上がり込み、短い廊下を進む。
「ハハハ、今に見ていろよサクセスめ......私は貴様から、全てを取り戻すッ!!弟は弟らしく、冷や飯を食っていれば良いのだッ!!奴隷として、存分にこきつかってやるからなーーーッ!!」
騒々しい喚き声と足音はどんどんとダラケルスのいる居間に近づき......ガチャリと、音を立てながらドアノブが回り。
そして。
「ここから......この家から、始まるのだッ!!この私、フレット・フルのッ!!華麗なる逆転劇がなーーーッ!!」
バアアーーーンッ!!!
そんなことを叫びながら勢いよく居間の扉を開けたその男、フレット・フルは......背の低い二十代程の男だった。
金髪を後ろになでつけ、意地の悪そうな鋭い目つきを大きな眼鏡で覆い、森の中だと言うのに高級そうなスーツを着込んでいる。
嫌味で性格の悪そうなやつだな。
ダラケルスはフレットのことを第一印象でそう決めつけ、こいつは自分とは違って性悪で、まず間違いなく自分は仲良くなれそうにない人間であると判断した。
一方のフレットであるが。
誰もいないはずの部屋の中に立っていたダラケルスを見て、一瞬思考を停止させた。
ボロボロのローブを着て、髪もひげもボサボサに伸び放題。
ひょろりと背が高いが痩せこけていて、目に活力がない。
なんだこの不潔でだらしのない浮浪者は。
フレットはダラケルスを一目見て不快に感じ、この男は自分とは違い社会的な価値が低く、深く交流する値のない人間であると判断した。
そして。
「誰だ、テメエ......」
「何者だ、貴様ッ!!」
二人は同時にお互いを同じようなポーズで指さし、同じようなセリフを吐いた。
【巨獣の台地】
度を越した巨体を誇る魔物が多く住む、超危険地帯。
第29章の舞台。
【サ、サイー......ま、名前なんざどうでも良い......】
ダラケルスが名前を思い出せなかったこの水色の草は、サイーシュ草。
高級ポーションの原料となる薬草であり、群生地が見つかると、その近隣の町は経済的に大いに潤う。
第6章にて登場。
ちなみに第6章のサイーシュ草と今回登場したサイーシュ草は、セイヨウタンポポと二ホンタンポポくらいには違うが、ポーションの原料となることには変わりがないので、冒険者達には区別されていない。




