705 春の日の湖畔に吹く風
......春である。
巨獣の台地で生きる動植物は、いまさら言うまでもなく、その多くが巨大だ。
一斉に黄色い花を咲かせるタンポポは二階建て家屋よりも背が高いし、ツクシはまるで電信柱。
......正確にはタンポポやツクシに“似た”植物、という風に表記すべきであろうが。
とにかく、冬の間に枯れ、あるいは雪の下で寒さに耐えていたそれらが一斉に芽吹き風景に彩を添えるのが、巨獣の台地の春である。
それに連動するかのように巨大な動物......魔物達も活発な活動を再開する。
電車サイズのヘビが、自動車サイズの巨大ネズミを一のみにする。
畳よりも大きな翅を持つチョウチョウが、ひらひらと宙を舞いながら地上に向けてビームを乱射する。
体重が500kgを超える巨大ウグイスが、音波攻撃によって巨大グモを吹き飛ばす。
実に苛烈な生存競争が、本番を迎えるのだ。
そんな巨獣の台地だが。
どこもかしこも騒々しい、というわけではない。
巨大植物も生えず、巨大魔物も近づかない場所があるのだ。
それは、湖。
......その湖は、とても澄んでいる。
周囲は土や岩がむき出しとなっており殺風景だが、雲泳ぐ青空を映し続けるその湖面は、まるで鏡。
時折吹く風の他に音はなく、その静謐さはまるで聖域である。
何故、生命の満ちあふれるこの巨獣の台地において、これ程までに静かな場所が存在するのか?
その答えは、簡単。
この湖を満たす水は......美しく見えてその実、猛毒なのだ。
「......ンエッ!」
さて今、湖の中からプカリと浮かび上がり、顔を出した鳥がいる。
美しい、紫色の羽毛を持つ鳥だ。
その形状は......全体的な印象としては、カラスに似ている。
湖に住んではいるが、水鳥ではないのだ。
しかし、派手な冠羽や長く優美な尾羽などが、その鳥がただのカラスではない......独自の【進化】を遂げた存在であることを主張している。
「ンエーーー......」
足や羽を動かすことなく......周囲の“毒液”を操ってスイスイと動き回るその鳥の名は......ドクゲーゴン。
この猛毒の湖の主であり......製作者だ。
もともとこの湖があった場所には、森が広がっていた。
しかし陸クジラやエミーが暴れまわったせいで、地面は抉れ、谷が生まれた。
そこに地下水が染み出し雪解け水が流れ込み、湖が生まれた。
ドクゲーゴンはその湖に自らが生み出した無味無臭、しかし凄まじく強い猛毒を混ぜ込み、己の住処に変えたのだ。
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種 族:紫毒霊鳥
名 前:ドクゲーゴン
年 齢:1歳
生命力:513
魔 力:8471
レベル:232
スキル:【毒耐性783】、【毒生成751】、【擬態11】、【木登り4】、【毒液操作728】
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......これが、現在のドクゲーゴンのステータスである。
あの、冬の日。
ドクゲーゴンとエミーが、激戦を制した、あの後。
死んだ陸クジラの体からは膨大な黄金色の光が放出され、天へと昇っていった。
その結果、残された陸クジラの死骸は、エミー曰く『出涸らし』となった。
貴重な食糧ではあったので、彼もエミーも冬の間その肉を食べ続けてはいたが......。
ドクゲーゴンが、直に胃壁をついばんだ時に感じた、膨大なエネルギー。
それは、ほとんど失われていた。
しかし、とはいえ、かつての巨獣の台地の覇者の肉である。
その肉はドクゲーゴンの肉体と魂を強化し、彼をもう一段階【進化】させた。
羽毛は柔らかく、艶やかに輝き。
体長は、巨獣の台地の魔物としてはまだ小さいが......人間と同程度の大きさにまで育った。
それに伴い......肉付きも、かなり良くなった。
みすぼらしく醜かった彼の姿は、もうどこにもない。
しかし。
大きく変わったのは、彼の見た目だけではない。
......彼の飼い主を自称していたエミーが、徐々に......彼と距離を置き始めたのだ。
◇ ◇ ◇
「ドクゲーゴン!」
「ンエッ!」
毒の湖をスイスイと泳いでいたドクゲーゴンに、岸辺から彼を呼ぶ声が聞こえた。
振り返るとそこにいたのは、どす黒い、己の能力で作り出した不気味なコートを羽織って無表情にたたずむ、黒髪黒目の美少女......エミーである。
かつては寝食を共にし、一緒に生活していたエミーとドクゲーゴンだが......先述したように、彼が大きくなってからその関係性には変化が生じた。
エミーがドクゲーゴンに会いに来るのは、早くて三日に一度程。
一週間近く会わないことも、ざらである。
今回の再開も、概ね一週間ぶりだ。
「ンエーーーッ!」
だからドクゲーゴンは嬉しくて、素直にエミーのそばへと泳いで近づいた。
「............」
「ンエッ?」
しかし。
ドクゲーゴンはすぐに、違和感を持った。
エミーの様子が、おかしい。
いつも無表情なエミーであるが......それなりにつきあいが長ければ、彼女の感情はわかりやすい。
特に怒っている時はわかりやすい。
漏れ出す殺気が否応なくそれを伝えてくれるから。
今日のエミーは......決して怒っては、いない。
しかし、強者であるが故の、無防備な能天気さも感じない。
どこか、張り詰めた緊張感。
ごく薄く漏れ出る魔力の生み出す【威圧】が、彼女のそんな心情を代弁していた。
「ドクゲーゴン......」
エミーはもう一度、彼の名前を絞り出すようにつぶやいた。
「............」
ドクゲーゴンは、何も言わず、うつむくエミーの瞳を覗き込んだ。
そこからは、両者ともにしばらく無言だった。
しかし、びゅうと、暖かな春の空気を切り裂くように冷たい風が吹いて、毒の湖面を揺らしたその時。
エミーはついに、ドクゲーゴンに言った。
「お別れの、時が来た」
......と。




