693 【醜い魔物の成り上がり】晴馬情の生き方、ドクゲーゴンの生き方
(にッ......)
何よりも強い、無茶苦茶な生き物だと思っていた恐るべき彼の飼い主エミーが、いともたやすく潰されて。
彼はしばし呆然とした後に。
(逃げなきゃッ......)
単純に、そう思った。
そしてふわりと浮かびあがり、巨大で山のような陸クジラに背を向ける。
(嫌だ、死にたくない、助けて、誰か助けて......!)
そんな彼の頭の中を占めるのは、己の死への恐怖。
(............)
それと。
(......しょうがない、しょうがない、ことなんだよぉ、これはぁッ!!)
......言い訳だった。
(どうしようもないじゃん!あんなに大きな相手、ボクではどうしようもないじゃん!あのヒトですら、やられちゃった相手、ボクではどうしようもないじゃん!)
そんな風に、彼は脳内で必死に喚き散らしながら、陸クジラから遠ざかろうとして。
(あのヒトだって、すんでのところでボクを逃がしたんだよ!?逃げろってことじゃん!意をくんで、逃げなきゃいけないじゃん!)
陸クジラから遠ざかろうとして。
(ボクにはどうしようもないんだよぉ!ボクのせいじゃないんだよぉ!だから、逃げるんだよぉ!)
......遠ざかろうとしたけれど。
体が、動かなかった。
(......なんで?)
その事実に、彼は驚いた。
だって、彼は。
晴馬情は。
いつだって、そうやって生きてきたから。
しょうがない、しょうがないと諦めて。
嫌なことからは逃げ出して。
壁を作って、生きてきた。
彼は、既にその事実には、気づいていた。
前世で、家族とうまくいかなかったのだって。
家族にも、悪いところはあっただろうと、それは今でも思うけど。
大きくなるにつれ、勉強もスポーツも苦手だってことに気づいて。
でも、やってもうまくいかないことを努力するのは、辛くて。
『どうして情は』、『お兄ちゃんはできたのに』......そんなお小言を、とにかく聞きたくなくて。
諦めて、家族との間に壁を作っていたのは。
結局のところ、自分だった。
問題から目を反らして、逃げていたんだって。
......だから、今だって。
これまでのように、逃げれば良いのだ。
ためらいなく、彼はそう動くことができる。
そう、思っていた。
幸い、陸クジラが執着しているのは、エミーだけのようだし。
今彼が逃げだしても、陸クジラは気にも留めないだろう。
だから、逃げれば良い。
客観的に見ても、それが正解のはずだ。
それなのに。
(どうしてッ......!!)
どうして、逃げようとしても、体が動かないのか。
どうして、両目からとめどなく、毒液があふれて止まらないのか!
その、理由を。
彼はぐるぐると混乱する頭で必死に考えた!
(どうして体が動かないんだよぉ!?ボクはちっぽけで、弱くて、醜くて、何にもできやしないんだよぉ!?晴馬情は、役立たずの臆病者なんだからぁ!!)
彼は。
(バカで、運動音痴で、意気地なしで!だけど、弱い者いじめはする、知り合いも見捨てる!卑怯者だから......それが、晴馬情だろぉ!?)
そうやって、逃げ出すために、自己否定の言葉を必死で繰り返して。
(............)
急に、言葉を失った。
気づいたのだ。
(ああ......そっか)
自分の。
(ボクは、そんな人間の......晴馬情で、いたくなかったんだ......)
心の奥底に。
(ボクは、変わりたいんだ......)
彼は振り返り、じっと陸クジラのことを見つめた。
苔とフジツボとクジラジラミに覆われ、視界を埋め尽くしているが故に、もはや壁としか認識できない程の、巨大魔物。
勝てっこない。
理性も本能も、100パーセントそう断言する、強大すぎる存在。
だけど......憎き、敵!
(......いや、違う。とっくに、変わっていたんだっけ)
この時彼は、ようやく認めたのだ。
(ボクは......もう、魔物で......ドクゲーゴンなんだッ!!)
その、事実を!
(嫌なことからは逃げて、生きてきた!それが、ボク、晴馬情だったッ!!)
ドクゲーゴンはカッと目を見開いて、陸クジラを睨みつけた!
(でも......!試練に立ち向かい、強くなる!そうやって生きていく!それが、ドクゲーゴンなんだッ!!)
ドクゲーゴンが今見ているのは、自分のことを気にも留めていない、巨大な陸クジラの瞳だ。
しかし、ドクゲーゴンの頭の中に浮かんでいるのは、エミーの無表情な顔だった。
強くて、無茶苦茶で、恐ろしくて......だけどドクゲーゴンには優しい、飼い主の顔だった!
(そうだよね......エミーッ!!)




