686 【醜い魔物の成り上がり】朝ごはんの時間と続く彼の試練
カチャカチャという、食器が微かに鳴らす音。
それと、テレビの音。
無言の空間。
それが、彼の前世における......日常的な朝食の風景だった。
父と、母と、兄。
この三人だけで食卓テーブルを囲んでいる間は、そこには和やかな談笑があるのに。
彼が自分の部屋から出てくると、途端に静かになるのだ。
彼にとって朝食は、試練だった。
目を、あわせようとしない父。
おどおどしている、母。
眉間に皺寄せる兄。
いつしか、彼の家族は、こんな風になった。
どうして、こんな風になった?
そんなこと、考えたくもなかった。
彼はただただ、うんざりしていた。
◇ ◇ ◇
「ンエッ......!?」
彼はパチリと、短い夢から目を覚ました。
それと同時に、あの恐ろしい巨大カギムシの牙が脳裏を過り、慌てて起き上がる。
そして周りをキョロキョロと眺めると......そこにはカギムシの姿があった。
その長い体を丸めるように横たわり、ぴくりともしない、死骸となったカギムシの姿が。
「ン、ンエーーー......!?」
彼は訳が分からず混乱し、ただ間抜けな鳴き声を発した。
するとその時、木漏れ日で照らされていた彼の周囲が、急に影で覆われた。
それと同時に響く、スタンという着地音。
「起きたか」
......樹上に登っていたエミーが、降りて来たのだ。
その手には、少しこぶりな、桃に似たおいしそうな果実がある。
彼の視線は、その果実に釘付けとなった。
ごくりと、毒液混じりの唾を飲みこむ。
「よく、倒した。油断させてから、毒液のカウンター。見事な戦い方」
エミーはそんな彼の様子など気にも留めず、そう言いながらしゃがみ、彼の頭をなでた。
(......ほめられた?)
彼は自分が戦っていたという意識などまるでないし、さらには自分がエミーに見捨てられたと思いこんでいたので、その言葉を聞きながらポカンとしていたが......。
徐々に、理解する。
要は、毒が効いたのだ。
恐慌状態に陥り、最後に噴出した、あの毒液。
それが巨大カギムシにかかり、カギムシは......死んだ。
そういうことなのだろう。
そう考えると、彼を食べようとしていたあのカギムシは、どのみち死ぬ未来しか残されていなかったわけで、哀れではあるが......ひとまず、生き残れたという安堵に満たされた彼には、敵対者を気遣う余裕は残されていなかった。
彼はほっと息を吐いた。
(それにしても、ボクの毒......あんな大きな魔物にも、通用するんだ......)
全く、自分で分泌している毒液ながら恐ろしいものだと、彼は他人事のように考えた。
そう言えば、この目の前のエミーという少女は......巨大な魔物すら殺し得る毒液に、昨日から平気な顔をしてベタベタと触りまくっているが......何故無事なんだろう?
魔物が死ぬんだもん、人だって死ぬでしょ?
......エミーは、他に人気のないこんな森の奥に一人でいて、異常に身体能力が高くて、毒が効かなくて、あと、時々触手を伸ばす。
つまり、このヒト、人型なだけで、やっぱり人間ではない......?
“飼い主”の少女の正体がわからず少しだけ恐ろしくなった彼は、ブルリと震えた。
「でも、わざわざ、攻撃を食らう必要は、ない。ネバネバは、私、とっておいた」
一方続いてエミーは、彼に対して簡単な注意を行った。
子どもにでも言えることしか言っていないが、至極まっとうな戦闘指南である。
(いや、いきなり戦えとか言われて、すぐ体が動くやつなんて、いないからぁ......)
彼はうつむきながら内心でそうつぶやいて、その注意を聞き流した。
粘着液を片付けてもらったことへの感謝も、していない。
それが前世から引き継いだ、彼の性である。
「......それじゃあ、頑張ったご褒美」
しかしエミーはそんな彼のふてくされた態度を気にも留めず、注意の後一呼吸置いてからそう言って立ちあがった。
(ご褒美!?)
彼は、エミーがその手に握る桃に似た果実を見つめながら、目を輝かせた!
先程から、毒液の異臭にも負けないおいしそうな甘い香りがずっと漂っていたのだ!
人間としての感覚が、それを求めている!
絶対においしいやつだよ、あれ!
「朝ごはんだよ」
エミーは無表情のまま......しかし優し気にそう言うと、彼をつまみあげた。
ふわりと浮き上がる、彼の軽い体。
みるみる近づく、桃に似た果実!
ほんのりと薄い、まだらな桃色に、産毛の生えた皮。
どう見ても、桃!
その見た目においしさを確証された果実が、視界いっぱいに広がり、彼はそれをついばもうとくちばしを突き出して......。
空振った。
突き出した彼のくちばしは、宙を切った。
一旦持ちあげられた彼の体は、ゆっくりと優しく......再び柔らかく湿った土の上へと降ろされた。
桃に似た果実は、あっという間に彼から遠ざかった。
エミーは、つまり、彼を持ちあげて数歩歩き。
そして彼を。
......“朝ごはん”の前に、置いたのだ。
「たんとお食べ」
それは......彼の毒で死に絶えた......巨大カギムシの、亡骸であった!
(嫌だよぉーーーーーーッ!?)
「いっぱい食べて......強くなれ!」
エミーは力強くそう言うと......その手に掴んでいた桃に似た果実を、大口をあけて一口で食べた!
その頬が......リスのように膨らむ!
「ンエーーーーーーッ!!」
......彼の試練は、始まったばかりなのだ!




