682 【醜い魔物の成り上がり】少女の名前、彼の名前
パチパチ、パチと、何かが小さく爆ぜる音。
今世では聞き覚えが無いが、懐かしさを感じる音。
それが、薄っすらと意識を覚醒させた彼が、まず認識した外界の要素だ。
「ンエ......」
次いでゆっくりとまぶたを開けば、目の前にあるのはゆらゆらと踊る橙色の炎。
即ち焚火だ。
周囲はすっかり夜。
焚火の照らすごく狭い範囲だけが、彼の認識できる世界だ。
「ンエーーー......」
彼はのそのそと焚火に近づき、その熱で体を温めながらぼんやりと思考する。
未だ寝ぼけている彼が思い出したのは、幼い頃の......前世の記憶だ。
大体、小学校に入りたての頃の、記憶だろうか。
あの頃は、彼も家族と仲が良くて......夏休みには、よく皆でキャンプに行ったものだ。
こういう風に夜空の下で、楽し気に踊る炎を眺めながら、マシュマロを焼くのだ。
......楽しかった。
あの頃は、毎日が楽しかった。
「......起きた」
「ンエッ!?」
そんな彼の、寝ぼけた頭脳は......背後からかけられたその一言で完全に覚醒した。
突然の声かけに驚き跳ねとびながら後ろを振り返ると、闇からのっそりと進み出て来たのは、昼間見た少女だった。
てらてらと動く橙色に照らされた少女の顔は先程と変わらず、瑕疵をつける隙もなく美しい。
意識をしなければ......見ほれるあまり、呼吸するのを忘れてしまう。
それ程の美貌だ。
だからこそ、恐ろしい。
彼の脳内に、昼間の光景が......この少女が触手のバケモノと化したあの時の記憶が、フラッシュバックする。
「ン、ンエ......」
彼はガタガタと震えその体表に毒液の粒を浮かび上がらせながらも、なんとか細い足を使って立ちあがり、美貌のバケモノをじっと見つめながら......ゆっくりと、後ずさった。
相変わらずの、考え無しの行動である。
この時、彼の背後にあったもの。
それは、焚火だ。
恐怖のあまり、背中に浴びる炎の熱さすら忘れた彼は、後ろ歩きをしながらよろよろと焚火に近づき......。
「ンエッ?」
小石に躓き、こけた。
その瞬間に運悪く、焚火の燃料となっていた枝が崩れ、その破片が......彼にとっては巨大な炎の塊が、彼に向かって、弾け飛んだ!
「ンッ......!?」
彼は悲鳴をあげようとしたが......そうはできなかった。
何故なら次の瞬間には、冷たくて硬い何かによって体を掴まれ、彼にとってしてみればもの凄い勢いでブンと、振り回されていたからだ。
「エ......?」
その何かが何なのかと言えば、少女の触手である。
昼間見た触手とは違い、その先端に口のような器官はなく......鉤爪のようなものが一本、生えている。
そんな、どす黒い触手だ。
その触手が、彼の体に軽く巻きつき、彼を焚火の炎から遠ざけたのだ。
「大丈夫?ドクゲーゴン」
少女は未だ恐怖で体を固まらせる彼の首根っこを、毒液に触れることも厭わず摘まみ上げると、プラプラと振りながら火傷がないことを確認。
そして、優しく......彼のことを地面へとおろした。
さすがに、ここまでされてしまえば彼も理解する。
この少女は、彼に敵対するつもりはないのだ。
そもそも、あの巨大な魔物を容易く屠る少女である。
そのつもりがあれば、彼は今頃生きてはいまい。
......彼の毒液を触っても、少女には特に影響がないようだし。
今だって、手についた毒液を無造作にその辺の落ち葉で拭っているが......彼女の毒液処理と言えば、それだけだ。
それだけなのに、けろりとしている。
彼女にとって彼は、人畜無害の小さな生き物以外の何者でもないのだ。
とはいえ。
この少女が敵ではないと、理解したとしても、疑問は残る。
その疑問の内の一つは、何故少女は、自分を助けたのかということ。
そしてもう一つは。
(『ドクゲーゴン』って......何?)
そんな疑問だ。
「お腹空いてる?食べる?ドクゲーゴン」
首を傾げる彼に対して、少女は無表情のままそう尋ね、ポケットの中から何かを取り出した。
赤と黄色のまだら模様の、直径3センチメートル程の果実である。
(サクランボモドキだ!)
それは奇しくも、仮宿出発前に彼が採取を検討していた果実!
それなりの味と量が保証された、及第点食糧!
「ン、ンエッ!ンエッ!」
彼は歓声をあげながら、差し出された手のひらの上に転がるサクランボモドキに這いより、それを夢中でついばんだ。
「おいしい?ドクゲーゴン」
その姿を無表情で眺めながら、少女は感情の乗らぬ冷たい声で、しかし明らかに優し気に、そうつぶやいた。
「ンエ......」
そんな少女の顔をチラリと見あげながら、彼は推測した。
(もしかして、この子......ボクのこと、ペットにでもしようと、しているの......?)
毒液まみれのみすぼらしい彼のことを、どうしてペットにしようと考えたのか......そのセンスは正直理解できないが。
彼女の行動を考えるに、この推測はおそらく、間違いではないのだろうと彼は思った。
そして。
で、あるならば。
先程から彼女が繰り返している、『ドクゲーゴン』なる響きの言葉。
それは、もしかして......。
彼女が、彼につけた......彼の、名前......?
(いや、さすがに、ダサすぎるでしょぉ!?)
彼は、内心で頭を抱えた。
(いや、きっと、語尾だ!この子はきっと、『ドクゲーゴン』って語尾に付けちゃう、そんなキャラなんだ!きっと『ドクゲーゴン』って、『ずら』とか『だべ』とか、そういう類の方言なんだ!きっとそうに、違いないんだ!)
そして、そのセンスのない名づけを認めたくないあまり、割と無理のある脳内設定を少女に付与し、精神を安定させようとした!
「私は旅人。エミー・ルーン」
そんな彼に対して、その少女は......静かに自己紹介を始めた。
「あなたを、飼ってみようと思う。おいしく、なさそうだし」
そしてあっさりと、彼の疑問その1に対する答えを提示した。
(なんで、『おいしくなさそうだから、飼おう』っていう発想になるのぉ!?)
彼は彼女の手のひらの上で、大いに首を傾げた。
しかし、そんな疑問は、すぐに彼の頭からはじき出されることになる。
だって......。
「あなたの名前は、今日から“ドクゲーゴン”......よろしくね、ドクゲーゴン」
(うわああああーーーーーーッ!?)
彼が、今生において初めて与えられた、名前。
それが。
『ドクゲーゴン』に......確定してしまったからだ。




