680 【醜い魔物の成り上がり】毎朝の絶望と空腹が故の短慮
さて、彼が巣から放り出されてから、おおよそ1年が経過した。
「ンエー......」
まどろみから目覚めて瞳を開けると、寝床として使っている木の洞の壁面が、外から差し込む光によって黄色く光っている。
(朝かぁ......)
ぽつりと、内心でつぶやく。
するとジワジワ心の中に、絶望が染みわたっていく。
今日も彼は醜毒鳥で、人間ではない。
平和な日本ではなく、危険な......どことも知れぬ、森にいる。
(もう嫌だ......日本に、帰りたいよぉ......)
もう、何万回と繰り返した泣き言を心に浮かべれば、涙の代わりに毒液が全身からあふれる。
......1年たった今でも、彼の体は一向に大きくならない。
草だの果物だのばかり食べているせいかもしれない。
しかし、その見た目は大きく変わった。
今の彼の全身は常にベタベタした毒液とそれに付着した砂利やゴミ等に覆われ、かつて以上にみすぼらしい。
異臭も酷く、端的に言えばゴミの塊である。
嘆けば嘆く程毒液が分泌されるので、嘆かない日がない彼は、常にこんな有様なのだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
種 族:醜毒鳥
名 前:なし
年 齢:1歳
生命力:9
魔 力:138
レベル:3
スキル:【毒耐性13】、【毒生成11】、【擬態5】、【木登り2】
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ステータスに関しては、このような状況だ。
レベルは1年で1つしか上がらず、相変わらず生命力は低い。
毒液を分泌することに魔力を使用し鍛えられるためか、魔力は増えているが......1年間で増えた量としてこれが多いのか少ないのかはわからない。
【毒耐性】と【毒生成】は成長しているようだが、数字が二桁になったことで上限がどこにあるのかわからなくなった。
もしかしたら、毒に関する能力も低いままなのかもしれないと、彼は悲観している。
【擬態】はいつの間にかステータスに表記されていた謎スキルであり、ゴミのふりをして外敵をやり過ごした経験が反映されたものと推測される。
そして【木登り】については......果実の採取や木の洞に隠れるため木を登っている内に取得していた。
彼の全身は毒液でベタベタなので、その粘着力を利用して彼は、軽い体を壁面にはりつけ幹を登る事ができるようになっていたのだ。
(お腹空いたよぉ......)
ああ、毎日、生きるのが嫌だ。
巨大な自分以外の生き物......魔物と評するにふさわしい巨大生物達に恐怖し、逃げ隠れする毎日が辛い。
空腹が辛い。
傷つきやすい、肉体の痛みが辛い。
でも......死ぬのも怖い。
死にたくない。
日本に、帰りたい......。
そんなことをグズグズと考えながら、彼は今日も身動きをとれないでいた。
いつしか日は高く昇り、洞の中に光は差しこまなくなった。
しかし、最後に食事をしてから、もう3日経つ。
そろそろ。
そろそろ、洞から這い出て......草なりなんなり、食べなければ死ぬ。
故に、ついに、彼の心の天秤は音を立てて揺らぎ、彼は食糧を探しに外出することを決意した。
「ンエ......ンエ......」
ズリズリと這いずりながら、洞の出入り口まで移動し、外界を覗き見る。
思わず、眩しさに目を細める。
今日は、とても良い天気だ。
彼の仮宿は比較的開けた場所に生えている巨木の洞であり、周囲の様子が良く見わたせる。
木々の幹の隙間から、ポツンと森の中にそびえ立つ山と、その後ろに青色の空が見える。
木々の緑と、空の青。
実に鮮やかな、初夏のコントラスト。
疲れきった彼の心は、その美しさには何ら感慨を抱かなかった。
さらには。
彼の落ちきった集中力は......その時点で気づいてもおかしくはない周囲の異常に、気づくこともなかった。
チュドオオーーーーーーンッ!!!
「ンエーーーーーーッ!?」
故に、突如として鳴り響いた爆発音、肌が痺れるような空気の振動が、彼が洞を出る前にその異常の存在を彼へと伝えてくれたのは、幸いなことであった。
彼は慌ててぺったりとしゃがみ、小さな体をさらに縮こませて、震えながら改めて外界を観察した。
すると明らかになる、異常の正体。
それは。
巨大な甲虫と巨大な蜂の......戦争としか言いようのない程苛烈な、生存競争であった。
木々の隙間から見える山は実は巨大な蜂の巣であり......甲虫達はその巣へ、攻撃をしかけているようなのだ。
チュドオオーーーーーーンッ!!!
「ンエーーーーーーッ!?」
またしても、爆発!
しかも今度は、先程よりも爆心地が彼の仮宿に近い!
仮宿の幹が、大きく揺れる!
何故甲虫と蜂が争って、爆発が起きるのか!?
意味がわからない!
しかしここは、鳥が火を吹くような異世界だ。
何が起きても不思議ではない。
とりあえず、彼の脆弱な肉体では、爆発の余波で吹き飛んだ小枝が当たっても致命傷だ。
彼は必死に小さくなって、洞の縁にしがみつきながら外界の戦争を注視し続けた。
◇ ◇ ◇
(も、もう嫌だよぉーーーッ!!日本に帰りたいよぉーーーッ)
......その戦争の結末を最後まで見届けた彼は、心の中でそう喚き散らした。
甲虫と蜂の争いだが......勝者はそのどちらでもなかった。
突如として出現した超巨大な陸生クジラがどちらをも一飲みにして、戦いは終わった。
この森には、巨大な魔物が多い。
森の樹高からはみ出す程大きい亀が木々を押しのけて歩いたり、同じくらい巨大な虎がたわむれに放った前足で巨木を簡単にへし折る様を彼は見たことがあり、そのどちらに対しても、彼はその巨大さと強大さに恐れをなしガタガタと震えたものだが......。
あのクジラは、ダメだ。
きっと巨大虎が束になっても、敵わない。
大きさも、生物としての位階も、違いすぎる。
いわんや自分をや、である。
彼はそれを、本能で感じとった。
「ンエ、ンエ......ングウ......」
が、しかし。
いつまでも怯えているなと、腹の虫が彼を叱った。
とにかく彼は、空腹なのだ。
恐ろしい程規格外のクジラに恐れおののくのは良いが、それは、それ。
はやく、食料を探しに行かなければならない。
幸い、もうクジラの地震のような足音は聞こえない。
行くなら、今だ。
きっと、他の巨大魔物達も、クジラを恐れて逃げているはずだ。
いつもより安全な、はずだ......。
(でも、どこに、行こう......)
洞より這い出て、毒液の粘性を利用し木の幹をズリズリと滑り降りながら、彼は思案した。
今の仮宿から一番近い採取スポットは、サクランボモドキと彼が呼んでいる果物の木だ。
この時期なら、そろそろ実がなっているはず。
しかしネックなのは、近くに巨大蟻の巣があることだ。
彼女たちは自らの命をも惜しまぬ狂戦士であり、情け容赦がない。
蟻の巣を迂回して進もうとなると、かなりの長距離移動が必要となり、今の彼の体力が持つかどうかわからない......。
(......あッ!!)
と、ここで。
ちょうど、木の幹を滑り終え、地面へと到達したその時、彼は閃いた。
(蜂蜜が......あるかもしれない!)
先程の戦争は、天災にも等しいクジラが甲虫や蜂をまるごと飲みこむことで決着を見せたが......その際、蜂の巣の一部がクジラの口からこぼれ落ちていたのを、彼はしっかりと視認していた。
その、文字通りおこぼれを、いただこうという訳だ。
蜂蜜であれば、人間であった時の感覚が抜けきらない彼でも、十分においしくいただける。
クジラに怯え外敵が逃げ去っている今は、千載一遇のチャンスだ!
「ンエッ!ンエッ!」
彼は自らの空腹にもせっつかれ、ヨタヨタと走り出した。
目指すは、戦場跡。
何が何でも蜂蜜を食らうべしと、彼の腹はぐうぐうと吠えた。
なお。
クジラに怯え、逃げ去った魔物は確かに多かった。
しかし彼のように知恵を働かせることができる魔物も、皆無ではなかった。
それ故に結論から言えば......彼の判断は短慮であったと。
そう、言わざるを得ない。




