579 うずくまる男
「ちッ......ちッ......ちッ......!!」
ムノーデス刑事は黒い傘をさしながら、顔を真っ赤に染め舌打ちを繰り返しながら、どしゃぶりの旧帝都を警察署に向かって歩いていた。
「ちッ......ああ、くそ......ちッ......!!」
舌打ちの合間に、時折汚い罵り言葉も混じる。
だがしかし、ザアザアという激しい雨音が、それらを全て覆い隠す。
故にこそ道ですれ違う人々の中に、悪態をつきながら歩くムノーデス刑事に対して注目を向ける者はいなかった。
人々はただ、無関心に、ムノーデス刑事の横を通り過ぎていく。
さて、何故ムノーデス刑事がこうして怒っているのか。
それは、アカシテリカが、彼の思うような反応をしなかったからだ。
ムノーデス刑事は、ボロボロになったエミーの服を見てアカシテリカは絶望し、彼女の生存を諦めると考えていた。
爆発に巻きこまれて地下水道に落ちたのだ。
その時点で、生存の可能性は低いのだ。
ダメ押しの証拠を見せられれば、いかにアカシテリカがあのエミーのことを大切に思っていたとしても......さすがに諦めるだろうと。
そう、思っていた。
ところがアカシテリカは、ボロボロの服を見せられて、むしろそこに希望を見出した。
エミーの生存を、確信してしまった!
「くそ、くそお、あの、バケモノめ............!!」
ムノーデス刑事は、今度は既に遠い異国へと飛ばされたエミーに対して悪態をついた。
水たまりを踏み、バシャリと飛び散った泥水が彼のズボンを汚すが、怒りに囚われた彼はそのことに気づきもしない。
ただまっすぐに、道を歩き続ける。
「これで......これで!アカシテリカちゃんの物語から!あの、異物を......取り除けたはずだったのにッ!!」
そして、相対的に、その物語におけるムノーデス刑事の存在感は向上し!
彼の“居場所”は、守られる......そのはずだったのに!
「あの、バケモノはッ!!これからも、思い出として、アカシテリカちゃんの心の中で、輝き続けるつもりだなッ!?くそおおおおッ!!」
さっきの、あのアカシテリカの冷たい微笑み!
完全に、エミーの生存を否定したムノーデス刑事のことを、拒絶していた!
これは、一大事である!
アカシテリカの物語から締め出されてしまっては、彼には、『彼の欲する“居場所”』は、ない!
つまりは現在、ムノーデス刑事の策は、完全に裏目に出てしまっていると言って良い。
「ああああああッ!!消え去ってなおこのボクを苦しめるか、悍ましい呪い子めえええええッ!!」
ムノーデス刑事は唸り、そしてわざと寝ぐせでボサボサにしたままの髪を、さらにぐしゃぐしゃにかきむしった。
相変わらず、雨は酷い。
ザアザアという雨音は、ムノーデス刑事の唸り声を、やはり覆い隠す。
そもそも、道行く人は、雨を凌ぐことに必死だ。
ムノーデス刑事に注意を向ける者は、誰もいない。
「ぜえ......ぜえ......!!」
しばらく歩きながら『ああああああ』だの『うわああああ』だのと唸り続けたムノーデス刑事は、ここで少し立ち止まり、荒い息を吐いた。
少しの間、肩で息をしながら......体調が整うのを待つ。
待ちながら......。
「え?」
ムノーデス刑事はとある事実に気づき、ストンと、その表情をなくした。
「息が......苦しい?」
そりゃあ、雨にも関わらずツカツカと速足で歩き、ずっと独り言を言っていたのだ。
息もあがろうと言うものだ。
......普通ならば。
しかし、ムノーデス刑事は、普通ではない。
神の使徒だ。
アカシテリカの物語を円滑に進めるため、探偵神から力を授かっている。
少し速足で歩くくらいで、息はあがらない。
無能のふりをしてごまかしていたが、使徒としての使命を授かって以来、本当は疲れを感じたことなど一度もないのだ。
それなのに。
今、自分は。
......疲れている。
「ひッ!?」
その事実の意味することに気づき、ムノーデス刑事は顔を青くした。
「ひ、【人探しの極意】ッ!!」
そして慌てて、探偵神より授かった異能を発動しようとした!
【人探しの極意】とは、思い浮かべた人物の居場所を瞬時に探り当てることのできる、探索系の異能だ!
しかし......。
「は、反応が、ないッ!?」
何も、起きなかった。
「【過去視】ッ!!【相関図作成】ッ!!」
他の異能も次々と試すが、やはり反応がない。
つまり。
ムノーデス刑事は。
探偵神の使徒として授けられた、力を。
全て......失ってしまっていると、いうことだ。
「そんなあああーーーッ!?嘘でしょおおーーーッ!?探偵神様ーーーーーーッ!!」
ムノーデス刑事は思わず傘を手放し、水たまりがあるにも関わらず、その場で膝をついた!
衝撃のあまり、力が入らない!
そのまま四つん這いになって、嘆く!
「ボクは今まで、探偵神様の言いつけ通り、物語をサポートしてきましたッ!!探偵神様は、いつも言ってたでしょ、『ボクの判断を尊重する』ってッ!!」
そしてムノーデス刑事は、ダンダンと、力なく緩慢に水たまりを叩いた。
ビチャビチャと飛び散った泥水が、彼の顔を汚す。
「だからボクは、た、探偵神様のためを思って、物語のためを思って、あのバケモノを排除しましたッ!!あのバケモノは、明らかに危険な存在ですッ!!常識から逸脱した、暴力的なクリーチャーですッ!!あんなのを主人公の近くに置いておいておけば......どんな悪影響がもたらされるか、わかったものじゃないッ!!だって、呪い子なんですよッ!?」
そう言いながらムノーデス刑事は、空を見あげた。
バシバシと、痛いくらいの勢いで、雨粒が彼の顔を打つ。
しかしムノーデス刑事は、顔を下げない。
真っ黒な雨雲を見つめながら、叫び続ける。
「ねえ、冗談でしょッ!?冗談なんでしょ、探偵神様ッ!?これまでだってボクが失敗しても、許してくれたじゃないですかッ!?それなのに、なんで呪い子一人排除したくらいで、こんな仕打ちを受けなければならないッ!?こんなのおかしいッ!!理不尽だッ!!」
しかしムノーデス刑事の叫び声に、雨雲の向こうにいるはずの尊き存在は、何ら返事を返さない。
ムノーデス刑事の耳に届くのは、ただザアザアという、滝が落ちるような雨音のみである。
「返して、くださいッ!!ボクの力を......“居場所”をッ!!返してくださいよおおおおおーーーーーーッ!!!」
いくら叫んでも、叫んでも。
彼の神は、返事を返すことはなかった。
彼の叫び声は全て雨音に遮られ、神どころか道を行き交う通行人にすら、届くことはなかった。
説明も叱責もなく、信じるものからただただ唐突に見限られてしまった、その男は。
しばらく自分勝手なことを、空に向かって延々と喚き続けていたが。
疲れたのか、次第にその声は小さくなっていき。
ついには、顔を下げ。
泥水の広がる歩道の上に、小さくうずくまった。
道行く人々はそんな男の姿をチラリと一瞥し。
ある者はその異様な姿に恐怖を感じて怯え、ある者は邪魔に感じて眉をひそめた。
いずれにしても人々は、そんな男から少し距離をとるようにして歩き......『あれは、何なんだろう』と首を傾げ......。
しかしながら本当に雨が酷いので、すぐに見ず知らずの男のことは意識から追いやり、自分の目的地に向かって歩いて行った。
ある者は、自宅へ。
ある者は、職場へ。
それぞれが、自分の“居場所”に向かって、歩いて行った。




