44 守護聖獣ジャーナヤハーマの最後
「......ハ~イ、ゥオッケェーイ!調整完了ッフゥ~~~~~ッ!」
セレュ花の咲き乱れる美しい泉のほとりにて。
頭の中を覆っていた靄のようなものが取り払われ、初めて聞いた“言葉”。
それは妙にハイテンションであり、アゲアゲだった。
「ヤッホ小さな白蛇ちゃぁ~ん、ご機嫌イ・カ・ガ?
アタシの名前は水神ウィーロー、流れ清めるスケスケ神様ヨゥ、ヨロシクネ!」
鎌首をもたげ、見上げた先に浮かんでいるその存在は、シルエットだけ見れば、人間の女というものに似ていた。
ただし、その体は......腰まで伸びる緩やかなうねりを持った髪も、すらりと伸びた手足も、全てが水を集めて構成されていたが。
つまり、宙に浮かぶ人型の水。水神ウィーローの外見を一言で説明すると、こうなる。
「さてさて!突然のことで何が何やらわからんちんの白蛇ちゃんに、依り代越しとは言えこの水神ウィーロー様が、じっきじきに状況を説明!フゥ!超絶レア体験!キミ運が良いヨゥ~ッ?」
くるくると回りながらご機嫌に喋る水神の言葉を、小さな白蛇は舌をチロチロしながら真面目に聞いた。
「まずネ!キミはネ、このあたり一帯......人間の言葉でザハヌって言うんだけどサ、このあたり一帯の守護聖獣に選ばれたんだヨゥ、オメデト~ッ!」
水神は手をパチパチと叩くが、白蛇は首をかしげた。守護聖獣?
「おっとゴメンネ、いきなりそう言われても混乱するよネ~?守護聖獣ってのはサ......まぁ、色んな種類があるんだケド、その土地を守る!土地神様的な!?キミの場合はそういう種類の守護聖獣になったのネ!」
土地を守る?こんな小さな白蛇の自分が?
白蛇はやはり首を傾げた。
彼はこれまで、小さな虫一匹を狩るのにも一苦労していたか弱き生き物だ。
毎日生き残ろうと必死であがき、それでもうまくいかず、彼の体は小さなままだった。
そんな自分に、大役が務まるのだろうか?
白蛇は純粋に疑問に思った。
「あぁ、大丈夫、ダイジョウブゥ~~ッ!キミには知恵と同時にある程度の力も与えてるし、何より守護聖獣としてキミが何かやらなくてはイケナイわけではないんだヨゥ!」
水神は白蛇の思考を読み取り、踊りながら説明を続ける。
「守護聖獣としてのオシゴト、まぁアタシが任命したからには、キミのオシゴトは“治水”なんだケド、それは既にキミの体に刻んでおいた術式が、勝手にやってくれるわけヨゥ!キミとしては、ただ死なないようにしてくれれば良いワケ!ね、イ~ジィ~でショ~?」
死ななければ良い?それだけ?
「そうそう!それだけで、アタシはオシゴトが減ってハッピー!キミは知恵と力がついてラッキー!アタシたち、そんなwin-winの関係構築、成功しちゃったわけヨゥ!」
それなら......大丈夫、なんだろうか?
「バッチリオッケーヨゥ!キミ、アタシの眷属になったみたいなモンだから、この泉の近く......ってか水気のある所にいれば、お腹も減らないし徐々に強くなれるしネ!超ヨユ~ッ!」
でも、強い魔物とか人間とかに襲われたら......。
「モゥ!心配性だナ、白蛇ちゃんは!ならアタシの名前で人間たちには神託降ろしとくからサ!『ここは聖地で、守護聖獣がいるから、大事にしたげてネ』って!魔物に関しては、今のキミをどうこうできるようなアブナイやつは、この辺にいないから大丈夫ヨゥ!」
そう楽し気に喋る水神だが、その体は足の指先から徐々に、雫となって地面に滴り落ちはじめていた。
「オゥ!?ヤッバ、もう活動限界~~?んじゃ、ッチューわけでもうお別れなのヨゥ、白蛇ちゃん!最後に、そうだナ......いつまでも“白蛇ちゃん”呼ばわりだと締まらないよネ?だから、キミには今から名前をプレゼント!一度しか言わないから、よ~く、聞くのヨゥ?」
そこで水神は、深く息を吸って、吐いた。
おちゃらけた雰囲気はどこかに吹き飛び、あたりは緊張感に包まれる。
「キミの名前は......“守護聖獣ジャーナヤハーマ”だ」
厳かにそう告げると、水神の体はただの水に戻り、バシャリと下に落ちて地面に染み込んでいった。
それが白蛇改めジャーナヤハーマの誕生の瞬間であり、守護聖獣ジャーナヤハーマと水神ウィーローの、最初で最後の邂逅であった。
◇ ◇ ◇
それから100年。
ジャーナヤハーマは自分が守護聖獣となった泉から動かず、じっと、とにかくじっとしていた。
下手なことをして死んでしまい、水神から与えられたお役目を果たせなくなるのはまずい。
......もちろんそんな思いもあった。
しかし、彼が目立つ動きをしなかった一番の理由は、水神の言っていたように、水気のある所にいれば全くお腹が減らないからだ。
大地の魔力を吸収し、湧き出る水。
その水に含まれる魔力を、ジャーナヤハーマは取り込み、それによって彼は生きていけるらしかった。
ともかく、何もしなくても、生きていける。
それならば、わざわざ怖い思いをして狩りをする必要性を、彼は微塵も感じなかった。
そのころになると、かつてそこらに落ちている小枝よりも細く小さかった彼の体は、まるで丸太のように太く大きく成長していた。
守護聖獣になってから初めて人間に会ったのも、ちょうどそのころだ。
彼の住処に、一人の猟師が迷い込んできたのだ。
その男は、ジャーナヤハーマの美しく神聖な、そして大きく立派な姿を見て、それが村の古老が語る、かつて水神の神託にあった守護聖獣なのだとすぐに理解し、地面に体を投げだし、頭を土にこすりつけて平伏した。
かつては自分を戯れに殺そうと追いかけまわしてくれたはずの人間が、なんとも言えない間抜けな姿をさらしているのを見て、ジャーナヤハーマは己の自尊心が満たされるのを感じた。
その男はすぐに村に戻り、村人たちに自分がザハヌの山中で見た守護聖獣の話を語った。
信心深かった村人たちはすぐに供物を用意し、それをジャーナヤハーマに捧げた。
水があれば生きていけるジャーナヤハーマにとって、それは全く不要なものではあったが、せっかくくれるのだし、ということで残さず平らげた。
供物の中には、畑でとれた作物、山で狩った魔物の肉などに加え、生贄とされた人間の娘などもまじっていた。
同族を捧げものにする人間の思考は彼にはあまり理解できなかったが、まぁもらえるもんはもらおうと、遠慮なく食らわせてもらった。
◇ ◇ ◇
そんな人間との交流が、それからまた100年ほど続いた。
ジャーナヤハーマの体は、すでにそこらの大木と比べても遜色ないほど巨大なものとなっており、彼を恐れ、彼の縄張りに近づく生き物は皆無となっていた。
そのころになると、彼は霧を発生させ、己の縄張りを彼にとってより過ごしやすいものとすることができるようになっていた。
それにより彼の神秘性は増し、人間たちからの信仰はさらに篤くなり、荘厳な祭壇や、参拝のための石畳の小道などが作られた。
そんな彼の楽しみは、数十年に一度、人間たちから捧げられる供物である。
いや、もっと言うなら、彼はたくさんの供物にまじって捧げられる生贄こそを、心待ちにしていた。
生贄は、刺激の少ない彼の日々の生活に潤いを与えてくれる、一番の娯楽であったのだ。
人間は、そこらの獣とは違い、実にいろいろな反応を見せて、彼を楽しませてくれる。
絶望して泣きわめく者、怒り狂い暴れる者、全てを諦めただ沈黙する者......。
そしてどのような反応をみせようとも、結局生贄とされた人間たちは、ジャーナヤハーマによって呑み込まれ、その生を終える。
圧倒的な強大さによって、己が他者の命を自由にできるという、優越感。
それは時の流れとともに傲慢になっていった彼の心を十分に満たしてくれた。
もっと、生贄が欲しい......。
しかし、それが叶わないことを理解できるだけの知恵を、彼は水神によって与えられていた。
そんなに大量に生贄を捧げていては、彼を信仰する人間たちの集団の維持が立ち行かない。
だから、生贄は数十年に一度だけ。
物足りないが、しかし我慢を重ねれば、その時が来た際の興奮もひとしおというもの。
彼はそうやって自分を納得させ、祭壇の上でまどろみながら、次の生贄が運ばれてくるのをじっと待ち続けていたのだ。
◇ ◇ ◇
そんな彼をまどろみから覚ましたのは、わずかに漏れ出た彼に対する殺意であった。
すぐに鎌首をもたげ、殺意の主を視認する。
それは、薄汚い格好をした、黒髪黒目の少女であった。
ジャーナヤハーマは、思わず彼の尾でもって、上から降ってきたその少女を弾き飛ばした。
......やっちゃったな、と後悔した。
あれでは、少女は無事ではいまい。
生贄とは違うようだが、せっかく彼の縄張りにやってきてくれた貴重な人間だ。
もっといたぶって楽しみたかったのに......。
しかし、嬉しいことに、大木にその体を打ち付けられた少女は、死んではいなかった。
はて、人間とはあれほど頑丈なものであっただろうか?
あんなに勢いよく叩きつけられたのだから、てっきりはじけ飛んでぐちゃぐちゃの肉塊になるかと思ったのに......?
浮かび出た、そんな疑問。
しかし、彼はその疑問に、さして注意を払わなかった。
なんにせよ、生き残ってくれたのだから、良いじゃないか。
大事に嬲って、楽しもう。
彼は少女に向かって動き出した。
少女は礫を放って抵抗してくるが、全くもって無駄なことだ。
全てをかわし、少女に近づく。
怯えよ。絶望せよ。それをもって、己の心を満足させてくれ。己の日々を彩る、娯楽となってくれ。
しかし。
しかし、ジャーナヤハーマの赤い瞳に映る、その少女の表情には。
怯えも、悲しみも、怒りも、絶望も、諦めも。
何も浮かんではいなかった。
そこにあるのは、無表情。
しかしその瞳に宿るのは、燃え滾るほどの生への執着。思わず怯んでしまいそうになるほどの、苛烈な闘争心。
彼が守護聖獣になり、無自覚の内に失っていた、炎。
......己は大きくて、強い。
少女は小さくて、弱い。
そのはずだ。
なのに。
なぜ、この少女は、避けようとしないのか。
逃げようと、しないのか。
これほどまでに堂々と、自分を待ち構えているのか。
この少女のこれまでの体捌きを考えれば、跳びはねて逃げることくらい、できたはずだ。
なのに。
この少女は逃げもせず。
当たりもしない礫を無駄に投げ......。
無駄に?
無駄ではなかった?
まるで。
まるで、自分は。
まさか、この少女は。
自らを囮とし。
礫で、行く手を誘導して。
......自分を、ここまで、誘いこんだ?
ジャーナヤハーマは強大な守護聖獣であった。
しかしその強さは、自ら戦って勝ち得たものではなかった。
数十年に一度、生贄をいたぶる。
迷い込んできた逃げ腰の獣を適当に丸呑みにする。
それくらいしか、やったことがない。
つまるところ、彼は戦いなれていなかった。
故に、少女の罠にも気づかずに飛び込んだ。
危険を察知した時には、もう遅かった。
もはや、少女に向けて飛びかかっている彼の体を、止める術はなかった。
何もないはずの空間。
少女に到達する、1メートルほど手前。
そこに設置してあった少女の【魔力斬糸】によって、彼は頭を真っ二つに割られて。
死んだ。
......死の直前、己の死を悟ったその瞬間、ジャーナヤハーマは彼が生きてきた200年間を思い出していた。
これが“走馬灯”と呼ばれるものだと、彼は与えられた知識を参照して理解した。
湧き出る清らかな泉。
咲き乱れるセレュ花。
たまに捧げられる生贄。
それだけ。
彼の200年間の思い出を構成していたのは、ただそれだけであった。
あまりに味気ない、何もない一生だった。
いや、違うか。
己が、何もしなかった。
ただ200年間を無為に過ごしてきたのは、自分自身である。
そう気づき。
猛烈な後悔に襲われる、その前に。
彼の頭は真っ二つになり、思考は闇へと溶けていった。
守護聖獣ジャーナヤハーマの最後であった。




