33 教祖の苛立ち
「何故、神託を拒むのですか?」
ダハチエは苛立っていた。
神託を受けてからずっと、苛立っていた。
教祖として被る必要のある笑顔の仮面のその裏で、彼はずっと我慢してきた。
道中、苛立ちを紛らわせるために何人も殺したし、人のいない霊峰ザハヌに足を踏み入れてからは、ついつい同行していた教団員の一人も殺してしまった。
それなのに。
「あなたは、選ばれたのですよ?」
目の前でたたずむこの男は、かつて“アーシュゴーの死神”と呼ばれ恐れられたこの暗殺者は、首を縦に振らない。
尊き神に導き手というお役目を拝命されたにも関わらず、それを受け入れようとしない。
導き手になることを、拒む。
ダハチエは、なりたくてもなれないのに。
「もう一度言います。我ら『紫ノ二ツ輪』と共に来るのです。我らと共に殺戮の巫女様をお迎えし、この世の全ての命を、我らが尊き神に捧げるのです!」
「断る」
端的な回答を、繰り返された。
この男、ダハチエと会ってからこの言葉しか発していない。
(気に入らない......。全くもって気に入らない......!何もかもが!!)
ダハチエは目じりを下げ、口角を上げつつも、器用に歯噛みした。
◇ ◇ ◇
尊き神、死神アロゴロス。
ダハチエが彼の神の神託を初めて授かったのは、30年前。
当時すでに一流の暗殺者として名を挙げていた彼は、しかし疲れ切っていた。
殺し、殺され、明日は我が身の裏稼業。
まっとうな感性などもともと持ち合わせていないと思い込んでいた彼であったが、それでもただの人間ではあったらしく、荒み切った日々にさらされたその精神はもはや限界を迎えていた。
そんな時だった。
彼が死神の神託を授かったのは。
『我が名は死神アロゴロス。ソレナクの錬金術師、イーナレダを殺せ』
......神を名乗ってはいるが、その存在が神託をもって指示したことと言えば、身も蓋もない言い方をすればただの暗殺指令であった。
しかし、ダハチエは突如として頭の中に響き渡ったその言葉を聞き、奮起した!
(神々しくも禍々しい気配!これが神気というものか!?神は......神は実在したのか!!)
すっかり神気にあてられ舞い上がってしまった彼は寝間着のまま布団から跳び起き、宿を飛び出し、その晩のうちに隣町のソレナクまで駆け付け、そこに居を構えていた錬金術師イーナレダの首をはねて殺した。
『よくやった』
イーナレダを殺した瞬間、彼の頭に響いた神の言葉は非常に端的なものであった。
しかしながらその言葉は、ダハチエにとってはこれまで報酬として受け取ってきたどんな宝石よりも、価値のある一言だった。
(神がオレを......私を認めてくださった!)
もともとスラムで荒んだ幼少期を過ごし、そのまま裏稼業での生き方に染まっていった彼は、いつだって社会の厄介者だった。
そんな彼を、神が、大いなる存在が、人間よりも遥かに格上の存在が、尊き神、死神アロゴロスが、神託を授けるに値する存在として認めてくださった!
(私はアロゴロス様の使徒となったのだ!!)
その日から、ダハチエは変わった!
陰気にうつむき世の中の全てに妬みと憎しみをまき散らしながら人を殺していた彼は、胸をはり微笑みを絶やさず堂々とした態度で人を殺すようになった!
そして時折降る神託という名の暗殺指令をいくつもこなしながら、アロゴロスを讃え、彼の神に魂を捧げることを目的とした教団、『紫ノ二ツ輪』を組織し、精力的に活動を続けてきたのだ!
彼は、彼こそが死神アロゴロス第一の信徒であると信じていたし、この世の誰よりも死神アロゴロスに貢献していると思っていた。
......そして月日が流れ、降ったのが件の“殺戮の巫女”に関わる神託である。
死神の神託は『誰々を殺せ』だの『組織を拡大しすぎるな』だの、いつも端的な内容であったものだが、その神託だけは違った。
『我が巫女、殺戮の巫女、降臨す。白髪の娘、トーヴェールの末娘なり』
いつものように唐突に降ったその神託を受け、ダハチエは驚きのあまり固まってしまった。
あまりにも、情報量が多い。
この神託は、何か特別なものに違いない。
殺戮の巫女が死神アロゴロスにとってどのような存在であるのかはわからないが、神託では『我が巫女』とまで言っている。
決しておろそかにできるものではない。
そして、『白髪の娘、トーヴェールの末娘なり』という言葉。
『紫ノ二ツ輪』の教祖でありながら未だに一流の暗殺者でもあるダハチエは、当然近隣諸国の貴族の顔と名前、与する派閥などの情報は頭に叩き込んでおり、殺戮の巫女とはデーメス国トーヴェール伯爵家の三女、シューラ・トーヴェール6歳であることはすぐに察しがついた。
(これは、すぐにシューラ様をお迎えにあがらねばなるまいな)
実のところダハチエは、この神託に関する他の教団員の反応と同様、そう考えていた。
おそらく、殺戮の巫女は死神アロゴロスにとって特別な存在。
そして殺戮の巫女というからには、使徒である己と同じく、死神アロゴロスに魂を捧げるためにたくさん殺すのだろう。
だがしかし、シューラ・トーヴェールが戦闘の才に恵まれた子女であるという噂など、聞いたこともない。
殺戮の巫女と死神に認められてはいるが、未だその力は開花しておらず、今のシューラはただの幼子と変わりない。
だからこそ、守り、教え導く存在が必要だ。
殺し方、そしてその楽しさ、魂を捧げることのすばらしさを教え諭し、立派な殺戮の巫女を育て上げる者が必要だ。
(そしてそれは死神アロゴロス様第一の信徒であり『紫ノ二ツ輪』教祖である、このダハチエこそがふさわしい!)
ダハチエはそう思った。
今まで、ありがたいことに神託を授かり何人もの人間を殺してきたが、翻って見ればそれは死神アロゴロスの小間使いをしていたといっても良い。
いや、それ自体に文句はないのだ。
だがしかし、神が大切にする巫女を教え導く、それはこれまでの神命とは一線を画すほど重要なミッションである。
(私のこれまでの働きが認められ、神は重要な神命を授けてくださった。......これは私の使徒としての位階が上がった、そう判断しても差し支えあるまい!)
ダハチエは興奮に顔を赤らめながら、そう思った。
しかし、そんなダハチエの頭の中を知ってか知らずか続けて降った神託は、彼の興奮をすっかり吹き飛ばしてしまった。
『巫女の導き手は汝らにあらず。ザハヌの奥地に住まう“アーシュゴーの死神”なり。汝ら、巫女と導き手を引き合わせるべし。それこそが、汝らに課せられた神命である』
......自分は、導き手ではない。
巫女と導き手を引き合わせる、それが神命。
結局は、小間使いである。
ダハチエは意気消沈した。
だがしかし、神託は神託、神命は神命である。
そもそも神のご意思に対し、己如きが不満を持つことなどそれ自体が畏れ多いことである。
ダハチエは己の心を押し殺し、感情を笑顔で隠し、神命を果たすためザハヌに向け旅立ったのだ。
◇ ◇ ◇
だというのに。
だというのに、だというのに、だというのにッ!!
目の前の男は尊き神の神託を蔑ろにするッ!
導き手を拝命されるというのはこれ以上ない誉だというのに、それを理解しないッ!!
ダハチエは苛立っていた。
神託を受けてからずっと、苛立っていた。
そして今、その苛立ちはピークに達していた。
【威圧】に乗せる殺気が高まり、それに応じて“アーシュゴーの死神”が放つ【威圧】も強くなる。
武器も持たず、何気ない会話をするような姿勢でたたずむ二人だが......もし今の二人の間にネズミを放り込めば、強烈な殺気にあてられてショック死するだろう。
いつの間にやら周囲で騒がしく鳴いていた虫や鳥どもの声はすっかり聞こえなくなり、ただ時折強く吹く風の音、揺らされる木の葉の音だけが鳴っている。
「......教祖様」
そんな静謐な空間に、木陰から進み出たその男の声はよく響いた。
「どうしましたか、司祭オガド」
彼は教祖ダハチエに付き従う教団員、『紫ノ二ツ輪』最後の一人であった。
「怪しい小娘を捕らえました。いかがいたしましょう?」
オガドが首筋にナイフをあて拘束しているのは、こんな山奥にいることが場違いに思えるほど幼い少女。
黒髪黒目に白い肌。
狼の毛皮を縫い合わせて作ったらしい黒い上着を羽織っている。
「............」
その様子を見て、これまでぴくりとも動かなかった“アーシュゴーの死神”の顔が、一瞬だけ歪んだ。
拘束されている少女の名前は、エミー。
“アーシュゴーの死神”の愛弟子であった。




