318 『ありがとう』を言う、助けられた村人の気持ち
ざあん......ざざあん......。
遠くから、小さく波の音が聞こえる。
それよりも大きく聞こえるのは、机の上に置かれた魔灯ランプに引き寄せられる、小さな甲虫の羽音だ。
彼らはランプに向かって飛び来たり、こつんとガラスにぶつかっては背中から転げ、起き上がっては飛びたってランプに突撃していく。
「............はぁ」
トッピパップゲン村長は、そんな小さな甲虫を煩わし気に払いのけて、眉間に皺を寄せながら、疲れた顔でため息をついた。
もはやとっぷり日は暮れた。
周囲はすっかり薄暗い。
だと言うのに、慣れない眼鏡までかけて彼が睨みつけているのは、干物の売り上げに関する帳簿だ。
伝統あるパネッモ村の干物は、ジャッバジャッバ等の近隣都市を始めとして、昔から非常に人気のある商品だ。
それは今も変わらず、商品を持って行けば、必ず売れる。
だと言うのに村長がため息をつく理由......それは、税金が高すぎるからだ。
一昨年からダイチーブ公爵領で始まった増税は、それはそれは酷いものだ。
領民の生活というものを、全く考えていない。
パネッモ村は何とか踏みとどまってはいるものの、風の噂では、既に潰れてしまった集落もいくつかあるとのことだ。
それなのに、その増税のお題目が『公爵様の80歳祝賀記念式典開催費用捻出のため』だというのが笑わせる。
何やら......きな臭い匂いもするが。
しかし、そんな愚かな理由での増税すらも、もしかしたら本当に、やるかもしれない。
ダイチーブ公爵とは、一庶民であるトッピパップゲン村長から見ても、そう思ってしまうような人物ではあるのだった。
なにせ、王家があんなことになったにも関わらず、既に王位継承権は放棄していたとは言え、徹底的に国政には関われぬよう阻まれていたお飾り公爵様だ。
為政者としての信頼は、無いに等しい。
これまではそんなお飾り公爵様にもお目付け役がいて、領内はうまくまわっていたと言うのに......。
「............」
ここで村長は軽く首を振って、考えても仕方のないことは、一旦頭の片隅に追いやった。
椅子の背もたれに身をあずけ、魔灯ランプで薄ぼんやりと照らされた天井を見つめる。
さて、どう工面して、税金を払うか。
干物の値は既に、上げられるだけ上げた。
蓄えも、もはや切り崩せるだけの額が残っていない。
だと言うのに、岬に現れたバケモノへの貢ぎ物のため、かなりの商品が消えて売り上げが落ちている。
......何も、手が思いつかない。
詰んでいる。
トッピパップゲン村長は、今度は机に肘をついて俯き、がっくりとうなだれた。
......その時だった。
「ピュルルルルーーーッ......」
海の方から、確かに。
あの、忌々しいバケモノの鳴き声が、聞こえてきたのは。
「......!」
村長は静かに立ち上がり、若い頃......兵士の時分から愛用していた槍を手に取った。
あのバケモノは、基本的には岬から出てこなかったはず。
それが......村の近くまで、来ている!?
一体、何故!?
あんなにも、貢ぎ物をしたのに......足りなかったとでも言うのか?
村を......滅ぼすつもりか?
ふざけるな......!
怒りのため、村長の額に血管が浮き上がる!
「そ、村長っ!大変だっ!」
そして少しして、そう言って村長宅の扉を勢いよく開け入ってきたのは、村の若者ピュンチャポン。
頭が良く、将来は己の後継者にすべく、鍛えあげている最中の若者だ。
不安を抱かせないため、トッピパップゲン村長は岬のバケモノのことを多くの村人に隠しているが、この若者はその秘密を知る数少ない一人でもある。
「奴が......来たのか」
村長はそう問いかけて、口をへの字に結んだ。
その眼光は鋭く、気迫に満ち溢れている。
ピュンチャポンはそんな村長に気おされ息をのんだが、気を取り直して報告を続けた。
「そうだ......そうなんだがっ!それだけじゃ、ないんだ!」
そう叫ぶピュンチャポンは汗を流しながらも、その口角は、あがっている。
その様を見て村長は、おやと思った。
「とにかくっ!とにかく浜まで来てくれ、村長っ!」
事情がのみこめないまま、トッピパップゲン村長は槍を片手に引き連れられて、村近くの浜までやって来た。
そこには既に、鳴き声を聞いてやってきた村人たちが集まっており、彼らは魔灯ランプや松明を片手に、呆然と波打ち際を見つめていた。
「失礼する......失礼するぞ、何があった?」
「村長!あ、あれを見てくれよ......!」
人ごみをかきわけ、最前列まで進み出た村長は、村人たちが震える手で指さす先を、睨みつけた。
そこにあったものを見て、村長は思わず目を見開き、叫び声をあげた!
「こ......これは!?」
それは......超巨大なエビ、そしてイカの、死骸だった。
うまそうな......極上の、干物素材たちだった!
これを使えば、一体どれだけの量の高品質な干物を、作ることができるのか!?
「ピュルルルルルーーーッ!」
その時、沖の方から、聞き覚えのある鳴き声が聞こえた。
はっとしてそちらを向くと、そこにいたのは確かに、岬のバケモノだ。
夜の暗闇にまぎれ、そのシルエットしかわからないが......間違いないだろう。
<<<人間さんたちーーーっ!>>>
そして次の瞬間。
浜にいる村人たちに、いっそ無邪気とも思えるバケモノの【念話】の声が、届いた。
「え!?」
「なに、これ?」
「声が聞こえる!」
【念話】に慣れない村人たちはざわつき始めるが、バケモノはそんなことはお構いなしに、言葉を続けた。
<<<これまで、干物をくれて、ありがとうっす!そして、ごめんなさい!オイラのせいで皆の生活が苦しくなっているって、オイラ、姉御に教えてもらうまで、気づかなかったっす!>>>
その言葉を聞いて、トッピパップゲン村長は、ぽかんと口を開け、固まってしまった。
彼はこれまで、このバケモノのことを恐れていた。
その力でもって村を脅し害をなす、憎むべき魔物と思いこんでいた。
それが、どうやら、勘違いであったということに理解が追いつくまで、しばらく時間がかかったのだ。
そして。
「姉御......?」
姉御とは、一体誰なのか......?
<<<だからこのエビとイカは、罪滅ぼしのおすそ分けっす!自由に使って欲しいっす!>>>
「おお!?」
「このエビとイカ......くれるのか!?」
「凄い!一体どれだけの干物をつくれるというの!?」
「大儲けだーーーっ!!」
「おい!村で寝てるやつ、全員叩き起こして来いや!今夜は徹夜だ!徹夜で干物祭りだッ!」
「オレの秘儀【干物竜巻】を、おみまいしてやるぜーーーッ!」
「絶対に、生で食うなよ!?魔力中りするからな!?」
「おお、海神様!干物神様!ありがとうございます!」
「誰か念のため、フジツボ殺しを持ってこい!盾もな!」
バケモノの言葉を聞いて、浜の村人たちは、一斉に沸き立った!
わたわたと大慌てで、エビとイカを解体するための準備を始める。
<<<それじゃ、オイラもう、行くっす!元気でねーーーっ!>>>
そう言って、沖の方へと泳ぎ去っていくバケモノの姿を、トッピパップゲン村長は呆然と見送っていた。
そして、その時。
バケモノの頭の上で。
小さな影がもぞもぞと動き、村長に向けて、手を振った......ように見えた。
「まさか」
姉御。
小さな影。
それは、まさか。
信じがたい、ことではあるが。
トッピパップゲン村長は、どうしてだか、確信を持った。
「............」
とさり。
手に持っていた槍を、砂浜の上に落として、彼は頭を下げた。
周囲の村人たちがお祭り騒ぎをしている最中、彼だけは静かに、静かに、ずっと海に向かって、頭を下げ続けていた。
「どうした?村長っ!嬉し泣きか?」
後ろから、ピュンチャポンに明るい声と共に背を叩かれ、それでようやくトッピパップゲン村長は顔をあげた。
そして、自分が泣いていたことに、その時初めて気がついた。
ごしごしと、乱暴に涙をぬぐう。
「嬉しさ半分、情けなさ半分と、言ったところだな......」
「情けなさ?」
ピュンチャポンは首をひねる。
村長は、もはや何も見えなくなった海上を見つめながら、静かに言葉を続けた。
「ワシは......自分が情けないのよ。今回もワシは......“黒き人”にまた、助けられた。これからは......これからの時代は、ワシは、自分の力で、大切な物を守っていくのだと、あの時からずっと、そう考えて、頑張ってきたんだがなぁ......」
「何故ここで、“黒き人”......?」
ぽつりぽつりと独り言のように語られる老人の言葉の意味がわからず、ピュンチャポンはさらに首をひねった。
この村長の過去に、一体何があったのか。
ピュンチャポンですらも、詳しくは聞いたことが無かったから。
しかし。
ピュンチャポンは、村長補佐として、ずっとこの老人の努力を間近で見続けてきた。
だから、村長の心の中の全てがわからなくても、言いたい言葉はあった。
「村長は......そうだな、確かにずっと頑張っている。それはオレたち村人全員が、良く知っている」
ぽんぽんと、老人の背中を叩きながら、ピュンチャポンは言った。
「だから、今回、報われた。それじゃあ、ダメなのかい?」
「............」
その言葉を受けて、トッピパップゲン村長はしばらく黙りこんでいたが。
「そう、だな......そうだな」
ようやく、気持ちの整理をつけたらしい。
曲げていた背中をぴんと伸ばし、顔つきもいつものような精悍な表情に戻っている。
「何にせよ、だ」
そして村長は、再度海に向かって、頭を下げた。
先ほどの一礼は、トッピパップゲンとしてのもの。
そして今回の一礼は、村長としてのものだ。
「村を、救ってくれて、ありがとう......小さなお客人」
ざあん、ざざあん......。
当然、返答はない。
届くのは、波の音ばかり。
頭上には今日も、満天の星空が輝いている。




