184 大罪人はフォローする
「今から、完全に【気配遮断】する。いなくても、いるから安心して」
そんな言葉を発したエミーは、ジョバンノが一度瞬きをし、目を再度開いたその時には、忽然と姿を消していた。
「は!?け、【気配遮断】、だと!?」
ジョバンノはその言葉を、聞いたことがあった。
それは、狩人や......後ろ暗いことを生業とする人間が継承してきた高度な隠密技術であったはずだ。
「な、なんと......」
しかしその技術は、ジョバンノの認識では、獲物から気づかれ“難く”なるための立ち居振る舞いやら呼吸法やら、そういった類の技術であったはずだ。
決して、姿を消すための魔法なんぞではないのだ!
しかし現実として、ジョバンノが慌ててあたりをきょろきょろ見回しても、つい先ほどまでそこにいたはずの少女の姿は、どこにも見当たらない。
(あの娘......エミーは、本当に一体、何者なのだ......?)
畏怖の感情とともに、そう思わずにはいられないジョバンノである。
鎖を容易く引きちぎる異常な怪力、大木をなぎ倒す謎の異能、高度すぎる【気配遮断】......。
あまりにも、スペックが高すぎる。
自分と同じ人間であるとは、到底思えなかった。
しかしエミーの正体に関するジョバンノの考察は、早々に打ち切られることになる。
彼女の姿がかき消えてから数十秒も経たないうちに......何やら森が、騒がしくなってきたからだ!
「ミギャーッ!ミギャーッ!」
「ギャオォォッ!」
「ガーッガガッ!ガーッガガッ!」
「チワワワワーーーーッ!」
「......む、むむ!?」
雑多な鳴き声、叫び声、そして殺気!
エミーが常時発していた【威圧】によって押さえつけられていた魔物達の気配が瞬く間に膨らみ、堰を切ったように森からあふれ出す!
そして......魔境の森本来の姿が、拠点に一人残されたジョバンノへ、一斉に牙をむいた!!
「「「ミギャーーーーーーッ!」」」
まずそんな叫び声をあげて大木の幹を飛び越え、拠点に侵入してきたのはフォレストトポポロックの群れだ!
赤い三つ目をギラギラと輝かせながら、一斉にジョバンノに向け、駆け寄ってくる!
しかし!
「ギャオォォッ!」
そんな群れに横から突っ込む黒い影!
黒い毛皮を持つ大きなこの狼は、死神狼だ!
「ミギャーーーーーーッ!?」
「ギャオォォッ!」
死神狼は二匹のフォレストトポポロックを無造作に食い殺してから、じろりとジョバンノを睨みつけた。
こいつは、決してジョバンノを助けたわけではない。
フォレストトポポロックも、ジョバンノも、等しく死神狼の獲物なのだ......!
しかしジョバンノには、死神狼の殺気のこもった視線に恐れおののく暇さえ与えられない!
「ガーッガガッ!ガーッガガ!」
突如としてジョバンノの背後に、巨大な何かが降ってきたからだ!
驚き振り向いたジョバンノの瞳に飛び込んできたのは、巨大な蛙だった。
その蛙は暗い緑色をしており、人一人を楽に丸呑みできるほどの巨体を誇る!
その名もザマーゴトード!この森の固有種の魔物だ!
ザマーゴトードはジョバンノに向けてその長い舌を伸ばそうとしたが、何かに気づきそれを取りやめ飛び跳ねる。
「チワワッ!チワワワーッ!」
そんなザマーゴトードに、鳴き声だけは愉快な気味の悪い魔物が襲いかかる!
筋骨隆々たる肉体の上にちょこんと愛くるしい顔面を乗せた、アサルトチワンワンだ!
「チワワワッ!チワワワッ!」
「ガーッ!ガガッ!」
襲い来るアサルトチワンワンに、毒液をとばしつつ抗戦するザマーゴトード!
「ミギャーーッ!」
「ギャオォォッ!」
「ミギャッ!ミギャーーーッ!」
「ガーッガガッ!」
「チワワワワーーッ!チワワワッ!」
「ガーッガガッ!ガーッガガッ!」
「ひ......ひぇぇ......」
ジョバンノは腰を抜かしてその場に座り込み、がたがたと震える以外のことをできなかった。
無理もあるまい。
彼の周囲に広がっているのは、血しぶき飛び交う真の魔境の日常。
ただの人間であるジョバンノが巻き込まれれば、一瞬で肉塊へと化すであろう嵐のような世界。
そう......これこそが魔境の真の姿なのだ。
ジョバンノがザマーゴの森に追放された初日に魔物に襲われなかったのは、たまたまその日山から下りて来たエミーが森で大暴れ(狩猟行為)をしていたため、魔物達がナンガ山の中腹に緊急避難していたからなのだ。
だが、しかし。
この喧騒、あっという間に収束する。
「ガッ!?」
まず最初に静かになったのは、アサルトチワンワンと戦っていたザマーゴトードだ。
どこかから飛んできた何かがこの大蛙の頭を吹き飛ばしたのだ。
「チ......」
次いで鳴き声をあげることすら許されず、同じようにアサルトチワンワンの頭が吹き飛ぶ。
ドドドドドドドド......!!
そしてそんな轟音を立てながら絶え間なく飛来する何かによって、死神狼やフォレストトポポロックも、穴ぼこにされつつ皆死んだ。
「へ......?」
先程までの混沌とした状況が嘘のように、しんと静まり返る拠点。
そして再び感じる、心強い威圧感。
振り返るとそこには、小石を手のひらの上で弄びながらたたずむ、エミーの姿があった。
「た、助かった......あり、がとう、エミー」
カラカラに乾いた喉で、何とか声を絞り出すジョバンノ。
だが、しかし。
「............」
エミーは無言。
無表情。
そして、明らかに不機嫌。
イライラした様子で弄んでいた小石を片手で握りつぶし、砂に変えた。
「え、エミー......?」
「............」
その様に若干びびりながらも、何とか腰を持ち上げ立ち上がり、ジョバンノはエミーに声をかける。
なおも、だんまりを続けるエミーであったが、しばらくして。
「壁、役に立たなかった」
ぽつりと、そうつぶやいた。
......彼女は壁作りの失敗という現実をまざまざと見せつけられ、落ち込んでいるのだ。
(いや......わかりきった結末では、あっただろうがよ......)
あの隙間だらけの壁、見てみろよと。
思わずそう突っ込みたくなるジョバンノであったが、正直にそんな感想を言って彼女にへそを曲げられたり、逆上されては困るのだ。
慎重に、言葉を選ぶ。
とりあえず、褒めておだててみよう。
「いや、いやいやいや!しかし凄いものだな!魔物共を全て屠ったのは、エミー、お前さんだろう?やはり、もの凄く強いのだな!いやあ、頼もしい限りだ!感服仕った!」
「............」
「一体何が起こったのか、私では理解すらできなかったぞ!お前さんみたいな強者に用心棒を頼めて、私は本当に良かったと思っている!」
「でも、壁、役に立たなかった」
「「............」」
浅はかな称賛作戦は、見事に失敗した。
(ぐぬうっ!どうしろと言うのだっ!!)
両者無言になる中、ジョバンノは頭を抱えた!
彼には妻がいない。
子も、いたことがない。
拗ねた少女のご機嫌伺いなど、やったことがないのだ。
ちらりと、エミーを見やる。
彼女は、彼女が作った壁を見つめている。
拳を強く握りしめて。
その横顔は、相変わらずの無表情。
だがしかし、今にも泣きだしそうな、そんな気配が漏れ出ている。
その姿は、先ほどまで畏怖を振りまき、魔物達を蹂躙した強者であるとは、一見してわからないほど。
この時のエミーは、あまりにもただの少女でしかなかった。
(............ええいっ!)
故に、と言うべきか。
ジョバンノは、守られる弱者としての立場ではなく。
悪党として、でもなく。
ただの大人として、次の瞬間には自然と体が動いていた。
彼はおもむろにエミーへと近づき......その頭頂部を、コツンと小突いた。
「......なに」
不機嫌にジョバンノを睨みつけるエミー。
途端にジョバンノへと向けられる、エミーの【威圧】。
だが、ジョバンノは目を背けなかった。
ジョバンノは、大人だからだ。
「たわけが」
そして彼はそうぽつりとつぶやき、乱暴にわしゃわしゃとエミーの頭をなでた。
「......なに?」
エミーはジョバンノの予想外の行動に、困惑した。
頭を、なでられる。
彼女の前世を含めたこれまでの人生の中で、あまり経験したことのない感覚だ。
困惑し、混乱し......そして理由もなく、少しだけ安堵し、エミーの【威圧】が霧消する。
「しょげるな」
「............」
「失敗したから、なんだ」
「............」
「失敗することも、あるだろうがよ......人間、なんだから」
「............でも」
「でもじゃない」
頭をなでる手を止めて、ジョバンノはしゃがみ、エミーと目をあわせる。
「とにかく、しょげるな。くよくよしたって、情けないだけだぞ」
「............」
「昨晩の私の姿を、憶えているだろう?な?情けなかっただろう?昨晩の私は」
「............たしかに」
「おいっ!」
苦笑しつつ、ジョバンノは立ちあがった。
二人の間の空気は、大分和らいでいる。
どうやらこの大人は、少女をあやすことに成功したらしい。
「でも、どうしよう?」
しかしながら、根本の問題は解決していなかったのだ。
「壁、うまくできなかったのは、事実。おっさん、守れない。困るよね?」
結局、壁は作れなかったのだ。
ジョバンノが安心して生活することができる拠点を、エミーは作ることができなかった。
しかしながら、ジョバンノはそんなエミーの疑問を笑い飛ばした。
「くくく、エミー、お前さん頭が固いぞ」
「なんだと」
「さっきの襲撃で初めて知ったが、エミー、お前さんがいれば、もしかして滅多な魔物は、近づいてこないのではないか?」
「そうかも。意識して気配隠さなきゃ、そうかも」
「ならもはや壁なんぞ、いらんではないか!」
「............あ」
ぽかんとして、口を開けるエミー。
ジョバンノは大笑いしながら、言った。
「ははは!よってエミーよ、方針転換だ。お前さんは不得意な壁作りなぞ、する必要はないのだ!これからは四六時中私にはりつき、情けなくもか弱い私を、守るが良いぞ!」
「いばって言うな」
「性分でな!」
「でも、狩りはどうする?ご飯、その辺の草だけ食べる?」
「たわけが......落ち着いて周りを見るが良い」
彼らの周囲には、先ほどエミーが皆殺しにした魔物達の死骸が転がっていた。
その中には、なかなかに美味なフォレストトポポロックの死骸が多く含まれている。
また、実は毒の処理さえ間違えなければ、ザマーゴトードの肉も市場で高級品として出回るほどの美味でもある。
「先ほどと同じことを、すれば良いのだ。お前さんが、一旦気配を消す。すると私の臭いにつられて、魔物達が寄って来る。それをお前さんが狩る」
「......なるほど!」
「これで、食物に関する目途は立ったな!つまり、もはや我らは、森の大自然に打ち勝ったと言って過言ではないのだ!祝杯を、あげるぞーッ!!」
「おーーーーっ!」
魔物の襲撃から生き残り、妙にテンションが上がっていたジョバンノは、思いつくままにそんなことを叫び、右拳を高々と掲げた!
エミーもその姿を真似、無邪気に右拳を掲げた!
その勢いは凄まじく、腕を上に突き上げただけなのに『ビュッ!!!』とかいう凄い音が鳴って、ジョバンノはびびった!
また、その後エミーは『祝杯、祝杯』とか言いながら、いそいそと転がっていたフォレストトポポロック二体の首をはね、片方をジョバンノの所に持ってきた。
もう片方の首を口にくわえ、その血を啜り上げながら。
......さすがに、断った。
常人にとっては、未調理の魔物の血肉は、どう考えても劇物である......。
まあ、そんなこんなで。
大罪人と呪い子の、魔境生活は幕を開けたのだ。
なお、この後しばらくの間、食料調達のための魔物狩りはジョバンノを囮役として行われることになる。
彼はその場のテンションに任せてそんな提案をしてしまったが、それはつまり、何度も何度も先ほどのような命の危険、恐怖に晒されるということであり......。
彼は己の浅はかな提案を、大いに悔やむことになったのだった。
そしてこの狩りの手法は、エミーによって“オヤジ狩り”と名付けられた。
なんか意味違くないか、それ。
前世の記憶の影響があるとは言え、ふだん叱ってくれる大人がおらず、全て力でねじふせてきた子なので、エミーには割と、幼稚なところがあります。




