9 残されたモノ Ⅱ
どれぐらいの時間が経ったんだろう。
気付けば誰かが隣にいた。――確認するまでもなくユノである。彼女は手紙を覗き込むこともせず、じっとアルケイスの顔を見つめていた。
冷たい瞳は、少しだけ充血している。
理由を問うことはせず、アルケイスは手紙を折り畳んでいた。いつまでも悲しみに浸ってはいけないと。気持ちに整理をつけるために、手頃なサイズへと畳んでいく。
「私は気の利いた台詞なんて思いつきませんから、そのつもりで」
「始めっから期待してませんよ。……ていうかこの部屋、ユノ様のですか? なんだか申し訳ない……」
「怪我人が気にすることではありません。私としては当然のことをしたまでですから、悪く思われるなんて心外です」
「で、でも――」
「素直に甘えていればいいのです。そして自分の失敗を噛み締め、前を向きなさい。……でないと、彼女が手紙を残してくれた意味もなくなりますよ」
「――」
鈍器で殴られたぐらいに厳しい言葉だが、実際アルケイスがしてやれるのはそんなところだ。
死者に出来ることは限られている。彼らはこの世にいない存在であり、何をしようと交流する術はない。彼らに対してなすことは、すべて残された者の身勝手だ。
それでもレアラの死に、ほんの少しでいいから意味が欲しい。
だったら叱責は素直に受け入れるべきだ。自分にはただ、望んだ通りの結果しか、受け入れることが出来なかったのだと。現実を許容するほど、強くはなかったのだと。
「……でも諦めるなんて、彼女を殺すようなものじゃないですか」
「それは貴方の錯覚です。――いえ、言葉を変えましょう。人間は生きている限り、他人を不幸にさせる生き物です。復讐者である貴方には、何よりも肯定するべき観念ですね」
「――」
「少しぐらい情けをかけてくれ、とでも思いましたか? でも私の性格上できません。泣きじゃくっているアルケイスなぞ、私の臣下としては有り得ない、単なる愚か者です。……い、いいですね?」
「は、はあ?」
視線を泳がせながら言われても、反応に困る。
まあどちらにせよ、心配してくれているのは確かなようだ。口調はごまかせても、憂うような面持ちは隠し切れていない。どこどなく狼狽えているのも、自身の言葉が適切だったかどうか不安があるからだろう。
……素直な願いを口にするなら、ユノの気持ちには沿ってやりたかった。
しかし難しい。故人の遺志を尊重したい気持ちはあるが、間隔を置かずにやれることではないのだ。それだけレアラとの再会は衝撃的で、一つの使命感を生み出すものでもあった。
「――立ち直るのには、時間が必要ですか」
「どうでしょう。……正直、冷静に受け入れている自分もいるんです。だってああなったら、僕には本当に何もできない。ユノ様だって、彼女のところに向かうのは無理でしょう?」
「申し訳ありませんが、その通りです。森には最初から、ピアス将軍の飼う星辰者が跋扈していました。彼女が貴方と再会できれば、それが既に奇跡だった」
「……」
余計、自分の判断が重く圧し掛かってくる。後悔を払う方法なんてきっとないのに、ifの世界を考えてしまう。
だからユノは背負えと言った。過去はどうやっても変えられない、忘れることなんて出来っこないから、前を向いて責任を負えと言った。
でもきっとやせ我慢。アルケイスはそういう立派な心の持ち主ではない。だから復讐なんて、後ろ向きなことをやってきた。
それを止めるのなら。
レアラを失った痛みに、始めて向き合うことが出来るんだろう。
「……ちょっと外の空気に当たってきます」
「安全には気をつけて。貴方を狙っている輩が、今回の件で増えなかったとも限りませんから」
「肝に命じときます。……っていうか、ユノ様も同じでは?」
「でしょうね」
気だるさが残る身体を引き摺って、アルケイスは両足で床を踏む。……レアラにはこういうことさえ出来ないんだと、ふと目尻が熱くなった。
歩き方には、いつものような覇気すらない。
背後から来る思慮の眼差しにも、アルケイスは感謝を告げる余裕がなかった。
「お」
しかし、挟みうちの作戦だったらしい。
閉扉の音に混じって聞こえたのは、伯父・ミュトリオンの声だった。その様子からして、アルケイスが出てくるのをずっと待っていたんだろう。ユノが来た時に一緒だったと見える。
何を交わすべきか分からず、二人の間には無言が漂っていた。
ミュトリオンがここに来た理由は分かる。10年前から、アルケイスはずっと伯父の元で暮らしてきたのだ。性格については、彼の妻と同じぐらいに精通している自負がある。
「……何しに来たんですか?」
知れず、批判が混じっていた。
直後にはもう、後悔の嵐である。ミュトリオンを責める理由はないと、数年前に決めたばっかりなのに。ここで追い打ちを臭わせてどうするのか。
「すまん」
「え……」
「俺が星辰者として動けてりゃあ、お前とレアラが死別することもなかった。――本当に、すまん」
答えなければ床に頭をつきそうな勢いで、伯父は謝罪を口にしている。
これには驚くしかなかった。確かに彼が戦えないことも、彼が10年前に村を襲った者であることも理解している。――だから、背負っている痛みについても理解はあった。
「あ、頭を上げてください。別にミュトリオンさんの所為じゃ――」
「いや、これは俺にも責任がある。お前を助けられるはずだったのに、傍観者だったんだぞ? 俺は」
「……仕方ないでしょう、それは」
アルケイスの父を殺した以外にも、彼は一連の出来事で大切な人達を失っている。
故に、伯父がどれだけ悲観にくれたか、どれだけ深い絶望に叩き落とされたか、誰よりも間近で見てきた。その段階で、罪なんて問えるものでは無くなっている。
ここで謝罪をされても、お互いが苦しいだけだ。本当に悪いのはピアスを始めとした計画の立案者で、ミュトリオンだって巻き込まれた一人に過ぎない。
「――この落とし前は、いつかきっちりつける。本当に悪かった」
「伯父さん……」
もう一度深く謝意を示して、ミュトリオンは去っていく。
外の出来事を察知したのか、アルケイスの後ろにはユノが立っていた。瞳には憐憫だけ。伯父らしくない小さな背中を、彼女はずっと見据えている。
「……奥さんと子供を亡くしたんでしたっけね」
「ええ。……あの人、10年前に脅されたそうなんですよ。命令に従わなければ妻子の命はないと。伯父は強気で、やれるもんならやってみろ、って反抗したそうですが――」
翌日、彼の子供は水死体で発見された。
当時は事故として処理されたそうだが、ミュトリオンの危機感は相当なものだったろう。さらなる悲劇を呼ぶことも知らずに、彼はアルケイスやレアラが住む村を襲撃した。
その中でアルケイスの父、つまり彼にとっての義弟は死亡。妹の遺体も確認される。
それから数年。甥を引き取ったミュトリオンに、トドメがきた。
すべての真実を知った妻が、自ら息を引き取ったのだ。
「叔母の遺書には、ただ謝罪の言葉だけがあったそうです。夫と子供、村の人達に対して。……あの人は、何も悪くなかったんですけどね」
「……」
先ほどの饒舌っぷりを披露することなく、ユノは黙って聞いていた。
こういうところを見ると、やっぱり彼女が優しい性格なんだと痛感する。もちろん口にすると怒られるだろうから、間違っても言う気はないが。
「――罪悪感って、どう付き合えばいいんでしょうね。みんなが悪くないって味方してくれて、現実にそうで、でも自分の気持ちは晴れなくて……」
許されることが、時には毒ともなる。
叔母はその善意によって死を選んだのかもしれない。それとも誰かが批難していれば、彼女の命は救われたんだろうか……?
違うな、とアルケイスはかぶりを振る。叔母はすべてを知った段階で、命の重みに耐えられなくなった。自分の中に抱え込める、他人の容量を超えてしまった。
そうなった人間の結末は限られている。抱え込めなくなった分を消すか、自分が消えてしまうかのどちらかだ。
精一杯の謝罪として、叔母は後者を選んだ。
「僕は――」
どうすれば、いいんだろう。
ミュトリオンの姿はいつの間にか見えなくなっている。変な気を起こさなければいいけど、と今は思慮を向けてやるしかない。
他には。
無数に並んだ軍靴の音が、二人の背後に立っているだけだった。
「――」
「お父様から、以前起こった将校の暗殺について、お話があるそうです」
至極当然の、罰。
悩んでいる暇があるなら、生きる方法を考えなければいけないらしい。




