7 不可能の始まり Ⅳ
「ほら、帝国人の女性ってさ、金髪が好きじゃない? だから長い金髪って、意外とお金になってね。逃げる時に邪魔って言えば邪魔だから、丁度よかったんだ」
そんな筈、ない。
レアラは子供の頃、自分の髪をとても大切にしていた。周囲の大人達までもてはやし、同年代の仲間からは憧れの眼差しで見られていた。
それを、生きるために切り離した。
自分の環境に疑いを持つ資格が、レアラにはある。村での生活は平和そのものだった。10年前に壊れてしまったのも、完全な部外者によるものだ。
あそこで生きていた人達は、誰も悪くなかった。
「どうして――」
「え?」
「どうして、そんな平気そうに言うんですか。レアラ様は、ご自分の髪を大切になさってた。だったら――」
「仕方ないじゃん」
また、諦めの声。
アルケイスは黙って聞くだけだ。問うことは許されても、レアラが生きてきた日々を責める立場にはない。
「髪を捨ててなかったら、私はきっと死んでた。……君に、こうやって会うこともなかった。……だから、良いの。気にしないで」
「でも……」
「ああもう、ウジウジしない! 少しは男らしくしなよ。女の子にモテなくなるよ?」
「べ、別にモテたいとか……」
思ってない。
そう返しかけたところで、アルケイスの意識は外へと向けられた。――こんりんざい聞きたくないと思っていた声が、森の形を再び変え始めている。
予定よりもずっと早いが仕方ない。気合と根性で、クソッタレな詩人の相手を務めてやる。
「た、戦うつもり!?」
「帝国兵はまだ来ないでしょうから、今のうちに星辰者だけでも倒します。でないと、いつまでたっても逃げ切れない」
「で、でも……」
レアラの心配はもっともだ。アルケイスの体力は元に戻っていない。立ち上がろうとするだけでも一苦労で、呼吸は荒いままだった。
しかしだがらこそ、戦わなければならない。同じように逃げ回れる状態ではないのだ。時間がある今だからこそ、ヘロドースを撃退する必要がある。
相性上有利なのもアルケイスの背中を押していた。接近戦に持ち込みさえすれば、勝負は一瞬で決着する。奇襲でもすればなお万全だ。
汗を拭いながら、木陰から向こうを覗く。
「レアラ様は先に。あとで必ず追いつきます」
「……約束だよ?」
「はい」
アルケイスは自分の足だけで走り出す。レアラは最後の最後まで止めるべきかどうか迷っていたようだが、数歩離れたところで踵を返していた。
本当、有り難い。信用してもらえるのは勿論だが、これで心おきなく戦える。彼女を庇いながらじゃ、倒せる相手も倒せない。
「手負いの鷹よ、よくぞ戻った!」
「――」
ヘロドースの抑揚には、疲れなんてものが微塵もない。自慢の喉を全力で振るわせている。
二人は平行な位置関係で向き合った。その左右には木の幹が二本ずつ。先端と思わしき部分をアルケイスに向け、今か今かと攻撃の指示を待っている。
距離は10メートルあるかないか。異能を使えば、刹那で届く間合いだった。
「小鳥はどこかに隠してきた、のだね。賢明な判断だ。私と君が本気で争ったのでは、この森ごと消えてしまうだろう。……それほどの体力が、君に残っているのかは知らないが」
「……」
アルケイスが彼の異能を知るように、あちらも異能を知っている。活躍している星辰者の詳細なんて、同業者には筒抜けだ。
ならヘロドースは、どうして出てきたのか。
彼がアルケイスの前に現れるメリットは薄い。持久力の問題点を知っているなら、逃げ回っている方が安易に勝利を手にすることが出来る。
選ばなかったのは本人の意地なのか――どちらにせよ、こちらには願ってもないチャンス。全力で、かつ一瞬で畳みかける。
「――ふ」
息を整え、敵を凝視する。
直後。
両者は同時に、星辰者としての力を振るった。
アルケイスの横を擦過する幹。風を打ち鳴らす程の勢いだが、数倍の少年を捉えきれるものではない。大きく空振り、他の木にぶつかって――
繊維の断裂音が聞こえてもおかしくないのに、聞こえない。
戻ってきている。
「わが腕は不断なり! 牙を突き立てる瞬間まで、逃れる術はないと知れ!」
「っ……!」
高らかに、ヘロドースは己の世界を作り上げる。
即座に振り返り、幹を千切りしてやっても無意味だった。切断された先からアルケイスに殺到する。傷を負わせるだけの形を、どうにか維持した状態で。
断行するのは回避だった。そこまで対処すれば時間を無駄にする。
あとは小細工などない、力と力の激突。
切る、切る、切る。
蓄積する疲労、尽きない弾丸。身体はとっくに限界だ。意識自体が断たれそうになる。
だが退かない。
退く理由なんて、一つも持ち合わせちゃいないんだ……!
「鷹よ、よくぞ参った! 今こそ我らの決着をつけよう!」
「おおおぉぉぉおおお!」
吠える。
止まらない。それが唯一の策だ。懐に潜り込んで、一秒でも早く斬撃をぶち込む。
飛び散る木片は雨のように。あるいは飛沫となってアルケイスの背中を飾った。
次。斬撃を結ぶ。
「ふ」
しかしヘロドースは余裕を崩さない。
何故って、当然だ。
彼にはまだ、時間回帰が出来るのだから。
―――――――――
「しつこい……!」
ノブを回すのも面倒で、蹴り飛ばす。
やはり朝。近くを歩く人々はただ驚いている。彼らにとって、アルケイスの戦いは知りえない未来の出来事でしかない。
だが知っている者達にすれば、確実に止めるべき蛮行。
剣を構えた数名の星辰者が、アルケイスの前に立ちはだかった。
「退けえええぇぇぇえええ!!」
もはや、荒れ狂う獣。
鮮血が咲く。異能を用いて止めに来る彼らを、近付いた瞬間に叩き切る。
しかし多勢に無勢。室内なのもあり、縦横無尽に動き回るのは不可能だ。戦いの幕が上がった瞬間から、アルケイスに勝ち目などない。
それでも挑む。自分の信念に、大切な人に、決して嘘をつきたくない。
守る。
守らなくっちゃ、いけないんだ……!
「ぐっ!?」
だが限界は訪れる。
猛攻に耐えた敵の一人が、アルケイスに体当たりをぶちかましたのだ。
崩れる姿勢。一秒足らずで持ち直すものの、隙が生まれたことには違いない。
「捕えろっ!」
聞きたくもなかったピアスの指示が炸裂する。
更に勢いを増して、彼らはアルケイスに飛びかかった。切っても切っても終わりが見えない。力を貸してくれる人なんて一人もいない。
「アルケイス……!」
伯父の声が聞こえたところで、彼は人混みの向こう側。
駆け付ける前に、ダレカの一撃がアルケイスを吹き飛ばした。
まだだ、まだ動ける。時間回帰で負傷は全快しているんだ。群がって戦うことしか能のない連中に、遅れを取るなんて有り得ない。
いつもの自分らしからぬ傲慢さで、全身に鞭を打つ。
だが。
肩から腰にかけて、袈裟切りをぶち込まれた。、
「あ――」
全身から力が抜ける。耐えなければならないのに、目蓋が落ちそうになる。
くそ、くそ、くそっ!
しかし怒りは届かない。
「か、ぁ」
追いうちで腹を刺されて、アルケイスの視界が揺れた。
終わる、終わってしまう。
ここで倒れたら、彼女を助ける道がすべて閉ざされてしまう。どうにか全員蹴散らして、活路を開かなければ――
身体の芯まで響く衝撃。
腕が一本、無くなった。
あっさり、限界が訪れる。
―――――――――
「アルケイス!!」
剣を手に、剣聖ミュトリオンは甥の元へと駆け付けようとしていた。
しかしピアスの近衛隊が早い。ミュトリオンの腕を押さえ、一切の抵抗が出来ないよう床に倒す。許されるのは、血塗れのアルケイスを直視することだけだ。
「おいピアス、こいつらを退けろ! アルケイスが死ぬだろうが!!」
「やりたければやるがいい。剣聖である貴様の異能、ここにいる全員を無力化することは出来よう? 遠慮する必要はないぞ?」
「っ……」
無理だ。
挑発を混ぜてくるピアスにはそれしか返せない。ミュトリオンはすでに、剣を振うことが出来る精神状態ではないのだ。今だってそう、剣を握っている右手は振るえ、顔色も青くなっている。
やってやる――意気地になって四肢に力を込めると、脳裏にある光景が去来した。
10年前の事件。アルケイスの日常が奪われた原因でもある惨劇。
そこにミュトリオンはいた。最強の星辰者である『剣聖』として、襲撃者の一人として。――村を守ろうとする義弟を殺し、平穏を焼き払った張本人。
脳裏にこびり付いているのは、ありったけの殺意を込めて睨む、アルケイスの顔。
「う、あ……」
「はっ、無様なものよ。今の貴様は人形以下、そこで大人しく這いつくばっているがいい」
陰湿な笑みを零しながら、ピアスは腰の剣を抜く。……アルケイスを殺す気だ。例の事件を主導した者の一人である彼にとって、甥は機会さえあれば殺す対象でしかない。
ミュトリオンは必死に動こうとするが、押さえつけられた手足は床を離れない。『剣聖』としての異能を発動しようにも、頭が鳴り止まない警笛を鳴らしている。
吐いてしまいそうだった。過去の傷に、自分の弱さに。こっちだって人質を取られたんだ、なんて言い訳も、罪の重さには霞んでしまう。
でも、このままじゃ。
怯えて逃げられない日々が、ずっとずっと続くだけで。
「――そこまでにしてもらえます?」
凛とした、しかし威圧感に満ちた呼びかけだった。
それはまさしく鶴の一声で、振り向いた者たちが次々に平伏していく。アルケイスを襲っていた星辰者も例外ではない。剣を納め、恭しく頭を下げている。
納得がいかずに渋面をしているのは、ピアスただ一人。抜いた剣を納めることもなく、やってきた声の主を睨んでいる。
「この場は私、第一皇女・ユノが預かります。アスケイスの治療は私が行いますので、運んでください」
「殿下、失礼ながら――」
「黙りなさいピアス。貴方の意見はあとで聞きます」
「はっ……」
たったそれだけ。それだけで、皇女はこの場の支配者となった。
しかし一つ、支配が及ばない現実が存在する。
レアナだ。ここから急いだところで、彼女の命はまず助からない。これで四度目の挑戦なのだから、間に合う方がおかしい。
アルケイスへの妨害はある種、単なる駄目押しでしかなかったのだ。
ただの必然として彼女は死ぬ。
とても残忍な、運命という土砂に埋もれていく。
「――」
今から何度時間を巻き戻そうと、同じようにアルケイスは捕えられる。彼女を狙っている星辰者は更に投入され、もっと効率よく少女は殺ろされる。
最初から手遅れだった。レアラには死の運命があり、抗えるほどの力をアルケイスも、ミュトリオンも持っていなかった。
……あるいは単に、覚悟が足りなかったのか。
泥沼のような後悔に浸りながら――皇女の姿にあとを託して、目蓋を閉じる。




