6 不可能の始まり Ⅲ
目蓋を開ける。
未来から戻ってきた時を考えて、外出の準備は完全に整っていた。朝の恒例行事もすべて終えている。任務で多少なりと減った体力も回復しており、万全と言って差し支えない状態――
「くそっ!」
舌打ちと共に、部屋から飛び出す。
単純な話だ。個人で時間回帰を発動できるのは、何もアルケイスに限った能力ではない。ヘロドースだって星辰者、同じような真似はやってくる。
もう形振り構っている場合じゃない。ヘロドースが最初から森にいたなら、いい加減レアナの行動は把握している。今まで以上に急がなければ、彼女は帝国に捕えられる。
そうなった後の運命は明白だ。最初にアルケイスが目撃したように、彼女は無意味な死を迎えるだろう。10年の旅路が、つまらない人間の悪意で潰される。
許さない。そんなことは絶対に認めない。
一切の無駄を排除して、アルケイスは森に向かう。途中、ピアスの怒号が聞こえようと構わない。未来がズレて殺すことに失敗しようと、レアナの安全には変えられない。
「急げ、急げ……!」
途中から馬は捨てた。異能を用い、倍増させた脚力で一気に走る。
身体が痛みを訴える中、近付いてくる森のことしか眼中にはない。目立たないよう、と外していた外套もそのまま。救助した後に問題は起こるだろうが、もう何だって構わなかった。
森は既に、景色をかなり変えてしまっている。
宙に浮かびあがり、矢のように放たれる巨大な幹。十中八九、ヘロドースが打ち出している。満足に走ることも出来ない一人の少女に向かって。
アルケイスは更に加速した。前回と前々回で立ち止まっていた場所は、一瞬のうちに通り過ぎる。
「さあ小鳥よ、飛ぶのだ! 冥府の海に、死の湖に向かって! 汝の翼はすでに折れ、自然の猛威に下る他はない!」
大地が、楽器のように連打される。
舞い上がる土砂と木片の中には、確かにあった。金色の髪を揺らす、望み続けた少女の姿が。
「レアラぁぁぁ!!」
「!?」
「む……!」
三者三様の小さな変化。
アルケイスは少女の元に駆け寄ると、彼女を直ぐに抱き上げて離脱する。中途半端な距離では駄目だ。ヘロドースの異能は、彼の視界すべてに及ぶ……!
逃げていく最中も、真後ろに、真横にある木々が引き抜かれ、落下する。少女の痕跡ばかりか、森の痕跡すら残さないつもりだ。
町に戻る選択肢が脳裏に過る。が、同じ方向に確認した集団を、見間違えることは出来なかった。障害になっている木が吹き飛んでいるのもあって、晴れやかな一帯にはよく映る。
帝国軍。赤い外套を靡かせる彼らが、ピアスの指示により集まっている。
もはや指先一本の油断も認められない。戦力的にはアルケイスが圧倒的に不利。持久戦に持ち込まれた場合、更に勝ち目は薄くなる。
こうなったら森を抜けるしかない。それぐらいの時間であれば、足の方だって耐えらる。
変わらず轟音を打ち付けて、アルケイスは一心不乱に緑を駆けていく。以前の時間で背負った負担は、時間が巻き戻ったお陰で帳消しにされた状態だ。平行世界を運営する自身の異能は、思う存分力を発揮している。
腕の中には、不安げに見上げてくる少女の瞳が。
これに応えなければならない。今日まで、レアラは死んだと思っていた。生きている筈なんてないと、復讐という現実に逃避していた。
贖罪がいる。彼女を探そうとしなかった馬鹿者への、絶対に遂げるべき罰がいる。
「だ、大丈夫? アルケイス」
「どうにかね。……とにかく、詳しい話は落ち着いてからにしよう。レアラ様だって疲れてるでしょう?」
「――い、いいの、私のことは。それよりも貴方の方が心配よ。帝国で有名人だって聞いてるし……」
「それが?」
「これ以上騒動を大きくしたら、アルケイスの戻る場所がないじゃない。私は貴方に会えれば十分だから、もう――」
「だから、落ち着いてからにしましょうよ」
幼い頃の日々に比べて、レアラは随分と弱気だった。
きっとこれまでの逃亡生活が、彼女を変えてしまったんだろう。長い髪が短くなってしまっただけではないらしい。
それからは何も離さず、ひたすら奥地へと進んでいく。
幹を叩きつける轟音は、とうとう聞こえなくなっていた。
―――――――――
どれだけ進んでも、森には果てが見えない。
反面、抜けてしまえば相当の距離を移動した確信を持てる。ヘロドースはまだしも、一般的な帝国兵の足で追いつかれることはまずあるまい。
――無論、その前に限界が来るというものだが。
「いっつ……」
完全に根を上げた両足を抱えながら、アルケイスは木陰に座っていた。
異能を利用した強化は、このようにあっさりと限界が来る。連続での使用は、これまでの記録上20分ぐらいが限界だ。本気で使えば5分を切ることもあるだろう。
「だ、大丈夫? さっきまで凄かった反動?」
「うんまあ、ちょっとですね……もう少し休めば回復すると思うから、心配しなくて大丈夫です」
嘘だ。経験上、丸一日は安静にしていなければ回復しない。
もちろん自身の異能を使えば、傷が治るまでの速度を速めることは出来る。平行世界で起こった現象を持ってくるのが能力なわけで、それは自己免疫力にも有効だ。
一方で限度もある。身体の傷を治すのは、とどのつまり免疫力によるもの。これを過剰に動かし続けた場合、自己免疫疾患に繋がりかねない。
歴代の使用者もこの副作用には悩まされたとか。治療専門の星辰者がいれば気にせずに済むんだろうが、生憎とこの場にはいない。
「……大変なんだね、星辰者って」
「僕の場合は、ですけどね。もっと身体を鍛えれば、上手く使えるようになるんでしょうけど……」
アルケイスの異能は、基本として自分自身にしか使用できない。活動する上での土台は、余計重要になってくる。
「――ま、僕一人で守れるわけだし」
お釣りは十分、最終的には気合と根性だ。一生歩けなくなるかもしれないけど。
微妙なバランスで、アルケイスは治療を続行する。異能の種類を判定してくれた恩師の言葉を思い出しながら、慎重に、慎重に。
「……改めまして、お久しぶりです。レアラ様」
「や、やだ、様なんて付けなくていいってば。……今は、みんないなくなっちゃったし」
目を伏せながら告白する彼女は、見ていられないぐらいの悲嘆で一杯だ。
わずか七歳の子供が、この10年を一人で生きてきたのかどうか――答えは否だろう。彼女は村の中で、正真正銘のお姫様だった。世話をする侍女も何人かいる。
今の言葉からすると、道半ばで倒れてしまったようだが。
アルケイスは何も言い返せない。そんな彼女たちだって、自分が探しに行けば助けられたのかもしれないんだから。
「……ねえ、戻ろうよ。君が私を庇ったって、良いことは一つもない。本当の本当に、顔が見れただけで十分だからさ」
「帝都に連行されて、殺されても構わないと?」
「――うん。だってアルケイスには、迷惑かけたくないもん。だってもう10年だよ? 君にも今があるんだから、いつまでも過去にすがりついちゃ駄目。……これまでだって、そうしてきたんでしょ?」
レアラの目はどこまでも真っ直ぐた。青い瞳も、まるで海のように深い。
彼女の指摘が正論だとは分かっている。……でもそれで退けるほど、アルケイスは大人でもない。何よりも、近くにいる人達が大切だと思ってしまう。
助けたい。その子供じみた一念だけが、自分の背中を押している。
「そ、そういえば、髪は? お切りになったんですか?」
「売ったの」
あっさりと。
自慢の髪と別れたことを、仕方なさそうに告げていた。




