4 不可能の始まり Ⅰ
「……大丈夫だよね?」
つい手加減せずに切ってしまった。獣人は人間より遥かに頑丈なことで有名だが……件の男は血の海に沈んで動く気配がない。
ピアスをさっくりと殺したアルケイスだが、恨みのない相手を殺すのは嫌なものだ。自分の主義に反してしまう。
せめて呼吸だけでも確認しよう。そう思って、たぶん失神している男に近付いた。
――うん、呼吸は途切れていない。でも放置しておくと命の危険がありそうなので、素直に応援を呼ぶこととしよう。
しかし。
「?」
馬のところに戻ろうとするアルケイスを、何かが引きとめた。
何が、と尋ねられると非常に困る。答えるとすれば直感だろうか。誰かに見られているような感覚が、アルケイスをその場に縫い止めていた。
「あの――」
誰か。
「何の用ですか?」
いる。
不思議な確信を持って、アルケイスは木々の向こうを見つめていた。返事は帰ってこない。少し恥ずかしくなるぐらいの静寂が、森の中を埋め尽くしている。
でも確かに、足音がした。
仲間がいたのか――そんな予想も候補に入れながら、正体が現れるのをジッと待つ。体力的には不安だが、もう一戦ぐらい戦ったって大丈夫だろうし。
だが。
「アルケイス……?」
現れたのは、金髪の少女だった。
外套を着ていないことを覗けば、その格好は大勢の帝国人と変わらない。が、貧困層の出なんだろう。泥まみれで、見窄らしいことこの上なかった。
オマケに身体が異常なぐらいに細い。頬は痩せこけ、まともな栄養を取っていないと一目で分かる。
しかし神々しいぐらいの短い金髪が、彼女を非現実的な存在に見せていた。
惜しい点があるとすれば、極端に短くなっていることぐらいだ。自然に伸ばしていれば、どこかの貴族から求愛されることもあったろうに――と、一目で思わせる。顔立ちだって十分に美少女だ。
「あ、ああ……」
覚束ない足取りで、謎の少女はアルケイスの元に歩み寄ってくる。
そう、次の注目はそこだ。彼女はどうして名前を呼んできたのか。いやそもそも、どうして目の前にいる少年の名を特定したのか。
アルケイスの知り合いにここまで見事な金髪の持ち主はいない。染めるなりしていれば話は別だが、近付いてくる少女がそんな身分にあるとは考え難い。
……でも、一人だけ。これぐらい見事な、腰まで伸びる金髪を靡かせていた少女は知っている。今いる彼女は、首筋が露わになるぐらいの短髪だが。
それでも。
「わ、私よ? レアラよ? 分からない?」
「――」
10年前。惨劇の場に遭遇し、生き別れになってしまった初恋の姫君。――その名前を、彼女は必死の形相で口にしていた。
時間が立っていることもあってか、最後に見た彼女とは似ても似つかない。一族の姫として祭り上げられていたレアラは、煌びやかな衣装で身を纏っていた。今現在のように、貧困街へ紛れ込めるような格好はしていない。
でも。
気高い意思を宿している瞳は、見間違えることなど出来ない。
「よか、った……」
「レアラ様!?」
すでに限界だったのだろう。彼女は、崩れる様に倒れ込んでしまった。
幸いにして負傷を追っているわけではなさそうだ。しかし顔色が悪すぎる。あの日から10年、まともな食事にありつけなかったんだろう。
「と、とにかく人を呼ばないと……」
いくら観察したって、アルケイスは素人だ。人を殺めることならまだしも、人を救うのは門外漢である。
獣人の男は放っておくしかない。こんな大男を馬に乗せたら、それだけで席が一杯になってしまう。
アルケイスはレアラを抱き上げようと、うつぶせになった彼女を起こそうとする。
直後だった。
彼女の心臓めがけて、一本の矢が突き刺さったのは。
「え」
声すら漏れない。
死んだ。駄目押しとばかりの、二本目、三本目の矢も彼女に突き刺さる。小さな身体はかすかに動くが、凶器が命中した衝撃で震えているだけだ。
ややあって、眉間も抉られる。
束の間の再会は一瞬で地獄と課した。生きていた筈の肉体は、いつの間にか矢が刺さっているだけのデク人形。頭をやられたお陰で派手な出血も起こしている。
「あ、あ……」
両手は。
あの日みたいに、鮮血で染まっていた。
「ああぁぁあああ――!?」
―――――――――
「――っ!?」
目蓋を開ける。
未来から戻ってきた時を考えて、外出の準備は完全に整っていた。朝の恒例行事もすべて終えている。任務で多少なりと減った体力も回復しており、万全と言って差し支えない状態だ。
「はっ、はっ、はっ」
なんだ、アレは。
いや、疑問に思うまでもない。間者を追った先で、懐かしい人物に出会った。そして彼女が殺され――アルケイスは一人、今日の朝まで戻ってきた。
咄嗟だったんだろう、過去に向かった感覚はまったくない。さっきの情けない叫び声も、ひょっとしたら外に聞こえてたかもしれない。
「おいっ、アルケイス!」
ドアを乱暴に叩く、ピアスの声。
やはり聞こえてしまったようだ。平身低頭して謝罪したい気分だが、今はそんな余裕もない。あの森にレアラがいるなら、急いで助けにいけないと……!
外にいる誰かへ叩きつける勢いで扉を開ける。ぐおっ、と予想した通りの悲鳴。ピアスの短絡さを知っているからか、辺りの空気がザワついていた。
「き、貴様、もう少し静かにドアを――」
「すみません、急いでるんで!」
一秒たりとも無駄には出来ない。伯父のミュトリオンと合流することも考えなかった。ただ全速力で、反対方向へと踵を向ける。
幸運にもピアスが追ってくる気配は無い。怪しまれはするだろうが、レメアを救えるなら安い代償だ。
「待て待て待て!」
意外にも。本来は予定にない位置で、ミュトリオンと合流する。
彼とて星辰者だ。時間が巻き戻ったことは感じているようで、隠しきれない困惑を訴えてくる。もちろん構ってる余裕も、説明している余裕もないのだが。
しかし、先に進もうとしても進めない。ミュトリオンが力強く肩を掴み、その場へグッと押し付けてくる。
「伯父さん退いてください! 急がないと、あの人が――」
「だから落ち着けって言ってんだろ! 何の考えもなしに行動して、成功するとでも思ってんのか!? まあ、何を慌ててんのか詳しくは知らんが!」
「……」
じゃあさっさと退け、なんて暴言が脳裏を過る。無策で動く危険性については、頷くしかないのだが、
「よし、伯父さんに話してみろ。仲良く男同士の話と行こうぜ」
「べ、別にそういうタイプの話じゃ――」
「何言ってんだ、どうせ誰かを助けに行くんだろ? 絵に書いたような騎士道の物語ってわけだ」
やっぱり甥の考えを見通しつつ、ミュトリオンは肩を組んでくる。
安全地帯として選んだのは伯父の部屋だった。別にアルケイスの部屋でも良かったんだろうが、直ぐに戻るとピアスに遭遇する可能性がある。タイムロスはいただけない。
肩を組んだまま歩いていくと、慌てた様子で部屋から出てくる者が数名。二人と同じ星辰者だ。今回は議会の決定したタイミングで時間回帰が行われるため、彼らは混乱しているんだろう。
その犯人であるアルケイスの横を、同業者はお辞儀一つ残して駆けていく。回帰がなぜ発動したか、確かめに行くに違いない。
「あんま時間はなさそうだな」
部屋に入ってからの第一声。朝の騒がしい空気が、出入り口のドアによって遮断された。
ミュトリオンは焦る様子もなく椅子に座る。お前も座れ、と身ぶりで示してくるが、到底そんな気分にはなれなかった。今すぐにだって走り出したい。
「で、レアラちゃんに会ったのか? 10年ぶりに」
「……はい。彼女、ボロボロでした。でも生きてた。それを――」
「誰かが、殺しやがったと」
冷たく、いっそ怖いぐらいの抑揚で、ミュトリオンは未来を指摘する。




