3 星辰者
ヘレネス帝国。
それがアルケイスの仕える大国の名だ。建国からざっと500年ほど。大陸最大の国家であり、さらなる野望の拡大に向け、各地で戦争を引き起こしている。
これから会うであろう間者は、そういった事情で対立する敵国の人間だ。戦況が思うように進まない原因だと、ピアスを始めとした軍の上層部が狙っている。
故にアルケイスは、彼らを始末しにやってきた――わけではない。
これは個人的な事情によるものだ。ミュトリオンに告げた復讐と、時間回帰、ピアスの暗殺を秤にかけた上での最終回答。
ひたすら馬を飛ばし、郊外にある森の中へ。
追手の気配はない。もしあったら次回に持ち越すしかなかったが、運はアルケイスに味方したようだ。ミュトリオンの報告通り、怪しげな足跡も残っている。
「……この辺かな」
あとは一人、気配を殺して歩くだけだ。地位を示す紫の外套も、目立つので外しておく。
進むたびに密度を増す森。人の手が入った痕跡は一つもなく、原初の形を残していた。鳥のさえずりも、荒んだ心を癒すには持ってこいかもしれない。
森の地形は一通り頭に叩き込んでいる。彼らが集まりそうな場所も、最初から目星がついた。
――予想通りだ、いる。
男が二人。片方が間者本人で、もう片方が雇い主だろう。帝国で流通している金貨を、片方が片方に向かって渡している。
もらう側の男は、普通の帝国軍人だった。ご丁寧なことに制服を着ているので一目で分かる。――まあ偽装という可能性も捨てきれないが、正解は本人に聞かないと分からない。
かたや渡す方の男、つまり依頼者は少し異なっていた。
まず耳。人間のものではなく、完全に動物の耳だ。具体的にいうと犬。真っ直ぐに立っているところが、周囲を警戒している猟犬を思わせる。
獣人。
帝国と現在戦争中の、亜人とも呼ばれる国家の民族。長年敵対してきた宿敵で、非常に高い生命力と戦闘力が特徴である。
それを象徴するように体格も大きい。今見ている彼は、身長が二メートルぐらいだろうか。服装もどこか野性的で、帝国人の普段着に比べると袖や裾が短い。
露出してる腕には、獣としか思えない毛が生えている。……無駄毛処理が大好きな帝国人としては、やっぱり怒りそうな外見だ。ひょっとすると両者の対立には、文化的面も含まれるのかもしれない。
「すみません」
もう黙っている必要はないので、正々堂々と名乗り出る。
アルケイスの存在にまったく気付かなかったようで、獣人の男は前身の毛を逆立てていた。対し、軍人の方はすたこらさっさと逃げていく。
追うつもりはない。一番どうにかするべきなのは獣人の方だ。急いで決着をつければ、追い掛けることだって出来るだろうし。
「……誰だ、貴様。俺は一人しか雇った覚えがないんだが」
「アルケイス・スロートと申します。これでも帝国軍に協力してまして、同行をお願いします」
「月並みで悪いが、嫌だと言ったら?」
「そりゃあ実力行使です」
言って、愛用のナイフを構えた。
獣人の男は怯まない。単純な接近戦になれば、彼の勝利は確実だからだ。獣人と人間の身体能力には、覆せない差が存在する。
「はっ、そんなオモチャで俺と戦うと? 寝言は寝て言うんだな、人間」
「じゃ、寝させてもらいますか?」
意気の強さについてはアルケイスも同じだった。敵に向けている双眸を少しも逸らさず、確かな敵意を放っている。
お互い、引く気は最初からない。
油断も誇張も、するつもりはない。
「後悔するなよ……!」
直後の轟音。
一歩、獣人が地面を蹴りつけたのだ。残るのは激震と、風を切って突っ走る敵。
十メートル近くあった間合いが、一瞬で詰まる。
懐に放たれる拳。防御も回避も間に合わない。アルケイスはナイフを構えたまま、瞬きすら許されない攻撃を見る。
「っ!?」
にも関わらず、攻撃を避けたのは獣人の方だった。
万全な態勢で放った一撃は、何の成果も結ばすに終わる。ありえない、と表情を歪める獣人。眉間の間に寄った皺が、疑念の深さを物語っている。
彼の首には一筋、赤い線が走っていた。
切られたのだ。絶対的に有利な状態で、反撃が一切不可能なはずの速度で切られた。
「――貴様、星辰者か!」
「ええ、新人ですけどね……!」
く、とベロスの男は唇を噛む。
星辰者。条理を捻じ曲げる異能を持ち、帝国の繁栄を支える怪物たち。いくら肉体の機能で勝っていようと、それを真っ向から捻じ曲げる……!
アルケイスは、男が止まったのを逃さない。
変わらず武器はナイフ一本。それでも、獣人の皮膚を切り裂くことは可能だ。課題はいかに攻撃を叩き込むか。
馬鹿正直に、正面からの刺突を放つ。難なく避ける獣人の男。
されど。
幾重もの切り傷が、獣人の躯に刻まれた。
「っ、その力、どんな仕掛けで――!」
痛みで退くことはない。丸太のような腕を振り回して反撃する。
やはり直撃コース。アルケイスには――人間の身体能力では、躱すことなど決して出来ない速度。
しかし当たらない。
一瞬だった。まるでその瞬間だけ早送りされたように、アルケイスの身体が動く。反撃は頭上を通過するだけで終わった。
間髪入れずに起こるのは、やはり無数の斬撃。
一振りのナイフでは決して出来ない筈の、出来てはならない曲芸。それでも獣人は、二度目ともあって寸のところで回避する。
「アルケイス、と言ったな……! 『万華鏡』のアルケイスか? 平行世界の現象を自由に引き出すとか――」
「はい、本人です……!」
もはや疾走。獣人と変わりない勢いで、アルケイスは攻めに転じた。
攻防のペースは瞬時に上昇する。敵も本気になっていた。その証拠に全身の筋肉が膨れ上がり、巨体を更に一回り大きく見せる。
それでもなお、アルケイスの有利は変わらない。
ナイフ本体の攻撃は避けられても、同時に発生する無数の斬撃を捌くことは不可能だ。
まるで十対一、いや二十対一。アルケイスの攻撃はもはや、無数の人間が同時に襲ってくるのと変わらない。
それもそのはず。ここで発生している斬撃は、この世界とは違う、平行世界――パラレルワールドから放たれたものを呼び込んでいるのだから。
「馬鹿げているな!」
癇癪に近いものを起こしながら、獣の男は抵抗を止めない。
それをアルケイスは、これまで通りの唐突な加速で対処していた。――全身に激痛が走るが、毎度のことなので無視するのには慣れている。
「なぜそこまで動ける!? それも貴様の能力か!?」
「そうですよ! ナイフは別の方向、位置に振った場合を持ち込んで! 身体だって、同じ結果のものを全部ここに叩きつけてるだけです……!」
「っ!!」
二倍、三倍の運動量を一瞬でこなす能力。必然的に身体への負担は大きくなる。さっきの斬撃だって実際には、ナイフを振った回数を二十以上加算したものだ。
たとえ一回一回が微々たる疲労でも、それが十倍に膨れ、瞬時に襲いかかってくれば話は違う。連用すれば筋肉痛、内出血、下手をすれば骨折だってするし、してきた。
だから時間はかけられない。
次で、決める。
「おお……!」
豪快に地面を踏み砕く。練り出した加速力で、必殺の間合いを掴み取る。
人間の感覚では、どうやっても見切れない神速。
――なら、それだけ重ねるだけのこと。
意識が飛ぶような痛みに蝕まれながら、人間の常識を超えた速度でアルケイスは動いた。使うのは右手一本。異能を維持したまま、すれ違いざまに一閃を叩き込む。
空間が粉々になった。
そんな錯覚を抱かせるような快音が大気を、ベロスの男を滅多切りにする。
後に残ったのは、巨体が地面に倒れる音。巻き添えを食って粉粒同然になった草花が、舞い上がっていく風の音だけだった。




