23 世界を超えて Ⅵ
「ちょ、ちょっと待って、ほんとに待って……!」
「もー、意気地なし! こんな美少女の初体験もらえるんだから、有り難く受け取っておきなさいよー。アタシは君のことしか考えられなくて狂ってるんだしさあ」
「自分で言わないでください!」
それでも構わず、レアラは黒衣を脱いでいた。
階級を示す外套は着ていないようで、庶民の服装でもあるシャツとジーンズが表に出てくる。ボディラインについても同じで、年頃の少女らしい柔らかな曲線が目に入った。
豊かな胸、ハチのように括れた腰。女性らしさをありったけ詰め込んだ身体が、自分の前に存在している。
どうにかして無視するべきなのに、眼球どころか首さえ動かない。きっと血走った目をしているんだろう、と思うぐらい釘付けになっている。
「ふふ、お腹ペコペコにしてる犬みたい。……でも、そういうの好きだよ。君が男の子なんだって、実感できるし」
「う、ぐ」
脳の鳴らしている警笛が徐々に聞こえなくなる。爪先から頭のてっぺんまで駆け抜ける欲望が、いとも容易く駆逐している。
――もっとも、危機感を抱いているのはレアラも同じだったらしい。
「あ、アルケイス、血!」
「へ?」
彼女の『万華鏡』が解除されたのか、待ち望んだ冷静さが戻ってくる。
一方で鼻に違和感があった。……触れてみると、確かに血が。少ししか出ていないので慌てる必要はないだろうが、レアラには一大事と映ったらしい。
「え、えっと、ど、どうしよ!? これ、アタシがやり過ぎたせいだよね!? 加減には注意してたのに……!」
「あ、いや、量は少ないですし……」
「そういう問題じゃないでしょっ! ほら、服貸すから、鼻塞ぐ!」
レアラは迷わずにシャツの一部を破ると、アルケイスに差し出した。かなり雑な加減だったからか、へその周りが露出してしまっている。
なんだか余計に血が出そうだけど、平静を装って布を受け取った。が、彼女はまだ安心した様子を見せない。
「えっと他には……あ、横になった方がいいかな? でもこの床じゃ痛いだろうし……アタシの膝、貸したげる!」
「そ、そこまでしなくても大丈夫ですって! 第一、横にならない方がいいって――」
「そうなの? じゃあ椅子とか探してくるから、少し待ってて!」
落ち着きのない様子で、レアラは家の外に出て行った。
なんだか、本当に彼女なんだと実感する。昔から彼女は世話をするのが好きだった。どんな小さな怪我でも村中を走り回って、大人たちにも大袈裟な表現をしていたっけ。
……先のことを考えると、少し寂しくなる。アルケイスとレアラの目標は相容れない。どのような形を迎えるにしろ、決別という扱いだけは変えられないだろう。
痛みも何も感じないで、受け入れるのはきっと無理。一時の和やかな時間に、目を瞑ることを求められる。
背負え。
その三文字だけが、未来のすべてを語っていた。
――――――――――
鼻血が止まって、ようやくレアラは安堵してくれる。アルケイスも、落ち着いてくれた彼女に対して別の意味で胸を撫で下ろしていた。
ついさっきまであった妖艶な空気は、彼女が騒ぎたてたこともあって消え去っている。――少し名残惜しいと思うのは、思春期の少年ということで多めに見てほしい。
「んじゃ、行動開始と行きましょうか。アタシも現状を放置しておくのは嫌だしねー」
「……どうするんです? まさか、全員倒す気?」
「さすがに無理。出現してる穴があるから、それを塞ぐのが一番っしょ。まあ行くまでに一苦労すると思うけど」
「というと?」
黒衣を着直しつつ、レアラは家の外へと向かう。相変わらずレオン・ネメアは空を威嚇し、使徒魔獣は増加の一途をたどっていた。
「穴の本体、たぶん帝都のど真ん中に出ると思うんだよね。出現そのものはまだだと思うけど」
「やっぱり全部倒さないといけないってことでは……?」
「まあ、そうとも言うね」
自信があるのか、緩みきった顔付きでレアラは言った。もちろんアルケイスの方は、無理難題の前に開いた口が塞がらない。
悠々とした足取りで彼女は森の方へと向かっていく。レオン・ネメアが途中で気付くが、こちらに攻撃するような素振りは見せなかった。――むしろ180度真逆の、慈しむような視線がある。
レアラだけではなくアルケイスにも向けられている目。根っこの感情が分からなくて、つい怪訝そうな表情を作ってしまう。
「レオン、ちょっと帝都までお願い。本命の穴がそこに来る筈だから」
「――」
獅子の化け物は声で返さず、身振りだけの同意を示した。付近にいる使徒魔獣が気付かないようにするためだろう。
二人が余裕を持って乗れる手を、レオン・ネメアは下ろしてきた。迷わず足を乗せるレアラ。一方のアルケイスは抵抗感があり、眉間に皺を寄せている。
「大丈夫だって。この人、君に敵意は持ってないから」
「し、信じられない……」
徹底抗議に入るべく、軽く身を引きながらレオン・ネメアを観察する。確かに帝都で感じたような緊迫感はないが、だからと言って素直に甘える気分じゃない。
最悪、こっちだって歩けばいいのだ。他の使徒魔獣から身を隠すのであれば、むしろ最適な選択と言えよう。
「う、うわ!?」
我慢の限界に達したようで、獅子はアルケイスを持ち上げた。怪我をさせないよう、ご丁寧に指先で持ち上げて。
必死に振り解こうとしてもなかなか抜け出せない。終いには、レアラが乗っている手の方にへと落とされる。
異能『万華鏡』によって衝撃は受けずに済むが、色々と反感を覚える扱いだった。
「……同意を得ないのは、人付き合いとしてどうかと思います」
「まあまあ、気にしないでよー。アタシと近い方が嬉しいでしょ?」
「複雑、の方が大きいですかね……」
「あははっ、言えてるねえ」
彼女はそれ以上何も言わず、黒衣を払いながら腰を下ろした。アルケイスも、岩肌のような手の上で姿勢を楽にする。
使徒魔獣の巨体では、森を抜けるまで数分とかからなかった。帝都を囲む、見慣れた平原が視界に入る。
もっとも、いつものように自然の雄大さを感じることはない。
あるのは地上に具現化した地獄だけだ。四方八方に散る人々、空に吸い込まれていく硝煙。獣達の雄叫びも、民衆の絶望も途切れることはない。




