21 世界を超えて Ⅳ
「で、ですが――」
「皇女が気になる?」
「っ」
読まれた心が生む一瞬の隙。反転して近付いてくる彼女から、アルケイスは逃げようとしなかった。有無を言わせない迫力が、今のレアラには備わっている。
息が直接かかる距離まで近づいて、彼女はアルケイスの首に腕を回した。
まずい。落ち着いた筈なのに、また全身の血が沸騰していく。心の片隅で、望んだ展開に破顔している自分がいる。
「忘れちゃいなよ、そんなヒトのこと。君の足枷になるだけだって」
「で、でも、お世話になった人で――」
「アタシは違うの?」
抱きつく力が強くなる。女性の匂いが、頭の中を飽和させる。
回している手を外すと、レアラは優しく頬を撫でてきた。子供をあやすような感じで、静かに、静かに。何度も指を這わせてくる。
少女とは思えない妖艶さ。抵抗するつもりで後ろに下がるアルケイスだが、直ぐに限界は訪れてしまった。
「まー、感情の変化について責めるつもりはないけどね。10年も死んだと思ってりゃ、他の人を好きになったりもするでしょう。――でも、アタシは違う。この10年、ずっと君のことだけ考えてきた」
「い、いやあの、レアラ様?」
「なぁに?」
見上げてくる瞳は、子供のころと同じように輝いていて。本音を覆い隠そうとする気持ちは、少しも持っていないんだろう。
しかし、アルケイスが望みに応じれるかは別の問題。惑わされているのではなく、混乱の方が精神的には適切だった。
「ねえ、もう村の子供はアタシ達しか残ってないよ? この意味、分かるでしょ……?」
「え」
「あー、それは分かっちゃった顔だね? ふふ、男の子なんだから」
抱きつく力は徐々に強くなる。女性らしい柔らかい肌が、身体の芯まで温めてくれそうな温もりが毒だった。
腕を回されてから、やってることはほとんど変わらない。なのに五感は、彼女と溶け合っているような反応を示していた。底が見えない紺碧の瞳も、欲望を縫い付けて離さない。
「ほらほら、アタシはこれ以上なにもしないよ? もっと強く抱きしめても、キスしてもいい。全部、ぜーんぶ、君のモノにしていいんだよ?」
「っ……」
これ以上逃げようにも、家の壁が邪魔だった。レアラと位置を入れ替えないと、こっちの有利には働かない。
でも息が荒くなって、全身の血を沸騰させて、アルケイスは冷静な判断力を失っていた。極上の雌を思うままに貪ることしか考えられない。
しかし、穴だらけの理性はどうにか踏ん張っていた。昨日失敗をした自分に、彼女を好きにする資格があるとは思えなかったから。
そうだ。この少女は既知の人物とは程遠い。パラレルな10年を過ごした、厳密な意味では別人だ。
目を逸らせ。ここで本能に屈しても、誰が喜ぶっていうんだ。レアラだって、思い描いていた少年との落差に苦しむだけじゃないか。10年前のまま時間は止まっているんだから。
「もう、強情だなあ。据え膳食わぬは男の恥、だよ? えいっ」
「っ!?」
押し倒すわけでも、更に距離を近付けるわけでもない。彼女は指先だけ、アルケイスの唇に当てた。
異変は間髪いれずに起こる。これまでおかしいと思っていたすべてが、急速に悪化していく。五感が全部、女の感触を味わうために特化していく。
ここまで急激なものを味わっては、疑うことなど出来ない。レアラは異能を使って、アルケイスの体調を操作している……!
「はっ、はっ、はっ――」
「全部分かった、って顔だねー。そ、アタシの異能で君の性欲を数倍増やしました。……気合で我慢するのも結構だけど、頭がぶっ壊れちゃうかもよ?」
「なんで、こんな……」
「好きだから」
一番短くて、一番強い感情表現。
普段のアルケイスなら忘我しそうな言葉だが、膨れ上がった欲求が肉体を支配している。今はどんなに清純な言葉でも、本能の餌にしか成りえない。
しかしレアラの口調には、そこはかとなく憐みを誘うものがあった。原因を突き止めたいところだが、もうすべてが手遅れになっている。
「アルケイスのことが好きで好きで仕方ないから、誰にも見せたくないから、アタシが閉じ込めてあげる。アタシのことしか感じないように、骨の髄まで溶かしてあげる」
「う、ぐ……」
「あはは、苦しいんだね。だったらすぐ楽にしてあげる……男の人がどうやったら喜ぶか、君のために勉強もしたんだよ?」
「っ」
屈服を誓うような潤んだ瞳。昔から知っている少女の媚びた顔に、細胞の一つ一つが歓喜していた。
もう少し。もう少しで、この女が手に入る。黒衣の下に閉じ込められている性を、思う存分貪り尽くせる――
爪先立ちになって、レアラは唇を近付けてきた。軽く持ち上げられた顎が、少年に選択肢を与えてくる。どんな風に犯すのか、その加減を。
だったらこっちの自由だ。折れそうなぐらい強く抱きしめて、その媚態をしかと捉える
「ぐ――」
駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ。
こんなの、お互いの合意が成立してる状態じゃない。ここから先に進めば、遊びじゃ済まない事柄が待っている。
目を瞑っているレアラを差し置いて、アルケイスは直前で静止した。彼女にすれば拍子抜け。本気で罵りたくなるぐらい、情けない選択ではあったかもしれない。
半開きにした目は、持ち直した正気を睨んでくる。
「……ふうん」
だからか。
レアラの方から、唇を塞ぎにきた。
鼓膜の奥にまで届く水音。舌まで突っ込んできて、興奮を煽るのに余念がない。アルケイスが知らず知らず、彼女の腰に手を回してしまうぐらいには。
「んっ、ちゅ、れる」
魂を吸い出されかねない接吻。上手い。他の男と経験があるのか――醜い嫉妬が、徐々にその根を伸ばしていく程度には。
欲しい、欲しい、ホシイ。
考えちゃいけないコトなのに、禁忌へ触れて喜ぶ自分がいた。今度こそ理性が飛ぶ。こんなに気持ちいいこと、無視しろっていう方が馬鹿げてる。
「んはあっ」
「……」
レアラも高まっているようで、離れた頃には肩で呼吸していた。
無言で注がれる彼女の視線。つり上がった赤い唇は勝者の余裕を映す一方、底なし沼でしかない快楽を求めている。
だから、
「――ストップ」
衝動から解放された時には、ひどい落胆があったものだった。




