2 繰り返される朝
目蓋を開ける。
未来から戻ってきた時を考えて、外出の準備は完全に整っていた。朝の恒例行事もすべて終えている。任務で多少なりと減った体力も回復しており、万全と言って差し支えない状態だ。
「……よし」
再び懐中時計を手にすると、時刻は午前八時を指している。
一方で、記憶はちゃんと理解していた。この時計が一度、今日の十二時を指していたこと。いま迎えている朝が、確か四度目になるということ。
過去への、時間回帰。
荒唐無稽な話に聞こえるかもしれないが、アルケイスの身に起こった異変はそれだ。ある特殊な力を持った者だけが認識できる、世界を巻き戻す禁断の術。物事を無限にやり直すことで、帝国の発展を支えてきた力だ。
今頃はミュトリオンも、本日数度目の朝を目撃していることだろう。頑なな上層部の方針に、ため息をついている姿まで想像できる。
こうなったら、あとは計画通りに動くだけ。
紫色の外套を着て、アルケイスはさっそく部屋から出る。視界に飛び込んでくる光景は、すべて見慣れつくしたもの。個々の動きに至るまで、ほんの僅かな誤差もない。
大理石で作られた広い廊下。ここが城の中にあると一目で分かる。窓の向こうにある市街地だって、実際の大きさよりはずっと小さい。建物が高い位置にある証拠だ。
「アルケイスよ」
あまり構いたくない声は、確かに自分を呼んでいた。
無視する選択肢が脳裏を過ったが、ここで予定外の行動を起こすのは賢くない。万が一、彼を殺した部屋に彼が来なくなる可能性もある。変化は最小限であるべきだ。
「おはようございます、ピアス将軍」
「ふん、そこまで喜べる朝ではないがな。こうも早く貴様と会っているのだから」
話しかけたのはそっちだろうに――と声を大きくして言いたいが、やはり抑えるしかない。だってこの朝で、アルケイスはピアスのことを非難していないからだ。
過去を変えるのであれば、協議を重ねた上で行うこと。
時間回帰なんてとんでもない魔法が出た時、帝国政府はそう定めた。過去を何度もやり直せるとは言え、変更に伴う影響がどこまで出るか分からないからだ。
……といっても、過去に戻ったを認識できるのは一部の人間だけ。例えば目の前にいるピアスは、この会話が同じ内容、同じ日時で何度繰り返されたか、まったく認識しちゃいない。
「で、間者の正体は掴めておるのか?」
「いえ、それがまだ……しかし数日お時間をいただければ、確実に特定できます」
「数日だと? 半日で終わらせろ。穢れた血の分際で、仕事も出来んのか?」
「――申し訳ありません」
落ち着けと頭の中で繰り返しながら、アルケイスは恭しく頭を下げた。
鼻を鳴らして、ピアスはその場から去っていく。詫びの姿勢はまだ止めない。ときおりピアス将軍が振り向き、アルケイスの様子を確認しているからだ。でもあと10秒ほど。これまでの経験から、自信を持って断定できる。
「……ふう」
一息ついて視線を上げると、忌々しい後ろ姿は見えなくなっている。
代わりに見えるのは、赤い外套を着用している帝国軍人たち。いずれもアルケイスからすれば年上で、二十代から五六十代まで様々だ。
そして皆、同情の籠った眼差しを向けてくる。ピアスという男が、どれだけ不人気か一目で分かる構図だった。
同僚達の共感に安堵を覚えていると、視線が合った軍人が次々に頭を下げてくる。ピアスへ向けていた嫌悪感は無い。ご苦労様です、と労いの言葉まで込めてくるほどだった。
アルケイスの他に、紫色の目立つ制服を使っている者はいない。お陰で注目は増していくし、挨拶は視界に入るだけで飛んできた。
「よっ、お疲れさん」
角を曲ろうとしたところで、ミュトリオンが顔を出す。手入れされていない髭、だらしのない格好は、即座に批難と好奇を集めていた。
「あの伯父――じゃない、ミュトリオンさん。髭は剃ったどうなんですか?」
「ああ? 別にいいだろ、このぐらい。それにお前さんのとこじゃ、髭は伸ばしておくのが普通だったろ。俺だって少しはお洒落したいんだよー」
「この国じゃお洒落になりませんよ。郷に入っては郷に従え、って言葉もあるじゃないですか」
「俺からすりゃあ、どっちも同じなんだがね」
「……」
この男、もう少しどうにかならんのか。彼に憧れて軍に入ってくる者だっているのに、あんまりだと思う。
もっとも、ミュトリオンは自分のスタイルを変える気なんて毛頭ない筈だ。彼にだって少しぐらい事情はある。身内として、あまり強く求められたものではない。
それでも口に出てしまうのは、単にアルケイスの甘えだろう。母の兄である彼には、もっと格好良くいて欲しい。子供の頃に憧れた、剣聖のイメージを崩さないでほしい。
子供じみた甘えと我儘があるから、何気なく彼の傷へ触れてしまう。
「……すみません」
「は? 別に、俺は何も気にしちゃいねえぞ? それよりもほら、仕事の話だ」
「――そうですね」
これからするのは、繰り返しの中で存在しなかった会話。誰かに聞かれてはならないし、予定されている自分達の行動を阻害するものでもいけない。
なるべく人目を避けつつ、伯父と甥は歩いていく。目的地は城の一角だ。ミュトリオンはこれからピアスに会う必要があり、なるべくその近くを目指す。
「――んで、間者の話だが」
会話は必然的に音量を落としていた。近くに人の気配があれば止まり、また始めての繰り返し。……我ながら馬鹿げている。子供の遊びじゃあるまいに。
「やっぱ軍の中にいるな。ちょうどこれから、飼い主のところに戻ると思うぜ」
「じゃあ予定通り、僕が行きます。ピアス将軍についても僕がやるので、ミュトリオンさんはいつも通りに」
「へいへい。……でもまあ、今回でそろそろ終わりにしろよ? 復讐なんて、伯父さんは心配で見てらんねえぜ」
「――善処します」
本来の行動を取りやめて、アルケイスは城の外へと向かう。
腰には一本のナイフ。自分にとってはついさっき、ピアスの血を吸ったばかりの品だ。――もっとも、間者を追い詰めるなんて真似をすれば、確実に心臓を破ることはないだろう。
にも関わらず少年は走る。
確定している復讐には、てんで興味が無かったから。




