11 帝都アウグストス Ⅱ
その日は、薄情なことによく眠れた。
皇女の護衛は既に始まっているようで、アルケイスは朝から宮殿の喧騒に巻き込まれた。挨拶に来る人間の数が、とてつもなく多いのである。
断わっておくと、貴族の間では日常的な光景だ。名門であればあるほど挨拶に来る人物は多く、さすが皇帝と言わざるを得ない来訪者が集まっている。
特に目立っているのは、白い外套を着ている者達だった。
帝国では外套で身分を識別することが出来る。――白い外套の彼らは、教会の関係者だ。星辰者であるアルケイスにすれば、もっとも身近な組織と言える。
「……凄い数の人だね」
「星辰者の台詞とは思えませんね。貴方達、そこらへんの貴族よりも偉いんですけど。この中には貴方が来ていることを知り、挨拶に訪れている方がいるかもしれませんよ?」
「ま、まさか。皇帝陛下の宮殿ですよ? 僕なんかが――」
「ではさっそく叩きますが、よろしいですか?」
しまった。
こんな大勢の前で実行されるのはごめんなので、アルケイスは直ぐに口調を直す。なんだか帝都に来たばかりの頃、ミュトリオンの紹介で、普通に接していた自分が恨めしい。
皇帝・ジュピテルと娘のユノは現在、謁見に使われる大広間に立っている。アルケイスは二人の護衛、および威嚇効果を含めて同行させられていた。
ユノの予測は当たらずとも遠からず。星辰者の制服である紫色は、ジュピテルと並んで目立つものだ。普通の護衛ではないことは一目瞭然、騒がしい空気に熱が注がれるのは確実だった。
「星辰者様? 星辰者様だ!」
封が切れてしまえば、あとは流れるままに。
特にそこまで位の高くない貴族は、皇帝への挨拶が終わり次第にユノ、アルケイスを握手を求めてくる。教会関係者についても同じだが、こちらは少し楽な気持ちで交流できた。
「や、少年」
――一番見たくない顔さえ来なければ、もう少しその気分は続いていただろうに。
ヘロドース。間接的にではあるものの、レアナを殺した男がいた。
空気は一転、戦場のど真ん中と間違えそうな物々しさで満たされる。が、相手の方は満面の笑みであり、昨日の因縁をまるで気にしていない様子だった。
「ふふ、そう怒らないでくれたまえ。私は単に、陛下へ朝のご挨拶をしようと来ただけだ」
「……ピアス将軍の命令で、とかじゃないんですか?」
「まさか。あの御仁を好いているのは、それこそ利害が一致したぐらいの人間だよ。まともな精神の持ち主であれば、彼には近付かないのではないかな?」
「暗に自分が正常な人間だ、って示してるみたいですね」
「はは、上手いな。……しかし残念ながら、私は私の道化っぷりがよく分かっている。君が羨ましいぐらいにね」
「――」
ヘロドースは素直な、それでいてどこか薄気味悪い笑みを浮かべていた。
彼ら改めて一礼した後、来訪者に紛れて姿を消す。……戦った時のように、仰々しい言葉を並べていないせいだろうか。何故か、別人を見たような気分になる。
「……彼も大変ですね。同郷の者を殺めることに、協力など」
「ど、同郷!?」
「あら、ご存じないとは。別に隠していなかったと思いますけど?」
「初耳だよ……」
とすると、何だ? さっきヘロドースの様子が妙だったのは、レアラが死んだからだとでも言うのか?
分からない。追いかけようにも人が多過ぎるし、護衛の仕事もある。自分の感情を優先して放りだすのは、単純に無責任というやつだ。まあ同業者なのだし、再会する機会はいくらでもある。
それでも彼以降の挨拶では、どこか上の空になってしまった。
しかし個人的な事情は関係なく、やってきた司祭の一人から新たな任務が言い渡される。
奇しくも、ヘロドースと共同で当たる任務を。
――――――――――
中央区の一角には、星辰者を纏めている教会の総本山がある。
名を星辰教。ヘレネス帝国が誕生した際、初代皇帝と共に星辰者が活躍したことから名付けられた。その影響力は非常に高く、帝国の中の帝国、と称される程になっている。
国家の繁栄を見守るように、小高い丘の上に立つ大聖堂。外は純白の外壁によって帝国への忠誠を示し、中には古代の星辰者が活躍する様子を描いた壁画がある。
いずれも帝都の名物だ。遠方に住む貴族も、これを見るためだけに戻ってくる人がいるとかいないとか。
大聖堂の大きさは貴族の邸宅を遥かに凌駕している。歴代の皇帝によって増築されたこともあり、国内では皇帝の宮殿と並んで最大級の建造物だ。
「――で、どうしてユノ様まで一緒に?」
「一発」
「ゆ、ユノはどうして来たのかな!?」
必死に敬語を削ったところで、彼女は小さく咳払い。
教会の付近とはいえ、周囲にはさっそく仕事を始めた貴族や帝国議会の議員が歩き回っていた。二人の姿に気付けば、彼らは全身全霊で忠誠心を示そうとする。
しかし肝心なユノの方は、彼らを鬱陶しそうな目で見ていた。上品な言葉と態度で応答するものの、沸き立つ負のオーラは隠しきれるものでははない。
「……そういえばユノ、教会嫌いなんだっけ」
「ええ、大っきらいです。何ですか、あの空気のマズイ場所は。子供の頃、まったく興味がないというのに毎日連れ出されるんですよ? ――お陰でお友達と遊ぶ時間がどれだけ減ったと思うのですか?」
「……それさ、教会関係ないよね? 他の用事でも、同じように遊ぶ時間減るよね?」
「一発」
「なんで!?」
文句を言いつつも、二人は教会に近付いていく。
坂を上っていく中では、教会関係者や礼拝に訪れている貴族の姿があった。そこでもユノは周囲を取り囲まれる。道を確保しようと思えば出来る密度なので、鬱陶しがっている彼女を見ることはなかった。
大聖堂の入り口は解放されているものの、アルケイス達は横に逸れる。星辰者の仕事はある際は、いつも裏口から入るからだ。
「――で、どうして一緒に来たのさ?」
「貴方は私の護衛官なのですから、同行するのは当然でしょう? 教会でしたらお父様の古巣ですので、安心ですし」
「さっき教会は嫌いだって言ったのに……」
「それとこれとは話が別です。確かに私は、教会が人間を弱体化させるものであり、神なとどいう妄想で現実を誤魔化す最低の場所だと確信しています」
「司祭様には聞かせられないな……」
いや、ほぼすべての帝国人に対して、だろう、それだけ星辰教は影響力を持っている。信仰していないのはユノと、信仰のカラクリを知っている関係者ぐらいなものだ。
「ですが私は、教会の存在を否定するつもりはありません」
「……僕の耳には穴でも開いてるのかな。で、その理由は?」
「私の否定は私の否定です。そっくりひっくり返す肯定が存在しないとは限りません。また、彼らの影響力で人々の不安を抑える手段が増えているのも事実。帝国には必要不可欠な存在です。……神頼みというのは、最終にして究極の安全祈願ですし」
「――ユノって、貶した後に優しくすること多いね」
「性格が捻くれている、と指摘してくれも構いませんよ?」
アルケイスはかぶりを振る。本人が自覚しているのを改めて言うまでもない。……自覚しているならしているで、厄介なことには違いないんだが。修正する気がないんだから。
でも相手の表と裏を見れるのは、一つの長所だと肯定したい。さすが皇帝の一人娘。将来国を背負って立つのかどうかは分からないが、客観性に優れた視点は役に立つだろう。
「ところでアルケイス。貴方は私の性格、直すべきだと考えていますか? 貴方以外には、こういう接し方をしないようにしているのですが」
「……このままでいい、んじゃないかな。何だかんだって昨日、ためになる指摘ではあったしさ。これからもよろしく頼みたいかな」
「ほう、随分と余裕ですね。主な被害者は貴方一人なのに」
「主に、ってつける理由ないよね?」
「確かに。でもせっかくですから、お仲間でも用意しましょうか?」
「い、いらないよ、別に」
逆に問題を生みだしそうな気がする。ユノは一部の貴族や軍人から、冷血皇女、という渾名で嫌われているからだ。ジュピテルの治世がお世辞にも安定していない以上、余計なことは言えたもんじゃない。
今後も暴走しないことを祈りつつ、アルケイスは教会の裏口に手を伸ばす。