10 帝都アウグストス Ⅰ
その町は溢れんばかりの人と、物で埋め尽くされていた。
帝都・アウグストス。帝国のあらゆる財産が集中する一大都市であり、人口は大陸一とも言われている。帝国の領土に住む者にとっては憧れの土地だ。
整備された生活環境、帝国各地から送り込まれる様々な物資は、大勢の人々を魅了するのだろう。石灰と火山灰を混ぜたコンクリートによる建築物は、氾濫する勢いで建てられている始末。
国で祭られている神の加護を得るためか、屋根は朱色で塗られているものが多い。といっても神殿などについては白で、これらはより古い時代の建物だそうだ。
都市の心臓部である中央区には、貴族の邸宅がいくつも並んでいる。近くには闘技場や公共の広間、政治の舞台である議会までもが設置されていた。食堂だって軒を連ねている。昼間であれば、彼らは情報交換をしながら店に入っていったことだろう。
もっとも、今は夜間。日中の賑わいは不思議なぐらいに潜んでしまっている。
可能なら日が高いうちに訪れるべきなんだろうが、移動にはたっぷり半日を要した。空を使っての移動でも、それなりに距離があったので仕方ない。
「着きましたね」
呟くユノの正面には、皇帝の宮殿がそびえ立っていた。
彼女にとっては単なる帰宅なんだろうが、アルケイスはそうもいかない。彼女の父である皇帝・ジュピテルとは昔馴染みの間柄だが、地位が地位なだけに緊張は拭えなかった。
周囲にいる皇女の護衛も、一様に硬い表情を浮かべている。中にはアルケイスに訝しむような目を向ける者もいた。……罪状について耳にしている以上、疑念があるのは当然だろう。
ユノはそんな罪人を連れて帰宅を果たす。すぐに世話役のメイドたちが駆け寄ってくるが、彼女は構う様子もなく歩き続けた。
アルケイスはその背後を追う。二十名近くの護衛も、すかさず後に続いた。
宮殿に入った一行を出迎えるのは、煌びやかな装飾を施された大ホール。客人を圧倒させるスケールの大きさで、皇帝という権力を如実に表していた。
中央にある階段の奥には、飾りに劣らない存在感を放つ男がいる。
「よく来たね、アルケイス君」
静寂のベールを剥がす、穏和であり威厳に満ちた声。ユノを含め、その場にいる全員が頭を下げる。異に思う者など一人もいない、いるわけがない。
ヘレネス帝国皇帝・ジュピテル。
賢帝の名でも親しまれる彼は、その名に違わず理知的な雰囲気を纏っていた。娘・ユノのような、周囲に圧迫感を与える鋭さはない。来るものを拒まない寛容さの方が目立っている。
同時に彼は、どこか現実味のない貴人でもあった。理想の王を絵画に記し、そこに命が吹き込まれたような。俗人には眩しすぎるぐらいの気高さが彼にはある。……その点で言えばジュピテルも娘同様、周囲を怯ませる才覚には恵まれているのかもしれない。
帝国において最も高貴な存在であることを示すため、外套は赤く、裾が紫で染めてある。建国神話の一場面を象った刺繍も、彼が初代皇帝の意思を継ぐ証左となっていた。
「以前から続いていた将官の不審死。これについて、覚えはあるかな?」
責任を問うのではなく、ただ真実が知りたいというような清々しさ。沈黙を続けることが、この皇帝を前にすると死よりも辛いことのように感じられる。
しかし声にするのも無礼な気がして、アルケイスは短く首肯するだけだった。ジュピテルは、ふむ、と前置きを作って動かない。
「では私の方から、君に罰を与えようと思う。これは君たち星辰者を管理する、星辰教会からも同意を得たものだ。逆らうのであれば末代に渡り、この帝都には二度と入れないと覚悟して欲しい」
「……」
当然といえば当然の罰。むしろ、帝国からの追放が前提になっていない分、生易しいぐらいだと思う。
「――アルケイス君、君に我が娘・ユノの護衛を命じる。任期は終身とする」
「……は?」
「知っての通り、ここ数年で軍と教会の関係が悪化しているからね。娘が軍の重要人物であるピアスとも真っ向から対立したし、誰かが身を守ってやらねばならない。君であれば適任だと思うんだが」
「え、いや、待ってください!」
あまりに急なことで混乱する。
もちろん、名誉なのは間違いないだろう。皇帝の口にした問題だって、アルケイスには気掛かりな事柄だ。
後ろから一つぐらいはあってもいい疑念や反対は、どれだけ耳を澄ましても聞こえてこない。帝都に来ることが決まった時点で、茶番劇は始めっていたんだろうか?
「アルケイス君、夕食はまだだろう? 用意してあるから食べていくといい」
「で、ですが……」
「いいからいいから」
笑いながら、ジュピテルは宮殿の奥に戻ってしまった。
それからすぐ、アルケイスの拘束が解除される。護衛の兵士達は星辰者でもない一般人だからか、恭しく頭を下げてきた。思わずアルケイスも会釈する。
「良かったですねえ、私の護衛に任命されて」
「……最初っからこうする予定でした?」
「さあ? 私は皇帝陛下に一言も申していませんし、陛下が何を考えているのかも存じておりません。貴方が断ろうとした場合、脅迫しようと思っていたぐらいです」
「やっぱり予定したたんじゃないですか!」
「おや、陛下の決定に異を唱えると? 貴方もずいぶん偉くなったものですね。それとも男のプライドというものは、案外と女々しいのですか?」
「そ、そういうわけじゃ……」
アルケイスとしては、ジュピテルに迷惑をかけたくない一心だった。庇ってくれるのは確かに嬉しいけれど、それで国内情勢を悪化させるのは心苦しい。
「――そういえば、ピアス将軍と対立したって」
「ええ、貴方が殺されそうだったので。まあ向こうも、即座に反撃に出ようとはしないでしょう。子飼いの犬には注意しなければなりませんが」
「それで、僕を護衛に?」
「大勢の星辰者を任命する方法もありましたが、彼らは多忙ですから。昔から付き合いのある人物で、一人で高い戦力になれる星辰者となると、貴方の他に候補がいなくて」
「……」
実力を認められたのが嬉しくて、言葉に詰まる。
ついでに言うと、アルケイスだって健全な少年であって。ユノのような美少女、しかも皇女とくれば、条件反射的に心は躍ってしまう。
――もちろん、平常時であればの話だが。
「そもそも貴方は星辰者、替えのきかない人材です。簡単に罰則を与えることは出来ません。他の方々にも反感が及ぶかもしれませんし」
「……ほ、本当に僕でいいんですか?」
「陛下を侮辱したいのであればどうぞ、降りてください」
「い、いえ結構です」
それこそ冗談抜きで、帝都から追放されてしまう。
反面、どうしても拭えない疑問はあった。どうして自分なのか、やっぱりの星辰者はいなかったのか――ユノには頑固なところがあるから、提案があったとしても蹴ったんだろうけど。
……心の中を整理するチャンスではあるかもしれない。いや、それを暗に進められている気がする。
目覚めた後にユノから言われたことは、正しいと言ってしまえば正しいのだ。あとはアルケイス自身の問題。情けない自分でいるか、少しでも誇らしい自分でいるか。選択を求められているだけだ。
「ああそう、アルケイス、一つお願いがあります」
「な、何ですか?」
「今後、私は貴方に守られる立場です。なので敬語を使うのは止めてください。私の命を所有しているのは、貴方なんですから」
「え、ええっ!?」
「何を驚くのです? 昔は普通に話していたではありませんか」
「こ、子供のころの話でしょう!?」
今は成長して、社会の仕組みを見るようになったのだ。そんな畏れ多いこと、命令されたって出来るもんじゃない。
「だいたい貴方、いつも私と親しげに話すじゃありませんか。今さら過ぎると思いません?」
「そ、そうかもしれませんけど! 超えちゃいけない線ってのが――」
「ではこうしましょう。貴方が私に敬語を使う度、そのだらしない顔をひっぱたきます。とても効率的ですね、調教ってやつです」
「理不尽ですよ!?」
アルケイスはそれに追加で意見を挟もうとするが、ユノの一瞥によって沈黙した。
全方位において、アルケイスの意思は認められていないらしい。まるで人形になった気分で、親子の横暴っぷりには溜め息しか出なかった。
あるいは二人とも、それが薬になると期待しているのか。
忙しい日常、目の前に取り組むべき事案があれば、過去の失敗に拘っている暇はなくなるだろう。本気で入れ込めば、自分の葛藤を殺すことでって可能かもしれない。
「背負う、か……」
誰にも聞こえない独り言。脳裏にはまだ、夢の中で見た彼女の亡骸が映っている。
……きっと最初から、迷いなんてものは必要なかったんだろう。現実が変えられないのなら、後は適応するだけだ。過ぎ去った出来事ある以上、目を覆うことさえ無理なんだから。
自分はただ、そんな単純な事実を認めたくなかっただけ。
本当、ビンタの一発でも貰った方がいいのかもしれない。