不可思議な罪人
太陽が一番高く昇る頃。
日差しはとても暑く、外にいる者すべては滴る汗でぬれていた。
それでも城壁の側で開かれている市場は賑わっている。
野菜や香辛料、魚の臭いが色々な体臭に混ざり合い、辺りに立ち込めている。
屋台やその周りに並べられた品物を、手に取ったり、眺めたり。安いだの、高いだの交渉しあう客と売り手。
屋台が連なる大道りも大勢の人々で蠢いている。
気温だけでなく、市場は人々の熱気で高熱状態だった。
その時、どこからか興奮した叫びがあがった。
「処刑の門が開くぞ!!」
魚屋の主人は魚を振り上げていた手を下ろし、買出しに来た中年の女は指していた指を空中で止めながら振り向いた。枝の剣で騎士になりきっていた子供たちは口をあけて見つめ、腰を屈めて歩いていた老人は杖を握り締めて顔を上げた。
静けさが波のように市場へ広がっていく。
皆が緊張を帯びた瞳で見ている「処刑の門」。
それは市場に面した城壁に造られた、公開処刑が行われる時のみ開かれる黒々とした巨大な扉。
皆が待ち望み、いつにも増して市場を賑やかせている見世物が今、始まろうとしている。
そこにいる誰もが固唾を飲んで扉が開くのを待った。
暫くすると重々しい音と共に、中から5,6人の男たちが現れた。
鎧をまとい剣を腰に下げ、見るからに強健な者たち。そのうちの二人が、黒い布をかぶせた担架を担いでいる。
「なんだ、もう死んでんのかよ」
失望した声が民衆の中でぽつり、ぽつりこぼれた。
黒い布の下にあるものが何なのか、誰の目にも一目瞭然だった。
期待していたものが見られなかったと、あからさまな失意が人々の間に広がっていく。
と、布の下から髪の毛のようなものが担架からすべり落ちた。地面に触れてもなお長さが余り、引きずられながら砂の上を滑っていく。
女?
陛下を殺したのは女なのか?
民衆がざわめきだした。
「いい気味だね。当然の報いだ」
気取った女が言う。
「あいつだ。あいつが陛下様を殺した奴だ」
愛国心的な男が言う。
「何、投げつけてやる?」
笑いながら子供が言う。
その端では、「国を変えてくれようとしたんだ」。そう呟く声もあった。
大きな二つの岩の上に、薄い木板を置いただけの質素な台。その上に男たちは担架を置いた。
どんな奴なのか。
誰かが唾をのむ音が響いた。
市場中の視線は黒い布に向けられている。
「皆の者!これが我らの王、テオヌマ陛下を手にかけた大逆人!ハール・シュトメラ・バミヤンだ!!」
男たちの先頭にいた一人の兵士が手を大きく広げ、声を張り上げた。
それを合図に担架を運んできた男たちは勢いよく布を剥ぎ取る。
すべての民衆が息を飲んだ。
兵士は、困惑が広がるのを肌で感じた。
「この大逆人が犯した罪は、死をもってさえ許されざるものだ!よってこの者は見せしめとし、その肉がなくなるまで曝すことになる。ただし!この者に触れることを禁ずる。破った者は如何なる理由があろうとも、その場で即刻処刑されるだろう!」
どれだけの者が、自分の声を聞いているのだろうか。
兵士は民衆を見て悟っていた。
恐らく、この場にいるすべての者は魅入られている。自分もそうだったように。
湿度の高い空気に血の生臭ささがたちこめていた。
胸には短剣が深々と突き刺さっている。今も血が溢れ出て幾筋にもゆっくりと肌をつたい落ちる様は、明らかに事切れているのだと分かる。
だが黒い布に隠されていたその肌は、砂漠の町では誰ひとり見たことが無い程に白く滑らかだった。
血の気を失った死人の青白さなど微塵もなく、太陽の下、清らかな眩い神々しさを放っている。
ぼろ布から露わな赤い胸元は平たく男のそれだと分かるのに、力なく垂れ下がる白い四肢と相まって官能的だった。
長く柔らかそうな髪は銀より輝き、閉じられた目も、鼻も、力を失った口も、見る者すべてが惚ける甘美さと妖艶さを纏っている。
生きていればどんな瞳の色で、どんな声をしていたのか。
願いに応えるかのように、その表情は生気を帯びてさえ見える。
死んでいるというのに。気味が悪いほどに、美しい。
誰もが、そう思った。
民衆は罪人には容赦しないのが常だった。
だが、今は目の前に横たわる者に罰を与えることを躊躇し、この「美しさ」を損なうことを恐れ始めていた。
損えばよくないことが起こるかもしれない、と。
凍りついた空気の中、人々はただ死者を見続けた。
頭上に照りつける灼熱の太陽。
高まる気温。
まとわりつく湿気。
それらが増し加える血の臭い。
「何をためらっている!?さあ、この憎悪すべきこの者に何でも望むことをすればよい。今こそ、悪を憎め!!」
兵士の熱い叫びが広場に響き渡る。
だが誰も動こうとしなかった。
「何を惑う!?さあ、やれ!!」
その後、照り続ける太陽の下、3日経っても死人は依然として美しいままだった。
7日後も彼の肉が異臭を放つことさえなく、死肉を好む生物ですら一匹たりとも近づかなかった。
湿気を帯びた茹だるような暑さの中、生肉を数分放置するだけで異臭がし始めるというのに。幾日も死人は涼しげに横たわったまま。
ただ事ではない。
そう誰もが思い、互いに囁いた。
“あれは神なる類のものなのかもしれない”