SFを成立させる虚構…6
SFの持つ志向とは。
アメリカ映画『猿の惑星』に描かれたラストは衝撃的でした。宇宙船が着陸した猿の支配する惑星で主人公が最後に海岸にたどり着くと、砂浜に自由の女神像が埋もれているのです。
未知の惑星だと思われていたところが年月の経過した地球だった、というオチでした。
この『猿の惑星』からヒントを得たと思われるのが石森章太郎の『リュウの道』という漫画です。
主人公リュウの密航した宇宙船が荒廃した地球に帰還するところから物語は始まります。リュウとその仲間は文明の痕跡を求めて旅を続けているうちに、地球に核戦争が勃発して、生物に突然変異が起きてしまったことがわかるという物語です。
この『猿の惑星』や『リュウの道』が作られた時代は、文明の将来に不安が抱かれ、経済成長だけがすべてだろうか、と疑問が投げかけられた時代でした。
SFが将来への道しるべとして機能していました。
過去は変えることはできませんが、未来の方向は選択することができると考えられていた時代に、SFはぴったりと寄り添っていました。
災害や紛争で将来への否定的な見方にとらわれてしまう現在でも、希望をつなげることができるのはSFの分野だと言えます。
あと何万年かすると地球に氷河期が訪れると言われています。そのときの人類は今以上に知性が進化しているでしょうか。これだけ大発展した種としての人類にこれ以上の進化はないだろう、という否定的な意見もあります。
しかし、銀河宇宙に躍進していく人類の将来を想定することは、可能性のある夢だと思えます。それは今までSFが散々描いてきた出来事です。
SFはその未来に向けて書かれている案内書だと思えます。
読んでいただきありがとうございました。