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情報=模索

 軋むドアを引いて中に入る。若干のかび臭さを残すも、自分の部屋と違って鼻に優しい香りが漂っていた。芳香剤をただばらまいただけの香りの押しつけではなく、自然に安らぐようなよい香りだ。暮らす人間が違うだけで、六畳一間のボロアパートはこうも感じが変わってくるのかとは、ここ最近思わずにいられない。毎度部屋に入る度に匂いを覚えようと鼻をひくつかせるのが熱川の癖になりつつある。


 短い廊下を抜けて風町と静音の待つ部屋に入った。本来は風町爽奈の部屋であるが、先日のキツネ面を被った男との戦闘の影響で、住んでいるマンションの部屋が竜巻にでも襲われたかのような惨状となった静音は、一時的に風町の部屋に居候をさせて貰っている。相変わらず部屋を埋め尽くしていたヒーローグッズの数々に、さすがの静音も数秒制止せざるを得なかったようだった。壁紙の如く張り巡らされたポスターに、タンスの上で密集体型を成すフィギュア達。小さめの本棚にはヒーロー関連の書籍が背中を並べ、大学の教科書やら何やらが棚の隅っこに無理矢理押し込められている何とも言えないレイアウトは、最初の数時間静音に落ち着きを与えなかったらしい。


 この部屋に来る度、熱川は部屋の隅に位置するガラスケースに自然と目が行く。存在を忘れるほどに透き通ったケースの内には赤いマットが敷かれ、その上に赤いマスクがそっと置かれている。誰が見ても、本人である熱川自身でさえも見間違うほど精巧に作られたクリムゾン・ノヴァのマスクだ。流線型を描く頭部に、突き出た二本の角。鮮明な赤に映える光沢が、マスクの質感を手で触れずとも伝えてくれる。どこからどう見ても完璧にクリムゾン・ノヴァのマスクであり、しかもこの作品はプロの造形師によるものではなく、一介の女子大生に過ぎない風町自らの手によるものであるというからなおのこと驚きだ。彼女の部屋によく通うようになって、自分のフィギュアやポスターに囲まれるという妙な感覚には大分適応してきていたが、未だにこのマスクの与える驚きは初見の時と変わらない。


「なにぼーっと突っ立ってんだよ。早く座れ」


 我が物顔で部屋の中央にあぐらを掻いた静音が、入り口で呆けた顔を浮かべていた熱川を呼ぶ。鮮やかなピンクと紫の隙間から、ならず者のような鋭い眼光が熱川を射る。長年の付き合いで彼女が怒っているわけでも何でもないというのは分かるが、それでもその鋭さには身震いせずにいられない。


 彼女の隣に座った風町もにこやかに熱川を手招きする。静音の家での一件があった後、熱川は今自分の周りで何が起きているのかを風町に話した。静音もヒーローの一人であり、そしてヒーロー達が次々と狙われていることを。明確な殺意を持って狙われた風町には知る義務があった。知らないでいるよりも知っていた方が、彼女にとってもそして熱川たちにとっても都合がいい。


「で、何かつかめたのか?」


 四つ足テーブルに向けて座り込み、足を崩したところで静音がそう尋ねてきた。


「さっぱり。そもそも二年もの間前線を離れていた俺が今更どうしようったって、簡単な事じゃない」


 首を横に振った。二年前に活躍したヒーローばかりが狙われるという一連の事件について何か情報はないかと探してみたが、最大の力たり得るノートパソコンはこの間の鬼の面の男に破壊されていた。更にその戦闘の時まで熱川は半ばヒーローをやめていたようなものであったから、二年前に作り上げていたヒーロー達とのコネクションはもうない。そもそも静音とこうして会うことができたのも、池袋の街で力丸尚実に遭遇しなければ叶ってないなかったのだ。情報収集に奔走した結果、自分のヒーローとしての無力さをなお一層のこと思い知らされただけであった。


「ダメ元で図書館にも行ってはみたけどね。案の定ってとこ。二年前の新聞を全部漁ってみたところで、出てくるのはニュースで報道されていたことのまんま。信者のことも、現在俺たちを襲っている勢力の前身になりそうなものの存在も記されてなかったよ」


 機関の最高機密についてもね、と熱川は心の中で付け加えた。


 静音も熱川も抱く思いは同じだ。本当に知りたいのは敵の正体なのではない。それも勿論重要だが、最重要ではない。最重要なのは、敵がヒーロー業界最大の禁忌である『あの出来事』についてなぜ知っていたのか。本来ならばその出来事を知っているのは機関の上層部及び熱川や静音を含めた当事者たる四人のヒーローのみ。機関が持ちうるあらゆる力を使って闇に沈めた究極の秘匿事項であるから、知っている人間以外が知っているはずはないのだ。


 だめか、と言うように静音は視線を送ってくる。鋭い視線だがわずかに落胆の色が覗える。熱川は無言のままに頷いた。


「私も一応は調べて見たさ。奴らの目的だとか正体だとかな。コープス・マンを崇め立ててたグループのものらしいウェブページを、見つけるには見つけたが、もう動いてなかった。ウェブ廃墟状態だったな。機関のデータベースにも接続してみたがダメ。私らヒーローはたいしたアクセス権限を持っちゃねェから、得られるのは世間にふれ回っている情報に毛が生えた程度のもんだ。何の役にも立ちやしねェ」


 ため息を吐きながら静音は床に寝っ転がった。チッチッと何度も鳴らした舌打ちから、彼女が相当いらついているのが分かった。


「ヒーローは機関から自由に情報を引き出せるんじゃないの?」


 風町の上げた疑問の声に、静音は寝転がったまま気怠そうな声で即答する。


「無理だ」


 のっそりと起き上がった。


「機関の情報は三級、二級、一級、特一級に分けられてて、普通のヒーローが利用できるのは三級の情報まで。それ以降、二級より上の等級に当たる情報を利用できるのは機関上層部のオッサンどもだけだ」

「じゃあこれ以上詳しい情報を手に入れるには何年もかけて出世しないと……」

「もっと簡単な方法がねェこともねェが、それでも今すぐにできることじゃねェ」

「世界ランクか」


 熱川の言葉に静音は頷いた。


「二級以上の情報を利用するための条件として、もう一つあんのが世界ランクの上位に入るってのがある。日本独自の基準だが、三〇位以内のヒーローなら、機関の二級以上の情報を利用できる。が、生憎その範囲内に日本人のヒーローは三人しかいねェ。そして私も勇雄も三〇位以内にはほど遠いんだよ」


 鮮やかな髪をグシャグシャと掻く。間隔を空けずに舌打ちを繰り返しながら、静音はテーブルの上に額をくっつけた。


「他の世界ランカーと連絡を取ることは? できないの?」

「無理だ。まずヒーローは一刻を争うような非常事態以外、自国外機関のデータベースにアクセスする権限は持ち合わせていねェ。そして先に言った三人のヒーローは日本人ヒーローではあるが、もう日本のヒーローじゃあねェんだ。日本機関のデータベースにはアクセスすることは不可能だ」


 淡々とした静音の言葉に、風町は肩を落とした。 


「俺はもう一つ気になることがある。というよりも気になることがある。奴らの正体には直接関わらないけど、目的には関わってくることだ」

「どうして爽奈を狙ったのか、だろ?」

「ああ。奴らの目的が俺たち四人を殺すことなら、風町を狙う必要はないはずだ。それなのに、あのキツネの野郎はまず風町を殺そうとした。不可解だろ」


 目線を正面からずらして風町の方へ向けた。つい先日の出来事を思い出しているのか、普段は花の咲いたように明るい表情も、今は青ざめ沈鬱としている。無理もなかった。このアパートで襲われたときは、あくまで熱川と間違えられただけに過ぎない。しかし、静音のマンションで襲撃された際には明確な殺意でもって狙われたのだ。間違いではなく、正式な殺害対象として。幾度となく死線をくぐり抜けてきた熱川や静音ならまだしも、昨日今日でヒーローに関わらざるを得なくなった風町には酷なこと以外の何ものでもない。今自分の部屋に五体満足無傷でいられること自体奇跡に近いのだから。


「何の理由もなく無関係の人間を巻き込んだっつーなら私はヤツらを、全ての力を賭してでも抹殺してやる」


 奇抜な髪から覗く双眸は獣のようで、巻き舌混じりの口調も震え上がるほどに威圧感があるが、それ以上に彼女には弱きを助ける心があった。


 そういえば、と熱川は思い出した。『パラレル・アサルター』は仲間内で最も心優しきヒーローだったことを。スーツの下の素顔はアウトローそのもので、真夜中の繁華街を闊歩していそうなイメージを与えるが、しかし素顔の下の心は純粋そのもの。誰かを守ることだけ、助けることだけを考えるヒーローの鏡だ。見てくれだけで除け者にされてしまうことの多い静音だが、一度彼女と関わりを持ってみれば分かる。彼女は、仮に自分の身がどうなろうとも自分以外の誰かのためになるのならそれでいいと、そう即決できる人間だ。熱川が出会ったヒーローの中で彼女と同じくらいヒーローに相応しい人間は数えるほどしかいなかった。静音ならどんなことがあろうと風町を見捨てたりはしない。自分の大切な友人を絶対に守り抜いてくれる。なにものよりも強固な確信が熱川にはあった。


「……ンだよ、ニヤニヤして気持ちわりィな。こっち見てんじゃねェよ」


 そっと風町の肩を抱き寄せながら、切り捨てるような言葉を静音は吐く。しかしそこにある小さな灯火のような優しさと照れを熱川が見逃すはずもなく、もう一度微笑みを投げかけておいた。


 視線を風町へ向ける。反射的に彼女の肩がびくっと上下した。


「風町。あいつらに狙われるような覚えはあるか?」

「ううん。ないよ。この前から何度か考えてみたけど、何にも思いつかない」

「そうだろうな。それが普通だよ。寧ろ何かあった方が驚く」


 静音がテーブルの上に頬杖を付いた。


「そう考えると、口封じってのが一番妥当な理由か。ああ、でも別に奴らは正体を知られたわけじゃねえのか。フルメタル・マッスルにしろブレイズ・パイパーにしろ、もう機関の方から情報は回ってきてる。今更隠す必要もねえな」


 四日前、クリムゾン・ノヴァとフルメタル・マッスルは謎の刺客による襲撃を受けた。クリムゾン・ノヴァの方は白昼堂々家に乗り込んでの強襲。それが二年ぶりの戦闘だったにもかかわらず、辛くも彼は凌いだ。フルメタル・マッスルの方がどういう襲撃を受けたのかは知らない。ただ静音の所へ回ってきた機関からの情報によれば、ヒーロー内でトップクラスの頑丈さを誇っていた彼は胸に大穴を穿たれて即死だったらしい。二年前に史上最大最悪とも言える凶悪事件で共闘した仲間だ。フルメタル・マッスルはクリムゾン・ノヴァとは違い二年前からずっと最前線で戦ってきた。その彼が即死という余りにも無残な結果で終わった。熱川がたいした怪我もなく刺客を退けられたのは運がよかったと言われてもおかしくない。


 そして二日前、今度はパラレル・アサルターとブレイズ・パイパーというヒーローが襲われた。偶然パラレル・アサルターと居合わせた熱川は数の有利で何とか敵を退けることができたが、残念ながらブレイズ・パイパーの方はそうはいかなかったようだ。戦闘の終わりに現れたピエロ面が残した、『今回はパラレル・アサルターだけ、なんてことはないと思うんだ!』という言葉の通り、ベテランヒーローの一角たるブレイズ・パイパーが殺された。二年前には業界最強クラスの火炎能力者だったにも関わらず、彼は焼死体で発見された。場所は新宿にある廃ビルの三階。別の事件を追っていたその最中に襲われ、なぜか彼の追っていた犯人もろとも冷たいコンクリートの上に転がされていたそうである。発見されたときには既に皮膚は爛れ、焦げ、ただの黒炭となっていた。人としての姿はもはや四肢と頭があるという人形の様なシルエットでしか判別出来ないほどだったらしい。


「ブレイズ・パイパーは焼死体だったんだよね? 形も判別出来ないほどの。もしかしたら違う人だった、って可能性もあるんじゃないの?」


 期待を滲ませた声で風町が言うが、即座に静音が「ねえ」と短く切り捨てた。


 熱川もその答えには頷く以外に方法がない。焼死体の身に付けているもので唯一、消し炭にならなかったものがある。


「チョーカー型換装デバイス『ENVELOPE』は、ヒーローごとに個体識別番号があって、全員が同じものを身に付けているわけじゃない。AというヒーローはAというデバイスじゃなきゃ換装できないし、BというヒーローもBというデバイスじゃなきゃ換装できない」


 熱川のその説明を静音が引き継ぐ。


「そもそも持ち主以外がエンヴェロープを付けるのは無理だ。正規の持ち主じゃない人間が付けると、チョーカーの内側が発熱しやがるからな。その温度は最高で一〇〇度近くまでいく。とてもじゃないが付けてられやしねェよ」


 焼死体の首にはしっかりと銀色に反射するチョーカーが付けられていたという。番号の確認も行ったが、ブレイズ・パイパーのものと合致。廃ビルに無造作に投げ出されていた人間炭の正体はブレイズ・パイパーのものだと断定された。


「……それじゃあ本当に殺された、ってことなの……?」

「ああ。そうなる」


 勿論死体の誤認という言葉は焼死体という情報から真っ先に浮かんだ。誰か別の、ブレイズ・パイパーとは何の関わりもない人間の死体。一緒に犯罪者の死体もあったというのだから、きっとその仲間に違いない。ブレイズ・パイパーの死体だというのは、ただ機関が早とちりをしただけで、当の本人は別の場所で平然と生活していると。


 だが、ヒーロー機関の検死班は警察よりも優秀、とはヒーローの誰しもが思っていることだ。億が一にも間違えるはずがなかった。検死を行ったのがヒーロー機関自らだという記述に、熱川の淡い期待は一抹の喜びを残さずに崩れ去ったのだ。


「そんな……だって、いさっち達はコープス・マンを倒したんだよね? あの大量殺戮からこの国を救ったんだよね!? 今の平和があるのはいさっちや静音ちゃんのおかげなんだよね!? 強いはずなのに!」


 痛む。ずきん、と鈍い痛みが胸から広がっていく。未だに世間においては自分たちが、自分の存在が神話の如く扱われていることが、何よりの苦痛。ヒーローは人間だ。神様じゃない。 


 俺たちは確かにコープス・マンを倒したかも知れない。だけど。


 正座に折った膝の上で無意識のうちに熱川は拳を握りしめていた。ヒーローであるが故に受け続けなければならない無垢な重圧。二年前に芽生えた罪の意識と相俟って、重く、重く潰しに掛かってくる。


「勇雄」


 低く険しいが、明瞭な声が熱川を呼ぶ。返事はせずに、続く言葉を待った。


「お前が私たちの何倍も苦しんでいるのは知ってる。私の想像も及ばないくらいにな。だが堪えろ。今回の事件を解決すれば、多分少しだけ楽になれんだろ」


 膝の上で固くなった拳に、そっと手が添えられる。静音の手は思いがけないほどに柔らかい。それでいて温かく、受ける重みをそっとどけてくれた。


「爽奈。ヒーローだって人間だ。殴られれば痛いし、刺されれば死ぬ。ただちょっとその度合いが普通より低いだけだ。そう追い込んでやるな。勇雄だって悔しい思いはしてんだ」

「そう……だよね。ごめんね」


 雫を垂らすようなか細い声と共に頭を下げた風町を、熱川は手で制した。謝らなくていい、と。


「気にすんな。ヒーローに期待するのは一般人にとって当たり前のことだ。風町は何も悪くない。それよりも今はピエロ達の襲撃についてだ」


 沈みかけた場の雰囲気をきゅっと引き締める。三人が三人とも向かい合い、まず口を開いたのは熱川だった。


「まずは風町が狙われた理由。もう一度聞くが、狙われるような覚えはないんだよな?」

「ないよ。少なくとも私の知っている中には一つも」

「となると、単に口封じという可能性も出てくるが、どうせ面の向こう側は見られてないんだ。わざわざするまでもないよな?」


 確認するように尋ねる先は静音。サイケデリックな色をした髪の下で、鋭い視線が他の二人を交互に見た。


「顔は見られてねぇが、それ以外の重要な情報は見られてんだ。体格と能力。この二つだけでも大分絞られるだろぉな。口封じの可能性もないわけじゃない。どうせ奴らは元々私たち二人も殺しているはずだったんだ。となりゃあ奴らの姿を見た人間はい

なくなる。ところが爽奈がいられると、まずい。だから狙ったんだろうな」


「でも、こうして俺ら二人は生き残った。その時点で奴らは口封じが無意味なことになるのを知ったはずだ。二人の内どちらかによって機関の方に自分たちの情報は流されると。そうすればそう時間も経たずに機関からの精鋭が送り込まれてくるだろうし、俺たちからも動く。奴らは俺たち二人を逃した時点で、ほぼ負けたようなものだった」


 そこまで言って、浮かんだのは先日のピエロ面の姿。足下に仲間を転がしたままに、しかと熱川と対峙した彼の余裕のある言葉。まるで本物の道化師のように戯けて笑っていた。軽やかな口調で、確かに彼は熱川達を再び襲いに来ると言った。否、熱川達の方から襲いに来るだろうと言ったのだ。つまり彼らに戦意を喪失したような気配は全くといっていいほどなかった。寧ろ自身に充ち満ちていたくらいに感じた。


 記憶を辿る表情が険しかったのか、静音が覗き込むように熱川を呼ぶ。うつむき気味の顔を見て彼女は短く、


「つまり奴らは諦めていねえ、と?」


「ああ。俺は機関の方に連絡を入れることができないからしていないけど、静音はもうこの間のキツネ面のことについては言ったんだろ? ならもうチェックメイトを決めてるような頃合いの筈」


「あんま喜べねぇ事が起きている可能性も否定はできねぇな」

「それともう一つ」 


 頭に引っかかった小さな鈎を跳ね上げるかの動きで、熱川は人差し指を立てた。


「最初、俺を襲いに来た奴は風町を狙わなかったんだ」


 ハッキリと告げられた言葉に、風町は「そういえばそうだ!」とでも言うように口を丸く開き、静音は派手な髪の下に引かれた細い眉毛をピクリと釣り上げた。一層鋭い目つきになって、熱川の口から続くであろう言葉を待った。


「最初こそ成り行きの上で風町を締め上げてはいたが、本来の標的である俺が現れた途端、即座に風町は捨てた。口封じが目的なら、ただの女子大生に過ぎない風町を殺してから俺と闘う余裕もあるはずだろ?」

「狙われなかったのか、最初は。でも、私の時は狙われた。おかしいな。けどよ、勇雄が現れて邪魔されたから殺せなかっただけじゃねえのか?」

「いや、十分に殺せたはずだ。まずあの時の敵はあと少しでも力を込めれば風町の首の骨なんか簡単に折れたんだ。けど敢えてそれをしなかった」

「この女が本当にクリムゾン・ノヴァなのかどうか、信じられなかったからてことか」


 首を縦に振る。鬼面を着けた大男は熱川に、「クリムゾン・ノヴァはお前か」と尋ねた。つまり風町がヒーローだということに疑いを持ち、そしてクリムゾン・ノヴァでないものを殺す意志は持ち合わせていなかったということだ。


「俺がクリムゾン・ノヴァだと判明するとすぐに、奴は風町を離して俺を相手にしたんだ」

「っつーことは爽奈を元々狙ってなかった、てのはほぼ確定できんな」


 そこまで言って、静音は胸ポケットに手を突っ込んだ。細いボールペンと、掌サイズのメモ帳を取りだす。意外にも丸っこい女の子らしい字体で、これまた意外にも小さな花を散らしたメモ用紙に何事かを書き連ねる彼女。一瞬、驚いたように手元を見つめる熱川の視線に気がついたのか、前髪の分け目から刺すような瞳を向けてから再び口を開いた。


「とりあえず敵に関するメモだ。正体、目的はもちろんだが、突然爽奈を狙い始めた理由も不明確。それに二年前の事件については大分詳しい情報を持ってるみてぇだ。もしかしたら私ら二人が相手にするような小規模組織じゃねえのかもしれねぇな」


 そういって静音はペン先を熱川に突きつけた。


「ヒーロー仲間から個人情報を引き出せないか?」


 ペン先に向かって熱川は問いかけてみる。が、返ってきたのは首を横に振る動作。いない、ということだ。


「そもそも私の信頼できるヒーロー仲間なんて、てめぇくらいだよ、勇雄」


 恥じらう様子もなくそう言い切る静音。ペン先が下げられ、音も少なげにテーブルの上に転がされた。


 目が眩むような鮮やかな髪に、殺し屋のように鋭利に輝く瞳も、犬歯がちょっとばかり飛び出た口元も滅多に綻ぶことはない。中身がどれだけ他のヒーローに負けないほど正義感に満ちていても、人はまず外見で人を見る。物言いが暴力的でがさつでも、誰よりも優しい。そんなことはある程度近づいてみないと分からないのだ。奇抜な髪色で、近づくだけで刺されそうな冷酷さの滲む顔つき。不良のような粗暴な口調。第一印象だけ見れば今岡静音という人間は到底ヒーローとは思えず、寧ろその対極にあるような存在。であるからして同じヒーローが距離を取っていくのは火を見るよりも明らかであった。


「そうだった、な」

「あいつはどうだ? 力丸は」

「無理だろうな。あいつだって俺たちと同じく二級以上の情報は引き出せないし、二年前には深く関わってない。俺たちよりも情報量が少ないくらいだよ」


 静音は忌々しげに舌を打つ。一通り書き終えたメモ用紙を乱雑に千切り、ボールペンと一緒にポケットにしまい込んだ。振り出しに戻されて、また地道にサイコロを振って考えを進めていかねばならない。


「なんで力丸さん?」

「え?……ああ」


 風町は力丸の正体を知らない。だが、彼女がここまで関わってしまった今力丸についても知ってもらうべきだ。


「力丸もヒーローだよ。知ってるだろ? ラピッド・ファースト」

「おぉ! ラピッド・ファースト! サイバー犯罪のプロ! 世の中の女全てを手玉に取る美貌の持ち主という噂は本当だったんだ!」


 小躍りし出した風町を見て、熱川は頭のなかに『一〇マスすすむ』とでも書かれていそうな光がパッと浮かぶのを感じた。


「待て。俺らよりも詳しい情報を保有している場所が一つだけある、かもしれない」

「あ?」


 ドスの利いた低い声を伴って、静音は細めた目を熱川に向ける。疑いに掛かるような目つき。敵意も害意もないことは知っているが、じんわりと背中に冷たさが広がっていく。ちらりと視線を風町の方にずらすと、思い出したかのように彼女は手を叩いていた。


「うちの大学のヒーロー研究会。風町の所属しているサークルだよ」


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