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尋問=再会

 世界は動き出した。道を行く人の話し声や車の音、日常のあらゆる音が耳の中にBGMの様に届いてくる。静音の能力は切れ、平行世界から熱川は戻ってきた。隣に追いついた静音も、真下で大の字に広がる狐面も。そしてどこかにいるであろう風町もだ。


 狐の男はビルの屋上に伸びたまま動かない。死んではないがすぐには動けない、ギリギリを狙ったのだ。そう簡単に起き上がってもらってもこまる。


「静音、風町を拾いに行ってくれないか。まだそんなに遠くに入っていないはず。彼女の電話番号を教えておくから」


 尻のポケットから取りだした携帯電話を軽く操作してから戻す。少しの間があって静音の身体のどこかが振動し出すと、彼女は無言の頷きとともに屋上を降りていった。


 衝撃でひび割れた屋上のコンクリートをつま先で擦る。空中にいる間に静音の能力は限界を迎えたから、着地の衝撃は現実に影響した。だがこんなものは僅かな傷に過ぎない。自分たちの足下を行く一般人が気付くはずはないだろう。


「おい。まだ動けないのか」


 軽く足先で男の脹ら脛を小突く。太い木の枝を蹴ったみたいにに揺れるだけだ。反応はない。もう一度蹴る。今度は少しばかり力を入れた。


「……何をする」


 今度は反応があった。足がぴくんと引きつるように動き、続いて男の首から上だけがこちらを見上げる。恐らくは苦悶の表情を浮かべているであろう面の下で、男はかすれた声を漏らした。


「言っておくが私は何の情報も漏らさぬぞ」


 狐面の男はふらついた動作で立ち上がる。咄嗟に熱川は脇を締めてファイティングポーズを取った。あれだけの攻撃を与えてなお抵抗をしようというのか。だが、膝は震え足下のおぼつかない男はさながら生まれたての動物のようで、戦意など身体のどこに目をやっても欠片すら見当たらない。


 こちらに踏み出そうとしたのか、しかし狐の男は足をもつれさせて再びコンクリートの上に転がる。どう足掻いたところで反撃をできるような状態ではなかった。


「お前らは何者だ?」


 膝を折って狐の男に視線を合わせつつ熱川は問う。覆せるはずのない力の差を見せつけられてなお、男は狐顔のまま、


「私は何も言わない。無駄だ」


 幼児のように弱々しいパンチを地面に崩れた体勢から出してくる。熱川はそれを容赦ない速さで捌き、返しの拳を一発相手の顔面に打ち込んだ。痛烈な音がして狐面はひっくり返る。


「もう一度言う。お前らは何者だ。目的は何だ。何のために俺や静音を、それに風町までもを狙う?」


 しばらく返事は無かった。投げ出された四肢がタイムアウトを乞うようにヒクヒクと痙攣する。熱川は自然と言葉が戻ってくるまで膝を折った姿勢のまま待った。大声で笑い合う若者集団とビートを刻むかの如くクラクションを鳴らしていた車が過ぎ去ってからようやく、細い声が聞こえてきた。


「正体も目的も近いうちに分かる。私からは何も言わない。決して」


 面の隙間から漏れ出る声を聞き、今度は男の着ているスーツの襟を両手で掴む。これ以上の暴力は相手の生死を左右しかねない。だから熱川は指先にありったけの力を込めて、それをねじり上げた。面の奧を睨みつけるように目を細め、小さく「吐け」と口を動かす。しかし吐かない。頑なに閉ざされた宝箱のように男の唇はビクともしない。開けば望むものが手に入るというのに。どうにもできないのが悔しいと同時に、苛立たしい。


「近いうちに分かるというのはどういうことだ」


 一歩引き、頭を落ち着かせる。襟首はねじり上げたままだが、血の上った頭を深呼吸で冷まし、熱川は質問を変えた。


「近いうちだ」


 頑として狐は口を割らない。いくら襟を締め上げて揺すろうと、狐の面は一切表情を変えなかった。


「答えろ。全て。二年前の、お前らの教祖様を殺したことに対する復讐なのか?」

「……」


 とうとう何も言わなくなる。白塗りの面に穿たれた二つの赤い眼。鮮やかな赤の奧で大きな目玉がぎょろりと動き、こちらを見た。睨み合いがしばらくの間続く。言葉も暴力も介さないが明確な怒りがそこには存在し、もし互いに制約がなければすぐにでも辺りは血の海に染まる。恐らくは熱川の一方的な攻撃によって。


 力では確かに熱川が勝っていた。けれども抱く怒りは相手の方が勝っていた。怒りと言うよりももはや怨念。たった二つの眼球の奧に、どす黒く渦巻いた得体の知れない何かが存在している。まるで一匹の生き物のように食らいついてきそうであった。


 果てしないように思えた睨み合いも、やがて熱川が拳を振り上げたことで決着が付いた。気圧されたのだ。狐面の抱く底知れぬ恨みと怒りに潰されそうになった熱川は、拳を振りかぶってそれを押しのけようとした。左手は襟を一層捻り上げ、右手は空気のたまり場もないほど強く握りしめる。


 無表情の狐面にめがけてそれを振り下ろすよりも先に、何者かが右の手首を掴んだ。後ろに引かれ、拳は止まる。


「クリムゾン・ノヴァ」


 背後から名前を呼ばれた。途端に背中をゾクゾクとした気持ち悪い感覚が這う。全身の毛穴が開くような嫌な感覚。


 咄嗟に振り向くが、そこには誰もいない。右腕には掴まれた感触が残るばかりで、もう掴まれてはいなかった。もう一度振り向いて正面を見ると、果たしてそこに新たな人間が立っていた。


「ひっさしぶりだねーノヴァ君!」


 つい一昨日あったばかりの記憶に新しい顔。目元に星を散らし、片目は十字の形をし、赤い月のような球を鼻の頭に付けたピエロだ。口もとは引き絞った弓のような弧を描いて、不気味な笑いを浮かべていた。


  生ぬるい声でピエロの面の男は言う。


「あーあ。僕の大事な部下をこんなボコボコにしてくれちゃってー。曲がりなりにもは一般人なんだよ?」


 そこで一旦言葉が句切られた。狐の男と同じように黒のスーツを着たピエロは、革靴の固い音を響かせながらこちらへと近寄ってくる。両手をポケットに突っ込んだまま、腰を折るように身をかがめ道化師の不気味な面をぐいと熱川に近づけた。


「ヒーローのすることじゃないなあ? ねえ?」


 薄く開いた真っ赤な口から囁くような声が漏れる。鋭いナイフで傷口を舐め取られるかのようだ。ピエロ男の言葉がきっかけとなり、頭の中で怒濤のように二年前の光景が浮かんでは弾ける。スライドショーを見るかの如く、部分的な光景が次々に切り替わった。平和な遊園地の風景。走るジェットコースター、小さな子を背に乗せて弾むメリーゴーランド。手を繋ぎはしゃぐ親子に、食事をしながら微笑み合うカップル。


 そして血の海。脱線し、折れるジェットコースター。鞍から血を垂らした首無しの木馬。親子の手は引き裂かれ、カフェで仲睦まじくしていたカップルは女性が瓦礫の下敷きになり、男性の方が泣きながらはみ出した腕を握りしめている。観覧車から必死に助けを呼ぶ自分と同い年くらいの女の子。ジェットコースターから落ちないよう力を振り絞ってぶら下がる子ども。至る所で血まみれになり、傷だらけになり、それでもヒーローを信じて助けを求めてくる人々の声が克明に耳に蘇る。人命救助と目標殲滅とを秤に掛け、どちらかに傾こうとするのを必死に止めた。それでも最後には目標殲滅、コープス・マンの殲滅を取り、闘い、殴り蹴り、マウントを取って、そしてトラウマのスライドショーは白く満ちて終わる。再び現実の、ビルの屋上の風景が戻ってきて、目の前に熱川をあざ笑い見下すかのようなピエロの笑みが広がる。


「ヒーローのすることじゃないね。一般人に手を掛けるなんて」

「お前、知ってるのか?」


 いつの間にか狐の襟を掴んでいた手は離されている。相手にはもう意識が残っていなかった。蓄積されたダメージが来たのだろう。もう狐の男はどうでもいい。今はピエロの男だけが、ピエロの男が知っていることだけが熱川に必要なものであった。


 立ち上がり、目の高さを揃えて熱川は向き合う。もう一度尋ねた。


「お前は、二年前の事を知っているのか? あの日何があったのかを」


 ビル風が吹く。排気ガスや人の息を吸って澱んだ空気が屋上に吹いた。ピエロのスーツが翻り、胸の中心でドット柄の黒ネクタイが踊る。何を思っているのか計り知れない男は、狂気じみた笑顔のままでただ無言を貫く。熱川の問いかけには何も応じない。


「あれは……あれは機関の最高機密のはずだ。機関にだって知ってる人間は少ない。ましてやコープス・マンの一信者でしかないお前みたいな人間が……知ってるはずはない!」


「最高機密、って何?」


 本当に知らないのか、あるいはとぼけたのか。気味の悪い笑顔だけを浮かべ、ピエロの男は小首を傾げた。何を気取っているのか、人差し指を口元に当てて「さいこうきみつぅ?」と語尾を上げた気色悪い猫なで声を作る。


 一瞬で驚愕と困惑と恐れが押し寄せ、途端に焦りに代わって罪悪感が二重になって襲ってくる。喉が張り付き、呼吸の仕方を忘れて空気が入ったきり出てこない。


「おまえ……」


 取り返しの付かないことを。幾重にもなる重厚なヴェールの下にあった禁忌を、あろう事か自分から口にしてしまったということか。目の前に屹立するピエロの面を見開いた目で見つめ、ふと気を抜けば膝が抜けて二度と立ち上がれない様に思えた。


「うっそー! 勿論最高機密が何かについては知っているよ! うん。勿論。そんなビックリした顔しないでよ、もう。トップヒーロー、あ、元トップヒーローか。そんな人が情けない顔でさー! だめじゃなーい!」


 腹に手を当てて甲高い笑い声を上げる。前屈になったり仰け反ったりして、精一杯におかしさを表現する。


 その姿を見て、熱川は安堵した。よかった、今自分が秘密を漏らしたわけじゃないのだ、とだが不安が消えたわけではない。再び最初に戻るだけだ。


「お前は何を知っている。二年前に起きた出来事について」

「全て」


 即答。考える時間すらなく、事実をただ最低限の言葉で伝えた。面の奧は伺いようもないが、それが嘘偽りだとは到底思えなかった。


「どこで知ったんだ。さっきも言ったが、お前みたいな一般人が知っていていい事じゃない。知れるはずもない事なんだよ」


「ふっはー! さあどこで知ったでしょーか!」


 とぼけるように大手を広げ、ピエロ面は足下の長身を跨いで熱川の周りをゆったりと歩き始めた。革靴の音を鳴らして、探偵が謎解きでも始めるかのように。彼の動きに合わせて熱川も身体の向きを変え、いつ何にも対応できるようにする。拳は硬く締め、腰に辺りに据えた。


「そもそもねー。ボクがここに来たのはそんな秘密がどうたらと言う話をするわけではないのですよ、ね! そんなのはつまらないことだし、どうせすぐに分かる」

「すぐにわかるってのは……」

「はいはいはい。つまらないからそういう話は答えませーん。ボクの言いたいことが言えなくなっちゃう」


 一旦かぶりを振ってから、


「ボクが言いたいのはね! 一昨日はクリムゾン・ノヴァとフルメタル・マッスルが襲撃され、今回はパラレル・アサルターだけ、なんてことはないと思うんだ! まだ二年前のトップヒーロー様達は残っているわけだしね」

「まさかもう一人……」

「ピーンポーン! 正解正解大正解! そうそのまさかです! 一回目だけ二人を襲撃して、後は一人ずつ、ってのも悪くはないよね! でもめんどくさいから二人ずつ殺していこうと思って!」


 愉快そうにピエロ面は足を止め、正面から熱川と向き合う。


 同時に熱川は握りしめていた拳を力強く打ちだした。歯を食いしばり、今ここで仕留めてやらんと殴りにかかる。仲間を殺された怒りと悲しみ、そしてトップヒーローと謳われた自分のどうしようもない無力さに対する嘆きが籠もった一撃。本能のままに突き動かした、自分でも予想外の一発が、しかし躱された。


「あっ……」


 虚しく腕が空を切り、前傾にバランスを崩した熱川の顎にカウンターのアッパーが飛ぶ。目の裏に星が散るようなそれに彼は間抜けにもひっくり返る。倒れ行く視界の端に拳を高々と突き上げたピエロ面の姿が映った。攻撃が来るのをあらかじめ予見し、そしてあらかじめ反撃の手段を考慮していたかのような綺麗なカウンター。大げさな動きなど無しに、呼気一つ乱れることもなく避けられたのは何かの偶然かと思いたい。


 唖然として受け身を取る余裕もなく、堅いコンクリートに背中をしたたか打ちつけた。広がった空が渦巻いて見える。雲が横ではなく、グルグルと円状に動いた。澱む景色を見ながら、耳だけはしっかりとピエロの粘っこく高い声に向いていた。


「あっぶないなーもー! 怪我したらどうするのさ」


 ぱんぱん、と手を叩く音が聞こえた。足音が仰向けになった頭に近づいてくる。やがて頭の方へ完全に回り込むと、しゃがみ込んで顔を近づけてピエロは言葉を続ける。


「果たして残った一人が殺されたのかどうかは明日になれば分かるよ。きっとね。そしてボク達は計画を変更した。ボクの手で運悪く生き残ったクリムゾン・ノヴァとパラレル・アサルターを狩りに行ってあげるよ」


 こちらを覗き込むピエロの顔がより一層不気味な笑みを広げた気がした。薄く開いた弓なりの口元が、すぅっと横に裂けていくような。動かない血色じみた口の奥から、楽しそうで不快な声が最後にこう告げた。


「もっとも、君たちがボクを狩りに来るかも知れないけどねっ!」

「わけが……」


 問いただそうと身体に力を込めた矢先、ピエロは口を鳴らしながら人差し指で熱川の額を押さえつけた。藻掻くが立ち上がれない。そんな熱川の苛立ちをあざ笑うようにピエロの面はこう付け加えた。


「しばらくしたらまた会えるよ! だから寂しがらないでねっ! また会おう」


 額を押さえつける指の感覚が消える。しばらくの間呆然と熱川は空を眺めた。今自分がどういう行動を取るべきなのかわからない。去りゆく敵の背中に追撃を加えるべきなのか、あるいは諦めるべきなのか。


 短い思案の後に身体を起こすと、既に敵二人の姿はない。ひび割れたアスファルトと熱川を取り押さえるように囲い並んだ緑色のフェンス。その向こうには建物の群があり、忙しなく人々の日常が動いている。視界の隅では風に煽られたフェンスドアが虚しく揺れていた。


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