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平行=破壊

 大学を出てしまえば、静音の暮らすマンションまですぐだった。第二食堂から正門までの方が距離を感じた。広いキャンパスというのは正門についてからが勝負の始まりなのだから恐ろしい。大学前徒歩一分に自宅があるからと言って始業一分前、余裕を持って二分前についても遅刻なのだ。


 大学に植えられた銀杏の木の頭が建物越しに覗える路地に入った。人通りも少なく、閑静な場所。徒歩一分圏内にコンビニもあるし、もう少し足を伸ばせばおしゃれなカフェもあるようだ。目の前にふと躍り出た恰幅の良い白猫が熱川を見て大きくあくびをした。首に付けた銀の鈴が小気味よくなる。


「着いたぞ」


 猫は震えて近所の塀の隙間へ消えていった。鈴の残響に手を振りながら、熱川は静音の方を向く。


 力丸のマンションほどではないが、十分立派な建物だ。立派な門があり、自動ドアがあり、暖色の蛍光灯が灯るロビーがある。郵便受けは縦長で、表札は滑らかなイタリック体の印字。うちの紙切れにマジックで書き殴った雑な表札とは大違いだ。広々としたロビーの奥にはもう一つ自動ドアがあり、そちらはオートロック式のようだった。


「オートロックだって。初めて見たよ」

「俺もだ」


 慣れた手つきで静音は番号を打ち込んだ。電子音が住人を迎え入れ、自動ドアが音も立てずに開く。ドアを通ってすぐの所にあったエレベーターホールで、運良く留まっていたそれに乗り込んだ。


「何階?」

「六階」


 平日の昼間ともあって、エレベーターは止まることなく三人を運んだ。


 静音を先頭に、中廊下を歩く。ホテルのように廊下の両脇に頑丈そうなドアが建ち並ぶ光景に、熱川と風町は共に目を輝かせた。そもそも二人にとっては部屋のドアが屋内にあるというだけでも十分感激に値する。


「……てめェら普段どんなところで寝泊まりしてんだ?」

「どんなって……畳だよね?」

「しかも六畳だ」

「キッチンつき!」

「屋根も!」

「お風呂はないよ!」


 二人して自宅の良いところを矢継ぎ早に列挙していく。なんだ、意外と良物件じゃないかと熱川は頷き混じりだった。


 ドアの鍵を開けて中に入る。静音と並んで一歩部屋へ踏み入れ、


 静音と熱川は同時に部屋の中に漂う違和感を感じ取った。


 初めて入る場所にも関わらず、熱川の中では異様な感覚が明瞭になっている。


「……なんか」

「ああ……なんかいやがる」


 玄関から伸びた廊下の先から、五感では感じることのできない何かが漂う。臭いでもなければ、音でもない。気配だ。それもあまり好ましくない気配。咄嗟に二人は風町の前に立って、盾のようにその小柄な身体を隠す。


「どうしたの……? 静音ちゃん……?」

「一昨日の連中がいるかも知れない。絶対に側を離れるな」


 状況を飲み込めてはいないのだろうが、風町は口を固く結んで頷く。


「奥は何の部屋だ?」

「ダイニング」


 一歩、また一歩と廊下を進んでいく。他の部屋から何か動きがあるかも知れない。気を張り、互いの背で風町を挟み込むようにした。フローリングの床が異様に冷たく感じる。ダイニングの入り口が近づいてくるにつれ、その先の気配は重くなっていく。いつでも動けるように構え、静かにドアの前に立った。はめ込まれた磨りガラスから内部を伺おうとするが、それは不可能。


「行くか?」

「ッたりめぇだろ」


 言うが早く静音はダイニングのドアを思い切り押した。何が待ち受けているとも知らない部屋の中へ床を鳴らして堂々と踏み込んでいく。


「待ちくたびれたぞ」


 リビングの真ん中に堂々とそいつはいた。

 狐の面を付け、黒のスーツを着込んだ細長い男だ。隠れることなどせず、柔らかそうなソファの上にごろりと横になっている。針金のように細長い手足がソファの両端からはみ出て垂れていた。


 関節をボキボキと鳴らし、邪魔くさそうな手足を動かして、家族の帰りを待ちわびていた猫のようにグッと背中を伸ばして男は立ち上がった。もっともその顔は猫ではなく狐であるが。立ち上がると男の頭は天井に付きそうな程だ。ゆっくりとした動作でスーツの皺を伸ばし、もう一度大きく伸びをしてからようやく男は三人の方を向く。骨が剥き出しになっているみたいな細い指で一人ずつ名前を挙げた。


「熱川勇雄、クリムゾン・ノヴァ。今岡静音、パラレル・アサルター」


 そこで止まることなく、狐の男は残ったもう一人に爪の先を向ける。


「風町爽奈、熱川勇雄の友人」


 全身が粟立つ。冷たい汗が背中に噴き出した。


「弱い奴から潰していくのが常套手段だ」


 男が片手を風町の方へ掲げたのと、熱川が彼女を抱え込んでダイニングの床を転がったのは同時だった。破砕の音がして、見えない力がフローリングを跳ね上げ、壁を大きく抉り取る。


「てめェ! 私の家だぞクソが!」


 怒鳴り声と共に静音が飛び込んで狐の男に回し蹴りを放つ。細いその身体は簡単に吹っ飛んで、本棚を薙ぎ倒した。


「本棚壊すんじゃねェよ!」


 棚から溢れた本を頭から被った状態の男へ間髪入れずに飛びかかる。弾頭の様な膝で狐面もろとも男の顔を打ち抜き、衝撃でその背後にあった本棚が真っ二つに割れた。更に続けてフックパンチの一発でもお見舞いしてやろうと静音が手を振りかざす。しかしそれよりも先に何かに弾かれたように彼女の身体は男から離れた。ワイヤーで引っ張られるが如く宙を舞い、対角線上のリビングテーブルに背中から突っ込む


 細い腕を静音の方に向けつつ、狐の男は立ち上がった。その様はまるで墓場から蘇る死者のような異様さを帯びていた。今にも折れそうな首を捻り、狐面の黄色の双眸が熱川を睨む。正確にはその腕に抱かれている風町爽奈を。


「静音!」


 叫ぶ。


「わかってるッつーの!」


 静音も叫び声で応じた。真っ二つに割れた丸テーブルを蹴り上げ、彼女は立ち上がる。血の塊を床に吐き捨てて、大振りに手を打った。


 何かが破裂したような音がし、そして一瞬だけ時間が流れを止めた。


 風になびくカーテンが、窓の外にある雲の流れが、宙を舞ったテーブルが、テーブルの上の小物が、狐面の奧の目玉が、全てが一瞬だが動きを止める。


「……なんだ?」


 再び時間が動き出して、狐の男が疑問の声を挙げた。


「てめェにわざわざ教えるとでも思ッてんのかカス」


 勢いの付いた跳び蹴りが狐の顔を捕らえる。静音の足裏は鼻っ柱を適確に踏みつけ、相手の細身を弾丸の如く打ち出した。仰け反った身体が歯車のように宙で何度も回転し、部屋の壁を突き破る。


 大穴の空いた壁に、狐面を追うように静音も突っ込む。壁の奧で鈍い音の連続があった後、再び狐の細身が放り投げられる形で戻ってくる。身体中の骨を抜き取られたかのようになって、リビングにあったありとあらゆる家具を薙ぎ倒した。


「勇雄。てめえが爽奈をずっと抱きしめてるから間違って連れてきちまったじゃねェか」


 続いて頭を掻きながら静音が穴を越えてくる。その右腕にはパラレル・アサルターの装甲があった。深い緑の腕は、肘の辺りが飛び出し刃の様に尖っている。節の刻まれた指を何度か開閉し、彼女は腕の感触を確かめた。


 今岡静音は自在に平行世界を行き来することができる。幾つも存在する別世界の内の一つと、自分の存在する現実世界とを行き来する。そしてそこには任意の人間を連れ込むことができる。敵も味方も、赤の他人も。誰も存在しない平行の世界に連れ込み、そこで心ゆくまで正義を執行する。それが彼女の戦闘スタイル。平行世界に起きたことは現実世界に干渉しない。いくら建物を破壊し、道を潰し、山を消し去り、海を干上がらせても、現実世界では何一つ変わることはないのだ。今この部屋にある全ての物は、現実と同じ物だが、現実のものではない。平行世界に存在する全くの別物だ。


 そして今、誰もいなかったはずの平行世界に四人の人間が現れた。その当事者たる静音は、いつ起き上がってくるとも知れない狐の男に対して構えつつ付け加える。


「物はいくら壊しても問題ねェが、人はダメだ。知ってるとは思うが、今ここにいる私を含めた全員は本来なら現実世界に存在するんだ。ここで死ねば現実でも死ぬこと

になる。言いたいことは分かるか?」

「全力で風町を逃がせ、と」

「わかってるじゃねェか。やれ」


 熱川はハッキリと頷いた。自分の役目は戦う事じゃない。逃げる。正確には逃がす。それだ。


「大丈夫か? 風町」


 優しく声を掛ける。彼女は大きく何度も頷いた。


「いさっち……」

「心配すんな。立てるか?」

「うん」


 膝が震えていたが、手を力強く握ってやるとそれも止んだ。


「早くしろ!」


 玄関に向けて駆け出す。物が激しく崩れる音を背中に聞いた。だが振り返らず真っ直ぐ走った。靴を履く、と言うよりも足を突っ込むだけ突っ込み、ドアを勢いよく蹴飛ばして部屋の外に飛び出す。


 ホテルのようなマンションの廊下も平行世界にすり替わり、住人の一人も存在しない。二人の足音だけがこだまする無人の廊下をひた走り、先にある非常階段の扉を目指す。風町がスニーカーだったのが幸いした。手を引いても問題なく走ってくる。日頃の心がけは案外に役立つものだ。


「部分換装:クリムゾン・レッグ」


 非常階段に辿り着いたところで、扉を蹴破る。装甲を纏った赤い足が、ドールハウスのドアでも外すような軽さでスチール製の扉を撥ね飛ばした。


「怖かったら目を瞑っとけ!」


 言うなり、小柄な風町の身体を抱きかかえる。驚くほどに軽い。ヒーローとして活動せずとも、毎日の筋トレを欠かさなかった成果だろうか。突然の出来事に「ひゃっ」と小さな悲鳴を漏らしたが、彼女は抵抗しない。だから安心して熱川は非常階段の踊り場を踏み切った。コンクリートに足形を残すほどの強烈な踏み込みで、飛ぶように宙へ舞い上がる。


  空中へ走り出した直後に、背後で盛大な破壊音を捉えた。振動が空気を伝わってくる。身体がびりびりと震えた。首を強引に捻って後方を確認してみれば、吹き飛ばされたマンションの外壁の一つが真っ直ぐにこちらへと飛んできている。予期せぬ空中戦。宙を飛ぶ身体は意のままに動かない。感覚が研ぎ澄まされる。自身を大きく逸れた別のコンクリート塊が、ミサイルの如く民家の屋根をぶち抜くのを熱川の目はしかと見た。あんなものが直撃すれば、自分はまだしも風町は即死を免れないだろう。そんなことをさせるわけにはいかない。


「しっかり掴まれよっ!」


 そう叫んで、熱川は踵を爆発させる。腰の辺りを抱きしめる風町の腕の力が強くなった。自分自身を起爆剤として推進力を得た彼の身体は大きく回転する。竜巻のようなうねりを伴って、熱川の蹴りは飛んできたコンクリート片を寸分の狂いもないタイミングで蹴り返した。蹴る物が違っていたら間違いなく世界を獲れるボレーシュート。一瞬だけ、破壊されたビルの隙間に見えた狐の面めがけ、コンクリート片は浅いカーブを描いて飛んでいった。願うのは静音に誤爆しないこと。


 熱川が新品の靴を一瞬で磨り減らすような滑走で近くのビルへ着地するのと、コンクリート片がマンションに着弾するのはほぼ同時。


「大丈夫か?」


 腕の中で風町は何度も頷く。


 足下に燻る二本線を辿り、静音のマンションを振り返る。彼女の部屋がある六階より上の階は内側で何度も爆発が起きたかのように、僅かな壁と骨組みだけを残して消え去っていた。


 まるで戦場。


 しかしそこにあるのは国家同士の戦いではなく、個人同士の戦い。二年ぶりに思い知る、人間の域を飛び越えた能力者同士の争いに熱川は身震いした。これが自分の生きている世界。ヒーローの世界。


 ヒーローの戦いは甘くない。常に死の瀬戸際に立たされる。格好いいものなどではないのだ。 


 そしてそれは時として取り返しの付かない後悔をも伴う。


 一瞬。一瞬だが、熱川の頭に嫌な光景が浮かぶ。二年間忘れようとしてきて、忘れることのできなかった光景。真っ白に染め上げられる景色と、瓦礫の山から立ち上がる自分の姿。ふらついてはいたが無傷だった。そこまでしか覚えていない。後は病室の中で目覚めた記憶だけだ。だが、その光景だけは今目の前で繰り広げられているかのように鮮明である。いつまで経っても薄れることはなく頭のなかに刻み込まれていた。


 気がつけば風町の身体を離してしまっていた。いきなり支えを失った彼女は、コンクリートの屋根に軽く尻餅をつく。


「……どうしたの?」

「……いや。ごめん」


 慌てて手を取って立ち上がらせる。


 風町は俯き、肩を震わせた。生まれて初めて経験するであろう、命を狙われるという恐怖。まともにいられないのも無理はない。


 と思ったのも束の間だった。


「さっすがいさっち! かぁーっくいー! いやー! 静音ちゃんもヒーローだったなんてびっくりだよ! 二人の連携にびっくりだよ! 流石共に戦ってきた仲間って

だけあるネ!」


 怖がるどころか状況を楽しむ余裕すらあったことに驚嘆した。初対面でも平然と静音と会話して見せた時も思ったが、彼女の図太すぎる神経には呆れるほどに感心する。


「……そんな格好いいもんじゃないよ」


 今自分の口から漏れ出た言葉は本音だ。  


 二年前に自分はヒーローの禁忌を破った。それは二年間、今この瞬間もどす黒い塊となって押し潰さんとしてくる。脳裏に焼き付いた光景が浮かび上がってくるたびに呼吸の仕方を忘れる。何も考えられなくなる。全身から脂ぎった汗が噴き出す。世界がぐるぐると回る気がする。


『おい! 勇雄! 逃した! 狐の野郎そっちに行った! すぐに爽奈連れて逃げろ!』


 どろどろに溶け出した脳みそは、チョーカーから聞こえてきた静音の怒声で元通りになる。大きく息を吐き出し、正常な思考が戻ってきた。何をしているんだ自分は。今やるべき事は昔を思い出して勝手に追い詰められているときではない。今やるのは風町を逃がすことだ。


「風町。ヤツが追ってくる。逃げろ」

「いさっちは?」

「俺が食い止めるから。早く!」


 突き飛ばすように風町の肩を押す。見据えた空に粒のような影がちらついた。風町の方は振り向かずに、屋上脇の非常階段を下っていく彼女の足音だけを確認する。


 黒い粒が人の姿に見えると、それは屋上には降りずに空で方向転換した。背中の辺りの空間が歪み、勢いよく滑るようにして狐の男は宙を進む。熱川には目もくれず、真っ直ぐに風町の逃げた先へと向かっていた。


「させるかよっ!」


 固く握った拳を滑空する狐の男に合わせた。照準はその脳天。


 そして、熱川は自らの拳を砲弾のように撃ち出す。右拳が手首の下辺りで爆ぜ、骨や筋繊維を引き千切って飛んだ。右腕を伝う激痛に顔を軋ませながら、それでも狙いは外さない。銃弾と変わらぬ速度で撃ち出された、まさにロケットパンチ。鉄板に引き寄せられる磁石の如く、熱川の拳は狐面のこめかみを適確に打撃した。相手は体勢を崩し、同じビルの屋上へと落ちてくる。勢いに乗ってコンクリートの上を何回転もした。


「……何だその技は」


 乱れたスーツを直しながら狐面は立ち上がる。


「これが俺の能力だ」

「貴様。巫山戯てるつもりか?」


 傷だらけのシャツをズボンの中へしましい、曲がったネクタイを締める。薄汚れた狐の面をずらして地面に血の塊を吐いた。


「腕を切り離すとは。正気の沙汰ではないな」

「別に減るもんじゃない。一瞬の痛みに耐えればいいだけだ」


 ぶらぶらと手を振ってみせる。既に千切れた腕の先からは指のような細長い塊が伸び始めていた。痛みはもう通り過ぎた。後はこの腕が完全に再生するのを待つだけだ。


「インボーンとは気味が悪いものだな」

「勝手に言ってろ。ここから先には行かせない」

「勝手に言っていろ。まずはあの女を潰させてもらう」


 先に動いたのは狐面の方。地面を蹴り、風町の逃げていった方へ走り出す。だがしかし熱川はそれを許さない。進路を塞ぐように男の前に躍り出た。


 男は熱川と衝突の直前で進路を上空へと変えた。鼓膜を突き抜ける衝撃音が響いた後、男の身体は熱川のはるか頭上にあった。屋上にはすり鉢のように凹んだ跡だけが残っている。


「お前はなんの能力だ!」


 追って熱川も飛び上がる。足裏を爆発させ、ジェット噴射の要領で一瞬にして狐の顔面に迫った。額同士がくっつくような距離で拳を握りしめる。千切れた右はもう完全に再生していた。問題はない。カウンターの余地も与えない即行で、狐を下へと殴りつけた。固く冷たい感触を拳の先に得る。妨げるもののない空を、狐の男は地面へと直行した。


 この一撃だけで勝負が決まるような相手だとは思っていない。熱川も下へと向かいながらいつでも攻撃を繰り出せる姿勢を取った。狐の男は地面と激突する寸前で体勢を立て直し、着地。そのまま走り出した。


 屋上の縁を蹴って隣のビルへ。熱川もそれに続いて飛ぶ。


 それは町並みを派手に塗り替えていきながらの鬼ごっこだった。


 逃げる方が悪で、追うほうが正義。民家を、マンションを、車を歩道橋を信号機を。静まりかえった町を尽く破壊していく。追いつかれぬよう、逃がさぬよう。熱川には相手の能力が分からない。だがしかし腕の一振り、一かざしで建物一つに穴を空けるほどの能力を有しているのはわかった。そんな輩を風町に近づけさせるわけには行かない。持ちうる限りの能力を駆使して狐面の男を風町から遠ざけた。相手も自分が大分目標から離れたのを知ってか知らずか、もはや風町を追うことは諦めたようにも思える。路地を、大通りを、ビルの上を、空中を駆け抜けながら、前を行く狐の男は何度となく熱川の方を振り返った。反撃の期を伺っているのは明白だ。追われる者が通り、追う者が走り抜けた後にはビスケットのように砕かれた建物の残骸だけが残った。さながら白昼堂々町中で戦闘機が高速の格闘戦を繰り広げているようにも思える。勿論バルカン砲やクラスター爆弾を撒き散らしながら。


 次第に二人の距離は詰まっていった。追う熱川がスピードに乗り、滑るように狐面の背中へと迫っていく。いくら二年のブランクがあるとは言え、トップヒーローである。自分の能力の使い方、身体の動かし方、戦い方は数え切れないほどの実践で叩き込んできた。身体で覚えた記憶というものは早々忘れるものではない。そんな彼に、いくら破壊的な力を持つとはいえただの一能力者が挑むのは初めから勝敗が決まっているようなもの。喧嘩で鳴らしたチンピラがプロの格闘家と試合をするのと同然だ。


『勇雄。あと一分で私の能力が切れる。それまでに捕らえろ!』

「了解!」


 怒声に怒声で返す。チョーカーから流れてきた静音の声は、耳元を風が覆っていてもよく聞こえた。静音の能力の限界は三〇分。三〇分を過ぎると誰もいないこの平行世界は、人で溢れた現実世界へと戻る。それまでに決着を付けなければならない。


 狐面が適当なビルの屋上を足場に着地したのを見て、熱川もその隣のビルへと着地する。勢いの付いた着地にコンクリートが礫になって跳ねた。互いに睨みながら屋上を平行に走る。十分な助走で二人は再び宙へと飛び出す。一瞬の無重力。直後に訪れる爆発的な加速で互いは互いへと飛んでいった。宙で一瞬交差し、火花のような得体の知れない光が生じ、空間がねじ曲がって直後に勢いよく両方向へと引き離される。人っ子一人いない住宅街で、戦場のような爆音が連鎖的に鳴り響く。ビルが崩れ粉塵が舞い、空に灰色が塗される。吹き上がった建物の瓦礫を蹴って再び熱川は相手の方へと駆けていく。大きさのまちまちな浮いた足場を、軽やかにリズミカルに蹴ってまるで平地を進むよう。


『残り三十秒だ!』


「任せろ」


 小石のような瓦礫すらも足場に変える。上下が秒刻みに入れ替わり、人に自由を与えない空を縦横無尽に走り抜けた。目線は同じくこちらへ向かってくる狐面の男。彼も宙に散った廃材を足場に向かってくるが、速度も安定性も熱川には遠く及ばない。再び相対するまでもなく熱川は勝利を確信した。


 鉄骨を滑り、固い石片を踏んで飛ぶ。最後に一番大きな瓦礫の塊を蹴って大きく拳を振りかぶった。相手はまだ構えを取っていない。拳を握ったのとは逆の手で正確な狙いを付け、背中側へ限界まで引き寄せた拳を渾身の力で狐面に叩きつけた。突撃の勢いもある抜群の右ストレート。鈍く響いた音が風の唸りを縫って耳に届き、しばらく鼓膜を揺さぶり続けた。


『タイムアップだ』


 落ちていく狐面の男をゆったりと見下ろす余裕すらあった。勝利を確信してからようやく重力が働き出したかのように、熱川は遅れて落ちていく。


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