旧友=粗暴
「来ない……」
手を胸の辺りに持ってきて時計を確認する。もう何度目になるかわからない。とっくに待ち合わせの時間は過ぎている。長針が六を示したら電話を掛けようと決め、熱川は車よけの石の上に座った。一時間ほど前に電話を掛けた時には、相変わらずの極道まがいの声が帰ってきたから、何か事件に巻き込まれたとは思っていない。そういえばあいつが正確な待ち合わせ時間に来たことはなかったな、と思い出し、苦笑いした。
門を見上げ、自分の通う大学との風格の差に感心する。頻繁に、というわけではないが何度か前を通ったことや構内に入ったときにはあまり考えたこともなかったが、本当に同種の教育機関なのかと疑いたくなる。江戸の頃からあるという朱色の門は見上げるほどに高く、壮麗である。関東大震災で校舎が潰れたにも関わらず、この門だけは大地の怒りの如き揺れをものともせずに耐え抜いた。何も知らないでこの門の前に立てば、その向こうにあるのが大学だとは到底思わない。寺社仏閣と言われた方がしっくりくる。
歴史的風格と言葉にできない荘厳な気配を漂わせる赤い門に思わず見とれていると、突然ポケットの奥で携帯電話が鳴り出した。
「はい、もしもし」
『よォ。私だ。静音だ。悪いな。もういんのか?』
「とっくにな」
電話の向こうで粗暴な声が、粗暴な言葉で詫びを入れた。受話器の向こうは大分騒がしい。周囲の音に言葉を呑まれないよう、彼女は声を張り上げ、
『今ちょっと立て込んでて、すぐにはそっちに行けそうにねェ』
「おいまさか」
『違ェよ。はやまんなカス。安心しろ。ッつーわけだから、悪いがお前がこっちに来てくれねェか?』
「……どこにいんだ?」
『第二食堂』
赤門を潜って大学構内に足を踏み入れる。入ってすぐの所にあった構内案内図で第二食堂の位置を探した。一分少々指で地図をなぞった末に見つけた食堂は、門の丁度真反対の位置にあった。
「遠いんだが」
『しゃーねーだろ。まァ先輩の言うことは聞くもんだ』
「同期だろ、おい」
『ここはどこだ? 大学だろ? なら私は三年でてめェは一年。上下関係は明白だろうがよ』
「俺はここの大学じゃ……」
電話は切られていた。ノイズ混じりの虚しいツー、という音だけが聞こえてくる。切り際のめちゃくちゃな論理の残響に、熱川はため息を吐いた。
このまま石の上で呆けていても待ち人がくる可能性は万に一つもない。むしろ自分から動いた方が、時間短縮の意味でも保身の意味でも賢い選択だろう。もう一度ため息を吐いて熱川は歩き出した。
三限が始まっているのか、構内に学生の姿はまばらだ。時折ベンチで本を読む学生や、うたた寝をする学生、遅れて授業に向かうのか必死に鞄を抱えて走っている学生がいるが、それだけ。後は散歩で構内を歩いている近所の家族連れや老人のすがたがちらほらとあるだけである。ただ門を一つ越えただけだというのに、そこはまるで別の世界のよう。森のような町のような、大学は大学という一つの空間だった。自然と歴史、そして現代が混在する構内を第二食堂の方へと歩いて行く。アスファルトに揺れる木漏れ日を見ていると、一昨日に命を狙われたことが夢のように思えてくる。現実はかくも穏やかで、不思議と気持ちは凪のようだった。いつまでも張り詰めているのはいけない。ここに来たのは薄々感じていた焦りを鎮める意味でもいいことだったようだ。
池を越え、数分掛けて第二食堂のある建物までやってきた。中に入ってみると、昼時が過ぎたこともあってかやはり学生は少ない。勉強するか少し遅めの昼食をとるか、寝るか。電話で言われたとおりの場所にやってきたが、受話器の向こうに聞こえていたあの騒がしさはない。
いや、あった。
入り口と正反対の場所を数十人規模のグループが陣取っていた。何やら大声で話し合っている。男ばかりだ。それもただの男だけでなく、耳に入ってくる声のどれもが大きく、野太い。かなり異様な一団だ
と、その集団の中に熱川は目的の相手を見つけた。黒髪や、坊主刈りの青色、スキンヘッドの肌色に混じって一際鮮やかな髪色が浮かんでいる。遠目にもすぐ分かるほどである。
近づいていって、盛り上がっている談義に割って入るように声を掛けた。
「おい、静音」
一声に、熱狂していた会話が止まり、いかにも体育会系と言った風貌の男達が一斉に熱川を見た。太い眉に三白眼の男達から半ば睨み付けられるようにして注目を浴び、その迫力に一歩後ずさる。下手に刺激すればたちまち食ってかかってきそうな肉食動物じみた凶暴さを、場にいた全員が醸し出していた。
「お迎えだ。私はこれで帰るけど、てめェらちゃんと決めとけよ。意見纏めたら、磯川。てめェが私に連絡入れろ」
「オッス」
磯川と呼ばれた強面の男は顔に似つかわしい野太い声で応じる。他に集まっていた男達も同じように返事をし、再び騒がしい議論が始まった。少しその内容に耳を傾けてみると夏休みの合宿メニューが云々という話である。ただ単にぎゃあぎゃあと野獣が吠えているだけの会話かと思ったが、少し真剣に内容を聞いてみれば立派な意見のぶつけ合いだった。分かる範囲では筋力強化か、技術強化か、体力強化かといった言葉。あとは耳にしたことのないカタカタの専門用語が盛んに飛び交う。
「久しぶりだな」
気怠そうな足取りでこっちにやってきた静音は細めた目で熱川を見た。端からは睨み凄んでいるようにも見えるが、そういうわけではない。
今岡静音は一言で言い表すならばヤンキー。シャギーの入ったセミロングに片目を隠したヘアスタイルにピンクと紫と緑の混じった派手な髪色は通り過ぎた人を二度見させる。前髪に隠れていない方の瞳を始め、殺し屋のような殺伐としたオーラがその身のそこかしこから滲み出ていた。
初めて今岡静音と対面して恐怖を感じない人間は、感情のないロボットか、幾つもの死線や修羅場をくぐり抜けてきた猛者のみだろう。
「生きてか、てめェ」
「何とかな」
連れ立って食堂を出る。あれだけ騒がしい場所に居続けたら、出来る話も出来ない。
「そういえばさっきの集まりはなんだったんだ? 途中で抜けてきて良かったのか?」
ぶらぶらと中庭を歩きながら熱川は訊ねる。
「あ? サークルのミーティングだ。私が主将だから抜けるも抜けないも全権は私にあるから何の問題もねェんだよ」
「何のサークルだ、あれは」
食堂のテーブルを囲んでいた連中の中には明らかに堅気とは思えない見てくれの者もいた。もしかしたらアフリカで銃弾の雨をくぐり抜けてきたような連中かも知れない。
「総格研。総合格闘技研究会だ。活動内容はそのまま。格闘技が好きな奴が集まって実践的練習をするサークル。同じ格闘技だけは当然集まらねえから、基本的に練習の時の組み手とかは異種格闘になる」
「そこでお前は主将、と。相変わらずだな」
「弱えんだよ。他のメンバーが。だから合宿で鍛え直そうとして、さっき合宿の練習メニューをサークルの幹部陣で話し合ってたってわけだ」
毒々しいセミロングの髪をかき上げる。黒いタンクトップから覗く腕は、なるほど女の子らしい小枝のような細さを持っていない。太いというわけではないが、岩が凝縮されたような筋肉が腕に余すところなく備わっている。腕相撲などしたら熱川は一瞬のうちに骨ごと持って行かれる気がした。
「というか、あそこに集まってたのが幹部陣だけってことは、他にもメンバーがいるのか?」
「あたりめえだろうがよ。これでもうちのサークルは体育会系サークルの中じゃトップクラスの規模をもってるんだ。あの五倍はいるよ」
あんな堅気離れした風貌をした奴らがまだいるとなると鳥肌が立つ。あの中に五分と混じることのできる自信がない。
「いさっち?」
いよいよ本題に入ろうとしたところで、後ろから呼び止められた。開きかけた口を思わず閉じる。人に聞かれてはいけないのだから。
振り返ればなにやらにやにやとした顔でこちらを見る風町の姿があった。
「知り合いか?」
「まあ一応な」
小走りで寄ってきた彼女は開口一番こう訊ねた。
「いさっち、なんでこんな所に……の前に、デート?」
「てめェ面白いな」
代わりに答えたのは静音。長く垂らした前髪から覗く目が睨むように風町を見据えた。
「名前は?」
「風町爽奈です。いさっちの隣の部屋に住んでます」
「今岡静音だ。勇雄とは……あー旧知の仲だ」
「ということはつまり……」
静音の姿を見て少しも臆することない風町に、熱川は感心していた。静音と初対面で動じない人種に、感情のないロボット、歴戦の猛者に加えて風町爽奈を入れておくことにした。いや、その二つよりも遥かに強者かも知れない。なにせ初対面の静音に対して突っ込んだ話どころか煽りも含んだ言葉を掛けることが出来るのだ。これを強者と言わずして何と言うのか。
「なんでお前がここに?」
ここは熱川たちが通っている大学ではなく、静音が通っている大学。しかも熱川とて滅多に来るような所ではない。ここで会ったのは偶然どころか奇跡に近かった。
「サークルの用事でね。言ったでしょ、うちはインカレサークルだって」
「珍しいこともあるもんだ」
「いさっちこそなんでここに?」
突然の切り返しに、言葉が詰まる。本当のことを話すわけにはいかず、何て答えればいいか言葉を探した。
「静音に用があって……ってところだな」
「ほほう」
顎に指をあてがって、風町は意味深に頷き返した。
「じゃあ私がいつまでもお邪魔してちゃだめだねっ」
そう言って元来た道を戻ろうとしたところを、静音が呼び止めた。意外な行動に、思わず熱川は彼女を二度見する。
「気に入った。もうちょっと私と話そうじゃねェか」
「え? でも二人は」
「違ェよ。そもそもなんで私が勇雄と仲良く恋人ごっこしなくちゃならねェ? ただの友達だ」
静音はこんな成りであるから余り他人から近寄ってくることはなく、そのために彼女自身もあまり他人と関わろうとはしない。その静音が他人、それも初対面の人間に対して「気に入った」と言うのを熱川は初めて見た。そしてそれを何の警戒もなく受け取る人間も。
「おい……あの話は」
「一時間くらい話したら終わりにするからよ。例の件はその後だ」
声を潜めて言葉を交わす。どうしても彼女は爽奈と話をしたいようだった。
「行くぞ。歓迎するぜ」
「どこに?」
「あん? 私ん家に決まってんだろォがよ」
言うが早く、静音は足の向きを変えて歩き出した。行く当てもなく彷徨っていただけあって、目的地が定まったのは喜ぶべき事だった。
しばらく歩けば工学部校舎の建ち並ぶ区域に入る。まだ三限終了までは時間があるから、やはり学生の姿は少ない。今頃両脇にそびえる校舎の中で必死に教授の話に耳を傾けているところなのだろう。普段入らない他大学の校舎を物珍しげに見つつ通り過ぎようとしたところで、熱川の目は見知った顔を捕らえた。
校舎の一つから歩いてきたのは見慣れない白衣姿であるが、その顔には十分見覚えがあった。風町も気がついたようで短く声を漏らす。二人の足音が止まったのに気がついた静音が最後に振り返り、舌打ちをした。
「おお! 勇雄に爽奈ちゃんに……静姐さんか。随分と面白いメンツじゃん」
昨日降りに見る顔は当然だが何も変わってない。切れ長の目にすっきりと取った高い鼻。鮮やかな金髪の、ホストとしか思えない顔立ちは力丸である。
「力丸さん! え? 力丸さんもここの大学!? というか大学生!?」
「そ。驚いたっしょ?」
笑って力丸は言う。その腕は隣に立つ女性の肩に回されていた。力丸は二人連れだった。彼の隣で柔らかな笑みを浮かべる女性を、熱川は見たことがない。初めて会う人だ。
そんな熱川の視線に気がついたのか、力丸は肩から手を離して三人に向けて紹介した。
「彼女は野道嵐つって、同じ学部の同級生。そして、俺の彼女だよ」
彼女。
銃弾のようにその二文字が熱川の胸を撃ち抜いた。友人の吉報を喜ぶよりもまず、羨む気持ちが勝る。ただの彼女なら熱川は何も思わなかったに違いない。
へー。彼女。あーそう。おめでとう。ある種大人の余裕のようなものでその場をやり過ごせたはずだ。だがしかし、現実にそれはできなかった。
力丸の彼女は、こういう言い方は失礼かも知れないが隣に立つ静音や風町と同じ人間なのかと疑うくらいに綺麗だった。艶やかな黒髪が肩の辺りまで伸び、くりくりと二つの目が純真無垢の光を帯びて開かれている。少し丸い鼻がかわいらしさを添え、薄い桜色の唇が綺麗な弧を口元に引いていた。きゅっと顔を縮めて見せる笑顔は、動物のように愛らしくもあり、女神のように美しくもある。力丸と並べば、ファンタジー小説に出てくる勇者と姫様のようで、実に相応しいカップルだった。
あまりに相応しすぎてぐうの音も出なかった熱川は、とりあえず苦し紛れに大きな舌打ちを一つしておいた。
「静姐さん久しぶりじゃん」
「よぉ。元気そうだな力丸」
にこりと爽やかな笑みを見せた力丸を、汚物でも見るかのような白い目で睨むとすぐに目を逸らした。
今岡静音が嫌いなものは、本人曰く悪と敬語と弱い人間、そして最後に爽やかイケメン。
いい匂いのしそうな髪だとか、白い肌とか、誰にでも振りまく笑顔だとか、薄い胸板だとか、ごちゃごちゃした服装だとか、がどうにも気にくわないらしい。本人曰くあんなのは無垢な女の子を吸い込んだ挙げ句ごみ箱に捨てる掃除機のようなものだそう。男なら黙って短髪に浅黒い肌で強面、そして鎧のような筋肉を持て、というのが彼女の持論だ。
「私は今岡静音。よろしく」
「野道嵐です。どうぞよろしく」
彼氏は無視しても、彼女は無視しないようだ。おしとやかな美少女といった野道に、静音はすっと手を差し出した。握手。刺すように睨む静音の目に野道は全くといっていいほど動じない。
「いつもなお君がお世話になっています」
少しぎこちない動作で野道は頭を下げた。
「野道さんは地方出身?」
「え?」
小首を傾げて彼女は熱川を見た。イントネーションが少しずれてる、とそう思っただけだ。特に深い理由もない。
「彼女、東北の方から出てきたから! まだ訛りが抜けてねーんだ。気にしないでやって」
質問の意味が分からない、と言うような目で熱川を見つめ続ける野道に変わって、力丸がフォローする。そのフォローに合わせて傍らの彼女もこくこくと頷いた。
「そういえば力丸さん。授業は? は、もしかして、サボり?」
「授業をサボってデートか。とんでもない男だ」
風町と熱川は疑わしい目で力丸を舐め回すように見る。
「ちげーからな? 全っ然ちげーから! 元々二限三限が空きコマなんだって。で、今日はサークル関連の用事でちょっと出歩いてただけ。今から部室に戻るとこだよ」
否定してみせるが、ムキになる辺り、そのつもりもあったのだろう。女性に手慣れ
ていそうで意外とそうでもないらしい。さっきの唾を吐くような舌打ちは取り消しにしよう、と熱川は頷いた。
「力丸さんて何サークルなの?」
「メカニック研究会。通称M研」
すかさず熱川は横から、
「卑猥だな」
「まさかとは思うけどMって言葉に反応したんじゃねーだろうな?」
風に揺れる銀杏の葉を眺めた。隙間隙間に見える空の青が美しい。下手な問いただしなど初夏の風に吹かれて空に吸い込まれていった。
「主にロボットを作るサークルだよ。組み立てからプログラミングまで全部やるんだ」
「すっごーい!」
「メンバーは少ないし、そんな大層なものでもないんだよね」
「彼女さんもM研なの?」
「まあ……一応ね」
はぐらかすような物言いだった。
「さて、俺らはそろそろ戻るよ。大事な話があるんだろ? いつまでも邪魔してるわけにはいかない」
「そうだ。早く消えろ」
最初の社交辞令的な挨拶以来ずっと黙りだった静音がようやく口を開いた。絡んできたチンピラを追い払うように舌打ち混じりの言葉を向ける。
「これからみんなは静姐さん家に行くの?」
「まあな」
「爽奈ちゃんも?」
「なんか静音が風町のこと気に入ったみたいでさ」
「へえ」
力丸は静音を横目に見た。静音は力丸をきつく細めた両眼で睨み返す。
「確かに爽奈ちゃんは静姐さん見ても動じなさそうだしね」
力丸は風町を横目に見た。風町は力丸に弓なりに細めた両眼で微笑み返した。
「うん。いい笑顔だ。静姐さんはそこに惚れたってわけだ」
「……」
「そこに惚れたってわけだ」
「どうでもいいだろうがカス。いいからてめェはかわいい彼女とどッかいけよ。つーかてめェがとッとと消えやがれ」
「相変わらず怖いなー。言われなくてもそーするよ」
爽やかな風貌の内側には鋼の心臓があるのかも知れない。静音の罵倒を軽くいなし、隣に立つ姫様のような彼女の肩を抱いて力丸は去っていった。去り際に向けた自然で毒のない笑顔が、静音のかんに障ったらしく、彼女は目を向いて力丸の背に向けて中指を突き立てていた。
二人を見送った後、熱川達は正門を通って大学の外へ出た。赤門が正門だとばかり思っていたがどうやら違うらしい。こちらに微笑んだ気のよさそうな守衛のおじさんに会釈を返し、不機嫌そうな静音の後を付いていった。




