再会=悲報
翌日、午前中に手際のいいガラス屋が手際よく外れた窓枠と粉々になったガラスを取り替えると、熱川の部屋は大分元の通りになった。青のつなぎを身に付けた二人組のガラス屋は、穴の空いた障子や部屋の隅纏めてあったちゃぶ台とノートパソコンの残骸を怯えた様子で眺め、ホラーハウスにありそうなぐちゃぐちゃに歪んだ窓を見て
「戦場か?」と呟いていた。
予想外に早く窓の修理が終わったので、熱川は昼飯ついでにパソコンを買いに行くことにした。昨日散々迷惑を掛けたお詫びも兼ね、隣人も誘うことにする。少々立て付けの悪いドアを開けて部屋をでると、丁度誘いに行くつもりだった友人が玄関前に立っていた。
「よう。どうした?」
「さっき誰かが階段降りていく音が聞こえたから。もう窓の修理おわったのかなー、と思って見に来た。 終わった? 元通り?」
何も言わずに身をどけてやる。半開きになった扉の丁度対面にある窓は、真っ直ぐな枠に曇り一つないガラスがきっちりと嵌めてあった。昨日の様子が頭に残っていたであろう風町は、感嘆の声と共に小さな手をぱちぱちと叩く。
「すごい! まるでプロみたいだ!」
「プロだからな」
当たり前の言葉を返し、そういえば、と熱川は彼女のつむじの辺りを眺めながら言った。
「お前今から空いてる?」
「うん。暇だよ。いつでも暇」
「お昼食べに行こう。奢るよ」
「ええ? ホントに? いいの?」
「昨日散々迷惑駆けたからさ。お昼ぐらい奢らせてくれ」
「さすがいさっち。素晴らしい人格をお持ちですな。メトロポリタンでイタリアンランチとしけこみたい!」
ガッツポーズを決め、風町は自分の部屋に入っていった。部屋着用の紫ジャージだったから、恐らく着替えに行ったのだろう。既に私服に着替えているこちらは、特に何もすることはない。尻ポケットに長財布が入っているのだけ確認してから一階で待機していることにした。
待つこと五分。時計との睨めっこにいい加減飽き飽きしてきたところで、スチール階段が軽快な音を立てた。顔を上げると、慌てた様子の風町が一段飛ばしで階段を駆け下りてくるところだった。
白いシャツに黒のホットパンツというなりの彼女は、ローカットのスニーカーを履いて動きやすそうな格好である。すらりと伸びた細い足に少しだけ目がくらんだ。
「いつもお前スニーカーだけど、ヒールの付いた靴とか履かないのか?」
歩き出しながら尋ねてみる。風町は別段背の高い方ではなく、寧ろ低い方に分類されるからヒールの一つや二つ履いていそうだが、いつも足にはスニーカーだ。
「ん? これはね、もし街中で事件に遭遇してもきちんとヒーローの誘導するとおりに動けるよう、スニーカーなの。ヒールが付いてたりするといざって時には動きにくいからね」
それが常識だと言わんばかりに胸を張る。これだけヒーローに関わることは徹底しているというのに、ヒーローそのものを目指そうとしないのはかなり不思議であった。
七月に近づいた六月というのは随分と暑い。まだ一週間も残っているというのに、見上げた空は綺麗な濃い青だ。ゆらゆらと漂う雲の白が良く映える。千切ってこねることができそうなほどにしっかりとした形の雲。じんわりと首の辺りを太陽に炙られ、二人は駅までの道をのんびりと歩いた。パソコンを買いに行くとは言っても、そう急ぐような用事でもない。案外風町を誘い出した時点でメインは食事であるような感じもしていた。
「いさっちはさ、いつ頃自分の能力に気がついたの?」
「あ? うーん。小学生くらいの時だな。ドッヂボールやってて、力んだらボールが爆発した。いきなりボンッて」
「……大丈夫だったの?」
「幸い爆発したのは指だけだったし、コート内にいたのは俺だけだったしな。痛すぎて死ぬかと思ったけど」
「え、痛いの?」
風町は意外そうな顔で尋ねた。
「いや、当たり前だろ。……まて、お前俺の能力何だと思ってる?」
「んー? 触れたものを爆発させる能力?」
「違う。俺自身が爆弾なんだ。自分が爆発する能力。それが俺の能力。今は指一本くらいなら耐えられるようになったけど、手丸ごととか、腕一本とかになると超痛い。骨も砕かれるし、肉も裂かれる。皮膚は破けて血管はずたずた」
「うげっ」
自分の身体で想像したのか、風町は青ざめた顔で舌を出した。目を細めてしかめっ面をする。だが恐らく彼女の想像する三倍は痛いだろうと熱川は確信している。
「あ、勿論失った部位は再生するからな。理由は分からないけど、そうなってる。初めに能力に気がついた時も、突然なくなった指と死にたくなるくらいの激痛に泣きわめいたが、五分くらいしたら元通り指も生えてきたし、痛みも消えてた」
「トカゲみたい」
「インボーンだからな。インボーンとノーマルの違いは、自分の身を削るか否か、に尽きる。自分の身を削って、痛みとかを伴って能力を使ってるから、いつまでも能力を使い続けることができる。きちんと代償を払ってるからだ。でもノーマルのヤツらは苦痛なんか感じずに、呼吸するみたいに簡単に能力を使える。その分代償を払ってないから五年も使えば、能力が切れちまうんだよ」
アパートの近くは閑散としていたが、駅前まで来るとさすがに騒がしい。『朝市』と書かれた幟が駅前に建ち並び、頭巾を頭に巻いた中高年が売る気があるのだかないのだか分からない声で呼び込みをしている。駅前の本屋の上の時計に目をやると、時刻は既に一時半を回っていた。朝の時間帯はとっくに過ぎているにも関わらず、あくまで『朝市』という名目で昼市が開催されているようだ。
「ところで、能力のこと私に話しても良かったの? 軽い気持ちで聞いただけだったのに、結構詳しく話してくれたから途中からちょっと不安でさ」
そう言った彼女の顔は不安とか焦りという言葉からは月と地球くらい離れていた。
「どうせ正体も知られたから、能力を把握してないよりはして貰ってた方がいいかな、と思って。勿論誰にも」
「はい。言いません! もちろん!」
自身に充ち満ちた顔で胸を叩いた。
手を大げさに振って歩く彼女の後を追って、熱川は改札の中に入った。ホームまで降りて電車を待つ。休日ダイヤのせいか、いつもより電車の到着が遅い。やがてトンネルの向こうに目玉のような二つのライトが光ったかと思うと、車輪の音を高らかに赤と銀のボディがホームに入り込んできた。
セーフティードアが開いてから、電車のドアがぷしゅうと開く。
それから移動すること一〇分弱。駅数にして二駅を電車に揺られた。
一度たりとも地上に出ることなく、窓の外は地下トンネルの黒一色。呆けた顔で眺める景色もないので、自然と会話が盛り上がった。あーだこーだと繰り広げられる会話は着地点を見失ったままあちこちへと飛び回り、何気ない話題からとんでもない話題への飛躍を何度も繰り返す。最終的に昼ご飯は何を食べるかという話題には落ち着いたと同時に、電車は目的地に到着した。
人の波に運ばれるように地上に出ると、休日の昼という事もあって駅前は結構賑わっていた。カップルや学生と思しき若者たちを中心に街は動く。
「池袋か……ふう」
まだ何もしていないというのに早々に風町は疲れ気味だった。少し青白くなった顔で「人混みは気持ち悪くなるんだよね」と言う。地方から東京にやってきた風町は、未だに池袋や新宿などの人混みには慣れていないらしい。背中を丸める彼女はまるで船酔いでもしたかのようだ。
「大丈夫か?」
「うん。もう大丈夫」
時たま一限目の授業が重なったりすると通勤ラッシュを二人でやり過ごしてくるが、彼女はいつも大学に着いた時点で死にそうな顔をしていたのを思い出した。
適当にすぐ側にあった店を覗いてみたがあいにくの満席。横断歩道でさえ二列に並ぶような人混みを見て、熱川は腕を組んだ。
「この分だと店はどこも満員そうだな。先にパソコン見に行ってもいいか?」
傍らでペットボトルのお茶を飲んでいた風町は、好きなように決めてくれとでも言う風にひらひらと空いた手を振る。
仕方なく駅の真ん前にある家電量販店に行くことにした。
大人しく、出来上がった列に並んで信号機が青に変わるのを待つ。道路を横断するだけだというのに、まるでライブイベントにでも参加しているかのようだ。並んでいる人間もそれらしい。
赤から青に変わると同時、人の列は一斉に動き出した。レースの旗が振られたかのように走り出す者もいる。この先に何があるのか知らないが、やけに周りの人間は早足だった。熱川も隣に並んでいた大学生らしき男の肩にどつかれるかたちで渡り始めた。自分たちが並んでいた岸からも大量の人が押し出されてくるが、反対側の岸からも同じ数だけの人が押し出されてくる。各々の速度で相互に向かい合っていく様はさながら戦場を思わせた。横目に風町を覗き込むとすっかりと青ざめている。
ため息を吐いた。青ざめた隣の友人に呆れたわけではない。名前も知らない大勢の人たちと、それらが巣から湧き出る蟻のようにうじゃうじゃと群れている状況にだ。こんなに混むのとは思っていなかった。人混み酔いをする風町を連れてくるべきではなかったな、と申し訳なさげに一人頭を掻く。
肩がぶつかった。
肩というよりも身体の半分がぶつかり合ったかも知れない。いい具合に衝突して、人でごった返す交差点のど真ん中でお互いに二三歩後ずさった。
「すみません」
咄嗟に謝る。相手も同じように軽い調子の声で言葉を返した。
背丈の変わらぬ若い男だ。まず目に入ったのは紺のポロシャツときちんとスタイリングされた髪の毛。こちらの目も輝き出すような派手な金髪である。目が合う。切れ長で鋭い眼光だがどこか親しげでもある。すっと通った鼻筋に薄い口元。若さの象徴たるニキビがどこにも見当たらない色白の肌で、整った顔立ちだ。
「あ。勇雄じゃーん」
最初に気がついたのは相手の方。じっくりと相手の顔を見て、そして相手からの言葉があってようやく熱川も目の前の顔を思い出した。
「力丸かよ」
久しぶりに見る顔だからわからなかった。熱川はそう弁解した。
「まあかなり久しぶりもんなーっ! どうよ、元気してた?」
関東事件以降会っていなかったが、そんなことは感じさせない気さくさでかつての友人は肩を組んだ。つい昨日、そこら辺で分かれたばかりのような素振りである。
力丸尚実。派手な金髪に整った顔立ちがよく目立つ、熱川の数少ない友人の一人だ。彼をよく知る人達の間では、「サーティーワン」と言われていた。要は一ヶ月毎日違う女と寝る男、という意味の皮肉めいた呼び名だ。実際にどうだったかは知らないが、力丸と出かけると見知らぬ積極的な女の子が山ほど彼へ寄っていくので、いつも疎外感を味わっていたことは昨日のことのように覚えている。咄嗟に沸き上がってきた嫉妬を吐き出すように、熱川はわざとらしく舌打ちをした。
「いやぁなつかしいぜ! 勇雄に会うなんてよーっ!」
「俺もだよ。お前が池袋に住んでたの忘れてた。まさか会うとは思わなかったな」
再会の握手を力いっぱいに交わしていると、視界の隅で信号機が点灯を始めた。信号の青がこちらを急かしてくる。気がつけば先ほどまでひしめき合っていた人たちも三々五々池袋の街へと散っていき、横断歩道の真ん中には熱川と風町と力丸の三人が立っているだけであった。
慌てて別れを告げ去っていこうとした熱川の肩を、慌てて力丸は引く。いきなり後ろへ引っ張られて身体が蹌踉めいた。
「勇雄は急ぎの用事でもあんの?」
「いや、ない」
用事はあるが急ぎではない。
「そうか」
顎に手を当てて二三秒思案したかと思うと、力丸は熱川の肩に再び腕を回し、
「んー! なら久しぶりに話そうぜ。家来いよ」
片目を瞑ってそう言った。どういう返事をするかなど待たず、力丸はそのまま熱川を引っ張っていく。自分が元来た方へ引き返して、足早横断歩道を渡りきった。
「お前はこれからどっかいくんじゃないのか?」
「暇だから本屋にでも行くかーってぶらついてただけ。今暇じゃなくなったから、なっ」
「そうかよ」
「ところで、その連れの女の子は彼女?」
新たに岸辺でできはじめていた人の列を掻き分けつつ、力丸は後ろを振り返った。つられて熱川も首を向ける。ようやく人混みを抜けきったことに安堵した風町が、
「はい?」と顔を上げた。
「彼女なの?」
催促するように力丸は言う。
「彼女じゃない。こいつは大学の友達で、風町爽奈」
「ほほう。でも休日にこの街にいるということは、彼女になる可能性があるというわけか!」
「違う。ただの友人。仲の良い友人だ」
アパートの部屋が隣同士なのだ、という情報はとりあえず隠そうと思った。ばれたら好ましくない事態が発生するというわけではない。ただ少々調子に乗りやすい力丸にそんなことを言えばからかいの的になる事は明白だからだ。
「こんにちは! 私風町爽奈です! いさっちとは大学が一緒でかつ、アパートの部屋が隣同士です! よろしくお願いします!」
「おい! おい!」
さらりと隠した情報を言ってのけた。悪びれる風もなく、もちろん悪びれるようなことではないのだが。ため息を吐いた熱川に、何のことか分からないと言うように風町は小首を傾げた。
「なんだよ! なんだよなんだよ! 一つ屋根の下に暮らしてんのか! すげえな! 勇雄!」
「そうだけどそうじゃない。ただ隣同士なだけだって」
「なかなか隅に置けねえなあ、勇雄。かけがえのない女の子か。うんうん」
「お前人の話聞け」
今度は力丸に向けてため息を吐く。羨ましげな顔で彼はこちらを見てきたが、どっちが羨まれるかなど分かりきったものだ。今こうして人混みを歩いている最中にも、何人のティッシュ配りのお姉さんに照れた顔でティッシュを差し出されたか分からない。その爽やかなルックスは嫌でも若い女性を引きつける。隣に並ぶ自分は、さしずめ花の脇に添えられている葉っぱだ。
気を取り直して、今度は風町に紹介する。
「で、コイツは力丸尚実。友人。見ての通りの女好きだ。気を付けろ」
「んなわけねえだろ」
少し怒ったように力丸は反論する。仕返しだ、とばかりに熱川は聞き流した。
人の間を縫うようになれた足取りで混雑を躱していく力丸の後ろを二人は付いていった。駅前同様にごった返すサンシャイン通りを抜け、ビラ配りのメイド店員を、力丸を盾にすることで回避し、通りから離れたところにあるマンションに辿り着いた。
「ここ。俺の家」
首が痛くなるような高さのマンションである。石畳の先に待ち受けるシック調の門構えは一流ホテルのよう。入り口の脇が小さな庭園になっていて、丁寧に手入れされたそこからは高級感が滲み出ていた。
感度の良い自動ドアを通って、黒塗りの大理石の床をあるく。広々としたロビーには足音が良く響く。
「すっごい……」
天井にぶら下がるシャンデリアや、壁に掛けられた作者など知らないが芸術性の高そうな水彩画を見て風町はぽかんと口を開けた。
「部屋は十五階。エレベーター使うよ」
聞き慣れぬ単語に二人は同時に顔を見合わせる。
「エレベーターだって。なんだろう。最先端の技術かな?」
「さあ? ロボットかなんかじゃないか?」
エレベーターなど自分たちの暮らす六畳一間の安アパートには存在しない。それが暮らしの中に存在するだ貴族と平民のような身分の違いを感じた。
エレベーターホールは熱川の部屋より広い。そしてごみ箱と宝石箱くらい綺麗さに違いがある。
「事務所経営がうまくいってるってことか?」
「まあな。そこまで大きくはない事務所だけど、仕事が仕事だけあって金は腐るほど入る。おかげで大学一年なのにこんな生活さ。失ったらこえーな、これ」
「貯金しとけ」
「お前はどうなんだ? 最近はめっきり姿見せないけど、蓄えはあるんだろ?」
「そうだな。あるよ。だから平均的な生活をしていける。こんなに豪勢な暮らしはできないけどな。安アパートでバイト暮らしの貧乏学生だ」
エレベーターは速い上に静かだ。ただ床の上に立っているだけに感じるが、モニターに浮かぶ数字は順調に大きくなっていく。建物自体が沈んでいくようにさえ思った。
「力丸さん事務所なんか経営してるの?」
「うん。力丸総合運営事務所って言うんだけど、結構、いやかなり儲かるんだぜ」
「あっ、もしかして起業家?」
「そんなたいしたもんじゃないけどねー」
そう言って力丸は苦笑した。
エレベータが目的の階に到着した。ちん、とベルの音がして扉が開く。スライドじゃなくて開き戸式の扉なら、電子レンジの中に入れられた総菜の気分だ。
十五階のエレベーターフロアに出て、階に一部屋しかないことを知る。ということはつまり力丸の部屋のみ。二〇一号室から二〇六号室まである熱川たちのアパートとは大違いだ。一部屋辺りが一体どれくらい広いのか、六畳一間に慣れた二人には到底想像の及ばない世界である。
案内されるがままに力丸の部屋に入り、まずはそのとんでもない広さに驚き、異国の地を初めて訪れた外国人のように唖然とした表情で部屋を歩き回り、よく分からない高尚そうな絵画を見つめたまま、ベッドのように柔らかいソファに座った。案内されたリビングだけでも熱川の部屋の三倍はあるが、よく見てみると部屋の隅に何個か扉がある。まだ部屋があるみたいだった。
併設したキッチンの方に行った力丸は、しばらくして戻ってくると二人の対面に腰を下ろした。
「そういえばなんでまた池袋に? そりゃ家が近いってのは知ってるけどよー。滅多に来ねえじゃん、勇雄」
「パソコンが壊れてさ。買いに行くところだった」
「修理じゃなくて? なんだ、真っ二つにでも割れたのか?」
「ま、そんな感じかな」
隣の風町がちらりとこちらを流し見た。熱川はそれに横目でチラリと返す。何も言わないでいいよ、と合図をしたのだ。
「爽奈ちゃん砂糖入れる?」
ソファとソファの間にあった華美な装飾の施されたガラステーブルに、キッチンから持ってきたらしい紅茶を並べる。きっとこの茶葉はスリランカ直送の超高級茶葉だったりするのだろう。
「入れる入れる!」
力丸から銀のミニトングを受け取ると、風町は瓶詰めにされていた白茶の角砂糖をどぼどぼと紅茶の中に落とした。これでもかというくらいに。
「お前それ入れすぎじゃない?」
こんもり山となった角砂糖を見て熱川は呟く。
「ふっ。砂糖をたっぷり入れるのがスリランカ流なんだよ」
鼻を鳴らして言い放った彼女は、もはや紅茶なのか砂糖なのかわからない飲み物に口を付け、その強烈なまでの甘さ故に顔をしかめた。自業自得とはこういうことを言う。
しばらくは出された紅茶を飲みつつ、雑談にふけった。久しぶりに再開した友人とは話すことが尽きず、日常の些細なことからちょっとした事件を語るだけ語り尽くした。気がつけばカップの中に入っていた紅茶も底に僅かに残るばかりとなっていた。
お腹が痛いからトイレに行くと言って風町が席を外すと、力丸は少しばかり真面目な顔つきになって言う。
「パソコンが真っ二つになったのはホントか?」
「真っ二つどころか粉砕した」
「なんでまた?」
昨日の出来事について話すべきか、少し考える。ヒーローの事情だからどう言い訳しようか悩んでいるわけではなかった。
力丸尚実は、熱川勇雄のただの友人ではない。ヒーローとしての友人である。彼の
営んでいる事務所というのも、ヒーローの活動方式であり、さっき風町に言っていた
「力丸総合運営事務所」などというのは適当にでっち上げた偽の名前に過ぎない。
共に十四歳の時にヒーローになった同年齢同期で、二年前の関東事件以前は日々連絡を取り合うような中だった。しかしそれ以降は熱川の方からヒーローの世界との繋がりを絶っていたせいでもあるが、今日に至るまで何の交流もなかったのだ。それがたまたま出かけた先で出会うというのは、運命的な何かを感じるほどである。
コープス・マンとの戦いに彼は深く関与していないが、二年間ヒーローとは無縁の生活を送っていた自分よりもひょっとすると多くの情報を持っているかもしれない。持っているのは確かだろう。記憶が定かならば、力丸は機関の特級データベースにアクセスできる権限を持ち合わせていたはずだ。
「実は、昨日アパートの部屋で襲撃にあった。パソコンはその時運悪く壊されたんだ」
口元に運びかけていたティーカップを止め、一瞬だけ力丸は鋭く刺すような視線で熱川を見つめた。一口紅茶を飲んで喉を鳴らしてから、落ち着いた声で言葉を返す。垣間見せた刃物のような眼光はどこにもなかった。
「もしかして昨日の昼頃か?」
「ああ」
「ちょっとまってろ」
立ち上がって力丸はリビングにある扉の一つへと入っていった。すぐに小脇に薄いノートパソコンを抱えて戻ってくる。
「昨日機関のサーバからメールが届いた。どうやら全ヒーローへの一斉送信メールのようだった。読んだか?」
「パソコンぶっ壊れてたからな」
「携帯でも受信できるようにしとけ」
軽快にキーボードを叩く。
「同時刻にもう一人ヒーローが襲われている。メールの内容が全て本当だとすると、こっちのは殺されたみたいだぜ」
「殺された? ヒーローが?」
「一〇〇パーセントとは言い切れねーけどな。撲殺、だそうだ。素手あるいは鈍器で滅多打ち。顔なんか原型を留めてなかったらしいぜ」
「もしかしてそのヒーロー、二年前の事件に関係あるか?」
「よくわかったな。お前もよく知ってる奴だぜ」
「勿体ぶらないで教えてくれ」
「殺されたのはフルメタル・マッスル」
よく知っているヒーローだった。共に二年前のくぐり抜けた戦友である。鋼のように硬い彼の身体が彼の能力であり、刃物の一本、銃弾の一発も通さない鋼鉄の身体には何度助けられたか分からない。熱川の知る中で最強の防御力を誇るヒーローだった。その彼が殺されたという事実はにわかには信じがたい。しかし、告げた力丸の様子や口調が、そこに嘘冗談の要素が粒ほどにも含まれていないことを示してた。
一旦熱川は紅茶を口に含んだ。突然の悲報が熱川にはすんなりと飲み込めなかった。紅茶に味を感じなかった。まるでお湯を飲んでいるようだ。何度か紅茶を啜って、喉を通るその温かさでざわつく気持ちを落ち着かせた。
「あいつが……」
「機関が直々に調べた結果だそうだしな。まず間違いはねーと思う。お前と同様こいつも襲われたのは家だぜ」
「他に襲われた奴は?」
「いや、知らされたのはフルメタル・マッスルの件だけだ。ただ、お前も襲われてるとなると、二人だけじゃねー可能性もありそうだな」
「ないとは言い切れないか。敵は間違いなく俺たち四人を狙ってる」
「お前を襲った二人組は何か言い残したりはしなかったのか?」
「復讐、とだけ」
ポケットをまさぐり携帯電話を取り出す。電話帳を開いて当時の仲間を探すが、つい昨日までヒーローとは縁を切った生活をしていた熱川の電話帳に、ヒーローの連絡先が入っているはずもなかった。
「復讐、ってことは、二年前の事だろーな。九割方」
「ああ。コープス・マンの信者達、いただろ? あの連中が絡んでるんじゃないかと俺は思ってる」
もう一度電話帳のア行からワ行までを流し読みする。滝の如く上から流れてくる名
前を一文字も漏らすことなく確認したが、目当ての連絡先はやはり見つからない。
「もうすぐあの事件から二年だしな。中途半端ではあるが、二年というのを期に自分たちの教祖様を殺した奴に復讐ってことか」
「相手は自分たちが絶対とみなしたコープス・マンを仕留めたヒーロー達だ。二年で能力を身に付けるなり、鍛えるなりして力を蓄えてきたんだろう。現に、昨日相対した奴は相当に強力な身体強化系の能力者だった」
「能力者だったのか?」
「ああ。スーツなしじゃ間違いなく殺されてた」
最後にもう一度だけ電話帳を確認し、本当に目的の相手がいないのを確認してから熱川は続けて力丸に尋ねた。
「片方だけでもいい、残る二人の連絡先知ってるか? ブレイズ・パイパーとパラレル・アサルター」
「両方分かる。安否確認か?」
「丁度良い。教えてくれ」
教えて貰ったとおりの電話番号を携帯に打ち込む。まずはブレイズ・パイパー。数回のコールが聞こえたが、相手が出ることはなかった。代わりに留守番電話サービスのお姉さんが淡々と通じない旨を伝えてきたばかりであった。少し胸騒ぎがした。
「どうだ?」
「でない」
「そうか……あぁ、そう言えばブレイズは今事件抱えてるから忙しいんかもな。静姐さんの方はどうよ?」
言われ、番号を打ち込む。耳に当てた冷たい受話器から聞こえてくるコール音がやたらに長く感じられた。
何度目かのコールの末、相手が受話器を取る音が聞こえた。
『あん?』
ドスの利いた声が返ってくる。一瞬怯むが、パラレル・アサルターはこういう奴だった、と思い出す。電話に出られたということは無事だということ。熱川は安堵して息を吐いた。
「久しぶりだな。俺だ。熱川。クリムゾン・ノヴァ」
沈黙があった。それは電話相手を本物の友人かどうか疑っているようにも、告げられた名前を思い出そうと考えているようにもとれる。
『何かの冗談だったら殺すぞ』
「相変わらずだな」
『正義の数は?』
「勝利の数」
いざというときのための合い言葉を告げる。二年使わずとも覚えていた。
『本物みてェだな』
「そんなはずはない」
『……よし。いろいろ言いてェ事はあるが……何の用だ?』
二段構えの合い言葉をくぐり抜け、早速熱川は本題へ移る。
「突然だが、明日は空いてるか?」
『午後なら空いてる。急用なら午前も空けられる』
「ありがとう。午後一時にお前の大学の門で待ち合わせ、いいか?」
『かまわねェ。一応聞いとくが、フルメタル・マッスルの件、か?』
「そうだ。じゃあまた明日に」
通話を切って電話をポケットにしまう。電話番号をメモした紙も細かく破いて携帯電話を入れた方とは逆のポケットに押し込んだ。
「悪い。今日は帰る。今度またゆっくり話そう」
「そうだな。楽しみにしてるぜ」
残念そうに力丸は笑った。せめてもとカップに残った紅茶を飲み干し、熱川は立ち上がる。
「ただいまー! 紅茶紅茶っ」
「帰ろう」
「へ」
丁度タイミングよくトイレから戻ってきた風町は、きょとんとした目でこちらを見た。力丸は微笑んで彼女に手を振る。
「じゃあね、爽奈ちゃん。またおいで」
「へへへ?」
状況を読めない小さな頭がぴょこぴょこと力丸と熱川の顔を行ったり来たりする。いきなり帰るとなった事に戸惑いながらも後を付いてきた風町を連れ、熱川は力丸のマンションを後にした。
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