表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/17

希望=明日

 目が醒めた。


 ゆっくり瞼を押し上げていくと、こちらを覗き込む風町と目があった。


「や。起きたね」

「よ」


 眠っていたわけではない。四連続の授業で疲れの溜まった頭を少しでも休めるためにと、目を瞑って横になっていただけだ。木陰になった石のベンチは、夕方の涼しさのせいもあってひんやりと冷たく、それが心地よかった。


「今帰りか?」

「うん。いさっちもでしょ?」

「まあね」


 枕代わりにしていたリュックを背負い、立ち上がる。授業終わりから大分時間がずれているため、中庭に学生の姿は少ない。しばらくは会話もなく、夕暮れの涼やかさを肌に感じながら駅までの道を歩いた。


「今回の事でいさっちが処分受けたり、激しく叩かれたりしなくてよかったよ」


 歩道橋に差し掛かった当たりで、風町は口を開いた。


「心配してくれたの?」

「まあね」

「ありがとう。あの告白の後に、世間様からのバッシングがそれほど酷くなかったのは、俺の中で凄く意外だったんだよね。正直ヒーロー干されるくらいのことは覚悟してた」

「だから心配してたんだよ! ホントに何も無かったの?」

「何も無かった、ってわけじゃないな。一部のネット掲示板とかだとかなりえぐいこと言われてた。あれって自分の書かれてると、怒りよりもまず呆然とするんだよ。何かの冗談でしょ? 見間違いでしょ? って思っちゃうんだよな」

「あー……」

「ま、慣れちゃえばどうってことないけど」


 他人事のように熱川は言う。薄暗くなり始めた空を眺めながら口に出してみれば、つい一週間前の出来事が、遠い昔のことのように思えた。


 力丸が気絶した後、熱川は部屋の中からカメラを見つけ出し、改めて全てを語った。クリムゾン・ノヴァというヒーローが殺戮者を始末するために民間人を巻き込んだという事実は、ネットの波に乗って瞬く間に日本の囲いを飛び抜け世界にまで知れ渡った。どうしてそんなことをしたのか、未だ確かな理由を自分の中に見つけていない。だが、きちんと本人の口から本人の意志で伝えることが必要であると、そう感じたのだ。機関の方も事実を否定せず、無闇に熱川を咎めるようなことをしなかった。力丸が腐った正義とみなした人々たちにもやはり、いつかは言わなければならないという思いがあったのかも知れない。


 熱川の告白は世界中で臨時ニュースとなり、国内ではその日のうちに特番が組まれるほどだった。一週間経った今夜も、全国放送で特番が予定されている。


 動画投稿サイト経由で世界中に素顔を晒したクリムゾン・ノヴァではあるが、その正体が熱川勇雄という人間であるという事実の拡散は、出来る限り小さな規模に留められた。なかったことにできなかったのは、機関が持つ情報操作能力の限界だったと言えよう。それでもこうして歩いている中で擦れ違った何人かは、互いに身を寄せて言葉を交わし、時にはわざわざ足を止めて熱川の姿を二度見する。駅の改札を抜けるときにも、駅員に顔をまじまじと覗かれた気がした。しかしまだ話しかけられたり、後ろ指を指されたりしない分ましだった。


「いさっちすっかり有名になっちゃったね」

「機関も努力はしたみたいだけどな。一度ネットに広がったものを無に返すのは難しいさ。ま、俺に直接被害があるわけでもないし。気にしないことにしてるよ」

「そっか。でも友達が有名人になると、自分までいい気になるよね。爽快爽快!」

「お前そんなんだから友達少ないんじゃない?」

「な、にを! 私に友達が少ないなんて、酷いこと言うな!」

「じゃあ今度友達紹介してくれよ。俺もそんなに友達多い方じゃないから」

「こ、今度ね! 今度!」


 風町の声は少し引きつっていた。

「ところで、さ」


 おもむろに口を開いた風町だが、すぐに先を続けずに口を噤んだ。俯きがちな素振りは、訊いてもいいことなのか否かで悩んでいる風でもある。遅れ気味なホームの電光掲示板を眺めながら、熱川には彼女の言いたいことが何となく予想が付いた。


「力丸のことでしょ?」

「よくわかったね。エスパー?」


 驚いたような眼差しを向けてきた風町に、笑ってみせる。


「力丸があの後どうなったかが知りたいんでしょ?」

「うん」


 戦闘が終わり、気絶した力丸を梗塞して機関の人間に引き渡したところまでは現場に居合わせた風町も知っている。だが、それより先は機関の側が全てを水面下で行い、熱川と静音に結果が知らされたのもつい先日のことだった。風町が知っているはずもなく、知りたがるのも理解できることだった。


 内密に、とは言われていない。機関に引き渡された力丸の行方についての口止めは一切されていなかった。


「やっぱり殺されちゃうの?」

「ニューヨーク」

「ニューヨーク?」

 熱川は頷いた。

「アメリカ合衆国ニューヨーク、リバティ島」

「自由の女神?」


 またしても熱川は頷く。


「そこには世界で唯一の能力者専門の刑務所がある。力丸はそこに収容された。起こした事件の規模は結果として小さかったけど、完遂されていれば日本に、いや世界に大混乱をもたらす事は間違いなかったし、あいつには完遂するだけの能力が備わってた。だから多分、もう二度と日の光を浴びることは出来ないと思う」

「そう、なんだ。そんな所に刑務所があったんだね」

「自由の女神の足下にある、世界一不自由な場所さ」


 それからしばらくして電車がホームにやってきて、会話は終わった。気の抜けた音を立てて、乗り込むときも、つり革に捕まって特急の速さに揺らされながら立っているときも、二人は何も言葉を交わさなかった。風町は言うべき言葉が見つからなかったのだろうし、熱川にしてもそれ以上何も言うことはなかった。


 京王線で新宿まででると、いつも使っている都営新宿線のホームまで直行せず、そのまま京王線の改札へと向かう。


「あれ? 今日はどっか行くの?」


 改札とは反対の方へ行こうとしていた風町はが訊いてきた。


「まあね。ちょっと待ち合わせしててさ。来る?」

「なにそれ。私が行ってもいいの?」

「うーん。まあ問題はないよ。無理なら来なくていいけど」

「おもしろそうだからいくー」


 迷うことなく即決すると、風町は熱川のあとに続いて京王線の改札口に定期券を押し当てた。


 ごった返す人混みの間を縫うようにして、熱川は慣れた足取りで待ち合わせ場所のJR東口前まで向かう。もっとも、未だ人混みが苦手だという風町のために十歩歩く事に一回は振り向かねばならなかったが。


「誰と待ち合わせてるの?」

「行けば分かるよ。自分が方向音痴だからって、わざわざ新宿駅ダンジョン用のガイドを呼び寄せるような人」

「なんか言ッたか、え?」


 威圧のあるドス声が背中に突き立てられ、あっという間に冷たい汗が噴き出す。


「や。静音ちゃん」

「おう。久しぶりだな爽奈」


 片手を挙げて笑った風町に、ドス声の主も片手を挙げて返した。


 構内の通路ど真ん中で顔を合わせた三人に、あちこちから視線が飛んでくる。ただし注目を浴びているのは、熱川の存在ではなく、ピンクと紫と緑を基調とする、シャギーセミの髪型ををした静音だった。髪型だけでなく、黒いカーゴパンツに迷彩柄のタンクトップという出で立ちも人目を集めるのに一役買っているのは間違いない。


「なんでここに? 待ち合わせ場所は東口前のはずじゃ」

「てめェがいつまで経っても来ねェから来たに決まってンだろうがよォ」

「え? だって待ち合わせは」


 慌てて時計を確認する。待ち合わせの予定は午後五時半だ。

「あれ? この時計壊れてんのかな?」

「あァ?」


 熱川の腕時計は六時半を指している。見事に一時間もずれていた。


「風町。さっきベンチであったとき、何限の帰りだったんだ?」

「ん? 五限だよ」

「げっ。じゃあ俺はいつの間にか寝てたのか……」

「いい度胸してんなァ……」


 眉の当たりをひくつかせて、静音は指をならす。鉄パイプでも折れるような音がした。


「まァいつもは私が待ち合わせに遅れるしな。今日は見逃してやんよ」 

「ごめんな」


 静音と合流したところで、熱川は地上に出る階段ではなくその逆の方へと歩き出す。


「新宿に何か用事があるんじゃないの?」

「いんや。新宿に来たのは待ち合わせのため。新宿駅は私にはわからねェ、って静音が言うから迎えに来たんだよ」

「じゃあどこ行くの?」

「市ヶ谷」

「市ヶ谷?」

「本部だ」


 首を捻った風町に静音が助け船を出す。


 市ヶ谷は防衛省、の裏手に聳える地上十階建てのオフィスビル。それが日本ヒーロー機関の本部である。概観も内装もただの企業ビルと大差なく、本当に日本唯一の公式なヒーロー機関であるのかと疑われることもしばしば。熱川も初めて訪れた時には場所を間違えたかと思ったほどだ。


「今回の事で静音も俺も呼ばれててさ。たまたま今日が予定合ったから、こうして二人で行くってこと」

「じゃあやっぱり私行かない方がいいんじゃないの?」

「三階までなら許可さえ下りれば見学自由だしさ。風町にとっちゃいい機会じゃない? 機関本部なんて関係者の紹介がなきゃ入れないよ」


 生唾を飲む音が聞こえた。熱川の後ろ歩いていた風町はいつの間にか先頭に立っていて、スニーカー履きの軽やかな足を都営新宿線のホームへと向ける。


「いさっち! 早く! 急ぐよ! 静音ちゃんも! ビルは待ってくれても、電車は待ってくれないよ!」

「すぐに次が来るでしょ」

「早いに越したことはない!」


 待ちきれないのか、風町は走り出していた。熱川と静音はその後をのんびりと付いていく。娘に付き合う父親の様な気分だ。


 自分のしたことが正しいのかどうかという答えは一生でないだろう。何が正しくて何が正しくないなどというのは所詮、個人の考えであり、絶対不変のものではあり得ない。


 だからせめて自分は、自分の信じる人のために自分の信じることをしよう。新宿駅の構内を意気揚々と駆けていく風町の背中を見て、熱川勇雄はそう決心した。


最終話です。


自分の拙作を読んで下さった方々に感謝致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ