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蜂月突日〈ハチガツ・ツイタチ〉

作者: Atsu
掲載日:2014/06/21

 遠くでセミが鳴いている。湯上がりのようにもわもわとした湿気が体を纏う。暑い。額を濡らしながら、今日も図書館へと向かう。

 夏季休業直後から、悪辣な風通し、効かない割には電気を食うクーラーしかない自宅を抜け出し、俺は図書館に朝から夕方まで通いつめている。、弱冷房とはいえ、快適に過ごせる無料の公共施設は学生にとってはオアシスだからだ。

 通って数日もすれば、体が勝手に図書館の環境を求めるようになっていた。昨日は私用で行けなかったために、俺にとっては一日ぶりの訪れだが、もうすぐ冷房のかかった部屋に入れる、という感覚が心に甘い余韻をもたらし、気分までも浮つかせてくる。

 夏場は図書館も一つのスポットだ。静けさがない。大抵は、俺と同じく涼みに来たヤツら、それ以外は自由研究の調べ物をする小中学生達。一見、後者は真面目に宿題にとりかかっているものと思われがちだが、目的は建前でしかなく、大概は机に突っ伏し、放熱しながら死体ごっこに興じている。

「おっはー、京介」

俺と志同じく、夏場しのぎにやってきている親友の信田了りょうだ。両方の人差し指と親指でそれぞれマルをつくり、突き出してきた。

「ネタが古いな」

俺は反応に困り、苦笑する。

「まーそんなこと言うなって。気持ちだけでも暑さに打ち勝とうとしてるんだからさ」

確かに、その気持ちも大切か。

「じゃあ…、おっはー」

いびつな笑顔と、額の汗。ぐだぐだの返事となった。

「それでよーし」

だらけきっている俺。対照に、さっぱりした笑顔を浮かべる了。普段は適当。かつ、おふざけキャラの彼だが、いざという時は頭が切れるから憎らしいことこの上ない。

 図書館に到着する。ドアをくぐると、部屋を流れる微風が心地よく抜けていく。この感じだ。体をまとうモワモワとしたものも拭い去られ、心も穏やかになっていく。しかし、いつもより響く声が図書館にすでにやってきているの”同類達”の存在を知らせる。今日は、机に何匹のゾンビが居るだろうか。そんなことはさておき、まずは定位置となったテーブルに腰を下ろす。

「で、今日はどうする、京介?」

 単なる避暑の為だけに通うなんて非生産的だ、という了の提案により、通い始めて数日が経過した頃から、毎回ジャンルを決めて何かを学ぼうということを始めた。大学生の夏休みなんて、人生では最も有り余る時間だ。そんな夏休みを、ただ暑さの引くまで退屈に過ごしていては後悔しか産まないだろう、という了の意見に賛同する形で今日まで続いている。

「そうだなぁ。南極とかどうだ? 涼しそうだし」

「いいね。たしかに面白そうだ。意外と知らないことも多いしね。そうだなぁ。例えば、南極では息が白くならないって知ってた?」

「へぇ、それは知らなかったな」

「でしょ。意外と面白そうなテーマだね。…あ、そうだ」了が何かを思い出したようだ。「その前に。今日は、返却物の整理を頼まれているんだった」

「今日はあるのか」

 図書館連続勤務十日を過ぎた頃、司書の方と挨拶を交わすうちに顔を覚えられた。暇を持て余していることを話すと、ちょっとした手伝いを任させるという運びになった。無限に近い有り余った時間を社会奉仕に捧げる、というのも案外悪くない。何度か手伝ううちにそう思うようになった。

 うれしいことに、たまに奉仕の対価があることもある。興味のある本を発見できたりすることがあるのだ。なんだかんだ、通ってみるものだなと二人で話したことを思い出す。

 席を立ち、返却物のあるカウンターへと向かう。カウンター越しには、今日の当番司書の小林さんが座っており、文庫本に眼を落としていた。足音に気づいたようで、小林さんはこちらに視線を上げた。

「あら、あなたたち。おはよう」

厚めの眼鏡フレーム。司書の小林さんは、口元をゆるめ、優しい微笑みをくれた。

「おはようございます。今日もお世話になっています」

俺達も一礼する。

「〈学び〉のほうは順調かしら?」

「まあまあですかね。なぁ、了?」

「そうですね。とりあえず、プラスにはなっていると思います」

ふと、いつもの返却ボックスの置かれた奥の方の角際を見る。いつもなら、青いボックス一つに収まる量なのだが、今日は珍しく青ボックスが二つ積まれていた。

「今日はいつもより返却物が多いですね」

「そうね。そろそろ宿題に本腰入れ始めた子が増えたからかしら」

「なるほど。確かに、今日から八月ですもんね」

振り返ってみれば、七月半ばの時と比べると、ここ数日にかけて、図書館にやってくる子供の数が増えてきている気がしていた。机の埋まり具合からもそれは歴然としている。

「そうね。暑さもピークになってきたし、いよいよ盛夏って感じね」

「暑いですよね、どこにいても。ほんともう少し涼しく過ごしたいもんですよ」

俺は、オブラートに包み、図書室の室温低下を小林さんに訴える。

「でも、エアコンは二十八度からは変えないわよ、節電だからね」

しかし、その優しい瞳は俺にあっさりと却下の二文字をを告げた。

「は、はい…」

「まぁ、ある程度涼しいんだし、いいじゃん。さ、さっさと返却物をやっちゃおう。僕が上!」

了がカウンターに入り込み、ボックスを持ち上げた。

「そうだよな。贅沢だな。じゃ、俺も手伝い始めますね。カウンター、失礼します」

俺も、青ボックスの左右の持ち手に手をかけた。

「じゃ、いってきまーす!」

了は小林さんに、涼し気な笑みを見せてから、先に行ってしまう。

「俺も、行ってきます」

軽く会釈をし、カウンターを離れた。

「行ってらっしゃい。私も仕事しないと」

小林さんも立ち上がり、返事をくれたあと、カウンター後方の司書室へと入っていった。


「えっと、最初の本は〈進化するEU〉…か」

俺は、階段を登りながら、ボックスの中の一番上に積まれている〈進化するEU〉を見た。装丁は茶色がかったハードカバーで、なかなかの分厚さだ。専門家向けの本なのだろう。やはり、借りるのは、どこかの大学教授か、よほど時間を持て余す年配の方なのだろうか。読み手に思いを馳せてみる。しかし、この暑苦しい時期に流石にここまでカタイ本は読みたくはない、というのが一番最初に出てきた感想だった。

 タイトルの書かれた本の側面に貼られているシールを見て分類番号を確認する。七番は経済のコーナーだ。七番と書かれた本棚へ向かう。専門書中心のコーナーで、貸し出されることが少ないため、空いているところがすぐに見つかった。

 二冊目は〈クロラ・クエストV〉。早くも新刊が出たようだ。映画化もされ、面白いと耳にしたことのあるシリーズなので、前々から読んでみたいと思っていた。今度、借りてみることにするか。分類番号は五番で、海外小説のコーナーだ。

 海外小説コーナーは、意外にも人気が高いため、本の貸出の出入りが激しい。そのため、本棚に並んだシリーズ物はあべこべに置かれていることが日常のようだ。今回も、整頓して本を戻した。

 そして、三冊目。〈吉村清十郎全集10〉。やけに分厚く、金の刺繍の入った丁寧な装丁だ。

「えっと、コーナーは…、!?」

本の側面に目を向け、番号を見た時、俺は驚く。そこには{貸出禁止}の赤文字で書かれたテープが貼られていたからだ。

「何で、返却ボックスに貸出禁止物が入っているんだ?」

確か、この類の本は一般の人は通常借りることができない。このボックスに入っていたということは貸し出されていたものが返って来たということになる。禁止物を通常通りボックスに入れて返すというのはおかしいのでは。

 そして、更に奇妙なことに気がつく。持ち上げられたその本から、ボックスに目を向けると、もう一冊の〈吉村清十郎全集〉が。

「こっちは〈全集1〉…」

その下は普通の本であったとはいえ、貸出禁止の本が二冊、それも連続するわけでもなく、〈1〉と〈10〉が入れられていた。これは、何かあるんじゃないか。俺は一旦引き上げ、了のところへ向かった。


「うーん。何だろうね、コレ」

了が腕を組み、首をひねる。

「まだ一冊だけなら、イタズラかと思うんだがな」

「いや、一冊だとしても、ボックスには司書さんが受け取って入れるものだし、カウンターに司書さんが居ないタイミングに忍び込んで入れるというのも、司書室から見えるという点では難しいと思うよ」

司書室からは、カウンターを見ることのできる小窓があり、カウンター前も図書館出口の通路となっているため、立ち続けていたり待っていれば用があるのかと司書さんが声をかけたりするはずだ。わざわざそこまでしてイタズラをしよう、という人間が図書館にやってくるとは思わない。

 そこに、たまたま通りかかった小林さんが二人で居る俺たちに気づいたようで、こちらに歩み寄ってきた。

「どうしたの。二人で悩んだような顔をして。わからないことでもあった?」

「ちょっと、これを見てもらってもいいですか」

二冊の分厚い本を小林さんに差し出す。

「これ、吉村清十郎の全集じゃない。何に使うの?」

「使うも何も、返却ボックスに入っていたんです」

「本当に?」

眼鏡越しの目が大きく見開かれた。

「はい。確かに入っていました」

「ちょっと確認してみましょうか。パソコンに貸出と返却のデータが入っているから、カウンターの方に来て」

 再びカウンターに戻り、履歴を確認することになった。

「昨日の返却履歴を見てみましょう」

「どうです?」

了がパソコン画面を見ようと、カウンター越しに身を乗り出した。

「〈吉村清十郎全集〉が返却された履歴は無いわね」

小林さんは首を振った。

「そもそも、貸出禁止物が貸し出されることってあるんですか?」

「大学や研究機関からの依頼でって時は、許可が下りれば、貸し出されるときはあるけど。そういう時でも、履歴は残すし」

「では、一般貸出は少なくとも無理に等しいということですね?」

「そうね。必要な場合は、ここで読んだりメモをしてもらうようにしてるわ」

そう言えば、昨日は了が図書館に来ていたことを思い出す。

「昨日の担当司書さんとかなにか事情を知らないですかね。なぁ、了。昨日の司書さんって誰だった?」

「昨日は佐藤さんだったよ」

「小林さん、佐藤さんに電話してみるのはどうでしょうか」

「そうね。聞いてみましょうか」

「あ、小林さん」

そう言って立ち上がる小林さんを引き止める。

「司書室の中を見せてもらえます?」

「ええ、大丈夫よ」

「ありがとうございます」

そう言って、了が小林さんの後についていく。

「どうしたんだ、了。気になることでも?」

「ああ、ちょっとね」

 司書室に入ると、正面には並んだデスク。そして、その先にはブラインドの下がった窓。左右の本棚にはびっしりと詰まった古書が整頓されて並べられていた。デスクには、積み上がった図書と、何枚かの書類。飲みかけの湯飲み茶碗がひとつ。入ってすぐの洗面台には、綺麗に洗われた湯飲み茶碗がふたつ、水切り台の上に逆さまに置かれていた。

「京介、アレを見てくれ」

了の指先をたどると、そこには〈吉村清十郎全集〉が、棚の中段で、鎮座していた。しかも、一巻から十二巻まで全て揃っている。

「え!?」

俺の手元にあるのも本物。つまり、もう一組の全集があるということになる。

「どういうことだ。元から二冊ずつあるってことか?」

俺が首を傾げると、

「確認したかったんだ。ここから取られたものじゃないかって。まぁ、ここにあるものがなければ、司書さんがすぐ気づくだろうけど」了は辺りを見回し、歩きながら言う。「普通、外部に貸し出す場合、管理のことを考えると、ここの棚にある全集を貸し出したほうがてっとり早いと僕は思う。つまり、何が言いたいかというと、小林さんに電話して聞いてもらってるけど、多分外部には借りられていないと思うんだ」

「なるほど。確かにその方がパッと見て無くても分かるわけだ。イタズラでもないことを考えると、暗号、もしくは何らかのメッセージを内包してると見るのが自然か」

「そうなるね」

「ここにあることも知っていたのかもしれないな。ここから持っていけば直ぐに気づかれるし」

「そうだね。ここの本棚に抜けがあったら司書さんも分かっちゃうからね」

受話器を戻し、小林さんが戻ってくる。

「確認したわ」

「記録なし、でしたよね」

了が断言に近い形で言う。

「ええ。佐藤さんに聞いたけど、貸し出してないみたいだし。客人も居なかったみたいだわ。今聞いたんだけど、了君は、昨日佐藤さんと話をしていたんだってね」

「はい。昨日は日本史について勉強してましたね。佐藤さんも、郷土史とか詳しいみたいで、話が弾んだんです」

「了、その時は司書室に入ったのか?」

「ま、立ち話程度だったよ」

「じゃあ、昨日の中の様子までは聞いてないか」

何か了だけが見ているものでもあればと思ったが、その線は薄いか。

「ねぇ、さっき電話の合間に聞こえた気がしたんだけど、暗号とか、メッセージとか」

小林さんが尋ねる。

「京介と話してたんです。イタズラとは思えないし、貸し出されていないのであれば、もしかしたら誰かに当てたメッセージなんじゃないかって」

「ま、あくまでも推測の域を抜け出せないわけですが。この二冊だけじゃ、せいぜい「1」と「10」なんで、「110(ひゃくとうばん)」で警察ぐらいですけど。メッセージで残すぐらいなら自分で通報すればいい、って感じになりますしね」

「ということは、暗号は二冊だけではないってことも考えられるわけか、了」

「それは考えられるね。京介、前後にあった本、覚えてる?」

「あぁ」

なかなか印象深い本ばかりだったので、どれも忘れていなかった。すぐに、本の名前が頭に浮かんだ。

「持ってきてもらっていいかな?」

「分かった」

 素早く、ボックスに入っていた数冊の本を回収に向かう。立ち話の間に持ちだされていないか少し心配だったが、借りられておらず、難なく集めることができた。集めた本を、もともと積まれていた順番に戻し、ボックスに積んだ。

「持ってきたぞ」

「カウンターの上、使っていいわよ」

小林さんから机の提供を受け、そこに集めた本を、積まれていた順に、左から並べた。

「一番上に積まれていたのが、〈進化するEU〉、次が〈クロラ・クエストV〉、三番目が〈吉村清十郎全集 10〉、その次が〈1〉。その下にあるのが、〈体を動かすトレーニング週③〉、同じく〈②〉、〈①〉。その下が〈夏の木の葉〉。これは小説だ」

「何か、挟まっていたりしないかしら」

それぞれがパラパラとページを捲ってみる。しかし、不審な点は見つからなかった。

「最後は、漫画の〈ドラゴン・ピース〉が十巻までだね」

「この中にヒントがあるのかしら」

小林さんが、拳を鼻先に当てる。

「これ、全部が暗号では無いと思いますよ。せいぜい、前後五冊とかじゃないと、暗号にしては長すぎる気がします。運びきれないし、そんなにせっせと運んでいれば、必ず司書さんの目にとまるはずだと思うので」

「複数で順番に入れればいいんじゃないのか?」

「それだと出来るかもしれないけど、結局おんなじように目立つことには変わりないよ。それに、複数で暗号をするって言うのも変な気がするしね」

確かに、そう言われれば、暗号を複数人でつくり上げるというのもおかしな話だ。

「あと、なんで五冊以内かって言うと、一度に借りられる冊数が五冊だからだよ。逆に、それに気づける人間も居るんじゃないかと思うし」

「そうね。まさか無いとは思うけど、もし私とか、図書館関係者に向けたメッセージであるなら、ほんの冊数を考慮してメッセージを送ってくれている可能性もあるしね」

もしも、司書さん宛であれば、暗号を送った側もその辺のルールに則っていることで、気づかせるということを考えていてもおかしくない。

「だから、〈吉村清十郎全集〉を含んだ五冊以内の本で暗号が構成されていると考えると妥当かもしれないと僕は思うんだ」

「なるほどね」

「じゃあ、〈トレーニング①〉より下にある二冊は除外だな」

まずは、〈ドラゴン・ピース〉、〈夏の木の葉〉が候補から外された。

「全集と、トレーニング集で考えてみよう」

「合計で、五冊になるが、トレーニング集に関しては順番通り一から三までになっているから、暗号となっているかがわからないな」

「数字だけ抜き取ってみれば、上から10、1、1、2、3ね」

「そのまま数字使うというのは、本をわざわざ使って暗号にする必要が無い気がするなぁ。紙とかでも出来るわけだし」

「つまり、本だからこそ出来る暗号ってことか」

「そうだね。例えば、装丁が暗号になっているとか」

その言葉に、小林さんは本を手に取り、細部に渡るまで目を凝らす。

「見た感じ、変なところはないようだけど」

それは、一冊だけ見ているからではないだろうか。さっき、五冊以内で構成される話と組み合わせ、考察する。

「装丁を使ってかつ、本を組み合わせた暗号って可能性もありそうだな」

俺は、二人の手に取っていない〈クロラ・クエストV〉、〈進化するEU〉を手に取り、本棚に置くように立てて、並べてみた。すると、あることに気がついた。

「アルファベットの位置が揃って、る?」

並んだ二冊の本の〈V〉と〈E〉の位置が全く同じになっているのだ。ということは、〈清十郎全集〉も合わせれば…。俺は、即座に残りの二冊を同様に並べてみる。すると、〈1〉と〈10〉が〈V〉の隣にきれいに並んだ。

「ふたりとも、これを見てくれ」

下から積み上げられた順に本を並べると〈1〉、〈10〉、〈V〉、〈E〉が一直線に並んだ。

「一直線に数字とアルファベットが並んでいるね。〈U〉だけが飛び出しているけど」

「V(5)じゃなくて、Vブイと読むとしたら…」

その一言だった。文字が一直線に並ぶように、俺の頭の中でバラバラだった謎が一直線に並んだ。

「あい、らぶ、ゆー。『I love you』だ」

「ホントだ」

二人も驚いた様子を浮かべた。

「コレが答えだよ。絶対」

「そうね。ここまで揃っていれば暗号だと言って間違いないよ」

しかし、ここで新たな謎が生まれた。

「でも、この暗号は誰が誰に宛てたものなんだ? それに、俺が察し悪く、本を戻しに行っていれば、気付かれなかったかもしれない。こんな、届くか不完全なメッセージをどうして作ったんだ?」

「きっと、僕達が手伝うという状況がアブノーマルだったんだ」了が言う。「それを除けば、もう誰に宛てたのなんて分かったも同然じゃないか」

「もしかして…」

小林さんが口に手を当てた。

「そう、このメッセージは小林さん。きっとあなたに向けられたものです。図書館関係者であるあなたが片付けをする前提で向けられていると考えれば、色々と辻褄が合います。セットしたのは昨日でしょうね。それはいつ、どうやったかまでは分かりませんが、貸出禁止の本が混ざっていることには間違いなく気づきますし、昨日、佐藤さんがいた時になかったのであれば、きっと今日の当番であるあなたに向けられたというのが妥当です」

「確かに、筋は通るな」

「誰が、こんなことを?」

言葉は震え、小林さんの表情が困惑と興奮が入り乱れている。

「誰、かはまだ分かりませんが、人物像が推測できます。多分、この図書館にある程度詳しく、いつ、どの司書さんが居るか分かる人物。本のタイトル末尾の高さがあっていることから、きっと準備をしっかりしたんでしょうね」

「まぁ、内容からして男だろうな。小林さんモテそうだし」

「そんなこと、無いわよ」

「そうですよ。小林さんは綺麗ですって」

小林さんは顔を赤らめる。まんざらでもないようだ。聞いた話によれば、二十代半ばらしいが、見た目は俺達と同じ大学生に見える。

 司書といえば、もう少し上の年齢のおばさま、という印象が強いが、真逆だ。小林さんは、文学少女がそのまま大人なったような感じで、幼気も残る女性だ。眼鏡で、大人っぽく魅せるようにしてるようにも見える。

「ありがとう。でもね、暗号を送ってくれた人には悪いんだけど、一年前に結婚してるの…」

「えっ。小林さん結婚されてるんですか。俺、指輪されてないんで、てっきり独身だと思ってました」

「指輪は作業で無くさないように外してたの。黙ってたわけじゃないけど、ごめんね」

「いえいえ、おめでとうございます」

やはり、素敵なひとには伴侶というのは直ぐ見つかるものなのだろう。俺は微笑み、祝福の意を伝えた。

「とにかく、メッセージをくれた人には悪いんだけど、大切がいるからごめんなさい、ってことになっちゃうわね」

申し訳無さそうに苦笑いを浮かべ、小林さんは言った。

「そうですよね。新婚さんに言われてもどうしようもないですね」

「まぁ、これで一件落着、ということでいいか」

「そうだね」

時計を見れば、もうすぐ正午。ちょうど腹の虫も鳴き始めた。脳みそもフルに使っていたためか、結末がわかった途端、糖分を欲していることが、頭の重さからも感じられた。

「了、本を戻して昼飯にするか」

「…そうだね」

青ボックスをそそくさと持つ了の横顔が目に写る。その時、鈍りきった脳に、一筋の稲妻が再び落ちた。その悲しく儚げな了の表情の奥に見えたもの。彼の思いに俺は気づいてしまった。


 返却物の片付けを済まし、俺達は図書館から一時退席し、外に出た。

「うわ、なんだよこの暑さ」

突き刺すような日照りと、アスファルトから立ち上ってくる、モワモワとした湿気。体を不快に包みあげ、離れようとはしない。

「本当、だね」

了は遠くを見つめたのち、俯きながら足を進めた。歩く方向から、今日の昼食はいつもの定食屋だとわかった。少し後ろを俺は歩く。

 会話が続かない。暑さのせいで、頭が働かないから? …いやそうではない。先ほどの謎で頭を使いすぎたからか? …いや、それも違う。いつもならば、ふわりふわりと揺れる了の手提げ袋が、その弱々しく揺れる様子が、そうでないと伝えるのだ。

 俺は、話を切り出すタイミングを伺いながら、さっきまでの出来事を反芻する。いくつかの”嘘”、遠回しな”言い草”。それが意味し、導き出すもう一つの真実に俺は気づいてしまっていた。

 ただ、躊躇と恐れが俺の中で滞留する。彼の事実に気づいてしまったこと、彼にそのことを伝えることが正しいのか、俺はまだ判断しきれずにいた。

 だが…。友達ならば、苦しみを和らげ、共有してあげるべきではないだろうか。

 立ち止まっていた横断歩道の信号は青に変わり、白線を進み始めたその時、俺は閉じていた唇をゆっくりと、そう、ゆっくりと開き始めた。

「了。ひとつ、聞きたいことがある」

「うん」

横顔にみる表情は変わらない。ただ、固まりきった顔に、額から汗が伝っている様子はなんとも言えない恐ろしさと、心苦しさを感じた。

「さっきの犯人。…了、なんだよな」

少し、間を空けて。平静を装うように了は言う。

「どうして、そう思うんだい?」

「順に裏付けをしていくさ」

「なるべく手身近に、論理的に頼むよ」

こちらに顔を向けようともせず変わらない表情。

 俺は一度、遠くにそそり立つ入道雲を見た。こんな風に、了にとっての今の俺は、遠くから見つめるだけの、第三者でしか無い…そう思っているのかもしれない。でも、俺はそう思ってはいないんだ。そんな思いが口を動かす。

「さっき、司書室に入った時のことだ。水切り台に湯呑み茶碗が二つ、置かれていた。俺達が朝一番に来て、昨日は客人も居なかったというのに、どうして水切り台に置かれていたか。それは、昨日、立ち話ですまないほどの長話をする相手が居たということだ。それは、了、お前だったんじゃないか?」

「へぇ、つまり中に入っていたと僕がウソを付いていたと」

「あぁ。そして、佐藤さんが何らかの理由、例えば、紹介したい本があると佐藤さんが取りに行ったタイミングとかに、了がその手提げかばんに忍ばせていた四冊の本を返却用青ボックスに入れたわけだ。勿論、二段目が積まれたことを確認し、下のボックスに差し替えをした」

俺は、了の右手に握られた手提げかばんを指した。

「それだけ?」

「何よりも、犯人像が了にピッタリと当てはまっていた。そして、本自身に了だと分からせるための仕掛けがあった」

「本に? どんな風に?」

少しずつ、了の俯いた頭が起き上がってきている。動揺しているのだろう。

「なに、簡単ななぞなぞだ。さっき、〈吉村清十郎全集〉の二冊の『110』で警察を連想した俺だからこそ逆に気づいたのかもな。

 本は四冊あった。つまり『4だ』。…『しだ』。お前の苗字の〈信田〉を〈しだ〉と読める奴はそうそう居ない。小林さんに名前を覚えてもらっていることから、気づいてもらえるとふんだんじゃないか」

「なるほど、ね」

俯いていた了は立ち止まり、右手を開いて太陽に掲げた。そして、ため息を漏らしたあと、右手に視線を向けたまま口を開いた。

「もういいよ。当たり。まさか、そこまで分かっていたとはね。手のひらを太陽に透かしたみたいに見透かされていたってわけか。 …全く二重苦だよ、京介には気づかれちゃったし」

了は開いた手を握りしめ、うなだれた。

「いや、たまたま気づけただけさ。十分、俺と小林さんはお前の思い通りに動かされていた。下のボックスを選ばされたり、俺に暗号を気づかせたり」

少しの沈黙の後、了は大きく息を吸い込み直した。

「確かに、僕は小林さんのことが好きだ。いや、好きだった。初めて彼女に会った、この前から。いわゆる一目惚れってやつだよ。こうやって京介と暑さしのぎで図書館にやってきて、小林さんと話したり、笑い合ったりして、小林さんの内面的な美しさにも触れることができてますます好きになってしまった。

 想いが募るにつれて、学びよりも、小林さんと話すことのほうが意味を持ち始めた。一緒に話しているときは本当に夢のように幸せを感じていたよ」

「じゃあ、どうして直接言わなかったんだ? きっと、思いは分かってくれ…」

「直接言うことも考えたよ!」力ない叫びの中にも、強い意志が感じられた。「でも、怖かったんだ。こうなることが分かっていて、直接伝えたときに明日からどう接していけばいいか分からないじゃないか。まさに地獄だよ。

 間接的に、そう、なんとなく気づいてもらえればよかったんだよ。そのくらいがよかったんだ。でも、結婚していることを知って、それはもう儚い夢だって分かってしまった。少なくとも、こうやって犯人をぼかすことで、小林さんには不思議な出来事だったってだけで済ませられるし、今までどおりの関係のままでいられる。

 僕は、今が悪い方に変わるのだけは怖かったし、避けたかった」

痛々しく握られた右腕からキリキリと音が聞こえそうだ。

 それでも、俺は。

「その為に、文字がしっかり合うよう、俺の知らないところで一生懸命本を探したり、俺達を誘導するために色々頑張ったんだよな、了は」

拳が徐々にしぼんでいく。

「褒めたって、褒めたって…」

了の目は赤く腫れ、涙が頬を伝っていた。

「そうだよ、親友が頑張ってるのをすげえって思わない奴はいないだろ!」

「ありがとう…。こんなんだったら京介に相談、しておけばよかったなぁ…」

了を保っていたものが崩壊したようで、しゃがんで低い嗚咽を漏らした。俺は背中を擦った。

「もう、大丈夫」

擦っていた俺の手を掴み、了は立ち上がった。まだ目は赤いが、正気を取りも出した瞳が、しっかりと前を見据えていた。

 こめかみまで垂れてきた大粒の汗を、肩から掛けたタオルで拭う。定食屋の大きな看板が前方に見えてきた。

「最後に、もうひとついいか?」

「うん。もう、何でも吐くよ。好きなだけどうぞ」

いつもの優しい笑みが、俺に向けられた。

「どうして今日、告白することにしたんだ」

「どういうこと?」

「つまり、なんで八月一日にしたかってことだ。月初めより、月末のほうが、気持ちに区切りがつくと思ってな。一ヶ月引きずる気がしてならないんだが」

「ああ、それね。京介ならわかると思ったのに」

了が、ふわりと手提げ袋を振り回す。

「単なる願掛け、さ。8月1日。8を横にすると∞。無限という言葉には、ずっと続くって意味がある。そして、1は、本のメッセージを説いた京介なら言わずもがな、だよね」

1は、アルファベットのI(あい)。愛か。

「永遠の愛、か。案外ロマンチストなんだな、了は」

「今回はネタが古いとは言わないんだね。よかった、よかった。それに、今となってが不意味な願掛けになってしまったわけだけど。

 それはさておき、ひとりで失恋を抱え込むこともなくなったわけだから、引きずらなくて済みそうだね」

「まぁ、何だ。今日は俺がおごってやるよ。楽しい謎解きと、心の傷を癒やす意味を込めてな」

わざとらしい笑みを了に向けた。

「笑ってるけど、一応傷ついてるんだからね。 お代は高くつくぞー」

「はいはい。分かった分かった」

「さすが、親友!」

「はいはい」

「暑いし早く入ろうよ。冷たいものが飲みたいな」

了はパタパタと顔を手で仰ぎ、入り口へと消えていった。

 どこからともなく、風鈴の音が響いてくる。見渡す空は青く、入道雲がゆったりと流れていた。



 夏の一日。暑さにうだる日もあれば、蜂に刺されたように痛む日もある。ただ、傷んだままで終わるかどうかは、人それぞれ。良し悪しを決めるのは本人次第だ。

 今、この思い出を思い出すことで、これから訪れる秋への準備を。そう、大切な未来への準備を今一度、万全にしたかったというわけだ。そう、春を迎えるために必要なことを冬の間に着実に積み重ねるように。季節は待ってはくれないのだ。


オスバチは晴天を選び、飛び立つ―

                        <吉村清十郎全集より>


 読んでいただき、ありがとうござしました。

 この短編は、二年ほど前に書いたものを作りなおした作品となっています。僕自身、自分の書いた中では好きな方で、夏の雰囲気、勿論嫌いなところもありますが、あの入道雲が立ち上り、アスファルトからぼんやりとした陽炎がゆらめき、セミの声が響き渡る、そんなイメージをもって書きました。

 図書館を舞台としましたが、僕自身、本は借りるより買う派なのでそこまで足しげく通っているわけではありません、ただ、勉強場所として使っていたこともあったので、あの本棚の広がる感じは書いてみたいと思っていましたので、書いてみました。

 なかなか時間のない中、少しずつ書きなおしてきましたが、コレ以上直すところは無いかと言われれば、そういう訳ではありません。ただ、ひとつの区切りとしてだそう、と思ったのが今回の直し終えたものです。

 僕自身、まだまだ未熟者ですので、よろしければ、感想、コメント等いただけるとありがたく思っています。それでは、また次の機会に。

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― 新着の感想 ―
[一言] 筋がしっかりしているし、短くまとまっていて飽きずに最後まで楽しく読むことが出来ました。また最近、『異世界転生』だとかばかりが氾濫しているので、こういう小説を見つけられるのは非常に嬉しいです
2015/06/13 20:18 退会済み
管理
[良い点] 夏のうだるような暑さと白い雲、キンと冷えた図書館の組み合わせが好きです。 大学生の夏=モラトリアムの謳歌ですね~。懐かしさに浸りながら読みました。 [気になる点] 「その悲しく儚げな了の表…
感想一覧
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