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UnChain  作者: 大垣礼緒
8/9

■第七章:紅に染まる

先に潜入した、つかさとサム。

 崩れかけた通路の奥、金属の匂いと薬品の甘い臭気が入り混じる。

 遠くで空調が唸り、蒸気が霧のように立ちこめている。

 「ちょっとサム、勝手にどっか行かないでよ。ただでさえ危なっかしいんだから」

 「俺そんなに信用ない?」

「“やらかす時もやる”の間違いじゃない?」


空気は張り詰めているのに、二人の間だけ妙にゆるい。そんなちぐはぐなやり取りを続けていると、つかさの端末に微弱な生体反応が表示された。

 「……いる。前方十メートル、二人」

 サムが即座に手信号で合図する。二人は近くのロッカーに飛び込んだ。


 暗闇。錆びた金属の臭いと、狭い空間に詰まる息。

 「ちょっと、サム、当たってる当たってる!」

 「それは俺のガイ・ヤーンだよ」

 「逆に意味深になってるからやめなさい!」


 外から足音。

 中南海の兵が通路を横切り、懐中灯の光がロッカーの隙間を照らした。

 二人は息を殺す。

 しかし次の瞬間、つかさのポーチからアンプルが2、3個落ち「カラン」と音を立てた。


 ――バレた。


 「誰だ!」という怒号と同時に扉が開く。

 「仕方ないっ!」

 つかさが引き金を引いた。

 “プシッ”と白い霧。

 男たちは一瞬で崩れ落ち、眠りに落ちる。

 息を吐いたつかさが、背中を壁に預けた。

 「……心臓止まるかと思った」

 「俺も。あと今の流れ的に俺のせいにされるかと思った」

 「だって普段からやらかすじゃない」

 「今回はそっちのターンだったね」

 サムが倒れた男の一人を見下ろし、つかさに目配せした。

 「……服、借りようか」

 「了解」


 黒地のシャツは光沢を帯び、襟が高く立ち上がる独特な形をしていた。

 飾り気はないが、妙に舞台衣装めいていて、

 威圧感と見せるための美学が同居している――中南海の“表演服”だ。

 キャップは同じく黒一色で、これといって特徴はない。

 つかさが被ると、まるで別人のように見えた。


 「どう? 似合ってる?」

 「うーん……威厳だけは出てる」

 「褒めてる?」

 「評価は保留」

落としたアンプルを拾い集める。一個だけ入り切らず無造作に胸ポケットに入れた。

サムがキャップの位置を直しながら小声で言った。

 「なあ、これ着てたらバレないかな」

 「どうだろ、顔は隠れてるけど……」

 つかさは胸元の名札を見下ろした。

 金色の文字で中南海と書かれたただの黒い札かと思いきや、角の部分に小さく光るチップが埋め込まれている。

 「やっぱり。これ、社員IDが埋め込まれてる。近距離通信で識別されるタイプね」

 「うわ、それ完全にバレるやつじゃん」

 「だから、できるだけカメラには近づかないこと。特に二足歩行の監視機は、IDと顔認証の両方やってるはず」

 「……俺らの運、どっちに転ぶかだな」

 そう言った矢先だった。

 通路の奥から、金属の足音が響く。

 ぎぎ……ぎぎ……と軋む音とともに、二足歩行カメラが姿を現した。

 赤い光が二人をスキャンする。

 つかさは息を止め、サムは動きを止めたまま笑顔を作る。

 「……にっこりしとけばバレないって理論、通じるかな?」

 「喋らないで!」

 うっすら感じる電磁波が首元の名札をかすめ――

 ピッ。

 一瞬だけ光が走ったが、警報は鳴らなかった。

 二人は視線を交わす。

 「……スルー?」

 「…さすがのクオリティね。日本製じゃなくてよかったわ」

 「奇跡だな。ていうか、これ落とした兵、給料も落ちるんだろうなぁ」

 「その冗談、笑えないから」

 機械が去っていくのを見送り、二人は肩の力を抜いた。

 その足音が、遠ざかるたびに反響していく。

 静けさの中で、二人の呼吸だけが現実に戻ってきた。

 ――緊張が解けるたび、背中を伝う汗の冷たさがやけにリアルだった。

 無線室は屋上に近いフロアの奥にあった。

 配管むき出しの天井に、旧式の冷却ファンがまだ稼働している。

 ドアの前には、古びたICタッチ式のセキュリティパネル。

 表面には細かなひびが走り、ところどころ焦げたような跡もある。


 「どうやって解錠するの?」

 つかさが腕を組んで言う。

 「さあ、分からないけど……」サムは工具ポーチを取り出しながら、にやりと笑った。

 「こういう機械いじりは、俺の得意分野だよ」


 彼が配線を覗き込もうとした瞬間――


 ピッ。


 電子音とともに、パネルのランプが緑に変わった。

 『認証しました』という合成音声が流れ、ロックが外れる。


 「……は?」

 つかさが目を瞬かせる。

 「……え、俺まだ何もしてないけど?」

 扉がゆっくりと開いた。冷たい風が中から吹き出す。


 「もしかして、この名札?」

 サムが胸元のカードを見下ろす。

 角のチップが、わずかに光を放っていた。


 つかさは深く息をついた。

 「……もう、偶然でも結果オーライってことでしょ」

 「な? やっぱり俺、持ってるんだよ」

 「運だけね」


 無線室の中は、まるで時代が止まったようだった。

 壁一面に並ぶ古い無線機、埃をかぶったコンソール、そして微かに点滅しているインジケーターランプ。

 どれも中央網に接続されていない、独立した旧式の通信機だ。


 サムが目を輝かせた。

 「うわ……これ、俺が欲しかったやつじゃん」

 「そんな大きいの持って帰れないでしょ?」

 「いやいや、部品だけでも……」

 「だめ。任務中」


 つかさがメインコンソールを覗き込み、ため息をつく。

 「……どれがメイン機なのか全然わからない。全部骨董品みたい」

 「そりゃそうだろ、五十年以上前の型だよ。逆に感動するわ」

 サムは配線を見渡しながら、ドライバーを手に取った。工具袋から小さな包みを取り出し、機器の狭い隙間へと滑り込ませた。

布に包まれたそれは一見して何かの部品にも見えたが、サムは押し込みながら小声で呟いた。

「ここが一番効率いいはず……状況次第で仕事してくれ」

そんな奥の方の機械でガサゴソとなにかしているサムに気づいたつかさ。

「あんたもしかして」

 「とりあえず、一番光ってるやつを貰っていこう」

 「そんなことしてる場合じゃないでしょ!」



 はたかれるサム。その後何事も無かったかのように右往左往するつかさ。

 部屋の奥では、古びた冷却ファンが低く唸っている。

 そのとき、サムが机の上に置かれた小さな袋を見つけた。

 『甘草瓜子ガンツァオグアズ』――中国製のお菓子、スイカの種だ。


 「……これ、懐かしいな」

 サムが袋を開け、ひと粒口に放り込む。

 カリッ、という乾いた音が響く。

 「……あんた、何食べてんのよ!」

 「いやぁ、タイにいた頃よく食べてたんだ。これがまたクセになる味で――」

 「非常時にスナックレビューしてる場合じゃないって!」


 つかさが呆れる中、

 無線機のひとつが、唐突に光を放った。


 ――ジジ……ッ、ザザ……


 ノイズ。

 空気が一瞬、震えた。


 『……湊、返事しろ……! 聞こえてんだろ!』


つかさとサムが同時に顔を見合わせた。

 「……あ、すっかり湊のこと忘れてた」

 「いや、今の今まで完全に忘れてたね」


『……聞こえてる。けど、まだ檻の中だ。冷却ガスのダクトを破壊して何とか逃げ切れた』

 無線の向こうから、湊の声。

 狭い通路に反響する彼の声が、持っていた無線機を通して届いている。

 サムは咄嗟に無線マイクを握った。

 『そりゃ寒そうだね。無事かい?こっちはおいしそうなお菓子を手に入れたよ』

 「ちょっ、何言ってんのよ!」

 『いやぁ、まさに袋のネズミだったよ。ってそのお菓子ってもしかして?』

 『ん? 中国のほうのお菓子でスイカの種だね……甘草瓜子?』

 その瞬間――

 ノイズが跳ねた。

 『おい、やめろ! その場から離れるんだ!!』


 黒いチャイナドレスに赤い縁取り、長い髪が肩を滑り落ちる。

 紅はほんの一歩だけ前に出る。

 床をかすめるヒールの音が、二人の鼓動と重なった。


 サムが振り返るより先に、額に冷たい金属の感触が触れた。

「動くんじゃないわよ」

 その声と同時に、冷たい金属音が空気を切った。

 サムとつかさの目の前に突きつけられたのは、長い銃身に小さな刃を備えた黒い拳銃――モーゼル・ミリタリー。

 しかも二挺。

 女はまるで舞うように、両手でそれを構えていた。

 銃口の延長線上に、刃の光が冷たく走る。


 「侵入者、ね。中南海の制服を着るには、少し顔が整いすぎてるわ」

 「……誉め言葉と受け取っていい?」

 「黙りなさい。喉を撃ち抜くわよ」

 女の眼差しは、言葉より先に命を奪う種類のものだった。


 そのとき――

 サムの手から、ぽろりと何かが転がり落ちる。

 黒い床に、乾いた音を立てて転がる小さな種。


 「あ……」

 女の眉がぴくりと動く。

 視線が落ち、そこに見慣れた袋があった。


 「「甘草瓜子」」


 「ああああああ! 私の甘草瓜子が!」

 サムは反射的に手を挙げた。

 「美味しかったです!」

 「貴様ぁ!」

 女のヒールが床を叩き、二挺のモーゼルが微かに跳ね上がる。


パンッ 

    パンッ


 銃声は床に二つの凹みを残しただけで、弾は誰も殺すことなく壁に突き刺さった。女は二丁の銃剣を前に突き出し、その刃先をサムとつかさの喉元にかすらせるようにして言った。

「武器は全部没収する」

 言葉は冷たく、動作は極めて静かだったが、その威圧は鉄の扉にも似ていた。守衛が無言で部屋に踏み込み、つかさのナース・バスターと医療ポーチ、サムの工具ポーチを容赦なく取り上げていく。赤い縁取りの手袋が器具に触れるたび、二人の手から力が抜けていった。

守衛がサムの腕周りの箱と腰のポーチからロープを取り出す。

「あ、それは……」

「随分気合いの入ったワイヤーロープね。後で使うからそのまま持たせておきなさい」

赤いヒールの音が、コンクリートを叩く。

 守衛二人に両腕を掴まれたサムとつかさは、無線室を出て薄暗い階段を無理やり引きずられていく。

 上階へ行くほど、冷却装置の唸りが強まり、湿った風が肌にまとわりついた。


 「どこへ……連れてく気?」

 つかさが低く問う。

 女は答えない。

 ただ、手にしたモーゼルの銃口で“上を指す”だけだった。

 重い防火扉を開けると、そこは屋上だった。

 焦げた川崎の街を一望できるその最上階は、外壁の一部が崩れ落ち、

 瓦礫の隙間から夜の風が吹き抜ける。

 焦げた鉄の匂い。

 乾いた砂埃。

 死を待つ空気の中に、ほんのわずかに潮の匂いが混じっていた。


 夜風が雲を裂き、薄い月光が二人を照らす。

 街の灯りは遠く霞み、静けさの奥でかすかにサイレンが鳴っていた。

 その美しさが、逆に死の静けさを際立たせていた。


女はサムの腰のポーチにぶら下がるガイ・ヤーンを見下ろす。

 「これで吊るしましょう」

 「……マジで?」

 「冗談に聞こえる?」

 守衛の一人がガイ・ヤーンを取り出そうとしたが、女は手で制した。

 「本人にやらせなさい」

 「え?」

 「自分の足を縛るのよ。……面白いでしょ?」


 サムは乾いた喉で唾を飲み込んだ。

 ロープの端を取り、つかさを見る。

 「バンジージャンプってやつか……俺、これ結構得意なんだよ」

 「そういう問題じゃないでしょ!」

 「せめて美しくいこうぜ」

 つかさが睨むが、もう笑えなかった。

 ガイ・ヤーンのワイヤーロープが二人の足首を縛り、金属の締め具が「カチン」と鳴る。

 紅が満足げに頷く。

 「いいわね。ちゃんと結べたじゃない」

 「褒められちゃったよ。これでさっきのはチャラにできない?」

「……。こいつらを早く黙らせなさい」

「私、なんも関係ないじゃん!あんたが余計なこと言うからよ」

 守衛が滑車をセットし、ロープの端を屋上の手すりに括りつける。

 風が強くなり、髪が舞う。

 女の髪が月明かりに揺れ、頬を撫でるように踊った。

 「――処刑の時間だわ」

女の声は、夜気を裂く銃声とともに屋上に響いた。

「まった! 死ぬ前にせめて、美しいお姉さんの名前だけでも聞かせて!」

サムが無理やり笑顔を作る。

「ちょ、あんた何言ってんのよ! 答えてくれるわけないでしょ!」

つかさが半ば呆れ、半ば震えた声で返す。

女は一瞬だけサムを見下ろし、風に揺れる髪を耳にかけた。月光が頬を照らす。

「……ホン美鈴メイリン

その声は氷のように澄んでいた。サムは思わず息を呑む。

「……答えるんだ……」

「苦しみながら死ぬ前の、せめてもの慈悲よ」

紅はモーゼルの銃口をゆっくり下ろして二人に照準を合わせる。風が吹き、影が長く伸びる。

「――今度こそ、処刑を始めましょう」

 紅がモーゼルを構えた瞬間、屋上の防火扉が“ガンッ”と内側から弾け飛んだ。


 熱と冷気がぶつかり合い、白い蒸気が一気に流れ込む。

 赤い警告灯の残光が揺らぎ、鉄の匂いが一層濃くなる。

 守衛が振り向いた瞬間、閃光が走った。


 「ッ!?」

 光の中から現れた男――濡れた髪を後ろに払う湊だった。

 肩からは冷却ガスがまだ立ち上り、呼吸とともに白い煙が漏れる。


 「……湊!」

 つかさが叫ぶ。

 サムは笑った。「よっ、救世主登場! 遅いぞ!」


 湊は視線だけで二人の拘束を確認し、

 左手の旧式端末を掲げる。

 「サム、ロープ。今すぐ解除する」

 「了解、相棒!」


 湊が端末を起動した瞬間、ガイ・ヤーンの金属線が淡く光を放ち、

 足首の締め具が「パキン」と弾け飛ぶ。


紅のモーゼルが再び閃く。

 湊は身をひねってかわし、鉄骨に弾が弾ける火花が散った。

 風が渦を巻き、瓦礫の音が混ざる。


 その最中、サムが倉庫群に反響するほど大きな声で湊の方へ叫んだ。

 「湊っ! 周波数は――144.86だ!」


 一瞬、湊の目が細くなる。

 その数字にすべてを悟ったように、彼は無線端末を操作し、指先で“SEND”ボタンを押した。


 ピッ――。

 無機質な音。

 次の瞬間、

 ――ドガァァァァンッ!!


 下からの爆風が屋上を飲み込み、全員が一瞬宙に浮いた。

 衝撃波が空気を裂き、ガラス片と瓦礫が飛び散る。

 紅の黒髪が炎の中で弧を描き、モーゼルの銃身が高熱で軋む。


 「――ッ!!」

 紅は足を踏ん張り、風に煽られながらも姿勢を崩さない。

 守衛たちは悲鳴を上げ、建物の下へ消えた。


 紅の目が怒りと驚愕に染まる。

 「どういうことなのっ!?」


 サムは煙の中からゆっくりと立ち上がり、

 すすけた顔でにやりと笑う。

 「いやぁ……無線室に仕掛けた爆弾が、ここまで仕事してくれるとは!」

 紅が眉をひそめる。

 「爆弾……?」

「そう、特定の周波数で無線機が信号を送って起爆する仕掛けさ。本来は“お手製の火遊び”程度の威力だったんだけどね。隣の発電機に誘爆して、それが暴発。おまけに――湊がぶっ壊したダクトから漏れた冷却ガスに引火!」

 サムは手を広げてみせた。

 「結果――ワンフロアまるまる吹き飛ばしたんだ!」


 その口調はまるで自慢話のようだった。

 紅の瞳に怒りと驚きが同時に宿る。

 「正気なの……?」

 サムは肩をすくめて笑った。

 「正気じゃなきゃ、あんたの目の前でバンジーの準備なんてしないよ」


 湊が振り向き、苦笑を漏らす。

 「お前ってやつは……」

 「“状況次第で仕事してくれ”って願いを込めてよかったよ。最高の状況になったね」


 風と炎の中、紅はなおも立っていた。

 衣の裾が焼け、焦げる匂いが漂う。それでも姿勢は崩れない。

 紅はモーゼルのスライドを引き、静かに言った。


 「……よくも、ここまでやってくれたわね」


 次の瞬間、足元が消えるほどの速さで動いた。

 ヒールが床を打ち、紅の姿が霞む。

 銃声――そして風。

 湊とサムは反射的に左右に跳んだが、紅の動きはそれを上回っていた。

 弾丸がサムの肩をかすめ、火花と血が同時に散った。

 「っ……あっぶねぇ……!」

 サムが笑うが、その声に余裕はない。


 続けざまに紅はもう一挺のモーゼルを構え、湊の方向へ跳躍。

 銃剣が閃き、湊はギリギリで腕を交差して受け止める。

 刃が袖を裂き、皮膚をかすめて血が滲む。

 金属がぶつかり合う音が響き、湊は歯を食いしばった。


 つかさがその隙を狙い、背後から紅に向けて投げナイフのように落ちていた金属片を投げる。

 だが紅は片手で弾き、反動でモーゼルを振り返してつかさの腹部を切り裂いた。

 浅いが、確かな痛み。

 つかさは呻きながらも後退し、両手で傷を押さえる。


「湊! チャージショット使え!」

 サムの怒鳴り声。

 湊は即座に周囲を見渡す――瓦礫、破片、銃弾の薬莢。

 だが、どれも“弾”には大きすぎるか小さすぎる。

 「……使えねぇ、素材がない!」

 湊の声に紅が冷笑した。

 「なら、もう終わりね」

 紅のモーゼルが閃く。二丁同時の連射。

 サムが咄嗟に湊の前へ飛び出し、片腕で盾のように庇った。

 銃弾が腕を貫き、鮮血が弧を描く。

 「がっ……!」

 「サムっ!」

 「問題ねぇ……! 肩がひとつ死んだだけだ……!」

 それでも笑うサムの目には、まだ光があった。

 紅は舞うように回転し、再び銃剣を構える。

 「立てるうちは撃たせない」

 紅の言葉と同時に、刃が走る。

 つかさが前に出ようとした瞬間、紅の一閃が彼女の胸をかすめた。

 「――っ!」

 薄い布が裂け、血が滲む。つかさは咄嗟に胸を押さえた。

 「あ……」

 指先に硬い感触――。

 ポケットの中に、小さなアンプルの角が当たっていた。

  紅の猛攻はなおも続く。

 銃声と金属の衝突音が屋上を支配し、避けようとするたびに、湊たちはじりじりと追い詰められていった。

 ヒールの音が床を叩き、紅の動きは風のように読めない。

 「くそっ、速すぎる……!」

 サムが肩の傷を押さえながら後退する。

 湊も反撃の隙を掴めず、ただ防御で手一杯だった。

 つかさが支えようと前へ出るが、その腕をかすめるように銃剣が掠め、制服の布が裂ける。

 「――ッ!」

 紅の眼光が獣のように光る。

 逃げ場は、もうなかった。

 背後は崩れた外壁。前は紅の銃口。

 そして――三人の足元を爆風が削り取っていく。

 避ければ避けるほど、立ち位置が重なっていった。

 湊、サム、つかさ――背中と肩がぶつかり合い、気づけば三人は団子のように固まっていた。

 息が混ざり、鼓動が重なり合う。

 紅が冷たく呟いた。

 「終わりね。三匹まとめて――三吱児にしてやるわ」


 モーゼルの銃口が、まるで処刑台の刃のように月光を反射した。

 そのとき、つかさが息を呑む。

 胸を押さえた手の下で、硬い感触――。

 「……まだ、一本……残ってる……」

 彼女は血に濡れた指先で胸ポケットを探り、アンプルを掴む。

 「湊……!」

 振り向く余裕もない。

 つかさは背中越しにアンプルを押し当てた。

 その一瞬、背中と背中が触れ合う。

 「これ……ナースバスター用。中に導電コイル……通電、できる……」

 湊が短く息を吸う。

 「……助かる」

  紅が踏み出した。

 ヒールの音がコンクリートを鳴らし、夜の風が一瞬止まったように感じる。

 湊の視界が細く絞られる。

 紅の瞳に映るのは、確実な殺意。

 「終わりよ」

 モーゼルの銃剣が弧を描く。

 その瞬間、湊の声が低く響いた。

 「――通電開始」

  カオマン・ガーイの発射ユニットが唸りを上げ、電磁コイルが青白く輝く。

 空気が焼け、火花が走る。

 紅の刃が湊の頬をかすめる瞬間、閃光が夜空を裂いた。

 轟音とともにアンプルが飛び、紅の胸元に直撃。

 薬液が破裂し、電流が紅の全身を走る。

 「……っ――!」

 紅の体が硬直し、二挺のモーゼルが床に落ちる。

 ヒールが一歩、二歩と後ずさり――紅は崩れ落ちた。

 その静寂の中で、湊は息を吐く。

 電流の閃光が消えると、紅の体は糸が切れたように崩れ落ちた。

 ヒールが転がり、屋上に乾いた音を立てる。

 湊はしばらくその場を動けずにいた。

 夜風が吹き抜け、煙の匂いと血の鉄臭さを運んでいく。

 「……終わったのか」

 サムがかすれた声で呟く。

 湊は視線を紅に向けた。

 胸元がわずかに上下している。

 「眠ってるだけだ。……つかさの薬が効いた」

 つかさは壁にもたれ、息を整えていた。

 「今のうちに……離脱しないと」

 湊が頷き、無線端末を拾い上げる。

 ノイズの奥から、聞き慣れた声が流れた。

 『……湊、サム、つかさ。よくやった』

 『芹沢さん……!?』

 『敵の無線中枢が吹き飛んだ影響で、混線が解けた。今なら通信が通じる。

  全員、その場を離脱しろ。トラックをそっちに送る』

 湊は短く答えた。

 『了解。……なんとか生き残った』

 『生き残ることが任務だ。それで十分だ』

 サムがポーチからガイ・ヤーンを取り出し、屋上の縁にフックを打ち込む。

 湊が軽く笑い、つかさの肩を支えてロープを掴む。

 ――ギィ……。

 焼けた鉄骨が軋む音とともに、夜の闇へと降下していく。

 風が頬を切り、下の倉庫の屋根が近づいてくる。

 足が地を打つと同時に、サムも滑り降りた。

 風が唸り、焼けた鉄骨の影が流れる。

 足が地を打つと、すぐそこに青白く光るトラックが止まっていた。

 エンジン音はなく、ただ淡い青のラインが車体を走る。

 「前回、回収した……AI制御車両か」

 サムが呟く。

 「無人でも、迎えに来る。頼もしいもんだな」

 湊が隣の倉庫の奥を見やり、煤けたバイクを押し出した。

 「こいつも連れていく。まだ走れる」

 トラックの荷台が自動で開き、スロープが伸びバイクの積載準備をする。

 積載を確認すると、電子音が小さく鳴った。

 「積載完了。目的地――川崎ロゼリア」

 機械音声が冷たく告げる。

つかさが助手席のシートに体を預け、息を整えた。

 だがその肩が、小さく震えている。

 「あれ……なんか……頭が、ぼうっと……」

 サムも荷台に座り込んだまま、眉をひそめる。

 「……おい、まさか……近距離で放ったアンプルの拡散粒子か?」

 服に残る薬品の匂い――眠りを誘うように甘く、重い。

 「……ちょっとぐらい、寝ても……いいよな」

 サムの声が、遠くに霞んでいく。

 湊はわずかに笑い、頷いた。

 「……自動運転なら。居眠りにならないか」

 誰の言葉ともつかない呟きが、車内に溶けて消えた。

 トラックが静かに動き出す。

 AIの駆動音は、まるで心臓の鼓動を持たないかのように無機質だった。

 焼け跡を照らす青白いライトが、道を真っ直ぐに伸ばす。

 車体が角を曲がる瞬間、屋上の影が視界の端に映った。

 ――赤いリボンが、風に乗って舞い落ちる。

 燃え残ったそれは、夜気に揺れながら道路へと落ち、静かに横たわった。

 まるで、まだ誰かの想いがそこに残っているかのように。

  無人トラックは減速もせず、

 淡々と命令通りのルートを走り続けた。

 その後ろ姿を、月が冷たく照らしていた。


 ――一方屋上では轟音のあと、屋上には炎と煙の匂いだけが残った。

 瓦礫の隙間で、ひとつの影が微かに動く。

 「……ぅ、ん……」

 焼けた鉄骨の下、紅の指がぴくりと動いた。

 頬に煤が付き、チャイナ服の装飾のリボンはほとんど焦げ落ちている。

 それでも呼吸はある。

 薄く開いた唇から、かすれた寝言のような声が漏れた。

 「……もう……北京烤鸭は……食べられないよ……」

 その声に反応して、階段を駆け上がってきた男がいた。

 肩で息をしながら、瓦礫をかき分ける。

 「お嬢! お嬢ッ! しっかりしてくれ、お嬢!」

 劉だった。

 血混じりの汗を拭う間もなく、紅の身体を抱き起こす。

 「お嬢、死んだのか?」

 紅はそのまま、よだれを垂らして小さく寝返りを打った。

 「……うげぇ、臭豆腐」

 「えっ……寝てる!? マジかよ……!てか、俺そんな臭い!?」

 瓦礫の上で、風が吹いた。

 燃え残った赤い布が、月明かりに揺れる。

 劉はその布を拾い上げ、苦笑しながら呟いた。


「奴ら、許さねえ。俺がこの手で絶望に落としてやる」



桜がチラホラと咲きはじめて

ああ、春だなぁと実感しますね


そういえばこの作品を書き始めたのがちょうど……


去年の秋でした


関係なかったです。


しかしまあ時の流れとは早いもので、気がつけばここまで更新してるんだなと思うと

しみじみしじみ……


原作ストックが日に日に消えていくことに焦りを感じます。


さあ、来週も土曜日に更新予定です


次の土曜日は仕事なので朝イチには更新すると思うんですよ


今日は……決して忘れてた訳じゃないですよ!!!!

……決して。

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