■第三章 初任務、物資回収
鶴見へ向かう道は、湊達にとっては既知の景色だった。
川崎へ来るまでに一度通ったはずの道。しかし今は違って見える。瓦礫に埋もれた住宅街、無人のコンビニの前に屯する影。荒んだ空気が、かつての街を別物に変えていた。 これが初めての“外仕事”だという実感が、ゆっくりと重さを増していく。
「今回、持って帰って欲しいものは三つだけや」
キヨシはポケットから古びたスマートフォンを取り出した。画面はひび割れ、光は弱々しいが、そこには小さな地図アプリがまだ生きていた。
湊は思わず息を呑む。
「……まだ動くんですか?」
「動くっていうより、芹沢が無理やり生かしてるんや」
キヨシは笑いながら、指先で画面をスクロールさせた。
「ほれ見ぃ、ここに倉庫、ここに薬局、んで警察署や。全部オフラインで落としたデータやから通信はせん。まあそもそも5Gっちゅう旧式の電波を使っとるでオンラインに入れてもまあバレることはないんやけど、念には念をな」
ひび割れた画面には、赤いチェックがいくつも描かれている。
一 — 工具一式。
倉庫や廃工場に眠るペンチ、レンチ、溶接具から、細かな精密工具まで。芹沢が言うには「壊れたものを直す力」はここでは命綱だ。使える金物は片っ端から持ってこい。
二 — 医療用品。
包帯、緩衝材、消毒剤、注射器、そしてまだ使える抗生物質や止血剤。つかさがその目で「使えるか」を見分ける。医療品の価値は金や食料よりも高い。人を繋ぐものだからだ。
三 — 警察署からの火器。最重要任務。
だがここが一番厄介だ。正式な庫に保管された銃を奪うということは、それ相応のリスクを意味する。情報ではあの署は「ゴロツキの根城」になっている可能性が高い。扉の向こうに組織的な占拠者がいるかもしれない――戦闘の規模が一気に変わる。
「工具と医療は回収可能性も高い。警察署だけは……慎重にな」
キヨシの声音は抑えられているが、そこに含まれた重みは誰の耳にも届いた。命を奪うためではなく、人を守るための銃。だが、銃を手にするということは、もう「日常」から遠ざかることでもある。
任務の役割は明確だ。つかさは薬品と医療品の目利き役。湊はその護衛であり、警察署突入の最前線を担うことになる。サムは負傷のためロゼリアに残り、芹沢の指示で無線や後方支援を担当する。
出発の前、キヨシは短く告げた。
「無理はするな。だが怯むな。持って帰れんもんは捨ててこい。――生きて戻るのが最優先や」
夜風が二人の顔を撫で、倉庫群の向こうで明滅する灯りが遠ざかっていく。目の前の地図と三つの目標だけが、静かに重く二人の肩にのしかかった。
かつて物流の拠点だったはずの広大な建物群は、今ではシャッターの半分が歪み、錆びた鎖が風に揺れて軋む音だけを響かせている。
「……思ったより大きい倉庫だね」
つかさが小声で呟く。
湊はうなずきながら、古びたスマホの地図を確かめる。
——ここだ。
ライトを照らしてみるが、あまりにも大きい倉庫で全体の様子が見えづらい。
シャッターをこじ開けて中に入ると、ひんやりとした空気と油の匂いが迎えた。
光の届かない奥は暗闇に沈んでいたが、幸い人気はない。
棚には乱雑に積み上げられた工具が残され、錆びているものも多いが、まだ使えるものも少なくなかった。
「ラチェット……あった。あとプラスドライバーも」
つかさが手際よくチェックリストを埋めるように工具を集めていく。
湊はその横で、見慣れぬ器具に目を奪われていた。
壁際に、一本だけ異様に大きな工具が立てかけられていた。
柄の部分が肩幅より長く、先端には鋭い刃のような金属の顎。
—— ボルトクリッパー
少年の瞳に、妙な憧れが宿った。
ドライバーやレンチとは違う、“力技で切り拓く”ための存在感。
彼はそれを両手で持ち上げると、思ったよりも重く、ずしりと肩にのしかかる。
「そんなのまで持ってくの? 邪魔になるだけじゃない?」
つかさが呆れ気味に振り返る。
「……いや、なんか、こいつは……」
言葉にならない衝動を押し殺しながら、湊はそれを背負った。
その姿はどこかぎこちなくも、背中に一本の線を引いたように見えた。
倉庫を出る時、嫌な視線を感じて上部を照らしてみると壊れかけの監視カメラがか細く赤く光りこっちを向くだけだった。
「あれ、生きてるの?」
「かろうじてじゃない?けど誰もいなさそうだし大丈夫だと思う。念のため配線は切っておこうか」
肩からボルトクリッパーを下ろした。
鉄の顎をケーブルに噛ませると、ほんの一瞬のためらいのあと――
バツンッ!
鈍い手応えとともに、赤い光が消えた。
それはまるで、この街のどこかで“誰かの目”を閉ざしたような感覚だった。
誰もいない守衛所の横目に二人が街を進むと、空気はさらに冷たく濁っていた。鶴見の路地はゴミと貼り紙と落書きで埋まり、所々に人影が漂っている。スマホの地図で薬局の位置を確認し、つかさが足早に角を曲がる。
薬局の引き戸は半ば壊れ、看板のネオンがチカチカと不気味に瞬いていた。店内には窓際の棚が崩れ、床には散乱した薬の箱や割れたガラス。誰かが先に手を付けた形跡が残っている。
「人……いるのかしら」つかさが小さくつぶやいた。
棚の陰から現れた三人の影は、ただ荒んでいるだけではなかった。
眼球は充血し、まぶたが重く垂れ下がり、舌足らずな言葉を吐くたびに唇の端からよだれが糸を引く。その手には、ラベルの剥がれたシロップ瓶や、粉々になった錠剤を紙で包んだものが握られていた。
「おい……なにしてんだよ。外から来たのか?」先頭の男が舌をねぶるように動かしながら詰め寄る。手にはスプレー缶と小さなナイフ。スプレーを吹けば火炎にもなるのだろう、缶の先端は黒く焦げていた。
後ろの二人はにやにや笑いながら壁を蹴り、ペットボトルをがらがらと転がす。
「女じゃねぇか。俺らのオモチャにしてやるか」
「おい、舐めてみる?」
下卑た声に、つかさの肩が一瞬だけこわばった。
湊の背中で、ボルトクリッパーがごつりと当たる。心臓が早鐘のように叩き、手の中のテーザーが汗で滑る。
――撃つのか? 本当に人に向けて?
目の前にいるのはただの“人間”だ。だが、この目つき、この笑い声。この場所を「巣」にして生き延びてきた、まともではない人間たち。
湊の中で「ためらい」と「恐怖」が同時に膨らんでいく。
リーダー格がふらりと突っ込んできた。ナイフの刃先が薄い光を跳ね返す。
時間が伸び、耳鳴りが世界を覆った。
――今、引かなければ。
湊の指が、勝手に動いた。
赤いホロ照準が胸をなぞり、引き金を引く。
「ビリッ!」短い放電音。男の体が弾かれ、痙攣しながら床に崩れ落ちた。ナイフがカランと転がる。
残る二人の笑みが凍りついた。ひとりは怯えを隠せず後ずさり、もうひとりは舌打ちして仲間を抱え、乱雑な罵声を残して逃げ出した。
電極から火花が散り、暗がりを白く裂いた光は、店の中に一瞬だけ異様な沈黙をもたらした。
湊は肩で息をしながら、わずかに震える手で銃口を下ろした。
――撃てた。止められた。だが胸の奥には、まだ「非殺傷とはいえ人に向かって撃った」という生々しい感触が残っていた。
つかさは迷いなく棚を漁り、包帯や消毒液を掴み出す。背中の姿は「早く動け」と無言で告げているようだった。
呻き声を残す男を一瞥し、湊は深く息を吐き出す。
薬を確保し、二人が外に出ると、夜風が頬を刺した。
不気味な笑い声の残響と、テーザーの火花の匂いが、まだ鼻腔にまとわりついていた。
湊の手はまだ微かに震えていたが、テーザーの効果を目の当たりにしたことで、彼は自分の中に出来た小さな支えを感じていた。「これで守れる」――そんな思いが胸を温める。
だが、安心は長くは続かなかった。帰路の角を曲がる直前、路地の方から異様に規則正しい足音が遠ざかってきた。軍靴のような重いリズム、整列した隊列が皮膚感覚に響く。立ち止まって聞き耳を立てると、誰かが息を殺して呟いた。
「気をつけろ……あれは、ただのゴロツキじゃねぇ」
芹沢からの無線のその言葉だけで、二人の体温が凍った。見上げれば暗がりの上空を、真っ黒な球体ドローンが静かに旋回している。光は点滅せず、おそらくは監視のためのものだろう。だがもっと嫌な気配があった──。
この地帯には、もっと「組織的な何か」が動いている――その予感が、二人を冷たく包んだ。
薄明かりの交差点に現れたのは、人間の形をした“青い光の塊”だった。外骨格の継ぎ目がひかり、関節ごとに青いレンズが淡く発光している。背中にはタバコ箱ほどのユニットが背負われ、ホースが各関節へと露出しながら伸びていた。動きは人間のそれだが、所作は計測され尽くした機械のように正確だ。
「停止。識別を確認」——どこからともなく、低く籠った機械音が響いた。
装甲の一人がゆっくりと前へ出る。ユニットの稼働音が微かに震え、センサーが周囲をスキャンしている。彼らは“兵”だ。だがその佇まいは、ただの兵士ではなかった。
無線越しの芹沢が言う
『気を付けろ!そいつはナノと連動することで、非熟練者にも戦闘能力を保障する装備――S.I.V.、Smart Internalized Vestmentスーツだ!アイスブラストの兵だな…なんでこんなところに』
湊の手の中で、テーザーのホロサイトが微かに光を送る。だが先ほど効いたゴロツキのような反応は起きない。装甲の表面が電流を受け流し、衝撃は内側で減衰する。彼らの一挙手一投足に、アクチュエータが補助を入れる。テーザーの火花がはじかれるように散り、相手はびくともしない。
「撃っても無駄だ」
無線越しに芹沢の声が鋭く響いた。
装甲兵は間合いを詰め、青白い光を散らしながら迫ってくる。背筋をなぞる冷気のような威圧感に、湊の呼吸は浅く速くなる。テーザーの火花は散っただけで通用しない。
背中にずしりとした重みを思い出す。倉庫で見つけた、場違いなほど巨大なボルトクリッパー。
頼りない。ただの工具に過ぎない。だが――「切る」ことだけは出来る。
湊の脳裏に浮かんだ戦術は、あまりに単純で野蛮だった。
――あの背面のユニットか、むき出しのホースを断てば。
考えるより先に、体は動いていた。
敵の股下を滑り込むように抜け、背後へ回り込む。
両腕に渾身の力を込め、クリッパーを振り下ろした。
金属の顎が補強ワイヤ入りのホースに噛みつく。
「ギリッ」と嫌な音を立て、切断面から白い霧が一気に噴き出した。
冷却液が床を濡らし、蒸気が足元にまとわりつく。
兵の関節がぎこちなく歪み、籠った呻き声がヘルメット越しに漏れる。青く滲んでいた光が一瞬にして弱まり、ユニットからは低いアラートが響いた。
――「システム異常」
一体が力を失ったかのように“萎む”。ホースから滴る液体が床を濡らし、装甲はぶるぶると震えながら崩れ落ちていった。
仲間の一人が倒れるや、残る兵たちの反応は速かった。統率された動きで隊形を組み直し、すぐさま撤退経路を確保する。その冷徹な規律が、むしろ恐怖を増幅させる。
だが勝利の余韻は、ほんの刹那で終わった。
路地の奥から増援の軍靴の響き。頭上を旋回する黒いドローンが、ぎらりと光を反射した。数の差は歴然。ボルトクリッパーの一撃は奇跡だったが、奇跡にすがって留まれるほど甘い状況ではなかった。
「正面からやりあうな! 戻って来ぃ!」
キヨシの声が、地下の奥底から叩きつけるように届いた。
湊は薬袋を抱え、倒れた兵へ一瞬視線を落とす。
床に転がるのは、裂けたホースの断片と、青く脈打つパネルの残光。まだ微かに生きている機械音が耳に残った。
二人は夜の街をバイクに跨り必死で脱出した。
背後に響く規則正しい足音は、後ろ髪を引くように冷たく続いてくる。
――戦える装備と、戦えない自分たち。その距離を初めて痛感した瞬間だった。
だが手には、一つの確かな戦果が残っている。
裂けたホースの断片。とっさの判断で拾ってきた。
それは敗北の証であり、同時に未来を切り開く鍵でもあった。
地下へ戻ると、湿った空気と錆びた鉄の匂いが二人を包んだ。
待っていたキヨシが、腕を組んでにやりと笑う。
「よう生きて戻ってきたな。初にしては――上出来な成果やわ」
軽口に聞こえるその声色には、隠しきれない安堵が混じっていた。
湊は肩で息をしながら薬袋を差し出し、つかさは背中のリュックを下ろす。
「……どこで手に入れた」
「敵の……スーツからだ。これを……切った」
湊の言葉に、芹沢は片眉を上げる。
「ほう。奇跡でも起きたらしいな」
ホースを手に取り、指でなぞる。硬質な外皮の奥から滲む液体が、青白く微光を放っていた。
「これはS.I.V.スーツの循環管や。アイスブラストの標準装備……新兵用とはいえ先鋭部隊が、なんで鶴見の警察署なんかに……」
湊はホースを机にたたきつけ拳を握りしめる。
戦えたわけじゃない。ただ逃げ帰っただけだ。だが背中には、あの重い金属の感触と、裂けたホースの残響が今もこびりついていた。
隅の椅子に座っていたサムが、袋から何かを取り出して、もぐもぐと口を動かしている。
「……なにそれ?」
つかさが思わず問いかけると、サムは無表情のまま小さく答えた。
「タマリンドだよ。知らない?」
見たこともない豆の様なものを剥くと甘酸っぱい匂いがふわりと漂う。
「こんな時に、よく食べられるね」
「まあ、腹は減るから」
淡々とした声。だがその調子が、緊迫した空気をほんの少し和らげた。
引越しの作業が終わりません。
明後日には引越し屋が来ることを考えると結構憂鬱ですが、私は生きてます。
ゴミというのは意外と出てくるもんですね、そしてそれをメルカリに出すと売れる売れる。
自分にとってはゴミだったとしても人にとっては宝だったりして……。世の中は上手く回っております。
さて、来週も土曜日に更新したいと思います。
……忘れてなければ!
残りも頑張るぞ!!




