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UnChain  作者: 大垣礼緒
2/2

■第一章 海から来た青年

 薄暗い部屋の中で、湊は膝を抱えたまま青年を見下ろしていた。

 まだ顔色は悪いが、呼吸は安定している。


「……で、なんであんな舟でここまで?」


 問いかけに、サムは額の汗をぬぐいながら苦笑した。

「舟なんて呼べる代物じゃなかったろ。木箱を縛って浮かべただけだ。……でも、どうしても川崎に行きたかったんだ」


「川崎?」


 サムと名乗った青年は、傍らに置かれた古びた無線機を指でなぞる。

「これから声が聞こえたんだ。“川崎に人はいる。助けて”ってね。まあ無線はそこで途切れてしまって続きを聞くことは出来なかったんだが、こんな古い無線機を扱える人間がいることに驚いたんだ」


 湊は思わず息を呑んだ。


「けど、流されちった。……ここは、川崎ではなさそうだね。この端末に映る位置情報的に、ここは横浜だね?」

 サムは力なく肩をすくめる。



 沈黙を破るように、今度はサムのほうが問い返した。

「なあ、あんたは? 親はどうしたんだ?」


 湊は口を閉ざす。だがサムの目は真剣で、軽く誤魔化せるものではなかった。

「……父は、工場の管理者だった。東扇島(ひがしおうぎじま)の爆発に巻き込まれて死んだ。母は医療従事者で……その爆発のあと、負傷者を助けに島へ向かったまま……戻ってこなかった」


 サムは目を伏せ、しばらく言葉を探すように沈黙した。

「……そうか。悪いこと聞いたね」


 静かな空気が流れたあと、サムはわずかに口角を上げた。

「……俺も似たようなもんだよ。タイから技能実習で来たけど、中国人街で奴隷みたいに扱われてさ。行く宛てなんかなかったんだ。だから、最期の賭けのつもりで海に出た」


 その声には自嘲も混じっていたが、同時にどこかしぶとさを感じさせる響きもあった。


 湊は黙って保存食の袋を開き、半分をサムの前に置いた。

「……腹、減ってんだろ」


 サムは小さく礼を言い、それを口に運ぶ。乾いた音を立てながら噛み砕き、苦笑した。

「ほんとに、まずいな。けど……生きてる味がする」


「大げさだな」

 湊も口に含み、無理やり喉へ流し込む。普段なら無味でしかないパサパサな物体なのに、不思議と今日は少しだけ甘味を感じられた。


 短い沈黙が落ちる。やがてサムが、壁に立てかけられた古びた無線機を見やりながらつぶやいた。

「川崎に、本当に人はいると思うか?」


 湊は答えなかった。ただ、胸の奥でずっと燻っていた疑問を改めて突きつけられた気がして、目を伏せた。


「……まあいいさ。答えなんて、これから探せばいい」

 サムはそう言って、疲れたように横になった。

「今は、とにかく眠らせてもらうよ」


 部屋の灯りはサムの声に反応してゆっくりと落ちる。

 湊は落ちる光に照らされたサムの寝顔をしばし見つめ、深く息を吐いた。


 自分の暮らしに、再び誰かが踏み込んできた。

 それが、ただの偶然ではないことを、このときの湊はまだ知らなかった。


 翌朝、目を覚ますと部屋の奥から香ばしい匂いが漂ってきた。

 油で炒められた唐辛子とバジルの香りに、寝ぼけていた頭が一気に冴える。

 サムが簡易コンロの前にしゃがみ込み、古びたフライパンで何かをかき混ぜていた。

「……なんだ、それ」

 湊が声をかけると、サムは振り返りもせずに答えた。

「ガパオライス。俺の国じゃ定番の飯だよ。ちょっと街で材料を手に入れてきた」

 皿に盛られたそれは、鮮やかな緑のバジルと赤い唐辛子が混ざり合い、見た目だけでも食欲をそそる。湊は恐る恐るひと口、口に運んだ。

 ピリッとした辛さのあとに、じんわり広がる旨味と香り。普段、保存料の効いたパック飯や人工栄養の「完全メシ」ばかりで済ませていた湊には、あまりにも新鮮だった。

 母がいたころ以来、手料理というものを口にしていなかったことに気づく。忘れていた感覚が、不意に胸を刺した。

「……うまいな」

 思わず漏れた言葉に、サムは小さく笑った。

「だろ? こういうのは一人で食べてもつまらないんだ」

 湊は何も返さず、黙ってもう一口を運んだ。

 それだけで、久しく忘れていた“朝のぬくもり”のようなものが、確かにそこにあった。



 それから数日、サムは当然のように湊の家に居ついた。

 一人には広すぎる古びた一軒家。両親がいなくなってからは、ただ寝て起きるだけの箱だったが、サムがいるだけで妙に生活の匂いが戻ってきた。

 サムは勝手に庭に出ては布団を干し、時には物置から掘り出した古道具で修理までする。

 湊が台所をほとんど使っていないことを知ると、当然のように鍋を取り出して料理を始めた。

「冷えたパック飯ばかりじゃ、そのうち腸が死ぬぞ」

 湊が顔を出すと、サムは汗を拭いながらフライパンを振っていた。

 皿に並べられたのは、唐辛子とハーブで赤々と輝くサラダ——ソムタム。

 そして鍋からは濃厚な香りの立つグリーンカレーが湯気を上げていた。

「俺の国の料理だ。慣れてないと辛いかもな」

 サムはそう言って、テーブルに皿を置いた。

 ひと口、スプーンでカレーをすくって口に運ぶ。

 強烈な辛さが舌を刺し、すぐにココナッツの甘みがそれを包み込む。湊は思わず眉をひそめたが、気づけばスプーンを止められなくなっていた。

 ソムタムの酸味と辛味が後を追い、胃の奥まで熱が落ちていくようだった。


 夜になると二人はバルコニーの片隅の椅子に腰を下ろし、薄暗い庭を眺めながら古びた無線機に耳を澄ませた。

 そこから声が返ってくることはなかったが、サムは諦めずにダイヤルを回す。

「……川崎には、きっと人がいる」

 その言葉に湊は返さなかった。ただ、胸の奥でざらつく不安がまた少し広がっていった。


 そんな日々が二、三日続いたころ、サムが縁側で古びた無線機をいじりながら口を開いた。

「なあ湊、街に出ないか?」

 突然の提案に、湊は怪訝な顔をする。

「……何しに」

「旧式の無線アイテムを探したいんだ。部品でもいい。電波を拡充するためにも、まだ足りないものがある」

 サムの目は妙に輝いていた。

 疲れた漂流者の顔とは別人のように、生き生きとして見えた。

「中華街の裏路地に行けば、きっと見つかる。あそこなら管理が緩いし、掘り出し物も多いって聞いたことがある」

 湊はため息をついた。

 その路地は治安が悪く、できる限り近づきたくない場所だった。

 けれど、サムの目の奥に宿る熱を前にすると、断る言葉が喉につかえた。

「……わかったよ。ただし、絶対に目立つなよ」

「任せろ」

 軽く笑ってみせるサムに、湊は余計な不安を覚えた。


  翌朝、二人は人通りの多い大通りを抜け、さらに奥まった裏路地へと足を踏み入れた。

 そこは、昼間でも薄暗い。上空に張り巡らされた配管やケーブルが光を遮り、湿った空気に薬品と油の匂いが混じって漂っていた。

 壁際には改造端末や違法ナノマシンを扱う露店がひしめいている。ホログラムの広告板はところどころ壊れ、赤や緑の光が断続的に瞬いては通行人の影を歪めていた。

 売り子は皆、片目を失ったり、義手をはめていたりとどこか欠けている。声を張り上げ、古びたチップや違法プログラムを並べて客を引き込む。

「……やっぱり来るんじゃなかったな」

 湊は小声で呟く。こんな雰囲気の中で、余所者が目立たないわけがない。

 だがサムは物珍しそうに露店を覗き込み、古びた無線機やバッテリーを手に取っては値を聞いていた。

 その姿は、好奇心に駆られた子どものようですらあった。

 湊がため息をつき、足を止めた瞬間だった。

 前から来た大柄な男とサムの肩がぶつかった。

 ガン、と鈍い音が響く。

 サムが「すまないね」と口にしかけたとき、その男の視線が鋭く突き刺さった。

 次の瞬間、血走った目が大きく見開かれる。

「……お前、003256番だな?」

 低い声が路地を震わせると同時に、男は手を振り上げ、仲間に合図を送った。

 両脇の影から複数の男たちが姿を現し、路地の出口を塞ぐ。

「湊、走れ!」

 サムの叫びが弾ける。

 何が起きたか理解するより早く、湊は腕を引かれて駆け出していた。

 背後から飛んでくる怒号と靴音。

「逃がすな! 奴隷がまだ生きてるぞ!」

 狭い裏路地に、追跡の音が反響した。


 逃げ惑うも行き止まりにぶち当たる。数人の影がサムと湊を取り囲んだ。

 狭い通路に錆びた鉄の匂いと、男たちの荒い息遣いが重くのしかかる。

 サムが湊を背に庇い、ゆっくりと身構えた。

 片足を軽く跳ね上げ、体をしならせる。異国の舞踏のような動きに、相手の男たちが一瞬たじろぐ。

「来いよ……!」

 次の瞬間、サムは弾かれたように回転し、足を振り抜いた。

 鋭い踵が一人の顎をとらえ、派手に吹き飛ばす。

 だが次の瞬間、別の男が横合いから棒を振り下ろした。

 サムは両腕で受け止めるが、衝撃でタイルが割れ、呻き声を漏らす。

「ちっ……!」

 再び蹴りを繰り出すが、数で押される。攻撃は決まっても、次の一撃に繋がらない。

 ジリジリと後退し、背中が壁に追いつめられた。

 ——もう持たない。

 湊の喉が乾く。

 そのときだった。

 路地の端に停められていた鍵がついたままの古びたスクーターに目が留まった。違法バイク屋の持ち物に違いない。

 考えるより先に湊は敵の間を滑り込んで駆け寄り、キーを回す。セルボタンを押すと、エンジンが咆哮を上げた。

「サム、乗れ!」

 怒鳴り声に、サムは最後の力で相手を蹴り払い、湊の後ろに飛び乗る。

 アクセルをひねると、古びた車体は悲鳴をあげつつも前に飛び出した。

 狭い路地を駆け抜け、男たちの怒号を背に遠ざけていく。

 スモークを上げながら加速するスクーターの振動が、二人の体を強引に前へ押し出した。

 必死に走り抜け、古びた一軒家へと戻った二人は、庭先に広がる光景に足を止めた。

 玄関前に数人の男たちが立っていた。腕を組み、煙草をふかしながら、まるで狩りの獲物を待つように周囲を見張っている。

「……くそ、もう先回りされてやがる」

 サムの声は低く震え、怒りを押し殺していた。

 湊は息を呑む。

 ここは両親が残した唯一の家であり、たったひとりの生活を支えてきた場所だった。

 静かな朝に庭の草をむしったこと、母と並んで夕飯を食べた記憶。すべてが詰まった帰る場所。

 それが、今や敵に踏み荒らされようとしている。

「……俺の居場所が……」

 言葉にした途端、胸にぽっかりと穴が開いたように思えた。

 サムが横目で湊を見て、口角を上げる。

「悪いな、俺のせいで巻き込んじまった」

 そう言いながらも、声の奥には妙な明るさがあった。

「けど、足は手に入った。だったら行ってみようぜ。——川崎に」

 湊は黙ったまま、スクーターのハンドルを見つめた。

 川崎——。

 そこには「人がいる」と無線が告げていた。母もまた、あの日、東扇島の混乱の中で川崎へ向かった可能性がある。

 見つからない答えを、ここに閉じこもって探すことはできない。

 静かに頷いた。

「……行こう。川崎に」

 サムの顔に、ようやく本物の笑みが浮かんだ。

 二人を乗せたスクーターが夜を裂いて走り出す。

 風にちぎれた煙草の火が背後で小さく瞬き、怒号が遠ざかっていく。

 ——帰る場所を失った二人に残されたのは、進むしかない道だけだった。


 スクーターは鶴見の国道沿いを必死に走り抜けていた。

 橋を渡れば川崎、というところで突然エンジンが咳き込み、力なく沈黙した。

「……ガス欠かよ」

 湊がハンドルを叩く。

 サムは足を引きずりながら降り、顔をしかめた。

 先ほどの戦闘で脇腹を強く打たれたせいか、まともに歩ける状態ではなかった。

「悪い……俺、そんな長くは歩けそうにない」

 湊は歯を食いしばり、肩を貸す。

 二人はバイクを路肩に放置し、川崎へ向かって歩き始めた。

 だが足を進めるごとに、周囲の景色はますます異様さを増していった。

 爆発で崩れた工場群。焼け焦げたビルの残骸。道路のアスファルトには大きな亀裂が走り、ところどころで黒い液体が滲み出している。

 ここから先は、もう“普通の街”ではなかった。

 息を切らしながら進む二人の目に、やがて煌々と点滅する看板が映る。

「……サンキ・ホーテ?」

 ド派手なネオンは所々切れていたが、確かにまだ灯りを放っていた。

 自動ドアは壊れ、片方が傾いたまま開きっぱなしになっていた。

 中に足を踏み入れると、散乱した商品棚と破れたポップが薄暗がりに浮かんでいる。

 カラフルなはずの店内は、非常灯の赤い点滅で不気味に照らされていた。

「とりあえず……ここで休もう」

 湊が低く呟き、サムを棚の影に座らせる。

 サムは荒い息をつきながら、汗で濡れた額を拭った。


 静寂の中、どこかでカラスの鳴き声がした。

 その裏で、微かな電子音が鳴り続けていることに湊は気づかなかった。


 散乱した棚の陰で、何かが微かに動いた。

 湊が息を呑み、思わず身構える。

 次の瞬間、非常灯の赤い光に浮かび上がったのは、一人の少女だった。

 カーキ色のジャケットは擦り切れ、袖口には泥が染みついていた。ファー付きフードはくたびれて毛並みが乱れ、巻かれたストールもほつれが目立つ。



 それでも彼女の瞳は澄んでいて、ただ怯えているのではなく、長い逃亡の果てにようやく休める場所を探しているような、切実な色が宿っていた。

 その目は疲れ切っていながらも、二人を鋭く射抜いた。

「……誰?」

 声は震えていたが、ただの避難民とは違う芯の強さを感じさせた。

 サムが苦痛に顔を歪めながら答える。

「敵じゃない……ちょっと休ませてくれ」

 彼女は視線をサムの脇腹に落とした。血が滲んでいるのを見て、わずかに目を細める。

「……その傷、放っておいたら動けなくなる。私が診る」

 湊とサムが互いに顔を見合わせる間に、彼女はもう動き出していた。

 散乱した商品棚に足を踏み入れ、割れたパッケージや埃まみれのポップをかき分けながら、必要なものを次々と引き寄せていく。

 ガーゼ、消毒液、止血帯——。どれもこの廃墟の店内では色褪せた商品にすぎないはずなのに、彼女の手の中では救命具に変わっていった。  震える手ではなかった。迷いのない、研修で鍛えられた医療従事者の手だった。

「私は東条つかさ。もともと東扇島で医療派遣に来ていたの」

 手当をしながら、淡々とそう口にした。

「でも……浄化作戦のときに、全部なくなった。帰る場所も、居場所も」

 その言葉はあまりに軽く、しかしそこに込められた重みは痛いほど伝わってきた。

 湊はその手元を黙って見つめていた。  慣れた包帯の扱い方に、不意に母の姿が重なる。  気づけば口が動いていた。

「……あんた、東扇島にいたって言ったな」  

つかさは一瞬だけ手を止め、視線を湊に向ける。

「ええ。研修医の一団と一緒に。……でも、アイスブラストによる浄化作戦のせいでみんな散り散りになった。私の師匠も…いなくなった」  

赤い非常灯が影を揺らす中、湊は唇を噛んだ。

「……俺の母もだ。東扇島に渡ったきり、帰ってこなかった。医療従事者だった」

 つかさの目がかすかに揺れる。

「……名前は?」

「結城 湊。……母は結城 渚だ」

 その名を聞いた瞬間、つかさは息を呑んだ。

「……結城、渚……。あの人が、あなたの母さん……」

「知ってるのか!?」

 湊が思わず身を乗り出す。

 つかさは包帯を巻く手を止め、わずかに震える声で続けた。

「浄化作戦のとき……私、アイスブラストの隊員に見つかって、逃げ場を失ったの。

 その時、渚さんが私を庇って……別のルートから逃がしてくれた」

 湊の喉が鳴る。

「じゃあ、母さんは……」

「……ごめんなさい。そのあと、どうなったかは分からない。気づいたときには、もう離ればなれで……」

 つかさは苦しそうに目を伏せる。

「でも、私がここにいるのは……あの人のおかげよ」

 静寂が落ちた。湊は胸の奥に熱と痛みが同時に湧き上がるのを感じていた。

 母は確かに、誰かを救っていた。その確かさだけが心に残った。

 そのとき——。

 ざらついた声が、外の闇を裂いた。

「……这边!我听见了!(こっちだ、声がしたぞ!)」

 すぐに別の声が重なる。

「快点找出来!逃げられるなよ!」

 つかさが小さく息を呑む。

「……何? 今の言葉……」

 サムは血の気の引いた顔で、苦々しく吐き出した。

「……間違いない。“中華街の連中”だ。俺を追ってきやがった……」

 つかさはまだ理解できないように、湊とサムを交互に見た。

「中華街……? 一体どういうこと……?」

 答える余裕はなかった。外の足音は着実に近づいていた。

「説明は後だ……とにかく今は逃げるしかない!」

 しかし、つかさは首を振った。

「私は……行く理由なんてない。ここに残る」

 湊が言葉を探す間に、サムが苦痛に顔を歪めながらも口を開いた。

「……俺は、まともに動けない。湊一人じゃ逃げ切れない。……だから、君の助けが必要なんだ」

 その声は必死で、弱さと誠実さが混じっていた。

 つかさはしばらく二人を見つめ、やがて深く息をついた。

「……わかった。でも何とかできる保証なんてないからね」

 裏口の扉を蹴り破り、三人は夜の路地へ飛び出した。

 冷たい空気が肌を刺し、背後からは怒号と足音が追ってくる。

「快点!别让他们跑了!(急げ!逃がすな!)」

「くそっ……もう来やがった!」

 湊はサムを肩に支えながら駆け出す。

 狭い路地を抜けた先に、川をまたぐ古びた橋が口を開けていた。

 鉄骨は錆び、舗装は崩れかけている。それでも渡るしかない。

「ここを渡るぞ!」

 湊の声に、つかさが息を呑む。

「無理よ、崩れかけてるじゃない!」

「他に道はない!」

 三人は橋へと駆け出した。足元の鉄板がギシギシと悲鳴を上げる。

 ようやく対岸が見えたそのとき、上空から「ジジッ」と電子音が響いた。

 見上げれば、赤いライトを点滅させた黒い球体——監視ドローンが旋回している。

「……やばっ」

 湊が思わず立ち止まる。背後からは追手の足音が迫る。

 サムは血の気の引いた顔で呻いた。

「……もう終わりか……」

「うるさい!」

 湊はサムのバッグを乱暴に引っ張り、端末を一つ掴み取った。

「何して——おい、それ俺の——!」

 サムの制止も聞かず、湊は思い切り投げつけた。

 パーツは真っ直ぐ飛び、ドローンの羽に直撃する。

「ギィィン!」という甲高い音を響かせ、ドローンは火花を散らして墜落した。

「よしっ!」

 湊が声を上げた瞬間、サムの絶叫が橋に響いた。

「あーーーーーっ!! 俺のスマホがぁああああ!!!」

 湊は唖然と振り返る。

「当時の人たちもこんな思いしてたのかな?」

 背後で再び中国語の怒声が飛ぶ。

「找出来!快!(探せ、急げ!)」

 ドローンを撃破し、なんとか橋を渡り切った。


 背後から追っ手の怒号がまだ響いている。夜風が熱を奪うよりも早く、胸の鼓動が乱れていく。

「……まだ来るのかよ……!」

 湊は肩にサムの体重を感じながら、必死に前へ進んだ。

 辿り着いたのは、かつての川崎駅前だった。

 だがそこに広がっていたのは、もはや駅前とは呼べぬ荒れ果てたシャッター街。

 色褪せたテント屋根はところどころ裂け、風が吹くたびにビニール片がはためいて不気味な音を立てる。

 シャッターは錆びに覆われ、剥がれかけた落書きや、古びた選挙ポスターがまだ残っていた。

 崩れかけたアーケードの天井からは、配線が垂れ下がり、赤く切れたネオン管が時折「ジッ」と火花を散らしてはすぐに消える。

 半壊した案内板には、かろうじて「川崎駅」の文字が読み取れた。

 アスファルトはひび割れ、その隙間からは雑草が繁茂し、夜の湿気に濡れて青黒く光っている。

 かつて人々が行き交ったはずの道は、今や廃墟の森のようだった。

「……ここ、駅前だよな……?」

 湊が呟くが、返事をする余裕は誰にもなかった。

 背後から靴音が迫る。

「見つけたぞ! 逃がすな!」

 追っ手たちの声が反響し、暗い商店街に重くのしかかる。

 行き止まりの路地に追い込まれ、三人は立ち止まった。

 湊は錆びついた鉄パイプを掴み、手に汗が滲む。

 つかさは荒い息を整えながらも震える手で包帯の残りを握りしめた。

 サムは脇腹を押さえ、壁に背を預けるように立っているが、もう一撃も耐えられそうになかった。

「……ここまでか……?」

 誰もが一瞬、絶望を覚えたその時だった。

 ——コン、コン。

 足元のマンホールが内側から叩かれた。

 三人が驚いて目を落とすと、蓋の隙間からかすかな光が漏れている。

 低く押し殺した声が、地下から響いた。

「——こっちや。早よ入り」

 湊とつかさは顔を見合わせる。

「今の、誰……?」

「罠かもしれない……」

 しかし背後では、追っ手たちが路地の奥へと雪崩れ込んでくる気配がした。

 選択肢はなかった。

「行くぞ!」

 湊が決断し、サムを支えながらマンホールの蓋をこじ開ける。

 下から差し伸べられた手が、サムの腕をがっしりと掴んで引きずり込んだ。

 その手は、硬い皮手袋に覆われていた。

 皮膚の感触は一切なく、ただ無骨な力強さだけが伝わってくる。

 続いてつかさも身を屈めて飛び込む。

 最後に湊が追い込みの怒声を振り返りざまに聞きながら、闇の穴へ滑り込んだ。

 蓋が静かに閉じられる。

 地下は湿り気を帯び、鉄と泥の匂いが充満していた。

 遠くで水が滴る音が反響し、天井を這う配管からは不規則な水滴が落ちる。

 壁面には古びたマーキングや、誰かが残した矢印のような落書きがかすかに残っていた。

 暗がりの中で、前を歩く男の背だけがわずかな灯りに浮かび上がる。

 分厚い外套の裾が揺れ、足音は規則正しく重い。

 振り返ることもなく、ただ迷いなく暗闇を進んでいく。

 誰なのか、声も姿もまだ判然としない。

 だがその背中は、不思議と「導く者」のような威圧感を帯びていた。

 三人は息を殺し、足音を忍ばせてその背中を追った。

 地上では追っ手たちの声がまだ響いていたが、やがて遠ざかり、闇と静寂だけが残った。


どうも、作者です。


UnChain自体はずいぶん前から書き始めてるんですがこうして読み直すと我ながら面白い作品だなぁって思いますね。きっとこれを親ばかとでもいうのでしょう。


あまりにもサイトの使い方がわかってなさ過ぎて困惑しておりますが、今日も元気です。

実はこの作品、各キャラ立ち絵から挿絵から何から何まで完成してて、あとは出版用にちゃんと校正してまとめるだけなんですけどねぇ…。


いかんせん、校正というものをやりたくないんですよ。


したがって、誤字脱字、表記ゆれとかあったら教えてほしい限りなんですよねぇ。


あ、もちろん純粋に感想や考察、はたまた批判なんかもストレートに受け付けていますよ。



次の更新は2/21予定です。

もしかしたら忘れているかもしれませんのでその時は誰か教えてください!


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