5 穀物の不作と
「ごめん、遅くなった…!」
コールと婦人のところへと戻った時、既に二人は人々が休めるように設置されたベンチに腰かけていた。
「どうでしょう。良い品は見つかりましたか?」
「ええ、そうですね。良い収穫がありましたよ。」
そう言い、婦人に紙をペラペラと掲げた。その紙が何なのかに気づいた婦人は、仰いでいた扇をぴちっと閉じて、懐にしまった。
「あら………“魔力矯正剤”の広告なんかを持ってきて、どうしたのですか。」
やはり、知っているか。一方のコールはというと、首を傾げて広告を見ていた。良かった、僕が忘れていたわけではないようだ。
「この“矯正剤”、帝都で一度も聞いたことがなかったもので…。気になって、婦人に尋ねようかと思いましてね。」
「帝都で商品を扱うあなた方も、聞いたことがないのですか。」
「はい。農家のための薬品なども取り扱っていますが、初耳ですね。」
そう………と小さくつぶやくと、広告を手に取った。
「フーロン商会。あなた方もご存じでしょうけど、この街の交易導線は彼らが築いていたの。レーヴ…というよりも、エレッセ王国全体が“大陸の畑”と呼ばれる程、肥沃な土地で、商売をするには正に絶好の立地だった。だから、彼らはこのレーヴに支店を置いた。」
レーヴの支店というのは、ジャールが譲渡をした不採算店舗のことだろう。やはりこの店舗は、平常ならば赤字に陥るリスクはない優良物件だったのだろう。ならば、何故売り上げが少なくなってしまったのだろう。
「そして彼らは、このレーヴを中心とした大規模な流通網を構築しようと考えた。その計画の一端として思いついたのが、この“自由市場”なの。」
「最初から下手に商会が地盤に手を出そうとするよりも、生産者自らが物を売れる環境を整えることで、来年以降もまた作物を沢山作ろうと意欲を高めることにしたわけだ。」
「その通り。」
視線を市場に移す。彼らの思惑通り、生産者の意欲は向上。安い商品を買うことができる市場を目当てに街の内外からは沢山の人々が訪れることになった。この賑わいは、その成果をそのまま表しているのだろう。
「しかし………ここで大きな問題に直面した。意欲が向上しようとも、これが障壁となるせいで生産量は思ったように上がらなかった。それが………。」
「土地あたりの生産量、ですね。」
コールが婦人にそう言うと、小さく頷いた。
「去年の実りの季節、フーロン商会は売り上げがさほど大きくなっていないことに気が付いた。これは、自由市場の開催によって、商品売り上げが少なくなっていることが原因でないことは、明らかだった。そこで彼らも、土地あたりの生産能力が向上していないことに目を付けた。」
しかし、これは畑を広げるなどという単純な答えで解決することはできない。元々農業が中心のこの街は、既に畑が十分に広がっており、広げる余地がないからだ。ならば、どうするのか。
「今ある土地で、沢山の作物が収穫できる環境を整えること。それが先決ですね。」
「そこで彼らが持ち込んだのが、この“魔力矯正剤”。これの導入が、レーヴの農業事情を文字通り一変させたの。結果は………今、あなた方が見ている景色が証明するわ。でも………。」
嬉しそうに話していた婦人の顔が、一転暗くなる。
「でも………、この“魔力矯正剤”が導入されたことで、新たな問題が生じてしまった。それが……。」
「肝心な、穀物の不作。………ですね。」
頷くと、婦人は懐から、馬車の中で見ていた魔導石を取り出す。
「私が帝都に向かったのは、この状況を打破するものを探すため。ところが、帝都の商人に“魔力矯正剤”のことを問うても、はっきりとしない答えが返ってくるばかり。唯一手にいれたのが、この魔導石というわけなの。魔導石と“魔力矯正剤”では、全く違うのは承知していた……。でも、藁にも縋る思いで、この石を手に入れたけれど………特に意味はなさそうね。」
自虐的に笑う婦人は、先程までの明るい様子が全く想像できないほど、苛まれていた。石を持つ手は微かに震えている。
………この街に住む婦人にとって、穀物を育てる人々が苦しむ様子を見ていられなかったのだろう。
悔しいだろうな。………言葉に表せないほどに。
「………いや、そんなことはないと思いますよ。」
「………え? それってどういう………。」
「…フーロン商会が経営していたという店舗。そこまで案内してもらっても良いですか?」
婦人に、そう微笑みかけた。