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20 “優しさ”だけでは……①

「あなた………まさか…。」


婦人はエーナさんの問いかけに、何かを察したようであった。


「…婦人?」 


少しだけ、沈黙の時間が訪れる。


「…話すなら、あそこのほうが良いかもしれないわね。」


婦人は、遠くを見つめていた。



僕たちがレーヴの中央広場へと戻ってくる頃には、すっかり日が暮れてしまっていた。街灯の心細い明かりに照らされているところ以外は、真っ暗だった。広場にさしかかると、婦人はおもむろに小さく笑った。


「…やっぱり、そうだったのね。」


その一言に、エーナは小さく頷く。


「……どういうことでしょうか?」

「……私の母は、ここレーヴの出身なんです。」

「え、そうだったんですか!?」


コールは思わずそう口にした。びっくりして目を点にしていた。かくいう僕も、その事実を初めて知った。


「はい。」

「驚いてないということは……婦人は、知ってたんだね?」


この中でただ一人、表情を変えずその事実を聞いていた婦人は、確信したように頷いた。


「ええ、そうね。正確には、()()だけど。」


エーナに対して、笑いかける。


「クローズ博士の奥様……エルゼさんは、レーヴの町の鉱員として、オルモタイトを発掘した最初の一人なの。さっきもエーナさんが話してくれたけど、ここは元々“鉱山の町”でね。オルモタイトが見つかる前から細々とだけど、鉱石の発掘はされていたの。もちろん、利益はそこまで大きなものではないわ。でも、その利益をみんなで分け合って、助け合って暮らしていたの。」


そう言い、広場の真ん中にある英雄像の方へと歩みを進める。改めてまじまじと見て思う。やっぱり立派だ、本当に。婦人は、そんな英雄像を囲む柵に手を置き、像を見上げる。エーナは、その様子を少し離れたところから、静かに見つめていた。


「いつだったかしらね、発掘に使っていた魔道具の効力があまりにも弱くなっているという連絡がエルゼさん達からあって、夫、ゼイウェンは調査のために鉱山に向かったの。そこで聞き取りや検査をした結果、ある大きな鉱石の周りで使った魔道具だけが、被害を受けていることが分かった。それが…。」

「オルモタイトってわけだね。」


日の光を浴びていない、冷たい風が僕らをかすっていく。


「最初はね、厄介な石としか誰も思っていなかった。オルモタイトに行きあたっては、掘る進路を変えたりしてね……夫が鉱山の関係者と、ほぼ毎日夜遅くまで話し合っていたのを覚えているわ。時には、部屋のソファーでみんなと寝ちゃうこともあったわね。」


ふふふ、と思い出し笑いをする。


「だけど……終わりは見えなかった。どれだけ掘っても、いつかはオルモタイトに行きついてしまう。それで採掘が止まって、全然鉱石が取れない。そんな状況が続いて、仲間は一人、またひとりと……離脱していったわ。生活が安定しないから、致し方ないのだけど…。」


中央広場に、静けさが走っていた。


「それでも、鉱夫の中でも……彼女は……エルゼは、ずっと諦めずに考えていたわ。…みんながまた、鉱山に戻ってこれるように。ただ、それだけを願って。」


彼女の苦悩は、僕らには計り知れないものだろう。どれだけ頑張っても、前が見えてこないのだ。それでももがき続けるのは、本当に苦しいことだと思う。それでも、彼女はめげなかった。絶対に曲げられない何かが、エルゼの中にはあったのだろう。だとしても、そうだとしても…。


「……彼女は、本当に強い。そう言いきれるよ。」

「そうね。そんな彼女を、夫はほっとけなかった。彼も、彼女と()()だから。」


そうゼイウェンを語る婦人の顔には、誇らしさというよりも、どこか納得のいかないような、そんなもどかしさが大きく表れていた。


「クローズ博士がやってきたのは、その頃かしらね。ここの噂をどこかで聞いたようで、帝国大学に休暇届けを出してきたと言っていたわ。」


婦人は懐にしまってあった鏡を取り出す。貴族婦人のものとは思えないくらいに、質素なその鏡には、小さな宝石が一つだけ埋められていた。


「それは……。」

「……クローズ博士からのいただきものよ。意図は…わかるでしょう?」


領内にて何かしら行うためには、一部例外を除いて、その領地の領主貴族に取り入る必要がある。商売も同じだ。“差し入れ”をすることがある意味しきたりのようなものとなっているところもある。クローズ博士が、それに倣って渡したということはなんとなく察しがつく。しかし、それにしてはシンプルなものだが。


「言っていたわ、『障壁なく研究をするためには、必ず貴族のご機嫌取りをしなければならない。その“指標”が、鏡なんだ』ってね。私の前でよ。」


また、ふふと笑う。


「自分で言うのもなんだけど、私の本質を見抜いたのかしらね。」

「…僕も、クローズ博士と同じことを思っていますよ。」

「あら、それはどういうことかしら。」


僕の方を振り返ってみる彼女に、笑顔を向ける。


「――領民に寄り添うやさしさ、それが伝わってくるんですよ。あなたの行動、一つひとつからね。」


最初に出会った時もそうだった。領民たちと同じ乗合馬車に乗り、談笑する。あまり貴族らしくない光景の中に、彼女の存在はあった。


「…エルゼもそうだけど、領民たちはみんな苦労して、レーヴはようやくここまで来ているの。そんな彼らと共に、レーヴのことを考え、行動したのが、夫ゼイウェン。彼と違って、私にできることは、彼らに寄り添うことだけ。私は……。」


そこで一旦止めると、彼女は自虐的な笑みを浮かべた。


「優しくあること()()、できなかったのよ。」



ゼイウェンやエルゼたちは、ずっと焦っていた。このままでは、このレーヴの町は立ち行かなくなってしまう。人々が飢える、それだけは何としても防がなくては…。

やれることはすべてやっていた。鉱山の発掘計画の調整、行程の確認、魔道具の調整。

そして…鉱山に頼らない、自領内の資源開発。

町のことだけ考えられれば良いが、そういうわけにはいかない。

レーヴの町は、大きな借金を負っていた。莫大なものだ。細々したものを合わせれば、一時期は王都の三年分の予算くらいあった。しかし、こうしないと鉱山の運営費はおろか、町の人々が暮らすためのインフラ整備のための費用は賄えなかった。

鉱山の被害は、レーヴだけでは手に負えないものになっていた。

自室の机の上で、ゼイウェンは常に頭を抱えていた。大量の書類を、前にしながら。


「このままでは……皆、共倒れになってしまう。どうしたものか……。」


記されていたのは…領地の収支報告と、赤字額。国に納めるための税捻出は、ギリギリであった。

毎日、毎日、毎日。毎日のように、数字とにらめっこしていた。ほぼ寝ていなかったように思える。

文字通り、不眠不休の彼から、いつも見るはずの表情が全くもって消えていた。

本当の彼は、よく笑う。とても明るくはつらつとした人だ。そんな彼の目の下には、今、クマがはっきりと浮かび上がっていた。頬には、年齢(とし)には見合わない、深く刻まれた皺が。

そんなゼイウェンのことを、私は…陰から見守ることしか、できなかった。

領主婦人として、何もできない。

知識も、力も、何もないのだ。本当に歯がゆかった。何のために私は存在しているのだろう、こういう時に手伝えなくて、何が領主婦人なのだろう。

…ずっと、つらかった。



そんな中、ある日やってきたのが、クローズ博士率いる、帝都の研究チームだった。

どうやら、ここの噂をどこかで聞きつけたらしい。「偏魔力」という聞いたことがないものを研究をしている彼は、レーヴの鉱山で起きている現象がずばりそれによるものであると、見抜いていたようだった。


「私なら、この状況を改善できる策を考えられるかもしれない」


私たちの裏側を見透かしたのような彼のその一言は、即断即決の理由として十分すぎた。

クローズ博士……彼は、眩しい笑顔を放っていた。

まるで、何処かで見た、他人思いで熱心な領主様のように。


夜、私は1人、屋敷のベランダから街を見渡していた。明るく照らされているはずの中央広場は、節約政策の一環として、薄暗く、心許なくなっていた。

照らす明かりは……私の、頼りない心を映し出しているかのようだった。

ベランダに体重を委ね、思わずため息を漏らす。

満天の星空から、光が否応なく降り注ぐ。いつもより明かりが少ないから、もっと星々が輝いて見えるかと思ったが……案外、鈍い光だ。冷たく小さな風が、私のため息を包み込んで頬を過ぎゆき、ベランダに開け放った窓へと吸い込まれていった。


「あれ、こんなところに……寒くないですか?」


後ろから、博士の声がする。はつらつとした笑顔には似つかわしくない、おとなしい声だ。ゼイウェンとはまたタイプが異なった明るさなのだろうか、とふと考える。


「大丈夫よ。…私、ここから見る景色が好きでね。」


手すりを手で、かすかになぞる。


「……彼との共通点でもあるの。」


そう、笑顔を見せる。博士の表情は、いつもと違った……冷静さを帯びている、と言えばよいのだろうか。そういう顔だった。


「共通点ですか……。」


ボソリと呟くと、自身の手のひらをよく見た。


「…僕も、ここと同じような鉱山の町の出身でして。父は鉱夫で、母は鉱石の運び屋をやっていました。」


ベランダの手すりに身を委ね、私と同じように街を見渡す。彼は、どこか遠いところに思いを馳せているかのようだった。


「そして、その町では……ここと同じように……オルモタイトが採れてしまった。ここと同じように……鉱山の経営は傾き、ここと同じように人々は困窮し……。」


彼の目が、一瞬だけ曇る。


「………町から、明かりが消えた。」


小さい風が、強く私たちの間を通り抜ける。


「それが、私の研究の原点です。私は、“明かり”を灯すために、研究を始めたんです。」


そう言うと、中央広場の方へと目をやる。


「ここレーヴは、私が生まれ育った町に本当によく似ている。中央の広場に英雄像が飾られているところまで、ね。」


私も同じようにする。中央広場の英雄像は、微かな明かりに照らし出されていた。


「ただ……少しだけ、違うところが。」

「…何かしら。」

「ここには………ゼイウェン様や、ウェリス様をはじめとしたレーヴの皆さんが居ます。」


博士は腰に手を当て、私の方に目をやる。

その目に、窓から差す光の影となった私の姿が、ぼんやりと映っていた。


「皆さんの故郷(レーヴ)を思う気持ち、それだけは……本当に強い。」

「……………………………。」


彼の言葉は、私の胸に突き刺さるような気がした。


「……思うだけじゃ、“優しい”だけじゃ、何も変わらないのよ。」


思わず、そう口にしていた。

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