18 エーナの正体
彼女の思いもよらぬ告白に、まず驚いたのが夫人だった。
「帝国大学の…学位って…………。」
「彼女は、博士号を持ってるんですよ。それも、魔力研究の……ね。」
そう言って僕が彼女に目を向けると、小さく頷いた。
「私は、帝国大学でこの偏魔力が、環境に与える負荷や効果に関する研究をしていたんです。」
学位紋章を懐にしまうと、おもむろに立ち上がり、窓際へと歩みよる。
「当時はまだ、偏魔力の研究が進んでおらず、あくまで理論上の存在にとどまっていました。偏魔力理論確立のためには、実際にその存在らしきものが確認されている現地に赴いて、研究をし、報告をする必要があったんです。その研究の一環として、私はこのレーヴの街を訪れました。前領主、ゼイウェン様とも、その時に出会いました。」
彼女は、記憶にとどめていた過去の口火を切った。
「偏魔力論を提唱したのは…。他でもない、私の父でした。昔から、魔力が何らかのきっかけで収束し発生する現象は様々なものが観測されていました。魔法迷宮内の魔物が地上に現れる、“迷宮溢れ”。それから、農作物の育成促進。これに関しては、皆さんもご存知ですよね。」
「ええ、そうね。」
「“迷宮溢れ”、ねぇ……。冒険者の間じゃ、厄介な討伐依頼だって評判だったね……。」
エーナの振りに頷きながら、僕と婦人は答える。
“魔力収束”は様々な影響を僕らに与える。良いものも、悪いものも。魔力がたくさん集まると、魔導石やら農作物やらが取れやすくなるという反面、これが何らかの反動で収束の具合がちょこっとでも変わると、途端に“迷宮溢れ”へと変貌する。コロコロと効果が変わるから、人々にとっては厄介であるけど……ま、いずれにせよ商人にとっては美味いメシの種であることは間違いない。
「魔力収束については、これまでたくさんの研究者たちが様々な理論を確立していました。ただ………。」
「ただ?」
エーナは窓の鍵に手をかけ、婦人に目配せする。了承の旨を伝えるように軽く頷くと、キィときしむ音を立てて窓を開け放した。実りの季節の、寒いようで暖かい風とともに、鼻によく伝わってくるあの独特の香りが、部屋に吹き込んだ。
「魔力収束の現象で生まれる、“阻害”の効果。これだけが、誰も説明ができませんでした。」
阻害、というのは、魔力の副作用とも言える症状の一つだ。簡単に言ってしまえば、あるモノが持つ本来の効果を抑えるという現象なのだが、これが厄介なのは「抑える」だけで症状がとどまらないことがあるという点。モノが発現する効果・現象を、“全く別のもの”に変えてしまうこともあるのだ。この“阻害”効果によって売り物がダメになったり、そうだと気づかないで取引すると、周りの無事な商品にまで影響を及ぼしたりすることもあるので、商人にとって最も厄介な現象であるといっても過言ではない。
「一体、何の変哲もない物体の効果がどうして突然変異するのか。その効果について何度も考証し、現象のメカニズムを解き明かしたのが、クローズ博士の提唱する…“偏魔力論”でした。」
「その論文は、僕も読んだことがあるよ(新聞に載っていた一部をチラ見した程度だけど)。確か…、魔力の“ねじれ”が生み出す、副作用なんだよね。」
「魔力の“ねじれ”。ただ魔力が収束するだけで起こるようなものではなく、その魔力自体に大きな“圧力”が加わって、全く別のものに変異する。この“圧力”を生み出すのが、自然界に溢れる自然魔力であることを、私の父はここ、レーヴの町で証明したのです。…ゼイウェン様の、ご協力の下で。」
エーナは畑に遠く目線を向け、拳を握りしめ、そう語った。