16 葛藤
「領主様も、みんなも、あの人のことを信用できるんですかっ!??」
ただ黙って聞いていた観衆の本音を代弁するかのように、彼女はそう叫んだ。
想定外ではない。寧ろ、このような意見がずっと出てこない方が不思議だった。
叫ぶ彼女の前に、先ほど口を開きかけたおじさんは制止するかのように出てきた。
「セリよ、お前さんの気持ちも分からんではない。しかし………。」
「しかし………何ですか? これまで私たちを、穀物が育たず、私たちを長い間苦しませてきた原因を作った商人を、エルガさんは許せるんですかっ!?」
「それは………。」
押され気味のおじさん………エルガは、なにも言えなくなってしまった。すると、後ろにいた婦人が、彼女の前へと歩みを寄せ、言った。
「セリ………どうか落ち着いて。彼女だって…。」
「彼女だって………騙されていたとでも言いたいのですか!?」
「そうよ! だからっ!!」
「それでもっ…………私はっ………………私にはっ……………………!」
「セリっ…!!」
ギリッと歯を食いしばり、彼女は畑の向こうへと勢い良く走っていってしまった。それをずっと黙って聞いていたエーナは、目にほのかに涙がたまりつつも、それを必死にこらえていた。
うむむ………どうしたものか。民衆の不和をどうにかして仲裁するのが僕らの役目。だけど、今のままでは僕の声どころか、信頼している仲間、婦人の声すらも、彼女には届かないような気がする。いったいどうしようか。
すると、頭を軽く掻いたエルガは、僕らの方へとその頭を下げた。
「俺の仲間が、とんだ無礼を働きました。その罪は、責任者である俺が、その身をもって償います。」
「そんな必要はありません。非礼を詫びたいのは、寧ろ私たちの方です。あなた方の惨状を知りながら、私には………どうすることもできなかった。」
「婦人……………。」
エルガは、婦人に対してもう一度頭を下げる。頭を上げて、今度は僕の方へと体を向けた。
「お前さんにも、迷惑をかけてすまない。俺は、この辺りのレーヴの畑の管理責任者である、エルガだ。前レーヴ領主のゼイウェン様から、この大役を仰せつかった。………さっきの、セリと一緒にな………。」
すると、頭を僕にも下げてきた。
「こんな偉そうなこと、俺に言う資格がないことは分かっている。だけども、どうか………許してやってほしい。あいつのあの態度は、この畑を…この街を愛しているからこそなんだ。」
そう言う彼の姿勢から、セリをおもんばかる優しい心が見て取れた。
「僕に謝る必要なんかないですよ。自分勝手に首突っ込んでるだけですからね。」
そう、笑って見せる。すまない………と呟くと、彼は心の内を僕らに語ってくれた。
「俺たちも、心の底では分かっている。エーナさんが、一生懸命尽くしてくれたエーナさんが、裏切るようなことをするような人ではないってな。」
エーナの方を見て、エルガは笑顔を作ってみせる。
「俺たちから罵声を浴びせられるかもしれないのに、物を投げつけられるかもしれないのに…。彼女は恐れず、この場に立っている。その気持ちに気づかないバカは、ここにはいないさ。」
観衆の方をぐるっと見渡す。
「分かってはいる。だがな…。」
エルガの両の拳に、ギュッと力が入る。
「このやり場のない怒りは…、いったいどこへ向けたら………良いんだろうなっ………。」
目を伏せ、苦悶の表情を浮かべる。エーナさんの目からは、大粒の涙があふれていた。顔をふせているが、こらえきれなかったのだろう。体を震わせ、彼の言葉を聞いていた。
………エルガのおかげで、僕のやりたいことがやりやすくなった。僕らにできることを、しよう。
「怒り……、ですか。ぶつけるくらいなら、その気持ち、昇華させましょうよ。」
そう、腰に手を当て笑って見せる。エルガと民衆は目を丸くしていたが、エーナだけは涙を拭い、決心した表情になった。
「昇華……?」
「ええ。“怒りの衝突”それこそが、向こうの思惑なんですからね。」
◇
「あの小童……私をなめるのも大概にしろっ……。」
男は、そう苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。
エレッセ王国、某所。
応接室の机に無作為に広げられた書類を眺め、男は悔しそうにそう呟く。
この男、フーロン商会の元締め、ジャールである。
先のエレッセ王崩御の後、自身の持つ資金を利用して傀儡政権を作り上げようとした。しかし、その資金というのが、自身の商会で行ってきた不正交易の中抜きであり、それをクラムによって見抜かれてしまったのだ。クラムはその秘密を隠す代わりに、ジャールに対して、フーロン商会の持つエレッセ王国における交易権の一部譲渡。そして、エレッセ王国におけるアテレーゼ商会の拠点提供を要求した。この、足元を見るような態度をとるクラムに対し、ジャールは怒り心頭に発しているということだ。
「エレッセ王国での交易参入、ゆくゆくは、我らの持つ交易権をも手中に収めようとしているのだろうが………。しかし………。」
ナイフを手に取り、机に一枚置かれた写顔紙に思い切り突き刺す。真ん中に大きく穴があいたクラムの顔を見つめ、ほくそ笑んだ。
「お前の企みも、ここでついえるだろう。貴様には暴けまい……!」
すると、応接室の扉を、叩く音が聞こえた。
「……入れ。」
「失礼いたします。」
部下らしき男は、ジャールのそばへと近寄ると、何かを耳打ちした。
それを聞いた途端、ジャールの顔色は、一気に悪くなる。
「………なんだって? エーナが……アテレーゼ商会に……!?」