12 婦人の正体
壁に掛けられた時計が、ポーンと鳴る。開けた窓の外からは、街の中央にそびえる時計台の鐘の音が、夕刻の風にのって届く。ふわっと舞った髪を軽く整え、机に置かれた小さな額縁を日に向ける。窓から差す赤い光は、飾られた小さな写顔紙を照らし、また佇む彼女を照らした。彼女の表情は……何かを願う者のそれであった。
「……ゼイウェン。貴方の遺志、私がなんとしても………。」
そして、静かに口にしたその時。
「……失礼しますよ。」
小さなノックの音とともに、入り口の扉を開ける。
「………数刻ぶりね、クラムさん。随分と早かったようね…。」
「遅くなりましたね、婦人。」
帽子のツバを軽く上げる。
婦人の姿は、夕日に照らされていた。
対峙する僕の後ろから、コールが息を切らして入ってくる。
「く、クラムさんっ……! は、早すぎです!」
コールは息を整えると、僕と同じように婦人を見据えた。
僕たち二人に見つめられてもなお、婦人は元の態度のままだった。
「あらあら、みんなお揃いなのね! 今、お茶を………。」
「白々しい芝居はやめにしましょうよ。」
僕のその言葉を聞いて、ポットを手に取った婦人は一瞬ピクッと反応する。
「ねえ、レーヴ領主、ウェリス・レーヴ伯爵夫人。」
名前を言うと、彼女は静かにポットを置く。そして、こちらに体を向けた。
………淑やかな、笑顔だった。
開け放たれた窓から、爽やかな風が流れ込んでくる。
一旦置いたポットを再び手に取ると、婦人はカップに茶を注いだ。
「……いつ、気づいたの?」
「はじめ、あなたが“ゼイウェン”の花の話題を出したときですよ。まあ確信はできませんでしたけど…。」
婦人の向かいのソファーに腰掛ける。その目の前に、婦人はカップを二つ、コトンと置いた。手で座るように促すと、コールは僕の隣に静かに腰掛ける。茶は、小さく湯気を立たせていた。
「“ゼイウェン”というのは、エレッセ王国に仕える貴族、ゼイウェン・レーヴ伯爵のこと。“花”というのは、貴族夫人を指す商人用語。まさか、夫人がご存じだとは思いませんでしたが…。」
苦笑いすると、同じようにもう一つのカップに茶を注いだ婦人は、僕たちの斜め向かいにある小さなソファーに腰を下ろした。
「帝都で買い物していた時に、店にいた商人のひそひそ話が聞こえてきたのよ。それにしても、貴族夫人を“花”と表現するのは、中々巧いじゃない。」
ひそひそ、というところをなんとなく強調しながらそう婦人は口にする。
「……いえ。乗り合い馬車に乗っていたからこそ、そう言い換えた婦人の頭の回転の方がすごいものですよ。」
「だとしたら、あなたの返しも秀逸だったわ。心得ています……だったかしら? 好きよ、あの答え。」
それはどうも、と小さく呟く。互いに笑顔を向ける僕たちの様子をみて、コールは戸惑いの表情を浮かべた。
「まあ僕としてはそんなことはどうでもいいんですよ。」
カップを手に取り、一口飲む。お茶にはさも似合わない爽やかな香りが、鼻を抜けていった。これは、南方で古くから栽培されてきたとかいう茶葉だろうか。
「婦人から頼まれた、“魔力矯正剤”による穀物生産減少の原因調査、その結論を単刀直入に申し上げましょう。」
コトッと音を立てて、机にカップを置く。
「……この状況、なんとかなると思いますよ。」
そう、婦人にとっての朗報を伝えると、彼女は持っていたカップを机に置き、ホッと胸を撫で下ろした。
「そう……良かった。」
その顔から察せる。民たちへの思いが深くなければ、このような表情は浮かべないだろう。彼女の民を救いたいという思いは、間違いなく本物だろう。そう、確信させてくれた。
「では、この状況に至った原因も分かったということかしら?」
「そうですね。……ただ、口頭で説明する芸当は僕にはムリですから……。」
スタッと立ち上がり、人差し指を立てる。
「実際にやってみせましょう、畑でね。」
ニイッと笑みを浮かべた。